第6話/正常な街と、異常な影
気のせいだ、と思いたかった。
だがフェリナは一度立ち止まり、足元へ視線を落とす。篝火に照らされた影は、石畳の上にくっきりと伸びている。揺れる炎に合わせて輪郭がわずかに歪む——それでも今は、確かに彼女の動きに従っていた。
(……疲れてるだけ)
そう言い聞かせる。右手の疼き。肩の傷。眠れていない身体。理由はいくらでもあった。それでも、一度意識してしまった違和感は消えない。靴の裏に挟まった小石のように、思考の奥で引っかかり続ける。
フェリナは影から目を離し、歩き出した。
城門は、思っていたよりも大きかった。近づくほどに圧迫感が増す。分厚い石壁。継ぎ目の見えないほど精密に積まれた構造。門の両脇には、槍を持った衛兵が二人、微動だにせず立っている。
——だが。あと数歩という距離で、フェリナの足がわずかに止まる。石の隙間の奥。そこに、鈍く光る異素材が覗いていた。均一すぎる質感。自然の石ではあり得ない滑らかさ。さらによく見れば、壁面には細い溝が走っている。規則的に、まるで何かを通すための”線”のように。
「止まれ。旅の目的を」
衛兵の声が、思考を断ち切る。フェリナは一歩前に出た。
「石碑の調査です。遠方から来ました」
視線が三人を順に舐める。フェリナ、リナ——そしてジークで、ほんの一瞬止まった。
「……随分若いな。石碑の調査だと?」
「はい。調査で来ました」
短い沈黙。やがて、衛兵の視線がフェリナの胸元へ落ちる。白銀のペンダント——キャンセラーナイトの欠片。
「……通れ。ただし、町の中では騒ぎを起こすな」
重い音を立てて、門が開いた。
◇
エリオスの第一印象は、「音」だった。石畳を踏む足音。遠くから響く金属音。人々のざわめきが重なり、ひとつの”生きた気配”を作っている。パンの焼ける匂いが、冷えた空気に混じっていた。
「……すごい」
ジークが小さく呟く。フェリナも同じだった。生きている。この町は、まだ生きている。一歩、踏み出す。
——ジジ……。
耳の奥で、何かが擦れるような音がした。フェリナは振り返る。だが、誰も気にしていない。人々はそれぞれの生活を続けている。
(……気のせい)
数歩進んだその時——ジジ……と、今度ははっきり音が鳴った。一瞬で消える。だが確かに、存在していた。フェリナは無意識に右手を押さえる。疼きが、わずかに強くなる。
中央広場に出た瞬間、三人は足を止めた。そこにあったのは、巨大なキャンセラーナイト。十メートルを優に超える白銀の巨体。刻まれた紋様が淡く輝き、広場全体を包み込んでいる。
その光を見た瞬間——ずきり、と。右手の奥で、痛みが脈打った。息が詰まる。ペンダントが強く震える。胸の奥まで響く鼓動。
(……近い)
呼ばれているような感覚が、わずかに胸をよぎった。
「珍しいな。その歳で石碑を見に来るとは」
背後からの声。振り返ると、白髪の老人が立っていた。背筋は真っ直ぐで、その目だけが異様に鋭い。
「石碑の管理者、ガルドだ。旅人か」
「はい。調査で来ました」
ガルドの視線が、ペンダントへ落ちる。
「……その欠片、どこで」
「父が。保守管理者でした」
わずかな沈黙。ガルドの目が細くなる。そして、ジークへと視線が移る——その瞬間、ガルドの目が一瞬だけ、止まった。何も見なかったかのように視線を外す。
ガルドはフェリナの右手へ静かに視線を落とした。
「……その手、疼くか」
返答より先に、フェリナの右手が強張った。
「……来なさい。話を聞こう」
その声は、先ほどよりわずかに低かった。
◇
石碑の光が、四人の影を長く伸ばす。フェリナは何気なく足元を見た。影は、ついてきている。——そのはずだった。
一歩、踏み出す。
その瞬間。
影が、わずかに遅れた。
心臓が強く打つ。視線を逸らせない。
違う。
遅れたのではない。
ほんのわずかに——
別の方向へ、動いた。




