第7話/沈黙の廊下
「こっちだ」
ガルドが踵を返し、石畳の廊下を歩き出す。その背中には迷いがない。フェリナは一瞬リナと視線を交わし、ジークの背を軽く押して後に続いた。
篝火が等間隔に並ぶ廊下は、思っていたより長かった。足音だけが響く。壁に刻まれた紋様が、炎の光を受けてわずかに揺れている。
どこへ連れて行かれるのか、ガルドは何も言わない。足音だけが、静かに重なり続けた。
(……罠、かもしれない)
フェリナの右手が、静かに疼いた。
「フェリナ姉、なんか変な感じがする」
ジークが小声で呟く。フェリナは「大丈夫」と返しながら、廊下の奥へ視線を走らせた。
その時だった。
背後で、重い音が響いた。
振り返る。来た道を塞ぐように、分厚い石の扉が降りていた。退路が、断たれた。
「……っ」
フェリナが前に向き直った瞬間、廊下の左右の壁が音もなく開いた。隠し扉だ。その奥から、黒い外套の男たちが姿を現した。数は四人。三人はガルドの傍らに控えるように立ち、残る一人だけが——壁に背を預け、品定めするような目でこちらを見ていた。
ガルドが足を止め、ゆっくりと振り返った。
その目は、ただ静かだった。怒りも、迷いも、何もない。
フェリナの視界の端で、黒い影が動いた。咄嗟に叫ぼうとした瞬間——男の一人がジークの背後に回り込み、その細い腕を背中で拘束していた。
「……っ、やめろ——っ!」
ジークが身をよじり、必死に抵抗した。
ガルドがフェリナの胸元へ静かに指をさし、
「それを、渡せ」
次にショートソードへ視線を移し、
「武器も置いていけ」
リナが不安そうな小声で、
「……フェリナ」
フェリナは腰のショートソードに手をかけた。速度を上げる魔法を脚に流そうとする。
——何も、起きなかった。
廊下の壁。紋様の意味を、今更に悟る。ここに踏み込んだ瞬間から、魔法はすでに封じられていた。
(……罠だった。最初から全部)
フェリナはジークを見た。
拘束されたまま、必死に首を振っている。
——分かっている。
——それでも。
(……ごめん)
フェリナは奥歯を噛んでショートソードを床に置いた。リナも無言で弓を手放す。
フェリナは震える指先でペンダントを外し、リナも続くように外した。
二つのペンダントが、ガルドの手に落ちる。
ガルドはそれを静かに握り、わずかに目を閉じた。
ガルドが視線だけでジークを示し、「……連れて行け」と短く言った。
「いやだ、離せ——っ!」
ジークが二人へ向かって手を伸ばした。
男たちがその腕を掴み、右の隠し扉の奥へ引きずっていく。
「お前たちは、こっちだ」
ガルドが左の隠し扉へ向かって踵を返した。
◇
牢屋の壁には、びっしりと紋様が刻まれていた。
フェリナは壁に手を当て、もう一度だけ意識を集中させた。右手の疼きすら、ここでは薄い。召喚の気配が、まるで霧の中に消えていくようだった。
「……やっぱり、駄目だ」
「壁全面に封印が彫ってある。力ずくじゃ無理だね」
リナが壁を見回しながら言った。その声は落ち着いていたが、目の端が赤かった。
「ガルドはまだ私たちを生かしてる」
フェリナは壁から手を離し、床に座った。
「……必ずまた来る。」
「……うん」
リナが隣に座る。二人の間に、しばらく言葉がなかった。
「……ジーク、怖がってるかな」
「怖がってる」
「フェリナ」
「でも、あの子は負けない。昔からそうだった」
リナが小さく笑った。泣きそうな笑顔だった。
「……そうだね。あの子なら大丈夫だよ」
篝火の光が、牢屋の壁を揺らす。二人はそのまま、脱出の方法を静かに言葉だけで探し続けた。
◇
深夜になった頃、リナの声が途切れた。
見れば、壁にもたれたまま眠っている。膝を抱えた姿勢で、それでも眉間にわずかに皺が寄っていた。
フェリナは自分の外套を脱ぎ、リナの肩にかけた。
一人になった牢屋で、膝を抱える。
(召喚できない。ペンダントもない。ジークは今頃どうしてる)
天井を見上げる。答えはない。
(また……また守れなかった)
瞼が重くなる。眠れないはずなのに、意識が沈んでいく。
その境界線で、フェリナの脳裏に光が差した。
誰かへ、手を伸ばしている。
名前も、顔も、思い出せない。ただその手が——小さくて、温かくて、必死に自分を掴もうとしていた。
(……誰)
答えが出る前に、意識は深い闇へと落ちた。
◇
「眠れたか」
低い声で、フェリナは目を覚ました。
牢屋の扉の前に、ガルドが立っていた。夜明けの光が、老人の白髪を淡く照らしている。
リナがはっと身を起こす。フェリナは静かに立ち上がり、ガルドを真っ直ぐに見た。
「ジークは」
「……小僧か。無事だ」
「会わせて」
「……話を聞いてからだ」
ガルドは牢屋の扉を開け、中へ入った。そして床に、静かに腰を下ろした。
フェリナとリナは、動かなかった。
ガルドは二人を見上げ、ゆっくりと口を開いた。
「……お前たちが何者か、説明してもらおうか」
その声は、静かで、重かった。




