第3話/白銀の凍土、絶望の産声
その日の朝、世界から「音」が消えた。
村の中央に鎮座する、古びた石碑。魔王が放つ邪悪な『魔力波』を打ち消し、数世代にわたり村の平穏を守り続けてきた装置――『キャンセラーナイト』が、不気味な高周波の震動を上げ、真っ二つに裂けた。
「……バカな、結界が突き破られた!? まだ調整の時期ではないはずだ!」
フェリナの父、シリウスが悲鳴のような声を上げた。石碑の保守管理者である彼は、異常を察知するやいなや家を飛び出した。
時を同じくして、隣家に住むリナの父ジェイド、石碑の修理を専門とする技術者もまた、工具を掴み、妻アンバーを伴ってシリウスの後を追う。
だが、降り立った漆黒の外套の男、魔王軍四天王・アルディスが指先を鳴らすと、無防備になった村に生温かい魔力波がダイレクトに降り注いだ。
「守護の時は終わった。ゴミ共、等しく結晶へと帰すがいい」
アルディスの冷徹な合図と共に、結界の外で手ぐすねを引いていた魔獣の群れが村へと侵入し、同時に凄まじい勢いで「結晶化」が始まった。
フェリナが見たのは、石碑へ駆け寄ろうとしたシリウス、そして彼を助けようと手を伸ばしたリナの両親が、三人揃って白銀の彫像へと変わっていく光景だった。
「お父さん! お母さん……っ!!」
悲鳴を上げるフェリナとリナの足元にも、死の結晶が迫る。だがその時、二人の胸元でお揃いのネックレスが激しく発光した。
「あ……守ってくれてるの……?」
リナが震える手で、胸元で輝くネックレスを握る。それは二人の父親が万が一に備えて持たせてくれた、キャンセラーナイトから削り出された護符だった。
だが、フェリナは気づく。ネックレスを持っていないはずのジークが、なぜか結晶に飲み込まれることなく、その場に立ち尽くしていることに。
ジークの小さな体からは陽炎のような微かな熱気が立ち上り、迫りくる白銀の侵食を、まるで目に見えない壁があるかのように、白銀の侵食はジークに触れた瞬間――弾け飛んだ。
「……ねえ、フェリナ。ジークが、熱いの。すごく熱い……!」
ジークを抱きかかえるリナが驚きの声を上げる。だが、今はその謎を解き明かしている時間はなかった。
リナの背後には、血に飢えた魔獣の巨大な影が振り下ろされようとしていた。
(……ああ、まただ。また、私の大切なものが壊されていく)
フェリナの右手が、激しく痺れる。それは記憶にはないはずの、魂が震えるような戦慄の記憶。
だが、今の戦慄は「恐怖」ではない。すべてを奪おうとする理不尽への「怒り」だった。
「リナ、私を信じて!」
フェリナが叫び、リナへ向かって右手を突き出す。
――『 パキン 』
空間が物理的に破壊される音が響く。
リナの握る古びた木の弓が、噴出した白銀の奔流に飲み込まれた。
「――示せ!!」
爆ぜる光。顕現したのは、一切の濁りがない**『白銀の弓』**。
溢れ出す魔圧が、村を侵食していた魔力波を押し返し、襲いかかっていた魔獣たちを本能的な恐怖で立ちすくませた。
「リナ、撃って! その弓なら――すべてを貫ける!」
リナが弦を引き絞ると、周囲の光が一本の細い光の矢へと収束していく。
放たれた一射は、魔獣の群れを消し飛ばし、そのまま四天王アルディスの防御障壁をも紙のように切り裂いた。
「……ほう、旧世代の装置抜きで波を相殺したか。だが、手遅れだ」
アルディスは左肩を焦がしながらも、嘲笑うように霧の中へ消えた。
戦場に残されたのは、静寂。
「……ごめんね、リナ、ジーク。私が、もっと早く力を……」
フェリナは赤く腫れ上がった右手を握りしめ、結晶化した親たちの前に膝をついた。
リナが指差した先。結晶化したシリウスの手の中には、石碑の心臓部である『キャンセラーナイト』の欠片が握りしめられていた。
自分たちの親が、命を賭して守り抜こうとした、唯一の希望。
フェリナは、その欠片を胸に抱いた。
ネックレスの輝き、そして、無傷で生き残ったジークの身体に宿る奇妙な熱。
世界中に点在する石碑を巡り、この装置の知識を集めれば、いつか必ずこの結晶化を解くことができるはずだ。
「行きましょう。みんなの、止まった時を動かすために」
静止した故郷を背に、三人の、果てしない復讐と救済の旅が始まった。
空はどこまでも高く、白銀に染まった故郷は皮肉なほどに美しく静まり返っている。
フェリナは右手の疼きを抑え、一歩、村の境界線の外へと踏み出した。
その一歩が、世界の運命を揺り動かすことになるとも知らずに。
第1章:『白銀の覚醒と止まった刻』 ――完




