第2話/光の庭、揺れる影
幸せな日常。
けれど、ジークの屈託のない笑顔を見るたび、私はどうしてもあの日のことを思い出してしまう。
――私が「力」に目覚めてしまった、十歳のあの日のことを。
◇
フェリナが十歳になった年。
村の近くの森で、子どもたちが魔獣に襲われる事件が起きた。
「リナ! 危ないッ!」
茂みから飛び出したのは、体高が人間と同じほどの巨大な狼――シャドウウルフ。
本来なら森の奥に棲む魔獣だが、飢えて村の近くに現れたのだ。
リナは慌てて弓を構えた。
だが、まだ幼い彼女の腕では、矢は震えてまともに狙えない。
(まずい……このままじゃ、リナが喰われる!)
フェリナの心臓が激しく脈打つ。
自分は非力だ。剣も弓も使えない。
ただ逃げることしかできない――そう思った瞬間。
胸の奥から、熱のような衝動が走った。
「――来いッ!」
フェリナは叫んでいた。
右手に強烈な光が集まり、空気を震わせる。
その瞬間、リナの手元に、見たこともない一本の弓が現れた。
「え……これ……?」
「リナ! 撃てッ!」
リナは驚きながらも、導かれるように弓を引いた。
指に伝わる感覚は、今までの練習用の弓とはまるで違った。
身体の奥から力が湧き上がり、視界が澄み渡る。
放たれた矢は、まるで光の線のように真っ直ぐに飛び、
――シャドウウルフの眉間を正確に貫いた。
魔獣は絶叫をあげ、地面に崩れ落ちた。
静まり返る森の中で、フェリナは自分の右手を凝視した。
(今の力は、何……?)
◇
そんな古い記憶を振り払うように、私は一度、強く瞬きをした。
「――フェリナ姉! ねえ、聞いてる?
」
弾けたような元気な声に、意識が「今」へと引き戻される。
視界を支配していた森の重苦しい空気は消え、代わりに目に飛び込んできたのは、西日に照らされた黄金色の草原だった。
「フェリナ姉! ほら、これ!
この木の実、すごく甘いんだよ。一番大きいの、あげる!」
目の前に差し出された、泥だらけの小さな手。
そこには、真っ赤に熟した野イチゴのような木の実が乗っていた。
「……ありがとう、ジーク。でも、服が泥だらけじゃない」
私が苦笑いして受け取ると、ジークは「えへへ」と鼻を擦った。
その無垢な仕草を見るたび、私の胸の奥は、凪いだ海に石を投げ込まれたような波紋が広がる。
(……この子は、何も知らないんだ)
かつて世界を終わらせようとした『何か』が、
今のこの子のどこに隠されているのか、私には分からない。
あの日、私がリナに与えたあの「力」の正体さえも。
「ちょっと二人とも! 食べ物に夢中になってないで、
今日のご飯のおかずになる薬草、ちゃんと探してよね!」
少し離れた場所で、リナがカゴを抱えながら声を張り上げている。
あの日、光の弓で魔獣を倒した少女は、今は逞しい村の娘として生活を支えている。
「はーい! 分かってるってば、リナ姉!」
ジークが元気よく返事をして、また草原を駆け出していく。
その背中を見送っていた、その時だった。
――ドクン。
私の心臓が、不自然な跳ね方をした。
視界の端で、ジークが転びそうになり、咄嗟に地面に手をつく。
「……っ!?」
その瞬間、私の頭の中に『音』が響いた。
それはあの乾いた破壊音ではない。
もっと低く、地を這うような――何かが蠢く音。
「ジーク、危ない!」
無意識に叫んでいた。
私は駆け寄り、ジークの腕を強く掴んで引き寄せる。
「……え? フェリナ姉、どうしたの?
ただちょっと、つまずいただけだよ?」
ジークが不思議そうに私を見上げる。その腕は温かく、ただの子供のそれだった。
「……あ、ごめん。……びっくり、させちゃったね」
私は震える手を隠すように、彼の泥を払った。
けれど、私の指先はまだ冷たいままだった。
さっきの音は何だったのか。
彼が地面に触れた瞬間、なぜ私は『敵』を感じたのか。
「フェリナ、顔色が悪いよ? 今日はもう帰りましょうか」
いつの間にか側にいたリナが、心配そうに私の肩に手を置く。
その手の温もりが、私の冷え切った思考を少しだけ日常へと引き戻してくれた。
「……そうだね。帰ろう、私たちの家に」
私は空を見上げた。
街を照らす夕陽は、どこまでも優しく、美しい。
けれど、地面に伸びた私の影だけが――
明らかに、私の動きとズレていた。




