第1話/凪の街、響く予感
私は一度、世界を救って死んだ。
真っ白な光。
耳を突き刺すような、空間が軋む断末魔。
そして――。
――『 パキン 』
乾いた音と共に、世界は砕け散った。
大切だったはずの何かが、指の間をすり抜けて消えていく感覚。
熱い。苦しい。叫びたいのに、声が出ない。
ただ、涙だけが頬を伝って――。
「……フェリナ? ちょっと、フェリナ! 大丈夫?」
ハッとして顔を上げると、そこには心配そうに眉を寄せたリナの顔があった。
崩れ落ちる城も、視界を焼き尽くす魔力もない。
あるのは、穏やかな光が差し込む石畳の通りと、パン屋から漂う香ばしい匂い。ここは、私たちの暮らす凪の街だ。
「……リナ。ごめん、またボーッとしてたみたい。……私、泣いてた?」
「泣いてたよ。ほら、涙拭いて。最近、本当に変だよ? 悪い夢でも見てるの?」
リナが自分のハンカチで私の目元を乱暴に、でも優しく拭ってくれる。
彼女は私の幼馴染で、一番の親友だ。リナの明るい声と、少しお節介な優しさに触れると、胸の奥にこびりついた「あの音」が、少しだけ遠のく気がする。
「おーい! リナ姉、フェリナ姉! 早く行こうよ、置いてっちゃうぞー!」
数メートル先で、少年が大きなカゴを抱えながらこちらを振り返った。
リナの弟、ジークだ。
太陽の光をいっぱいに浴びたような、屈託のない笑顔。その元気な声が通りに響き渡る。
「ジーク、待ちなさいってば! そんなに走ったらカゴの中身をこぼしちゃうでしょ!」
リナがスカートの裾を揺らして、弟を追いかけて走り出す。
私はその背中を追いながら、ふと自分の手のひらを見つめた。
前世の私、……
この手はかつて剣を握っていた。
世界のために。
その記憶は霧がかかったように曖昧だけれど、あの最期の瞬間だけは、今も鮮明に心に刻まれている。
(……どうしてだろう)
ジークが笑うたび。彼が元気に走り回る姿を見るたび。
私の記憶の隅っこで、誰かが必死に「■■■■」と叫んでいる。
喉まで出かかっているその名前が、どうしても思い出せない。
目の前にいるのは、幼馴染の弟であるジーク。
あの日、光の中で消えていった「彼」とは別人のはずだ。
けれど、時折見せる横顔や、ふとした瞬間の仕草が、私の魂を激しく揺さぶる。
「……フェリナ姉、何見てるの? ほら、変な虫がついてるよ?」
いつの間にか戻ってきたジークが、私の顔を覗き込んでいた。
その瞳は、一点の曇りもなく澄んでいる。
「ううん、何でもない。……ジークは今日も元気だね」
「当たり前だよ! 今日はフェリナ姉さんの好きな木の実、たくさん採るって決めてるんだから!」
ジークが胸を張る。その無邪気さに、私は胸の奥をチクリと刺されたような痛みを覚えた。
勇者だった私が守りたかったのは、きっとこんな「凪」のような時間だったはず。
戦いも、悲鳴も、別れもない。ただ友達と笑い、美味しいパンを食べて、明日を信じて眠りにつく。
「……そうだよね。今は、これでいいんだ」
私は自分に言い聞かせるように呟いた。
そよ風が吹き、街の喧騒が心地よく響く。
けれど、私の耳の奥では、まだあの不穏な「響」が止まずに鳴り続けていた。
あの「パキン」という音と共に砕けたのは、一体誰の心だったのか。
それを知る日が、いつか来るのだろうか。
「フェリナー! 置いていくわよー!」
「今行く!」
私は過去を振り払うように、走り出した。
親友と、その大切な弟が待つ、光の方へ。




