第四話「準備回のはずが魔王の木の剣に振り回されてるんですけど?」
魔王なのにまだ力を取り戻せず、日々の訓練と準備に奮闘するノア。
休みの日であっても、さくらと共に魔力の訓練や武器の扱いを練習し、少しずつ自分の力を取り戻していく。
この話では、魔王でありながら不器用で可愛らしい一面を見せるノアと、そんな彼女を見守るさくらの絆を描く。
休みだった。
カカオ採取は明後日に延びた。ひまりの仕入れルートの都合で、向こうから延期を申し出てきた。
つまり、今日と明日は完全にフリーだ。
さくらは窓際に腰掛けて、外を眺めながら考えた。
休む、のは大事だ。体を休めることは重要だ。でも。
「準備もしておきたい」
独り言だった。
誰に向けたわけでもない独り言が、なぜか隣から返事をもらった。
「準備とは何の準備だ」
ノアが窓枠によじ登って、ちょこんと座っていた。いつからいたのか。
「カカオ採取の。蛇がいるって言ってたし、魔力の訓練と、あとできれば武器も欲しい」
「武器か」
「私は魔法が使えれば本来いらないんだけど、今は魔力が不安定だから。接近戦用に何か持っておきたい」
「……余も武器があったほうがいいかもしれん」
「ノアは何使えるの」
「本来は魔法だ。剣は——使えないことはないが」
「使えないことはない、ってどのくらい?」
「……使えないことは、ない」
「どのくらいかって聞いてんだけど」
「……使えないことは、ある」
「正直でよろしい」
「うるさい」
さくらは立ち上がった。
「とりあえず今日は二本立てで行く。午前に魔力の訓練、午後に武器の調達」
「余も行く」
「訓練もついてくる?」
「当然だ。余も魔力を戻さなければならん」
「……訓練、きつくても文句言わないで」
「言わん」
「転んでも笑わないから」
「転ばん」
「転んだら笑う」
「……転ばんと言っておる」
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午前中は、町の外の草原でやることにした。
人目のない場所。広くて、障害物が少なくて、何かが爆発しても被害が出ない場所。
さくらが魔力を手のひらに集める。
じわり、と温かさが来た。三日前より確実に濃い。
「……来てる」
「どのくらいだ」
「本調子の三割くらい? でも安定してきた気がする」
「三割か」
「増えてはいる。毎日ちょっとずつ」
ノアは自分の手のひらを見た。
じっと見て、目を閉じて、集中する。
「……ふんぬ」
「大丈夫?」
「黙れ、集中しておる」
「ふんぬって言ってたけど」
「集中の掛け声だ!! 黙れ!!」
さくらは黙った。
ノアが集中している。
額に少しだけ汗をかいて、小さな手をぎゅっと握って、全力で何かを絞り出そうとしている。
三十秒。
一分。
二分。
ノアの手のひらが、ほんのりと光った。
ホタル一匹分。いや、二匹分くらい。
「……出た」
ノアが目を開けた。
「出たぞ」
「うん、見えた」
「出た!! 余の魔力が!!」
「ちゃんと出てた」
「……少ないか」
「少ない」
「……少ないか」
「でも出た。三日前はゼロだったじゃん」
「……そうだな」
「増えてる」
「……そうだな」
ノアは手のひらをじっと見た。
光はもう消えていたが、ノアはまだ見ていた。
「余は必ず戻す」
「うん」
「スライムより弱いままでいるつもりはない」
「うん」
「魔王として——」
「うん」
「……お主、返事が雑だぞ」
「ちゃんと聞いてる」
「聞いているなら、もう少し反応を」
「頑張れ」
「……それだけか」
「うん」
「……ぐぬ」
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訓練はその後二時間ほど続いた。
さくらは魔力を出す、制御する、止める、の繰り返し。本調子には程遠いが、出力の安定感は増してきた。
ノアは光を出す、維持する、消える、の繰り返し。維持が課題だった。出すことはできるようになってきたが、すぐ消える。
「……なぜ消えるのだ」
ノアが悔しそうに手を見た。
「魔力が安定してないから。出しても器に穴が開いてて漏れる感じ」
「穴を塞ぐにはどうすれば」
「慣れるしかないと思う。この世界の魔力に体が馴染んでくれば、自然と安定するんじゃないかな」
「時間がかかるということか」
「多分」
「……余は、早く戻したい」
さくらはノアを見た。
ノアは草原を見ていた。
「何かあるの? 急いで戻したい理由」
「……特にない」
「特にない割には切実そうだけど」
「……弱いままでいたくないのだ」
「魔王としての矜持?」
「それもある」
「それも、って他に何かある?」
ノアはしばらく黙った。
「……余が弱いと、お主が困るだろう」
「え」
「蛇が出る、虫が出る、鷹が来る——その度にお主が動かなければならない。それは」
「それは?」
「……効率が悪い」
「効率」
「護衛が足手まといでは意味がない。余は足手まといをなくしたい。効率のために」
さくらは少し考えた。
「……それ、私のためってこと?」
「効率のためだと言っておる」
「効率のために私の負担を減らしたいってこと?」
「そういう解釈をするな」
「でもそういう意味じゃん」
「効率の話だ!!」
「はいはい」
「はいは一回!!」
さくらは笑わなかった。
笑いたかったけど、笑わなかった。
「……ありがとう、効率のために」
「……どういたしまして、効率のために」
草原に風が吹いた。
ノアが髪を押さえた。その横顔が、少しだけ赤かった。
日焼けかもしれない。
多分、違う。
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午後、武器を調達しに町に出た。
コルナの中央通りは、昼過ぎになると露店が増える。食べ物、雑貨、薬草、布。色々な店が並んでいて、旅人が多く立ち寄っていた。
さくらはギルドの武器屋を目指して歩いていた。
ノアがちょこちょこついてくる。
露店を眺めながら。
「……あれは何だ」
「どれ」
「あの輝いておるやつ」
「アクセサリーじゃない? 指輪とか」
「余にはそういうものがあった」
「魔王リングとか?」
「魔王リングとは言わん。しかしそれに近いものは確かに——あ」
ノアが急に立ち止まった。
さくらも止まった。
「どした」
ノアは返事をしなかった。
一点を、じっと見ていた。
視線の先を追うと——露店の端に、木の剣が立てかけてあった。
子ども向けだろう、小さくて軽そうな木剣。塗装もされていない、素朴な白木の剣。値札には安い金額が書いてあった。
「……ノア?」
「……見ておるだけだ」
「うん」
「余には不要なものだ」
「うん」
「木の剣など、魔王には似合わん」
「うん」
「高貴な魔王が木の剣を持つなどという話は聞いたことがない」
「うん」
「だから余には不要だ」
「うん」
ノアは動かなかった。
じっと木剣を見ていた。
「……うん、しか言わぬのか」
「他に何か言う?」
「…………」
「欲しいの?」
「不要だと言った」
「欲しいんでしょ」
「不要だと——」
「買ってあげようか」
ノアが固まった。
「…………」
「欲しそうだったし」
「……欲しくない」
「欲しそうだった」
「欲しくないと言っておる!!」
「じゃあ行こう」
さくらが歩き出すと、ノアが「待て」と言った。
「何」
「……確認だ。あの剣は、木製か」
「そう見えるけど」
「木製の剣は、金属の剣より軽い」
「そうだね」
「今の余の体力では、重い剣は扱いにくい」
「それはそう」
「だから——あくまで、実用的な観点から——軽い剣が余には向いておる」
「……買う?」
「……実用的な観点から、検討してもいい」
「買うね」
「検討だと言っておる!!」
さくらは露店に戻って、木剣を手に取った。
確かに軽い。素朴だが、作りはしっかりしている。子ども向けとはいえ、木の剣としては悪くない。
「これにする?」
「……余が決める」
ノアが剣を受け取った。
両手で持って、重さを確かめた。
「……悪くない」
「うん」
「軽くて、小回りが利く。実用的だ」
「うん」
「魔王らしさは皆無だが、今は実用性を重視する」
「うん」
「買う」
「うん」
ノアが露店のおじさんに金額を払った。
自分で払った。さくらが財布を出す前に、自分で払っていた。
「……自分で買ったの」
「余が使うものだ。余が払う」
「お金、まだそんなになかったじゃん」
「……昨日の依頼報酬が少しあった」
さくらは何も言わなかった。
ノアは剣を持って、少しだけ得意げな顔をしていた。
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武器屋でさくらは短剣を一本買った。
魔力が使えれば必要ないが、今は保険として。シンプルで軽くて、扱いやすいやつを選んだ。
「……お主は木の剣にしないのか」
「私は普通に金属の使う」
「なぜだ」
「実戦向きだから」
「……余の木剣は実戦向きではないということか」
「そういうわけじゃないけど」
「言外にそう言っておる」
「補助武器として十分だよ。重いのを振り回せる体格じゃないし、今は」
「……それはそうだが」
「素早く動いて、隙を作る係なら木剣でいい」
「隙を作る係か」
「攻撃力がない分、機動力で勝負って感じで」
ノアは木剣を見た。
「……余は囮ということか」
「囮じゃなくて陽動」
「言い方の問題では」
「陽動には技術がいる。囮はただ突っ込むだけ」
「……陽動係か」
「うん」
「……分かった。それでいい」
さくらは少し驚いた。
すんなり受け入れた。反論してくると思っていたのに。
「……何だ」
「いや、素直だなって」
「余は常に合理的だ」
「陽動って言ったら納得するのに囮って言ったら怒るのが合理的?」
「……言葉は大事だ」
「うん、まあそうだね」
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帰り道、ノアは木剣を持ちながら歩いた。
ぶんぶんと振ってみて、止めて、また振ってみる。
さくらはそれを横目で見ながら歩いた。
「……使い方、教えようか」
「余は剣が使えないことはないと言った」
「使えないことはない、ね」
「……教えてもいいぞ。余が確認してやる」
「確認?」
「お主の教え方が正しいかどうか確認してやると言っておる」
「私が教えてあげるのに確認してやるって何」
「謙虚さが足りん」
「どっちが?」
「……お主だ」
「私が謙虚さ足りないの!?」
「そうだ」
「…………はあ」
さくらは短剣を抜いた。
「構えて」
「こうか」
ノアが木剣を両手で持って、前に突き出した。
「……それ攻撃のつもり?」
「そうだ」
「突き出しすぎ。戻せる距離で構えないと、よけられたとき体勢崩れる」
「……こうか」
「もう少し引いて。あと足の幅広げて、重心を低く」
「……こうか」
「そう。それで——」
さくらが軽く踏み込むと、ノアがびくっとした。
「動くな、見本を見せるから」
「……分かった」
さくらがゆっくりと動いて、剣の軌道を示した。
ノアがじっと見ていた。
「……もう一度」
「はい」
「もう一度」
「はい」
「もう一度」
「三回目」
「……余はすぐ覚えたいのだ」
「一回で覚えたら天才だよ」
「余は天才だ」
「じゃあ覚えた?」
「……もう一度見せろ」
「天才じゃなかった」
「うるさい!!」
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アリアの家に帰ると、アリアが夕食の準備をしていた。
「おかえり、二人とも。何か買ったの?」
「武器を」
「物騒ね」
「必要だから」
「ノアちゃんも?」
アリアがノアの木剣に目を向けた。
「ふふ、かわいい剣ね」
「かわいくない!! これは実用的な——」
「剣を持ってるノアちゃんがかわいいって言ったの」
「……そ、それも言うな!!」
アリアがくすくす笑いながら台所に戻った。
ノアはぷりぷりしながら木剣をテーブルの横に立てかけた。
さくらはそれを見て、小さく笑った。
「笑うな」
「笑ってない」
「笑っておる」
「笑ってない」
「……口元が」
「見間違い」
「……ぐぬ」
ノアはテーブルに座った。
木剣が、ちょうどノアの目線の高さに立っていた。
ノアはそれをちらちらと見ていた。
何度も。
さくらは見なかったふりをした。
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夕食後、さくらはアリアと話した。
「アリアさん、この辺の薬草とか自然素材に詳しいですよね」
「多少はね。薬師の見習いをしてたことがあるから」
「魔力の回復を早める方法って、何かありますか。植物系でも、食事でも」
アリアは少し考えた。
「魔力の回復……聞いたことはあるわ。森の奥に魔力草って呼ばれる草があって、魔力を持つ人が食べると回復を助けるって言われてるけど」
「それ、効きます?」
「確かなことは言えないけど——魔力を使う人の間では割と有名よ。ギルドの回復薬にも微量に入ってるって聞いたことあるわ」
「へえ」
「ただ、森の奥のほうにしか生えてないから、簡単には取れないわね」
「それは——また今度の課題ですね」
「明後日のカカオ採取のついでに見てみても良いかもね。南の森の奥の方にも生えてるって聞いたことがあるから」
「あ、いいですね」
さくらはメモ代わりに頭に叩き込んだ。
カカオ採取、蛇の対処、魔力草の採取。
明後日はなかなか盛りだくさんになりそうだった。
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その夜。
ノアはなかなか寝なかった。
ランプの明かりの下で、木剣を持って、さくらに教わった構えを何度も繰り返していた。
さくらは横から見ていた。
「……練習してんの」
「見るな」
「隠れてやればよかったじゃん」
「隠れるほどではない。余はただ確認しておるだけだ」
「確認を何回もしてる」
「しつこい確認が大事だ」
「うん、そうだね」
ノアが構えを取った。重心を低く、足幅広く。今朝さくらが教えたやつ。
さっきより、ずっとまともだった。
「……上手くなってる」
「当然だ。余は天才だから」
「さっき天才じゃなかったじゃん」
「なった」
「いつの間に」
「今なった」
「……まあ、上手くなってるのは本当」
「……そうか」
ノアは剣を下ろした。
「明後日、蛇に使えるかは分からんが」
「陽動だから、派手に動ければいい」
「……派手に?」
「威嚇して注意を引くの。攻撃力はいらない、目立てばいい」
「それは余の得意分野だ」
「魔王だしね」
「そうだ。目立つことにかけては——」
「今はちっちゃいから目立ち方が変わるけど」
「……それを言うな」
「事実として」
「言うな!!」
ノアが木剣を立てかけて、布団に潜り込んだ。
頭まで被って、ぷりぷりしている気配がした。
さくらはランプを消した。
「……おやすみ」
「……おやすみを言う間柄ではない」
「そう? じゃあ言わない」
「……」
「おやすみ言ってほしかった?」
「言ってほしくない」
「じゃあ言わない」
「……余からは言わん」
「うん」
「絶対に言わん」
「うん」
「…………おやすみ」
「おやすみ」
布団の中から「うるさい」という声がした。
さくらは暗闇の中で、一人で笑った。
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**【魔王の小さな冒険 其の四「魔王、木の剣で特訓した件について」】**
夜明け前。
のあちゃんは一人で外に出た。
さくらには内緒で。アリアにも内緒で。
手には木剣を持っていた。
昨日買ったばかりの、白木の剣。
「……特訓だ」
誰もいない夜明けの路地に向かって宣言した。
昼間に教わった構えを取る。重心を低く、足幅広く。
そのまま、剣を振った。
ぶん。
「……」
振れた。
ちゃんと振れた。
もう一度。
ぶん。
「……悪くない」
のあちゃんは繰り返した。
何度も、何度も。
夜明けの冷たい空気の中で、プラチナブロンドの髪を揺らしながら、小さな体で剣を振り続けた。
誰も見ていない。
だから、できる練習だった。
本当は——と、のあちゃんは思った。
本当は、さくらに見せたかった。
上手くなったところを、見てほしかった。
でもそれを言うのは、癪だった。
だから夜明け前に一人で練習して、昼間には「余は天才だから」と言い張ることにしていた。
完璧な作戦だった。
「……よし」
のあちゃんは剣を下ろした。
空が少しずつ明るくなっていた。
「明日は、役に立つ」
誰もいない路地に向かって言った。
「陽動係として、ちゃんと役に立つ」
風が吹いた。
のあちゃんは剣を持って、アリアの家に戻った。
さくらはまだ寝ていた。
のあちゃんは静かに布団に潜り込んで、目を閉じた。
少しだけ、口の端が上がっていた。
それは誰にも見えなかった。
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第五話に続きます。
一日が終わり、夜明け前には一人で木剣の特訓をするノア。
誰にも見せない努力の姿、そして「役に立つ魔王」でありたいという小さな矜持。
次回は、そんな二人の努力がどのように実を結ぶのか——。小さな冒険はまだ始まったばかり。




