表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
15/30

第十五話「ポチが神の使いにされそうなんですけど?」

今回は少し賑やかで、少しだけ騒がしい日常回です。


……のはずだったんですが、なぜか一匹の子犬が事件の中心にいます。


クッキーを巡る追いかけっこに、まさかの再会、そして思わぬ展開へ。


いつも通りのコルナの一日――に見えて、少しだけ違う空気も混ざっています。


そんな一話、楽しんでいただけたら嬉しいです。




 事件は、穏やかな午後に起きた。


 さくらとノアが中庭で魔力の訓練をしていた。


 ポチはノアの隣で眠っていた。


 いつも通りだった。


 いつも通りの午後だった。


 アリアが台所の窓を開けた。


「ノアちゃん、おやつ持ってきたわよ」


「……いただく」


「さくらちゃんも休憩しなさい」


「ありがとうございます」


 アリアが窓から小皿を出した。クッキーが乗っていた。


 ノアが立ち上がった。


 その瞬間。


 ポチが目を覚ました。


 鼻をくんくんさせた。


 クッキーの匂いがした。


「……ポチ?」


 ポチがノアの横をすり抜けた。


「ケルベロス?」


 ポチがアリアの手からクッキーを一枚かっさらった。


「あっ」


「ケルベロス!!」


 ポチが走り出した。


 ちょこちょこではない。子犬にしては驚くほど速かった。


「待て!!」


 ノアが追った。


 ちょこちょこちょこちょこ。


「待てと言っておる!!」


 ポチは待たなかった。


 庭を抜けて、門を抜けて——


「ケルベロス!!!!」


 町に出た。


-----


 さくらも追いかけた。


 ノアとさくらが石畳を走った。


「どこ行ったの!!」


「余の家来が——クッキーのために家来の誇りを捨てた!!」


「クッキー一枚でそんな大げさな!!」


「大げさではない!! 家来が主人を裏切って!!」


「裏切ってないよ、ただ食べたかっただけ!!」


「結果は同じだ!!」


 町の人たちが、走る二人を見て道を空けた。


「なんだなんだ」


「また魔王の子が走ってるぞ」


「また魔王の子が、がもう定番になってるじゃん」


「コルナではもう定番だ」


 ノアが走りながら叫んだ。


「ケルベロス!!! どこだ!!!」


 返事はなかった。


 犬に返事を求めるな、とさくらは思ったが言わなかった。


-----


 広場の手前まで来たとき、人だかりが見えた。


 白いローブ。旗。聞き覚えのある声。


「——そして女神様のお慈悲は、全ての生き物に注がれております!! 大きなものも、小さなものも——」


「……紫苑先輩」


 さくらは止まった。


 ノアも止まった。


「また集会をやっておる」


「また来てたんだ、この辺り」


「……先輩の宗教は行動範囲が広いな」


「広いね……って、あれ」


 人だかりの中心を見た。


 紫苑先輩が演説をしていた。


 その足元に——


「……ポチ!?」


 ポチがいた。


 紫苑先輩の足元で、しっぽをふりふりしていた。


 口にはまだクッキーがあった。


「ポチ!!」


「シーッ」


 隣の信者に止められた。


「今、女神様のお言葉の最中で——」


「でもあれは余の家来で——」


「シーッ!!」


-----


 紫苑先輩がポチに気づいた。


 目を細めた。


 しゃがんだ。


 ポチを見た。


 ポチが紫苑先輩を見た。


 しっぽを振った。


「……あら」


 紫苑先輩が微笑んだ。


 立ち上がった。


 信者たちに向かって、両手を広げた。


「皆さん!! 見てください!!」


 信者たちが集まった。


「この子は——女神様が遣わされた使いです!!」


「「「ええっ!!!」」」


 信者たちがざわめいた。


「黒い毛並み!! 大きな耳!! そして迷いなくこの場所に飛び込んできた!! これは偶然ではありません!!」


「「「おおおっ!!!」」」


「女神様が、今日この場所に、祝福を——」


「違う!!」


 ノアが人だかりをかき分けた。


「余の家来だ!!」


 全員が振り返った。


 ノアが仁王立ちしていた。


「あの犬は、ケルベロスという名の余の家来だ!! 神の使いではない!!」


 信者たちがざわめいた。


「この子が……?」


「でも女神様が——」


「女神様の言葉を否定するの?」


「否定する!! あの犬はクッキーを盗んで逃げてきただけだ!!」


 紫苑先輩が穏やかに言った。


「でも、この場所に来たのは事実よ」


「偶然だ!!」


「偶然に見える出来事も、女神様の導きかもしれないわ」


「導きではない!! あの犬は鼻がいいだけだ!! クッキーの匂いを追ってきたに決まっておる!!」


「……クッキーを持ってる信者が、ちょうどここにいたのね」


「そうだ!!」


「それも偶然かしら?」


「偶然だ!!」


「……ふふ」


 紫苑先輩が笑った。


 ノアが歯噛みした。


 さくらが人だかりの外から「ノア、落ち着いて」と言った。


「落ち着けるか!!」


「落ち着いて!!」


-----


 ポチが紫苑先輩の腕の中に収まっていた。


 きゅんきゅんしていた。


 ノアがポチを見た。


「……ケルベロス、こっちに来い」


 ポチは来なかった。


「ケルベロス!!」


 ポチが紫苑先輩の胸に顔を埋めた。


「……」


「……ノア様ー、神の使いを独占するのはよくないと思いますー!!」


 信者の一人が言った。


「神の使いではない!!」


「でもかわいいですよねー!!」


「かわいいのは認めるが神の使いではない!!」


「かわいいのは認めるんですね!!」


「……余の家来がかわいいのは当然だ!!」


 さくらが近づいた。


「紫苑先輩、ポチ返してもらえますか」


「……さくら、久しぶりね」


「久しぶりです。ポチ、返してもらえますか」


「でもこの子、神の使いとして相応しい雰囲気があるのよね」


「ないです」


「あるわよ。黒い毛並みは神秘的だし」


「ただ黒いだけです」


「大きな耳は——」


「ただ耳が大きいだけです」


「澄んだ目は——」


「クッキーを狙ってる目です」


「……さくらは夢がないわね」


「現実を見てます」


 紫苑先輩が少し考えた。


「……この子、名前は?」


「ケルベロスだ!!」


 ノアが即答した。


「ポチです」


 さくらが即答した。


「どっちなの」


「ケルベロスだ!!」


「ポチです」


「……ポチ、ね」


 紫苑先輩がポチに話しかけた。


「ポチ、こっちに来る?」


 ポチがしっぽを振った。


「ポチ、余のところに来い」


 ノアが呼んだ。


 ポチがノアを見た。


 しっぽを振った。


 でも動かなかった。


「……裏切り者」


「神の使いには逆らえないわ」


「神の使いではない!!」


-----


 結局、さくらが解決した。


 アリアから追加でクッキーをもらって、ノアに渡した。


「……ポチ」


 ノアがクッキーをポチに見せた。


「こっちに来たらクッキーをやる」


 ポチが紫苑先輩の腕から飛び降りた。


 一目散にノアに走り寄った。


「……来た」


「食べ物には勝てないわね」


「信仰より食欲が強いのだ」


「……それは神の使いらしくないわね」


「だから神の使いではないと言った!!」


 ポチがクッキーをもりもり食べた。


 信者たちが少し落胆した顔をしていた。


「……神の使いじゃなかったのかな」


「でもかわいかったよ」


「かわいかった」


「また来てくれるといいな」


 ノアがポチを抱き上げた。


「……余の家来を神の使いにしようとするな」


 紫苑先輩に言った。


「ふふ。でも縁があれば、また来るかもよ」


「来させない」


「……来るかどうかは、ポチが決めることじゃない?」


「……」


「ポチは自由よ。神の使いかどうかはさておき」


「……余の家来は余のものだ」


「家来でも、自分の足で動くのよ」


 ノアは少し黙った。


「……うるさい」


「ふふ」


 紫苑先輩がさくらを見た。


「さくら、入信は?」


「しません」


「そう、残念ね」


「残念じゃないです」


「ノアは?」


「しない!!」


「ポチは?」


「ポチは——」


 ノアが固まった。


「……犬は入信できるのか?」


「女神様はすべての存在を愛してらっしゃるから」


「……入信させない!!」


「ふふふ」


-----


 帰り道。


 さくらとノアとポチが並んで歩いた。


 ポチはノアの腕の中で満足そうにしていた。


「……次は繋いでおく」


「ポチを?」


「勝手に走り出すから」


「繋いだら可哀想じゃない?」


「可哀想でも仕方がない。余の家来が神の使いにされかけた」


「神の使いにはならなかったから」


「なりかけた」


「食べ物には勝てなかっただけで」


「……余の家来が食べ物に負けた」


「ただの子犬だもん」


「ケルベロスだ」


「ポチだよ」


「……今日だけは、ポチでもいい」


「今日だけ?」


「今日は特別に許す」


「寛大だね」


「余は寛大な魔王だ」


 さくらが笑った。


 ノアが「笑うな」と言った。


「笑ってない」


「笑っておる」


「……少しだけ」


 ノアもわずかに笑った。


 石畳が午後の光を受けてきらきらしていた。


-----


 そのとき。


 さくらは気づいた。


 視線だった。


 笑いながら、ふと、横の路地に目が向いた。


 何もいなかった。


 でも——いた気がした。


 一瞬だけ、確かに何かがいた。


 さくらは立ち止まった。


「どうした?」


「……なんでもない」


「なんでもなくない顔だ」


「……なんでもない」


 さくらはもう一度、路地を見た。


 誰もいない。


 ただの路地だった。


 でも。


 魔法少女として鍛えた目が、確かに何かを捉えていた。


 視線の質が、普通ではなかった。


 敵意でも、好奇心でもない。


 観察していた。


 冷静に、計算して、こちらを見ていた。


「……さくら?」


「……行こう」


「何かいたか?」


 さくらはノアを見た。


 ノアの顔を見た。


「……気のせいだと思う」


「気のせい、か?」


「……分からない」


 ノアが路地を見た。


 魔力を薄く広げた。


「……何も感じない」


「うん」


「ただ——」


「ただ?」


「……少し前まで、何かいた気がする。魔力の残滓がかすかに」


「やっぱり」


「何者だと思う?」


「……分からない。でも」


 さくらは空を見た。


「……また来るかもしれない」


「次は捕まえる」


「捕まえられるといいけど」


「余の魔力が戻れば——」


「うん、戻れば」


 二人は少し黙った。


 ポチがきゅんと鳴いた。


「……行こう」


「うん」


 二人は歩き出した。


 さくらはもう一度だけ、後ろを振り返った。


 誰もいなかった。


 ただの、静かな路地だった。


 でも——何かが始まっている気がした。


 気のせいであってほしい、と思いながら、さくらは前を向いた。


-----


 夜。


 アリアの家で夕飯を食べて、ポチに叱ってから、布団に入った。


「……ポチ、次はクッキーを盗むな」


 ポチはぺろっとノアの手を舐めた。


「反省しておらん」


「してないね」


「……来月は繋いでおく」


「可哀想」


「仕方がない」


「まあ、今日は帰ってきたから良かったじゃん」


「……帰ってきたから良かった、か」


「うん」


「……余も、そう思う」


 ノアがポチを撫でた。


「……さくら」


「何」


「さっきの視線」


「……うん」


「本当に気のせいだと思うか」


 さくらは少し間を置いた。


「……思わない」


「余も、思わない」


「うん」


「……何かが、動き始めているかもしれない」


「うん」


「そのときは——」


「そのときは一緒に対処する」


「……一人でやろうとするな」


「やらない」


「約束か?」


「……約束」


 ノアが少し黙った。


「……余も、一人でやろうとしない」


「約束?」


「……約束だ」


 ポチがくるりと丸まった。


 ランプを消した。


 暗闇の中で、さくらはまだ路地のことを考えていた。


 何者だったのか。


 なぜ見ていたのか。


 なぜ、消えたのか。


 答えは出なかった。


 出なかったけれど——ノアが「一人でやろうとしない」と言ってくれた。


 それで、少し楽になった。


「……おやすみ」


「おやすみ」


 今夜は、さくらが先だった。


-----


**【魔王の小さな冒険 其の十五「魔王、家来の反乱を鎮圧できなかった件」】**


 のあちゃんは布団の中で、今日のことを振り返っていた。


 ポチがクッキーを盗んで逃げた。


 紫苑という魔法少女に神の使いにされかけた。


 クッキーで取り戻した。


「……情けない」


 誰もいない暗闇に向かって、のあちゃんはつぶやいた。


「神の使いと余の家来を天秤にかけて、クッキーを選んだ」


 ポチが胸元で眠っていた。


 のあちゃんはため息をついた。


「……まあ」


 でも、ポチは戻ってきた。


 クッキー目当てだとしても、戻ってきた。


「……帰ってきたから、いい」


 のあちゃんはポチを撫でた。


 温かかった。


 それから、さくらのことを考えた。


 帰り道で、さくらが立ち止まった瞬間。


 あの目。


 魔法少女として何かを捉えた、鋭い目。


 のあちゃんも魔力で確認した。何かがいた痕跡があった。


「……誰かが、余たちを見ていた」


 静かな声でつぶやいた。


 誰だろう。


 余の魔力がまだ不安定だから、痕跡だけでは分からない。


 でも——ただの通りすがりではない。あの観察の仕方は、目的を持った者の目だった。


 のあちゃんは目を閉じた。


 何かが動き始めているなら、時間がない。


 魔力を、早く取り戻さなければ。


 でも——さくらに言うべきだろうか。


 言えば、さくらは警戒する。


 確証もないのに、心配をかけたくない。


「……今はまだ、言わない」


 のあちゃんは決めた。


 確証が出たら、その時はさくらと一緒に対処する。


 今夜の約束を思い出した。


 一人でやろうとしない、と言った。


「……一人でやろうとしない、か」


 のあちゃんは少し笑った。


 余は魔王だ。一人でやるものだと思っていた。


 でも今は——一人でやらなくていいかもしれない。


「……もう少し、待ってくれ」


 誰にも聞こえない声で言った。


 誰に向けた言葉なのか、自分でも分からなかった。


 ポチが一度だけ鳴いた。


 のあちゃんは目を閉じた。


-----


第十六話に続きます。

第十五話、読んでいただきありがとうございます。


今回はポチ回でした。

……のはずなんですが、途中から妙な方向に転がりました。


神の使いにされかけるポチと、それを全力で否定するノア。

この構図、書いていてとても楽しかったです。


ただその一方で、ほんの少しだけ“違和感”も混ぜています。


さくらが感じた視線。

ノアも感じた、わずかな魔力の残滓。


まだはっきりとはしませんが、確実に何かが動き始めています。


それでも今回、一番大きかったのは二人の約束かもしれません。


「一人でやらない」


この言葉が、この先どう効いてくるのか。


引き続き見守っていただけたら嬉しいです。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

↑ページトップへ