死と豊穣①
折り紙を無心に折り、たたみ、開き──
メイはたゆみなく、奇跡の花を生み出し続けていた。
無私の祈念は今や極まり、まばゆい光の奔流が、あふれんばかりに心身を満たしている。
「す……少しは休んだ方が良いのではないかのう」
心配そうに言う小鬼の声が、遠く聞こえた。
二秒ほどして、メイは夢から覚めたようにまばたき、にっこり、小鬼に笑顔を向ける。
「だいじょうぶです。ゆうべからなんだか、ちっとも疲れないんです。おなかもすかないし」
小鬼は、メイから無数の光の粒が生じ、きらきらとふりそそぐさまに息をのんだ。
「そ、それなら良いが」
メイはすぐ、お供え作りに戻った。
机の上には、先日買いだめした、千枚入り折り紙パックがいくつも置かれている。
包みを解いたパックの、いちばん上からメイは一枚とり、折り始める。
するとその横で、二枚目がふわりと浮きあがり、空中で、メイが一枚目を折る動きをそっくり模すように、自然に折りあがっていく。一枚目と同時に、奇跡の花と化す。
メイが折りあげた奇跡の花をざるに置くと、もうひとつも遅れてふわりと落ちてくる。
ゆうべ、夜半をすぎたころからこの現象が起き始めた。
時には三個も四個も、いっぺんに折りあがる。
でも、メイ本人はまったく気づいていない。
「三昧境、ってやつだね。すごいね」
猫神の畏怖のこもったつぶやきに、小鬼はふり返った。
人の姿で、開け放しの窓から身軽く、入って来る。
手には新しいランドリーバッグ。
メイが奇跡の花を生み出すペースがあがり、三つめがたちまちいっぱいになってしまったので、追加を買いに行ってくれたのだった。
手際よく包装を解き、メイが奇跡の花を詰めた布袋を、せっせと入れていく。
メイは今日、学校を休んだ。
朝食に呼ばれても気づかないほど集中しているメイを見て、猫神が母を説得したのだった。
──「今日は稲荷神様のお使いが、メイちゃんを迎えに来る日なんです。いつあらわれるかわかりませんし、出先でいきなり神隠しされても困ります。家にいればそれだけでメイちゃんは守られますし、あたしもついて行けますから」
母は猫神を信頼している。
了承し、くれぐれも娘をよろしく、と猫神にあとをまかせ、仕事に出かけた。
「しかし……生身の人が眠りもせず朝も昼もメシ抜きで、まっこと疲れぬものなのか……?」
声をひそめてきく小鬼に、猫神はちらっとメイの様子を確かめて、笑った。
「あれは疲れないだろうと思うよ。メイは確かに人間だけど、あそこまで気が高まってる状態じゃ、あたしたちもののけとおんなじ……ううん、もしかすると上かもね」
「どっ……どういうことじゃ」
「神に近いんだよ。こういう状態で戦う人間は妖怪より強くなるし、祈る人間は神になる。ほんの一時、だけどね」
「なんと……!」
「大昔にはこの状態を持続させて、妖異に『成って』のけた人間もいたらしいよ」
「人が! 妖異に!」
「ろくでもない妖怪になったやつもいれば、神になった人も、仙人になったのもいたってさ」
「てっきり……おとぎ話かと思うておった」
小鬼は、鬼が人に勝つ話を探して民話のたぐいをたくさん読んだ。
猫神が言うような話も確かにあったが、しょせん人間の作り話と信じていなかったのだ。
「わたあめが……神に……」
それはちょっと感動するのう、と胸の内でつぶやいた時、小さな破壊神が口をはさんだ。
「だいぶ、マシになってきたな」
本棚の上に片ひじをついて寝そべり、奇跡の花づくりに没頭するメイをうっとり、ながめている。その、極上の獲物を前にした猛獣そのものの表情に、小鬼はあせった。
「ま、まさかそなた、後ろから襲ったりは……」
「それはしない」
小さな破壊神はメイの霊光に見入ったまま、むしろ楽しそうに続ける。
「メイは、後ろから襲われて、反応できるやつじゃないからな」
「! は、反応できたら襲う気かッ!」
「こいつには、戦ってもらわなくてはならん」
楽しみでしかたがない、という期待感を隠しもしない破壊神に、小鬼は絶句した。
そうだった。
こいつはそういうやつだった。
命をかけてメイを救ったのも、狩るためなのだ──!
「……ワシにはさっぱり、理解できん」
うめいた時、ピンポーン、とチャイムが鳴った。
猫神がさっと、開けっぱなしの窓から玄関の方をのぞく。
「おでましになったよ」
「狐か!」
小鬼も窓にすっ飛んで行き、玄関前に居心地悪そうにたたずむ、人型の霊狐を確認する。
街中でも目立たない、ありふれた服装の霊狐は、猫神と小鬼の視線に気づいてこちらを見あげた。はたはたと気弱に手をふる。
「お手数かけてすんまへんけど、出て来てくれへん? この家、どうにも入られへん」
小鬼はメイの手もとで跳びはねて注意をひいた。
「うおーい、わたあめ! 狐じゃ! 狐が迎えに来おったぞ!」
「え……」
メイはゆっくり顔をあげ、まばたきし、それからやっと、なにを言われたか理解した。
「用意……します!」
ざるいっぱいにあふれる奇跡の花を布袋にそそぎ入れ、口を結ぶ。
猫神が買ってきたばかりの四つめのランドリーバッグも、ほとんどいっぱいになった。
折り紙製の花とはいえ、これだけ詰めこめばそれなりの重量だ。
どうやって運ぼうかとメイが考えるより早く、猫神が軽々とふたつ持った。
小鬼も勇んでひとつ、持ちあげる。
ただ、小鬼にはたちのぼる霊気の「おこぼれ」が濃かったらしい。ちょっとふらついた。
「だいじょうぶですか?」
心配するメイに、小鬼は顔をひきしめる。
「大事ない。これぐらい運べるぞ」
「他のものみたいに、腹の毛の影に入れちまったら楽に持てるんじゃないかい?」
猫神の提案に、小鬼はぶんぶんと頭を横にふった。
「いやいや、これほどの霊気のカタマリを影になんぞ入れたら、なにが起きるかわからぬ。すっぽ抜けて落ちたり、入りきらんでつっかえたら困る」
「そりゃ困るねえ」
残るひとつはよいしょ、とメイが持ち、ぞろぞろと部屋を出る。
そこへ小さな破壊神が気配もなく浮かびあがり、メイの顔の横に並んだ。
「家で寝ててくださっていいんですよ」
驚いて言うメイに、ふん、と鼻を鳴らした。
「おまえは抜けてるからな。あっさりたぶらかされて、異界に百年長居しかねん」
「あう」
「さっさと行って、さっさと帰るぞ」
邪魔しやがるならあの狐を狩るのもいいな──と、口には出さなかったが、その場の全員が聞いたように感じ、ぞっと首をすくめる。
メイはキッチンのテーブルに、出発時間を記した母宛てのメモを残した。
玄関で靴をはきながら、小さな破壊神に釘を刺す。
「乱暴なこと、しないでくださいね。稲荷神様をお助けに行くだけなんですから」
しかし小さな破壊神は返事もせず、メイが玄関の引き戸に手をかけるなり、わずかのすき間から光の筋となって先に出た。
一同はあわてて荷物を持ってあとを追い、メイは戸締まりをする。
霊狐が困惑の声をあげた。
「ええー? なんでこないに大勢なん! クシナダはんだけでええのに……」
とりわけ、目の前に浮かぶ小さな破壊神が煙たいらしく、目を合わそうともせずぼやく。
「だいたい暗黒神はん、どおして目ぇ覚ましてはるんや……! 元気そうやし……どないに少のう見積もっても、絶対、百年は起きひんやろ思たのに……」
「こいつらのおかげだ」
小さな破壊神の即答に、霊狐は目をむいた。
破壊神が他者の助力を口に出して認めるなどとは、思ってもいなかったからだ。
しかも破壊神は「こいつら」と言った。
メイだけでなく、猫神や小鬼も、破壊神の復活になにか貢献したらしい。
破壊神の思わぬ言及に、猫神はもじもじと照れて「そんな、あたしなんて……」と頬を赤らめ、小鬼は動転のあまり、両手でぶらさげたランドリーバッグごとくるっと後ろを向く。
小さな破壊神は続けた。
「俺も一緒に連れて行け。それがいやなら手ぶらで帰れ」
「ええー」
霊狐がイヤそうな顔をした時、メイはやっと気づいた。
そういえば霊狐はいつでもどこでも、相手を異界に招くことができるはず。
前回はうっかり小鬼や子猫も招いてしまったが、おそらく目にも入っていなかったから。
それにメイはもう、「霊狐が入れない」家から、外に出て来た。
本来ならメイとランドリーバッグだけさらうぐらい、簡単なのではないか。
だが、できない。
小さな破壊神がいるせいだ。異界を創る力か喚ぶ力か──わからないが力の発動そのものを、打ち消されているような気配があった。
霊狐はうめいた。
「……ほんまについて来る気かいな」
「そう言っただろう」
「……異界壊す力、持ってはるやろ」
「たいていのものは壊せる」
「それが困るんや! ええか、稲荷神様をお守りしとる神域も異界や! 絶対、絶対、稲荷神様の神域を消し飛ばしたりせえへん、ゆう約束してもらわんことには、連れて行かれへん」
「そんな絶対はない」
「なんやて!」
気色ばむ霊狐に、小さな破壊神は平然と続ける。
「おまえが小細工してメイを異界にひきとめようとしたり、時の流れをごまかそうとしたら、たたき斬る」
「!」
「メイがさしだせる以上のものを取ろうとしても、たたき斬る」
小さな破壊神はむしろ、さあやれ、今すぐやれ、そうしたら細切れにしてやれると言わんばかりに、こぼれる炎のように笑った。
「俺の気に障ることをしやがったら、たたき斬ってやる」
「……!」
乾いた殺気を浴びた瞬間、霊狐は悟った。
破壊神は霊狐がメイを焼いたこと──傷つけたことに気づいている。
メイはたぶんひとことも話していないはずだが、察している。
当然、おもしろく思っていない。
生きた心地もなく凍りつく霊狐に、小さな破壊神は楽しげに言った。
「どうする。手ぶらで帰るか」
「……猫に小鬼に暗黒神はんとクシナダはん、みんな一緒に連れてって、一緒に帰したる」
霊狐はむっつりと言あげした。
破壊神の位置に燃えさかる太陽でもあるみたいに顔をそむけ、手をかざして懇願する。
「せやからそのえげつない気、ひっこめてくれへん?」
「いいだろう」
こちらからはわからないが「圧」が消えたらしい。
霊狐はほっと脱力、気を取り直して背すじをのばす。
「ほな、行くで」
先導するように、優雅にきびすを返した瞬間、
「!」
周囲のすべてがかき消えた。
メイは息をのむ。
立ち並ぶ家々も電柱も、なにもなかった。
空さえ見えず、どこまでも、夢のように明るいミルク色の霧がたちこめている。
はてしなく清浄。
かぎりなく静謐。
澄みきった気に打たれ、メイだけでなく猫神、小鬼もすぐには動けない。
明るく真っ白な世界にそこだけ黒々と、古びた石畳の参道がひとすじ、のびていた。
少し先に、大きな朱塗りの鳥居がそびえている。
いつの間にか白衣の宮司姿に変わった人型の霊狐が、静かにふり返った。
「神域や」
誰も、物音ひとつ立てられない。
「なるたけ気ぃ乱さんよう、おとなしゅうついて来てや」
「はい」
メイは敬意をこめてささやき、お供え入りバッグを持ち直して、霊狐のあとに従う。
ここまで浄化された空間は、見たことがなかった。
どれほどの年月、どれほどの真心をこめて磨き抜かれたものか、はかりしれない。
猫神と小鬼もすっかり神妙な面もちになって、行儀良くメイのあとに続く。
小さな破壊神でさえ、霊狐のとほうもない献身を認めたらしい。
たちどころに気配を、消える寸前まで鎮め、
「……!」
なんと初めて、メイの肩に降りた。
メイはびっくりしてなにか言いそうになったが、気を乱しては意味がない。
せっかく破壊神が静かにしてくれているのだからと気を取り直し、そよ風ひとふれほどの気配もない小さな神を肩に乗せ、粛々と朱の鳥居をくぐる。
「…………」
そびえたつ、霊峰のふところをくぐり抜けたかのように感じた。
畏怖に魂が震える。
静寂の厚みが増した。
明るく、どこまでも白くたゆたう霧の中、霊狐とともに歩く自分の足音も存在感も、すべて虚空に吸いこまれ、たちどころに消えていく。
一歩ずつ。
あたりまえに石畳を踏んで歩いているはずなのに、空を飛んでいるかのようだった。
一歩ごとに、とてつもない距離や時間が、飛ぶように流れ去っていく心地がする。
刻々と心が澄みわたり、重たいランドリーバッグの重さが消え、時の感覚も失われた。
始原の過去と無窮の未来。
永遠と刹那がひとしくなったかに思えたころ──
霧の向こうからにじみ出るように、美しい社殿が姿をあらわした。
大きい。
広々とした境内は、目にもまばゆく紅葉した木々に囲まれ、しん、と静まりかえっている。
秋なのである。
神域は、紅葉の盛りのまま時が停まったかのようだった。
すみずみまで掃き清められ、落ち葉ひとつない参道を進み、拝殿の前へ。
現世の「神社」とは、似て非なるつくりだった。
しめ縄はさがっているが、鈴はなく、当然ながら賽銭箱もない。
宮司姿の霊狐はふり返りもしなければ拝礼もせず、履き物さえ脱がずに、まるで参道の続きみたいにまっすぐ、拝殿の階段を登っていく。
メイは一瞬ためらったが、すぐ気づいた。
ここまでの道中で、衣服も持ち物も、靴まで、すっかり浄められている。
安心して霊狐に続いた。猫神と小鬼も続く。
灯りのない拝殿の中は暗く、重たく感じられたが、参道のような不思議さはなかった。
大きく立派だが見たままの奥行きで、あっけなく通り抜ける。すると、
「…………」
空気がさらに、痛いほど澄みわたった。
朱塗りの塀と渡り廊下、鬱蒼たる紅葉の森に包まれて、小さな本殿が建っていた。
軒下の左右に、真っ白な子狐の像が置かれている。
と思ったら、その尾が動いた。
金の目がきらめき、小首をかしげる。
子狐の姿ながら二匹とも、少なくとも千年は生きていそうな神気の持ち主だ。
霊狐が軽く手ぶりをすると、黙って腰をあげ、音もなく跳ねて霧の中へ消えた。
ああ、ここをお守りしていたのね、とメイは思う。
本殿の階段は、美しい朱塗りだった。
霊狐はここでも足を止めず、静かに登っていく。
メイは続いたが、猫神と小鬼は階段下で気圧されたように止まった。ついてこない。
「…………」
朱塗りの回廊にあがると、正面は凝ったつくりの、両開きの扉だった。
繊細な花鳥の飾り彫りが美しい木製で、唐草様の金属に縁取られている。ぴったりとすき間なく閉ざされ、封じられていた。
霊狐はその扉に向かって着座、流れるように平伏する。
この扉の奥に、霊狐の主人である女神がいるのだ──!
メイはあわてて、お供えを詰めたランドリーバッグを柱の近くに置いた。霊狐のななめ後ろにぎこちなく正座したが、どうしていいかわからない。
霊狐は、うやうやしく伏したまま言った。
「宮様、クシナダ姫をお連れいたしました」
静寂。
なんの反応もない。
メイは霊感を全開にした。
扉の向こうに存在するはずの、女神の気配を感じとろうとする。
だがどれほど〈見〉ようと心をこらしても、なにひとつ、浮かんでこなかった。
隠形しているのかもしれない。
だがそれにしても、あまりにもからっぽだ──。
「宮様……!」
霊狐が顔をあげ、少し強く呼びかけた。
その声も、分厚い静寂にたちまち吸いこまれ、消える。
メイは思わず手を合わせ、口を開いた。
「おそれながら稲荷神様にご挨拶申しあげます。神納五月と申します。稲荷神様のお役に立つため、お招きを受けてまいりました。さしつかえなければ、どうぞお声をお聞かせください」
心をこめて拝礼する。
これほどの力を持つ霊狐に、こんなにも慕われている偉大な女神。
なのに何百年も、声ひとつ発していないとはよほどのことだ。
メイは神の飢えがどんなものかを、破壊神で知った。
正気を失い、悪鬼と化すほどの飢え。
何万年生きていようと、塵と化してあっけなく崩れ去るほどの飢えだ。
自分の祈りで少しでもその飢えが満たされるなら、満たしてさしあげたかった。
命や心臓はさしだせないが、それ以外なら──
メイは一心に祈念を捧げ、捧げ、捧げた。
今、自分がどこにいるかを忘れた。
どれほどの時間がすぎたかも忘れた。
ぼうだいな、自分でも把握しきれないほどの力がどこへともなく吸いこまれていった。
だが哀しいほど、なんの手ごたえもない──。
「……あ」
我に返ったのは、なにかに頬をこづかれたから。
「そのぐらいにしとけ」
耳もとで響いた声は、念話だったかもしれない。その時、
「!」
破壊神が突如、縮身を解き、霊狐と扉の間に降り立った。
霊狐はぎょっと凍りつき、メイも息をのむ。
いつもとちがい、縮身を解いた破壊神の気配は、不思議なほど静かなままだった。
周囲のなにひとつ乱すことなく、微風さえ起こさない。
なのにメイには、以前よりもはるかに、魂がおののくほど強くなって感じられる──。
そこにいるのに、いないも同然に気をしぼったまま、破壊神は霊狐をふり返った。
「この建物は、おまえがつくったのか」
「い……いや、ちが……」
「だと思った」
無造作に片手を挙げ、ほこりをはらうように軽くふる。
「!」
全員の目の前で、固く閉ざされた扉が、柱が、屋根までも──
粉々に砕けて吹き飛んだ。
音さえしなかった。
とうに燃え尽き灰になっていた薄紙が、風のひと吹きに粉砕されたかのようだった。
あらゆるものが粉々にちぎれて神域の白い霧の中へと舞いあがり、色もかたちも失い、たちまち蒸発して消えていく。
今や本殿は、床から下しか残っていなかった。
「な……」
衝撃のあまり動けない霊狐に、破壊神はこともなげに言う。
「おまえのつくったものは壊してないぞ。人間の術を消しただけだ。古びて、濁ってたしな」
やっとすっきりした、と言いたげに、隠されていたものに銀の目を向けた。
ほかのすべてが消え去った床の上、その奥に──
典雅な薄絹に四方を囲われた女神の座が、無傷でしん、と静まりかえっていた。
床は破壊神の風を浴び色あせていたが、薄い垂れ布は、飾り糸一本、乱れていない。
薄絹を透かして、台座のようなものにすわっている女神のシルエットが見えた。
影だけでも、菩薩像さながら端正な、神々しい姿とわかる。
豪奢な宝冠。
耳飾りに首飾り。
幾重にもはめた重たげな腕輪が、神域の明るい光を、やわらかく反射している。
だが、動かない。
生きている気配、そのものがない。
「…………」
破壊神は銀の目を細めた。
いきなりずかずかと歩を進め、霊狐が止める間もなく薄絹に手をかけ、ひき開ける。
「!」
メイは息をのんだ。
見事な細工の蓮華座の上にすわる女神は、真っ黒に枯れしなびていた。
骨と皮ばかりに痩せこけ、深く落ちくぼんだ目のまぶたは閉じたままはりついている。豊かな黒髪さえ砂漠の草さながら色あせ、乾ききっていた。
衣服も風化寸前なのに装身具だけが光り輝き、ミイラと化した身にことさら重たげだ。
「こ……これは……とうに亡くなっておられるのでは……」
小鬼が階段の下でつぶやいた。
メイは思わず、霊狐の方を見る。
霊狐は、女主人の無惨な姿を目の当たりにし、身を乗り出したまま凍りついていた。
知らなかったのだ──と悟って、メイは胸を衝かれる。
女神はこうなってしまう前にみずから、姿を隠したのだろう。
自分を慕う狐に心配をかけまいと、最後の最後まで、なんでもないような顔をして──。
「ヤクシーじゃないか」
破壊神が言った。
場違いなほどからりと明るい、目前の光景になにひとつ心を動かされていない声音に、霊狐がびくっと身を震わせる。
メイはあわてて割りこんだ。
「いえ、その方は、荼枳尼天さまとおっしゃると……」
「ヤクシーは誰かひとりの呼び名じゃない。種族の名だ」
「えっ……」
「樹霊の一種で血を好む。昔はたくさんいたもんだ」
どうでもよさそうに言い、破壊神は夜叉女神のミイラに呼びかける。
「ヤクシー、答えろ」
声とともに少しばかり解放された破壊神の気に、神域の霧が震え、本殿の床も震えた。
女神の真っ黒なミイラも床とともに震え、宝冠の飾りがふれあって、霊妙な響きを立てる。
メイも霊狐も、猫神も小鬼も、固唾をのんで見守る。
しかし、女神の遺骸は反応しなかった。
干からび、乾ききって、命の余韻どころか思念の影さえ残っていないかのようだ──。
破壊神は平然と続けた。
「どうしてほしいか、言え」
名指しの命令。
あらゆる命を賦活する破壊神の巨大な霊気と言霊に打たれ、黒くしなびた夜叉女神の口もとが、奇跡のようにゆるんだ。
はがれ落ちていく表皮を塵と散らし、わずかに開いた口からまがまがしい牙がのぞく。
永劫の彼方から──
死の大地を吹きすさぶ風のような、魂を砕く呪いのような声が響いた。
「まはーかーら」
息をのむ一同をよそに、瀕死の女神は悪鬼の口から、かろうじて言葉をしぼりだす。
「焼キ給エ」
「おう」
止める間もなく破壊神は額の第三眼を開き、
「!」
ほとばしった灼熱の閃光が、女神を吹き飛ばした。
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