我、望むゆえに①
小鬼は腹の毛の中から、日記用のノートをひっぱり出した。
おもむろに表紙をくり、新しいページを開いて、紙面にちょこんと正座する。
千年筆を取り出した。
「…………」
そよそよと、心地よい風が小鬼の毛をそよがせる。
ガラスがなくなったメイの部屋の窓は、サッシもカーテンも、すっかり開け放たれていた。
いいお天気だ。
「ゆうべのできごとなぞすべて、夢まぼろしのごとくなり、じゃのう」
今朝、小鬼は昼すぎまで寝すごした。
霊狐と猫神、大もののけ二体の神気と、全開になったメイの霊力にもみくちゃにされ、へとへとだったのだ。目が覚めると部屋には誰もおらず、机の上にメイの書き置きがあった。
『お母さんがこわいので、学校に行ってきます。
キバさんはどうぞ、うちでゆっくりしてらしてください。 メイ』
正直、助かった。
おかげで半日ゆっくり休めたし、こうして日記を書く時間まである。
広々とした紙面にかがみこみ、小鬼は筆を走らせた。
『吾輩は鬼である。昨夜の出来事をなんと言い表せば良いか、とうていひとことでは言えぬ。
だがあえて言うなら怪獣大決戦! これに尽きるであろう。果てなき異界にのみこまれ、その名も高き九尾の霊狐の怒りにふれてなお塵にならずにすんだとは……我が身の僥倖に感謝するほかない』
続いて、脳裏に焼きついた巨大な霊狐の威容を、がしがしと描きなぐる。
夕空に広がる九本の輝く尾、凶悪な顔。
その足もとに真っ黒な街のシルエットをざっと描きこむと、霊狐は実物よりさらに大きく、高層ビル並みの巨体になってしまったが、小鬼は気にしなかった。
羨望のため息をつく。
「なんと……なんと強そうであったことか……! ワシも早う、大きく強くなりたいものよ」
霊狐のとなりに猫神を描きはじめた。
今度は丁寧に、ひと筆ひと筆、気を配って線をひいていく。
まばゆい金の瞳。
雄々しくも優雅なたてがみ。
猫にしては大きすぎるのに、猫らしい丸みのある力強いシルエット。
ふたまたの尾。
そして──もうそらでも描ける子猫の模様とまったく同じ、三毛の模様。
「あの……あの、やんちゃで、食いしん坊なちびすけが……」
目の前で、輝かしい猫神に成りあがった。
小鬼はうらやましくて、うらやましくて、うらやましくてしかたがなかった。
猫神は、年経た霊狐の恐ろしい炎を打ち消した。
小鬼にはよくわからなかったが、他の、もっと高度な術も消してしまったらしい。
メイの傷もたちどころに癒やしたし、メイが術を使う時には霊力が暴走しないよう、みごとに支えてもやっていた。
そのうえ──
昨夜。
異界から、人里離れた山の中に放り出されたメイと小鬼を、猫神は背に乗せ、空を駆けた。
息も切らさず軽々と、百キロ以上もだ。
迷いもせず、半時間とちょっとで家に到着したのも驚きなら、そんな速さで飛んでも、背中のメイと小鬼に風圧を感じさせなかったのも驚きだった。
メイは、母に無事を知らせる連絡を入れたあと、猫神の背で気絶同然に眠ってしまった。
異界の街を消し飛ばす一撃で、体力気力を使い果たしてしまったらしい。
家につき、小鬼が声をかけても目を覚まさなかった。
すると──
猫神がするりと人型に化けた。
ひきしまった身体つきのあだっぽい美女になって、熟睡しているメイを抱きあげた。
金と白の、メッシュの入った黒髪が目を惹いた。
野性的な目もとに覇気がある。
なんともりりしく、小鬼は見とれた。
もっとも服装は最初、花魁のコスプレもどきだった。
丈の短い黒地の着物に、きらびやかな帯をでたらめに結び、上からぞろりと、雲の文様をあしらった、シースルーの打ち掛けもどきをはおっている。
で。
すらりと、惜しげもなくさらした素足には、厚底ブーツ。
目を疑う取り合わせだ。
いかにも若い。
霊狐が言ったとおり「百年と生きていない」現代っ子の装いである。
しかも猫神はその、とんでもないかっこうのままメイを抱き、呼び鈴を鳴らそうとした。
おろおろと見守る小鬼に気づいて、やっと自分の衣装をかえりみた。
──「そうだねえ、ご挨拶には向かないかな」
つぶやいたとたん、派手な衣装が、内から風をはらんだようにはためいた。
たちまち地味な灰色のパンツスーツと、黒いコートに変わり、深いスリットの入ったコートの長いすそが、ふたまたの尾のように揺れた。
──「どお?」
感想を求められ、小鬼は、ぐっとましになったのう、と言う代わりにつぶやいた。
──「よ……良いのではないかの」
猫神はフフン、と顔をそらし、呼び鈴を鳴らした。
夕方、すぐに帰るはずだったのに、すでに夜の十一時すぎ。
メイの母が、血相を変えて飛びだしてきた。
猫神の腕に抱かれ、意識のないメイを見て真っ青になった。
だが猫神が「だいじょうぶですから」と言うと、たちまち動揺を鎮められ、すっかり平静になったのにも驚いた。
猫神の「火伏せ」の力とやらは、炎や術だけでなく、人の心も鎮められるらしい。
──「それであの……どちらさまでしょう」
それでも不審そうな顔をする母に、猫神はにこやかに挨拶した。
──「猫のミーです。ひろって可愛がっていただき、心から感謝しております」
──「え……」
あっけにとられる母をなだめ、猫神は眠りこけるメイをそのまま抱いて二階に運び、制服を脱がせ、布団に入れた。
猫神がそっとはらうと、メイの顔や手足、制服についた煤も汚れも消え失せた。
メイは途中で半分目を覚まし、猫神の手をつかまえて、寝ぼけまなこで言った。
──「ありがとう……ほんとうにありがとう、ミコさん……!」
──「あたしはもう美夜古だけど」
と、猫神はほほ笑んだ。
──「あんたはミコって呼んでいいよ。さあ、もうおやすみ」
母のようにやさしくメイをなで、寝かしつける猫神は、すっかりおとなの顔だった。
そのあと。
猫神は、メイの母の疑念を晴らすため、わざわざ目の前で子猫に化けてやった。
その姿のまま母のひざに乗り、甘え、おしゃべりして母を笑わせ、すっかりうちとけ、母は小鬼と猫神に冷やしまんじゅうとお茶を出してくれた。
甘くておいしくて、あっという間にたいらげてしまった。
まだほしかったが、おかわりを言い出すのも気がひけて黙っていると、猫神は自分のぶんをそっとちぎって、わけてくれた。
猫神の手が触れた冷やしまんじゅうは、冷蔵庫から出しただけの冷やしまんじゅうよりなおおいしく、小鬼はなんだか、泣きそうになった──。
「…………うらやましい」
小鬼の口から独語がこぼれる。
物思いの間に──
猫神の絵姿は紙面いっぱいに、みごとに描きあがっていた。
風をはらむたてがみはやわらかそうだし、瞳はあくまで澄んで美しく、四肢は力強い。
仕上げに、神気の揺らめきを丁寧に描き加えていきながら、小鬼は思わず歯ぎしりする。
「ええいッ、うらやましくてならぬ! ただの子猫が一夜にして大猫神に化けるとは! いや、普通の猫は百年も生きぬ……そもそも化け猫ではあったわけじゃ……しかしあの、数百年をけみした神のごときたたずまい! 霊狐をものともせなんだ力! ああ、ワシも強くなりたい……! いかなるズルい裏技を使うたのか、なにがなんでも聞き出してワシも一夜で……」
「教えないよ」
頭上からふりかかった声に、小鬼はぼん! と音を立ててふくらむ。
「なっ、なな、なっ……」
「あ、ごめん。つい隠形してた! 猫の習性なの。おどかすつもりはなかったんだけど」
人型の猫神は、ちろっと舌先を出して肩をすくめた。
いつ入って来たのか、きちんとスリッパをはいて室内に立ち、興味津々で小鬼のノートをのぞきこんでいる。
「絵、うまいねえ! あたし、こんな感じだった? 美化しすぎじゃない? 照れちゃう」
「みっ、みみみみ、見るなッ」
「えー、いーじゃん。減るもんじゃなし。字も書けるんだ! すごいね、えーと……」
小鬼の豆粒のような文字を読もうと、目を細める。
「えっ、なにこの漢字、読めない。『我が身の……』なに? ニンコウ? コウコウ?」
「……ギョウコウ、じゃ」
「どういう意味さ」
「思いがけぬ幸運、偶然の幸い、というような意味じゃ」
「あんた、いくつ」
「……生まれて二ヶ月あまり……かのう」
「えー、なにそれずるいッ! あたしなんか、読み書き覚えんのに何年も苦労したのに!」
「う」
「どーんなずるい裏技使ったのかなあ? あんたの頭の毛を一本食べさせてもらったら、あたしにもあんたの読み書き能力が宿ると思う? あ、その達者な絵、描く技も欲しいなぁ」
幼子をあやすように明るく混ぜっ返す猫神に、小鬼はため息をついた。
「……からかうでない」
「あれま、やけにオトナな反応だね」
「ワシはほんとうに、強くなりたいのじゃ!」
「生まれてまだふた月なんでしょ、そのわりにはけっこう強く見えるけど」
「『そのわりには』とか『けっこう』とかでは足りんッ」
「育ちざかりじゃん。あせりなさんな」
「コドモゆえ気が短いのだッ」
「アッハハ、自覚があるあんたは賢い! 辛抱できるよ。じゃましたね」
窓の方へきびすを返そうとする猫神の前に、小鬼は飛びあがった。
小さい身体でせいいっぱい行く手をふさぎ、泣きそうになりながら叫ぶ。
「出し惜しみせずに教えてくれいッ! ワシは、ワシはどうしても! 今すぐ! そなたのようにむちゃくちゃに、でたらめに、強うなりたいのじゃッ!」
猫神は金の目で笑った。
「強くなってどうするの」
「お、オヤジ殿の仇を討つのじゃ!」
「それだけ?」
「そっ……それだけとはどういう意味……」
たじろぐ小鬼に、猫神はあっけらかんと首をすくめた。
「いいよ、あんたは強くなって仇を討った! どっかぁーん! やったあ! ばんざーい! ……で? それからどうするの」
「へ」
「むちゃくちゃに、でたらめに、もしかしたらこの世でいちばん強くなったあんたは、仇がいなくなったあとの世界でなにをするのかな。時間いっぱいあるよ? なにしたい?」
「そっ……そのようなことは、その時になってみなければわからぬと、思……」
小鬼は、猫神の金色のまなざしに気圧されて絶句する。
猫神はほほ笑み、小鬼の胸もとのメイお手製の首飾りを、ちょんとつついた。
「あんたはあのメイに大事にされて、スサノオ様にも気に入られてる」
「……!」
「ほんとうはなにをしたいのか、はっきりしたらすぐ、めきめき育つさ」
「なにをしたいかはとっくにわかっておるのじゃッ! なのに角もちっとも伸びぬし……」
「だからぁ、考えてごらんよ。角がのびて、ものすごくでっかく、むきむきマッチョの鬼神になって、嵐や炎をまとって歩けるようになって、仇もやっつけてさ、向かうところ敵なし! になったあんたは、それからなにをするの? 教えてよ。あたし、すっごい興味ある」
「ワシは……ワ……ワシは……」
なにも思いつかず、頭が真っ白になった時、小鬼は自分がまだ、千年筆を握りしめているのに気づいた。つい、つぶやく。
「絵を……描くじゃろな」
「いいね! それから?」
「日記を書く」
「すごいじゃん! それから?」
「せ……世界を旅してあらゆる事物をこの目で見、さわって確かめ、調べ、解き明かし、知恵ある者の言葉を聞き、ふるまいを見……書きとめたい……」
「ひゅー、さすが知恵ある鬼の夢はちがうねえ! あたしそんなの、思いつきもしないよ!」
猫神はお世辞ではなく本気の尊敬に顔を輝かせて拍手し、小鬼は照れた。
「そ……それほどでも……」
「で、あんたの世界一の強さは、どこで、どんなふうに使うの?」
「え」
「誰かを滅ぼしちゃったら話は聞けないし、本でも街でも、壊したらなくなっちゃうよね。あんたはそんなこと、したいようには見えないけど」
「!」
小鬼は凍りついた。
破壊神に対して、
──「貴様の頭の中には戦いしか入っとらんのか!」
とツッコんだ時、平然と、
──「他に、なにか考える必要があるのか」
と返されたのを思い出した。
自分は、強くなりたいと妄想はしても、年中、戦い方を考えたりはしない。
ぶっちゃけ、興味がない。
指先から小さな雷の火花が飛ぶようになった時は、それは感激した。勇み立った。
これで自分も強いもののけの仲間入りができるかと、必死で毎日、火花を出し続けた。
でも、いくらばちばちがんばっても火花以上にならないので、あっさり投げだし、最近はすっかりさぼってしまっている。読んだり書いたりする方が、楽しいからだ。
自分は破壊神にはなれない──。
痛いほど思い知った小鬼のぎょろ目に、大粒の涙がふくれあがる。
「ワシは……ワ、ワシは永久に……強くはなれんのかのう……」
ぼたぼたと涙をこぼし、なすすべもなく泣き出す小鬼に、猫神はあわてた。
「ああっ、ごめんごめん、泣かすつもりはなかったんだよ! 言い方、まずかったかな」
かがみこみ、目線を合わせて、まばゆい金の目でほほ笑む。
「いいかい、あんたは神なんだ」
「えう?」
ぐしょぐしょに泣き濡れ、ろくに前も見えない小鬼の胸に、猫神の指先が触れた。
「神の卵さ。だからどんなふうに輝きたいか、その胸におきき」
「……!」
「あんたはまだ知らなくても、魂は知ってる。魂が望むかたちに、あんたはなるんだよ」
「そ……」
そうなのか? と言いかけて、しかし小鬼は悟る。
そうなのだ。
目の前で、化け猫から一足飛びに成りあがった猫神の言葉には重みがあった。
この猫神も、魂が望むかたちになったのだ。
そうして、霊狐も驚くほどめずらしい、火伏せの権能を持つ猫神に「成」った。
ふつうの化け猫であった時には、ちがう強さを望んでいたのかもしれないが……。
「そ……そなたの、魂の望みはなんだったのじゃ」
ごしごしと顔をぬぐいながらきく小鬼に、猫神はにっと笑った。
「命を救えるようになること」
「!」
小鬼は、猫神がかつて救えなかった命があることを察し、ハッと胸を衝かれる。
その表情を正しく読み取って、猫神は片手を腰に当て、苦笑いした。
「あー、あんたほんとに賢いねえ。生まれたてだってのに、なんて風変わりな鬼だろう!」
「ほめ言葉に聞こえん……」
またしょげかける小鬼に、猫神はいたずらっぽく目を細める。
「けどまァあんたなら、百年ぐらいそのまんまでも、べつに不自由しないんじゃない? 可愛がってもらってるわけだし、おうちはあるし、おやつも出るし?」
「バ……バカにするでないッ」
「アッハハ、その意気その意気、楽しくおやり」
猫神はぽんと宙に身を躍らせた。
小鬼を跳び越えたかと思うと子猫に化け、開けっぱなしの窓に着地。ぴんとご機嫌にしっぽを立てて、とことこ屋根に出て行ってしまう。
音もなくジャンプし、見えなくなった。すぐ気配も消える。また隠形したらしい。
「ええいッ、自分ばかり近道しおって小ずるい猫めッ! 見ておれッ! ワシもすぐッ、あっという間に強くなって度肝を抜いてやるわッ!」
いきり立ってわめいた時、小鬼は、家に向かって駆けてくる、耳慣れた足音を聞き分けた。
あわてて日記ノートを閉じ、千年筆と一緒に腹の毛の中に片づけて、窓から飛び出す。
「わたあめ!」
走ってきたメイは、家へと曲がる角で、飛んで来た小鬼の出迎えを受け、立ち止まった。
「キバさん……! あ、あの、スサノオ、帰って来ましたか?」
軽く息をはずませながらきくメイに、小鬼はしかつめらしく首をふる。
「いいや、まだじゃ」
「そう……ですよね……」
メイははああ、と落胆のため息をもらし、とぼとぼと歩き出した。小鬼は並んで飛ぶ。
「それにしても今日はまた、えらく早く帰って来たのう」
「掃除当番代わってもらって、飛びだしたんです。もう、一秒でも早く帰りたくて……」
「狐の件はどうじゃ。零課は助っ人をよこしてくれそうか?」
「それが……」
「なんじゃ」
「千里班長に電話かけて相談したら『それはたのまれた当人しか対応できない案件だから、そのまま担当して』って。お供えの作り方とかは、相談に乗ってくれましたけど」
「むむう」
「それと……叱られました」
「なにゆえ!」
「千里眼の人からなんか報告あがってたみたいで……『メイちゃん、霊力暴走したばっかりなのに、よりによって討伐術使ったんだって?』って。めちゃくちゃ叱られちゃいました」
「……零課の千里眼めはまっこと、なんでもかんでも見よるのう」
「ちょっと一発、威嚇射撃しただけです……って、説明したんですけど……」
小鬼はあきれて鼻を鳴らした。
「ほほう、異界の街を吹っ飛ばしたあれが、『ちょっと一発』!」
「だ、だって、加減とかできる状況じゃなかったし……わかってます! お祓いもしちゃダメって言われて休職中なのに、全力で不慣れな術使うとか……確かに無謀でしたけど……」
「猫神めのおかげで助かったの。そなたひとりでは命も危うかった」
「ほんとうにそう! なにもかもミコさんのおかげです! わたしの力不足で、キバさんまで危険にさらしてしまってごめんなさい」
「い、いや、ワシは……」
「でもですね、おかげでひとついいことが!」
「なんじゃ」
「狐さんの件以外、しばらくは絶対仕事しないように、って厳命いただいたんです! これで毎日、早くうちに帰って、スサノオを待てますー」
「結局それか! 朝は学校行くのもしぶりよるし、そなたときたらまったくどこまで暗黒神にベタ惚れなのやら……」
苦り切る小鬼をよそに、メイは頬を赤らめる。
「えっ? え……わ、わたしは…………そうですけど」
「ええい、見ちゃおれんッ! 良いか、あれは殺し、滅ぼし、ぶっ壊す戦神なのだぞッ」
「そうですね。でもって、挑戦し、闘う、生きとし生けるものを助けてくださる方です」
太陽より明るい笑顔で言われて、小鬼は「うぐ」と詰まる。
暗黒神が、我が身を割る危険を冒してまで、メイを救ったのは事実だ。
さらに霊狐によれば、メイが荼枳尼天と契約するならメイを手放す、と言ったらしい。
メイのような極上の贄を、手放してもいいなどと言あげするとは理解に苦しむ。
「……いやッ! ワシはだまされんぞッ! どうせなにかの策略に決まっておるッ。冷酷無情、底なし沼より腹黒い破壊神の言うことなぞ、うかうかと信じてなるものかッ……!」
ぶつぶつつぶやく小鬼には気づかず、メイは玄関の鍵を開けた。
今日は母は一日仕事なので、夜まで帰って来ない。
「ところで猫神さまはどちらに?」
「隠形して近所をうろうろしとるようじゃ。そなた同様、暗黒神を待っておる様子」
「猫神さまが見回ってくださってるなら安心ですね!」
メイは制服を着替えると、家のことを片づけ、あとはひたすらお供え作りに没頭した。
いつもと同じ小さな花を折っているが、いつもより時間をかけている。
見ると一輪の紙の花に、ふだんの十倍以上の祈念を詰めこんでいるようだった。
折りあがるころには紙の花が内からやわらかく発光し、動かすと光の粒が舞いあがるほど。
小鬼は怖くなって距離をとり、メイに声をかけた。
「それはさすがに……祈念を詰めこみすぎではないかのう」
「そう見えますか? 千里班長のアドバイスどおりにしてるんですけど……」
「今にも爆発するか、燃えあがりそうじゃ」
「その心配はないと思います。そういう念はこめてませんから」
メイは心をこめて折りあげた花々を、お供えを焼くための耐熱皿に丁寧に積んでいく。
一輪。
また一輪。
折りあげるたびに祈念が磨かれていくのが、目に見えるようだった。
小さな紙の花は、数が増えるにつれさらにやわらかく、みずみずしくなってゆき──
「あ」
およそ百個めの花を折りあげ、皿に置こうとつまみあげたメイは、目を丸くした。
「ええっ……? こ、これ……」
ありふれた折り紙で折った花が、いつの間にか、生きた花に変わっていた。
そんな植物は世界のどこにも存在しない、折り紙みたいな不思議な花。
けれどその花びらは今やしっとり水分をふくみ、花心からは、つけたおぼえのない繊細なしべがのびて、光る花粉をまとい揺れている。
折り目はもう、どこにも見当たらず、ほのかに甘い、いい香りまでした。
「お……お花になっちゃった」
あぜんとつぶやくメイの横で、小鬼がうめく。
「このバケモノ娘め……! このぶんではいずれ、そなたの折った折り鶴がはばたいて、勝手に飛んで行くようになりそうじゃのう……」
「あ、それ可愛いですね! 今度試してみましょう」
初めて生まれた奇跡の花を、メイは、皿いっぱいのお供えのてっぺんに、そっと置いた。
こぼさないよう本棚の定位置に運び、黙祷を捧げてから、マッチをする。
マッチの小さな炎が、淡く光る小花の山に近づいたとたん、
「!」
ぱっと、真っ白な光がひらめいた。
破壊神が手を触れた時とまったく同じ。メイの祈念のこもった花々は一瞬で灼きつくされ、わずかばかりの灰が宙に舞う。
何度見てもありえない、と小鬼は内心、思う。
メイのぼうだいな祈念がたちどころに、どこへともなく流れ去るのも感じられた。
目の前にいなくても、祈念はちゃんと破壊神に届いているようだ。
丹精こめてつくったお供えがきれいに灰になると、メイは純粋な喜びに顔を輝かせた。
いそいそと机に戻り、また次の花を折りはじめる──。
「…………」
うらやましい、と小鬼は思った。
メイに、こうまでひたむきに思われている破壊神が、心底うらやましかった。
千年にひとりの霊力を惜しげもなくつぎこむメイの手の中で、次の花も「本物」に変じた。
その次も。
そのまた次も。
たちまち皿の上に並べられていく奇跡の小花を前に、小鬼はよだれが口の中にたまっていくのを感じた。小花ひとつにどれほどのパワーがあるか、もはや推し量ることさえできない。
あの中の、ほんの一輪。
一輪だけでもちょろまかして飲みこめば、たちまち大鬼に成長できそうな気がする。
だが盗みはしないと約束した。約束は破りたくない──。
「キバさん」
「ンあ?」
いきなりメイに声をかけられ、小鬼はあふれかけたよだれをあわててぬぐう。
そ知らぬ顔で「なんじゃ」とふり向いた目の前に、奇跡の花が一輪、差し出された。
折った紙の色を反映して明るいオレンジの、しかし「生きた」奇跡の小花だ。
「よかったらどうぞ」
にっこり言われて小鬼は動転した。
「しっ……しかし、それは、暗黒神めに捧げるためのものでは……」
「いえ、これはキバさんのためにつくりました」
「!」
小鬼は、きらきらと光の粒をまとう小花に、おそるおそる手を伸ばす。
近づくだけで吹き飛ばされそうなパワーを感じたが、受け取ったとたんふわりと、身体の一部のように手になじんだ。信じられないが自分専用のようだ。小鬼は感激してつぶやく。
「か……かたじけない」
「どういたしまして」
メイはにっこりして、別の小皿に乗せた小花数輪を、窓のところに置いた。
「猫神さま、よろしければこちら、お受け取りください。ほんの感謝の気持ちです」
姿の見えない相手に声をかけ、また机に戻ってお供えを折り始める。
小鬼は奇跡の花を抱き、壁の方を向いた。
甘やかに香る花の、やわらかい花びらの端をおそるおそる、ひと口だけかじってみる。
「……!」
強烈な金の光が脳裏に爆発し、ぼん! と全身の毛がふくらんだ。
びりびりと、感電したような衝撃が五体を貫く。
味を感じたのは、そのあとだった。
甘い。しみいるほど甘い。
そしてかぐわしい。
不思議なことに、ちょっとぴりっとする辛味もあった。
ぞわ、ぞわわ、と身体じゅうがふくれあがるほど満たされていくのを感じ──
「……!」
突如。
満腹になった。
おにぎりやおまんじゅうを何個食べても、こんなふうに満腹したことはない。
生まれて初めて腹がくちい。ぱんぱんだ。
「…………」
小鬼は、ほとんどまるごと残っている小花を見つめた。
丸のみなんかしなくて良かった。
どうがんばってもこれ以上入らない。腹どころか、身体がはじけてしまいそうだ。
小鬼は奇跡の小花をそっと、腹の毛の影にしまいこんだ。
がんばって、小分けして食べよう。
食べきるころにはものすごく強くなれそうな気がする──。
「む」
ふと気配を感じて、窓の方をふり返る。
なにもいない。
ただ──
メイが猫神のために置いたお供えの皿が、からっぽになっていた。
◆
異界から戻って三日がすぎた。
メイはその間、寝る間も惜しんで破壊神と稲荷神のためにお供えを折り続けた。
破壊神に供えるぶんは、片端から灰にした。
荼枳尼天へお届けするぶんは、浄化した布袋に入れたうえで、持ち手つきの大型ランドリーバッグに詰めていった。
メイの奇跡の花は本物そっくりだが、ふつうの花とちがって枯れたりしおれたりしない。
ひとつの袋にたくさん入れてもつぶれない。
三日で、六十リットル以上入るランドリーバッグがひとつ、いっぱいになった。
今ではメイの自室だけでなく二階全体に芳香がただよい、母が不思議がっている。
「へえ、これって神さまへのお供えの香りなの? メイが作ってるの? すごいわね」
「ほんとはもっともっと、たくさん作りたいの! うちの神さまのぶんの他に、できるかぎりたくさん、お届けしなきゃいけないところがあって……」
「それはそれとして、学校は行きなさいね」
「ええー」
「学生の本分は勉強でしょ」
「…………」
「なにその顔! なら辞めるとか言い出さないでね! お願いだから、高校ぐらい卒業して」
「でも……」
「ほんとにもう! 最近のあんたは言い出したら聞かないんだから……! 部屋の窓だって結局、ビニールシートもなんにもなしで、二十四時間開けっぱなしだし……」
「だいじょうぶ! 猫神さまが見ていてくださるから、防犯上の問題とかはないです!」
「はいはい、窓はゆずるわ。だから学校、行って。警察官になるのにも必要なんじゃない?」
「あう」
一方、猫神は、母に拾ってもらった恩義を感じているらしく、いつも恩返しのチャンスをねらっている。お手伝いついでに一緒にテレビを観たりもして、もうすっかり仲良しだ。
「ここはやっとくから、メイ、あんたはお供え作っておいでよ」
昨夜も、てぎわよく夕食の後片づけを手伝いながら、メイにそっとささやいた。
「それはそうと、あんたはお母さんに、あんまり心配かけないようにしなくちゃダメだよ」
「そうしてる……つもりですけど……」
「親孝行は生きてるうちしかできないんだから!」
「…………」
「言っとくけど、親に先立つのが、いちばんの親不孝なんだからね」
「……はい」
母と猫神、ふたりがかりで説得されてはかなわない。
メイは今日もしぶしぶ登校した。
小鬼は「スサノオが戻ってきたら知らせてください」と言われ、家で待機している。
家の固定電話の使い方も習った。
まだ念話は使えないし、影伝いに走ったり、飛んで行くより速いからだ。
メイのスマホの番号は、付箋に書いて電話機に貼ってある。
母もほどなく出勤し、すると猫神も姿を消した。どこにいるかはわからないが、なにしろ猫である。近所をパトロールしているか、あんがい屋根の上で隠形しているのかもしれない。
「…………」
誰もいなくなったので、小鬼は腹の毛の影からそっと、食べかけの奇跡の花を取り出す。
三日間がんばってほとんど食べ尽くし、残るは花びら半枚だけだ。
半枚でも、小鬼からすると特大ピザぐらいのサイズがある。
しかも、手にするときらきら、光の粒を舞いあげるそれは霊的エネルギーの結晶だ。
まだ、朝に飲みこんだぶんが消化しきれていない気がして、小鬼は思わず腹をさすった。
「ちと太った……気がするのう」
花びらを持っていない方の手でそっと、額の角の伸び具合を確かめる。
丸く小さい角の「芽」は、まったく大きくなっていなかった。
「ワシは神」
猫神に言われた言葉を、小声でくり返す。
「魂が望むかたちに、ワシはなる」
しかしそう声に出しても、自分の「魂の望み」がなんなのか、さっぱりわからなかった。
「まさか、太鼓腹のでぶ鬼になるのが望み……ということはあるまいが……」
猫神は、日に数個もの奇跡の花を、ぺろりとたいらげ涼しい顔をしている。
破壊神は、お供えの燃え方を見るかぎり、日に数百個、軽々と「受け取って」いる。
そんなとてつもないエネルギーをどうして吸収できるのか、小鬼には想像もできない。
「……まず大食いにならねばならんのかもしれぬな……よし、これも修行ッ」
一回分としては少し大きすぎる、最後の花びら半枚を、小鬼は一気にほおばった。
甘い。
かぐわしい。
辛い。
霊的パワーが強すぎてひと噛みごとに脳裏がまぶしさにホワイトアウト、涙が出た。
無我夢中でごくりと飲みくだす。
「……!」
のどから腹まで、カッと燃えるように熱くなった。
全身の毛が逆立ち、帯電してぱちぱちと小さな火花を散らす。
おさまった。
ふう、とひと息つき、今度こそ少しは伸びたかと、額の角をおそるおそる手探りする。
「…………」
やっぱり、丸く小さい「芽」のままだった。ぜんぜん伸びていない。
小鬼は落胆のため息をついた。
ぱんぱんの腹をさすり、げっぷをする。
すると口から霊気の、金色の陽炎がたちのぼった。
どう見ても食べすぎだ。
さすがに、苦しい。
そのうえ急に、ものすごく眠たくなってきた。
「いや……いかん! ワシは、わたあめから、いざという時の連絡をたのまれて……喰いすぎで寝こけておったなどということになっては、鬼の名折れ……面目が立たぬッ」
あわてて頭をふり、頬をつねり、跳んではね、なんとか眠気を吹っ飛ばそうとがんばるが、どんどんまぶたが落ちてくる。
「でんわ……そうじゃ! でんわのそばにおらねば……」
小鬼はとぷんと影をくぐり、一階居間に置かれた、固定電話のそばに出た。
「わたあめのばんごうはここ……ここに……」
付箋に書きとめた数字を読めば頭がはっきりするかと思ったが、もはやいくらがんばっても目の焦点が合わない。
宙に浮かんだまま、眠気のあまり、頭が左右にぐらんぐらん揺れはじめた。
今や足もとだけでなく、舌までもつれている。
「らいじない! なんのこれすき、れきぬわけが……わけが……」
こくっ、と頭が船をこいだとたん、小鬼は墜落した。
留守電機能つき電話機の上で綿毛の玉のようにはずみ、居間の床に転がり落ちる。
床にのびた小鬼は、酔いつぶれた大酒飲みのように、豪快ないびきをかきはじめたが──
あいにく、起こしてくれるものはいなかった。
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