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化け猫の本懐③

「……?」

 急に、熱気が圧力をなくした。

 発動寸前だった討伐術もほどけて消失してしまい、メイは子猫のキャリーを抱いて丸まったまま、ぼんやりとまばたきする。


 汗に濡れそぼった身体に、ひんやり、心地いい風が当たった。

 おそるおそる、顔をあげる。


 炎が、消えてなくなっていた。


 防御の「一線」の向こう側で、業火にとろけていた舗装もすっかり、冷えて固まっている。


 霊狐があぜんと、こちらを見つめていた。

 メイはキャリーの上から体を起こし、首をめぐらせる。


「え……?」


 最初、自分の横にあるそれがなんなのか、よくわからなかった。

 ひとかかえもある太い柱。でもよく見ると、ふさふさの毛に包まれている。


 大きすぎるが、獣の足だ。

 足先の毛色は白。見あげるにつれ、茶と黒のぶちが目に入る。

 柄の配置に見覚えがあった。


「まさか……ミー……ちゃん?」


 かすれ声を出したとたん、高温にやられたのどが痛み、メイはその場に手をついて激しくせきこんだ。首の後ろや手が、ひどい日焼けのようにひきつれて猛烈に痛む。すると──


 大きな生き物の気配が背後に降りて来て、温かい舌が、メイの頭をやさしくなめた。

(あ……)

 痛みがひいた。


 ひた、ひたとひかえめに舌が触れるたびに、見る間に手の火傷(やけど)──水ぶくれができかけていた──が治り、息が楽になり、高ぶっていた気持ちまで、平らかに鎮まっていく。


 メイはキャリーの中から、子猫と小鬼がいなくなっているのに気づいた。

 からっぽのキャリーを道に置き、背後をふりあおぐ。


「……!」


 神気に輝く巨大な猫が、まばゆい金の瞳でメイを見おろしていた。

 ふつうの猫より毛足が長く、とりわけ顔や首回りがふさふさで、たてがみのようだ。

 長くうねる尾は二本。


 化け猫にはちがいないが、これはもはや「猫神(ねこがみ)」と呼ぶ方がふさわしい。

 毛色は──三毛。

 メイはハッと息をのんだ。

「ま……まさか……まさか、()()()()?」


「ミコは幼名(ようみよう)

 威風堂々たる猫神は色っぽい声で答え、ほほ笑む。


「母はあたしに美夜古(みやこ)という名をくれた。いつかおとなになったら使おうと、とっておいた名だけど今こそ名乗ろう。あたしは美夜古」


 誇り高い名乗りとともに、巨大な猫神は圧倒的神気を放った。

 零課ならS級と評価するにちがいない霊圧に、周囲の空間がゆがみ陽炎が生じる。


 しかしメイが感じたのはやわらかく、やさしいそよ風だけ。

 メイは感謝と感動に言葉をなくし、畏敬の念をこめてそっと、猫神のたてがみに触れる。

 と、そのたてがみの中から、小鬼が目を回して転げ落ちてきた。

 メイはあわてて受け止める。


「キバさん……!」

「ンあ……こ、子猫めが、いきなり……いきなりぶわあっと光りおって……」

 見おろす巨大な猫神に気づいて、小鬼はメイの手のひらの上で目をむいた。

「なっ……ななな……いったいなにが……」


「ミーちゃん、化け猫さんだったんです」

 小鬼に言って、メイはあらためて猫神を見あげる。


「わたし、ぜんぜん気がつかなくて……失礼しました」

「そういう魔法だったんだ。あんたたちはなんにも、失礼なことなんてしちゃいないよ」

 猫神はやさしく答え、無言でたたずむ人型の霊狐をにらむ。

「あたしの家族を焼こうなんて、了見(りようけん)ちがいもはなはだしい! 正体をお見せ」


 牙を見せてうなったとたん、ごう、と異風が巻き起こった。

 霊狐はうるさそうに片手をあげ、防ごうとする。

 だが猫神の風に触れると護身の術も、念までほどけて霧散消失。


 次の瞬間──

 直撃した猫神の風は霊狐の足もとをすくい、変化(へんげ)の術ごと吹き飛ばした。


「!」


 爆煙があがり、風にちぎられ消えていく向こうから、まぶしい白光が射す。

 光り輝く巨大な白い尾が何本も、黄昏の空をバックに扇のように広がり──


「うそやろ、成りたての猫神ごときが……!」


 小山ほどもある巨大な白狐が、九尾をなびかせ着地した。


 メイは凍りついた。

 たぶんこれが、霊狐本来の大きさなのだと直感する。


 純白の巨体は狭い道を完全にふさぎ、肩は家々の二階に届いている。

 空高くうねる、光り輝く尾の一本一本が大樹さながら。

 猫神もじゅうぶん大きいが、九尾の霊狐の前では子猫同然だった。


 霊狐の双眸は、今は金色。

 白い額に、朱筆で描かれたような文様がある。

 神々しいほど美しい。

 そして恐ろしい。


 これは夜叉神だ──とメイは確信する。

 古い、古い、人の歴史より古いもの。

 たぶん夜叉神の中では比較的若いのだろうが、人からすれば大差ない。


 この異界の、無限の広がりのように底知れない、破壊神同様、人知を超えた力を秘めるもの。

 こみあげる恐怖に圧倒されかけた時、猫神が言った。

「怖がることはないよ」

「で……でも……」


「こけおどしさ! メイみたいな子どもを平気で焼こうとする腐れ外道なんかに、まともなことができるわけがない!」

「成りたてのくせに、大口たたきよるわ」

 巨大な霊狐は金の目を細め、いらだたしげに九本の尾をうねらせる。


「猫、おまえ(じぶん)いくつや? 見たとこ百年も生きとらんやろ。まだまだ世間知らずのおちびや」

「うるさいね。そのちびに変化(へんげ)を破られたのは誰さ」


「長生きしたかったら、クシナダ姫置いて行き。したら見逃したるさかい」

「アッハハ、あんた、うすらぼんやり長生きしすぎて、ぼけちまってんじゃないかい? この子はあたしの家族だ! って言ってるじゃないか。置いてくわけないだろ」


 巨大な猫神と、もっと巨大な霊狐はにらみあった。

 全開の、すさまじい神気と神気の衝突に異界の大地が震え、足もとに地割れが走る。

 ふっ、と霊狐の目が真紅に変わった。


「後悔しても知らんで」


 その声音に呼応し、天地が揺らめく。瞬間──


「!!!」


 不条理の極致。

 漆黒の炎が視界を埋め尽くした。


 あまりに黒く、まがまがしく、渦巻き荒れ狂う闇色の炎以外、なにも見えない。

 メイは反射的に身を守ろうとして、

「あ……れ?」

 気づいた。


 熱くない。

 風も感じない。

 黒い炎は猫神の周囲、数メートルを残して世界をなめつくし、通りすぎた。

 消えた。


「!」


 道が、ぐつぐつと煮えたぎるマグマの海に変わっていた。

 左右に建ち並んでいた家も、ブロック塀や駐車中の車まで根こそぎ蒸発し、やはりマグマの海に変わっている。


 沸騰する溶岩の岸では、黒炎にえぐられた無人の家々が、ごうごうと燃えていた。

 柱をなくした家が次々に傾き、マグマの中に崩れ落ちていく。


 あまりの惨状に声を失うメイの頭上で、猫神が大きく息を吸いこんだ。

 ふうっとあたりへ息を吹きかける。

「えっ……」


 ごお! と異風があたりをなぎはらうや、炎はぬぐわれたようにあとかたもなく鎮まり、マグマも黒々と冷え固まった。

 わずかにたちのぼっていた白い煙もすぐに絶え、ひんやりと心地よい風が頬をなでる。


「ミコさん……すごい!」

 霊狐の黒炎を防ぎきっただけでもすごいのに、余波まであっさり鎮めてしまうなんて信じられず、メイは賛嘆のまなざしで猫神を見あげる。


「これぐらい、たいしたことないよ」

 猫神は涼しい顔でうそぶいたが、メイの賛辞がよほどうれしかったらしい。

 雷鳴のような大音量でゴロゴロと、のどを鳴らし始める。


 霊狐はいらだちに毛を逆立てた。

「あー、めんどくさ! 火伏せの猫神なんて、初めてや!」

「この子は渡さないよ。火しか芸がないなら、あきらめて手をおひき」

「せやかてまだほーんのひよっこ、成りたてやん。ただの猫に戻したる」


 ゆら、と輝く九尾が夕空を踊り、見えない因果の糸をつまびく。

 しかし「事象の揺らぎ」もまた、猫神の火伏せの結界に打ち消され、消失した。


 霊狐は驚愕のあまり、紅い目をみはる。

 明らかに格上の破壊神ならともかく、百年も生きていない相手に干渉をはねのけられるとは、思ってもみなかったにちがいない。


 猫神は強気にせせら笑った。

「つまらない真似はおよし。あんたの術はあたしにゃ通用しないよ」

「おちびのくせに生意気なやっちゃ! あんまり調子に乗らん方がええんちゃう?」


 獰猛(どうもう)なうなり声をもらし、牙をむきだす霊狐に、猫神は金の目を爛々(らんらん)と燃やし身構える。

「おや、やるってのかい? 宮仕えのお上品なお狐さまが、ノラ育ちのあたしとまともにやりあえると思うならかかっといで! そのすました顔、ずったずたに刻んでやるよ」

 猫神の四肢の爪が刃物のような音を立てて飛びだし、アスファルトにざくりと食いこんだ。


 メイはあわてて猫神のたてがみをつかむ。

「猫神さま、だめ! この狐さんたぶん一万年とか、それぐらい生きてます! とっくみあいなんかしたら、大ケガしちゃいます!」

「肉を切らせて骨を断つ、って言うでしょ。最後に立ってれば勝ちなの」

「わたしがやります」

「えっ?」


 猫神といっしょに、霊狐もえっ? という顔をした。

「クシナダはん、なに言い出すねん……! もしかして熱さで頭、やられはった?」

「失礼な狐だねッ、この子の傷は全部あたしが治したよ! メイ、なに考えてるんだい」


 心配そうに大きな顔を寄せてくる猫神に、メイは明るく切り出す。

「猫神さまのおかげで、わかったことがいくつかあるんです」

「そうなのかい?」


「まず、猫神さまとお狐さま、おふたりの術でもびくともしないこの異界は、わたしの力では破れそうにありません。さっきの挑戦、猫神さまに止めていただいて助かりましたー」

「! そっ……そんなこと、敵の前でバカ正直にばらしちまってどうすんだよッ」

 あせって毛を逆立てる猫神に、メイはにっこりした。


「いいんです。正直がいちばん! そういうわけで、この異界から出て行きたければ、創り主である狐さんに、出していただくしかありません」

「せや、せや。やっと話通じるようになりはったやん! クシナダはんがおとなしゅう、ついて来てくれはる、ゆうんやったらすぐにでも……」


 ご機嫌で口をはさむ霊狐を気にせず、メイは続ける。


「創り主である狐さんに異界から出していただくために、わたしができることは、ふたつ」

「ふたつ……?」

「脅して、出していただくか……」

「わいを……脅……」

「滅ぼして、異界ごと消滅させるか」

「…………はあ?」


 九尾の霊狐は、ぽかんと口を開けた。

 追い詰められた小娘の、苦しまぎれの冗談と笑い飛ばすべきか、信じられない侮辱だと腹を立てるべきか。混乱してしまい、とっさに反応できない。


 その隙に、メイは猫神にささやいた。

「猫神さま、わたしの心の乱れを、ちょっとの間、鎮めていただけますか」

「あいよ、まかしとき」

 猫神は、メイをたてがみのふところに抱くように身を寄せる。


 メイは目を閉じ、ひとつ、息をついた。

 猫神の支援を得てたちまち、かつてないほど底の底まで、意識が澄みわたる。


 目を見開いたメイの霊光(オーラ)が突如、圧倒的に密度を増した。

 質も変化。バチバチとはじけはじめた霊光(オーラ)に、身の危険を感じた小鬼は、メイの頭上から猫神のたてがみへ跳んで逃げる。


「わたしはあなたに、持てる力を示します」


 メイは唱えた。

 右手をあげ、人さし指と中指をそろえて霊狐──の少し右を指す。


 霊狐の後ろには果てしなく、住み慣れたメイの街そっくりの家並みが続いている。

 地平線まで続いている。

 でも、霊狐の異界に生き物はいない。

 どんな大きな力を放とうと、もとの世界に影響をおよぼす心配もない。


 メイはためらいなく、全身全霊を討伐術に投入する。


「命をかけて、あなたに脅威を知らしめます」


 自分の声がすうと遠ざかり、ふくれあがる霊力に髪が逆立ち、五体が炎上する心地がした。

 もし独力で試していたらほんとうに身体が燃えあがり、死んでしまっていたかも。


 しかし猫神の火伏せの力に支えられた心は微動だにせず、身体も平熱のまま。

 すべての霊的エネルギーが瞬時に、攻撃のイメージに収束する。


 メイは、無人の街を指す自分の指先に初めて、金色のゆらめきが宿るのを見た。


 放つ。



 ぱっ──



 と視野が一瞬、真っ白になった。

 すぐに消え、黄昏の暗さが戻って来たが、目がくらんでしまってすぐにはなにも見えない。


 メイは困惑してまばたきした。

「えっと……」

 九尾の霊狐も猫神も、小鬼さえなにも言わない。

 あたりはしんと静まりかえっている。


 不発だったのかな……と、思いかけた時、やっと視覚が戻ってきた。


「…………え?」


 目を疑う。


 霊狐の横の一戸建てが、土台ごと消えてなくなっていた。

 その向こうの家も。そのまた向こうの家も──およそ数百メートル先までなにもない。


 幅十数メートル、深さ数メートルにわたり、とてつもなく巨大なスコップで削りとったみたいに消失し、えぐれた大地が黒々と、黄昏の闇に沈んでいた。


 なにかが燃えたあとはなく、くすぶっているものもない。

 ただ、下層階を削られたビルがようやく少し傾き、どこか遠くでガラスが割れる音がした。


「あの……な、なんかその……すみません」

 蚊の鳴くような声でつぶやいた瞬間、メイは、息が止まりそうな疲労に圧倒された。


 猫神がすかさず支えてくれなかったら、倒れていただろう。

 初心者ゆえに加減がわからず、一発で全精力を使い果たしてしまったのだった。


 心臓の鼓動がやけに浅く、早い。目の前が暗くなりかけたが、これも猫神の支援でなんとか切り抜ける。


 九尾の霊狐はまだ、信じられないという顔で破壊された街を凝視していた。

 首筋の毛が少し、逆立っている。

 衝撃を与えることはできたらしい。


 でもここで、二発目を撃つ力はないとバレてしまったら台なしだ。

 メイはひそかに呼吸をととのえ──猫神が全力で回復を後押ししてくれているのを感じ、心から感謝する──かろうじて、ふだんと同じ声を出す。

「次は、当てます」


「…………」

 巨大な霊狐が、ぎこちなくふりむいた。

 明らかにひるんでいる。


 メイは確信した。

 霊狐は戦いが好きなわけではない。破壊神とはちがう。

 メイの本能は、今のような攻撃では、この年経た霊狐を滅ぼすには足りないと告げている。


 一撃で滅ぼす気なら、急所を撃ち抜く。それしかない。

 もちろん、当たるとはかぎらない。そもそもメイには、霊狐の急所がどこかもわからない。

 破壊神なら大喜びで、「当ててみろ」と答える場面だ。()が悪いのはメイの方だ。


 でも霊狐は、命がけの戦いなんかしたくない。

 絶対、いやだ。

 なぜなら──


(あ……)


 小さな、小さな、陽炎に似た揺らめきが見えた。


 かたちはまだ、さだまっていない。

 でも踊るように跳ね歩くと、透明な四肢と尻尾がうっすら顕現し、炎のように揺らめく。

 金の目が笑う。


 虚空から、生じて間もない霊狐の幼体は、いたずらものだ。

 気まぐれに花を咲かせ、木を枯らし、生き物を助け、あるいは迷わせる。


 あることとないこと、ありうることとありえないことは霊狐にとっては同じこと。

 事象の揺らぎ、確率の揺らめきこそが霊狐の核であり、本質だ。


 霊狐から見れば、生も死もただの揺らめき。

 繁栄も絶滅もただの揺らめき。

 自分の存在でさえ、あってもないのと同じ。

 ここにいるけど、どこにもいない。


 かくて無邪気に、不運と幸運をまきちらして遊び歩いているところに──

 美しい夜叉女神がやってくる。

「不運な」山火事で燃え落ちた大森林の、熱い灰をはだしの足で踏みしだき、やってくる。


 女神が歩くと灰の中から緑が芽吹く。花が咲く。

 てっきり同類とかんちがいし、じゃれかかる霊狐を女神はやさしくいなし、ほほ笑む。

 太陽のようにまばゆく、ほほ笑んだ。


──「おいで」


 魂が震えた。

 動きを止めた霊狐を大いなる女神の手が、水面(みなも)に浮かぶ月をすくうように──すくいとる。


 瞬間。


 半透明の揺らめきにすぎなかった霊狐は、初めて「かたち」を獲得した。

 真っ白な、子狐の姿になった。

 存在未然の揺らめきから、この時空を生き、旅し、いつか滅びるものとなった。


 子狐は、女神の胸に抱きとられ──

 女神を心から慕い、敬い、命をかけて尽くす、忠実な神使になったのだった。


(ああ……)


 メイは悟る。

 霊狐にとって、女神は主人であると同時に、すべてを与えてくれた母なのだ。

 この夜叉女神は戦いを好まない。

 破壊と殺戮を好まない。


 だから霊狐も好まない。

 永い年月のうちにそうなった。

 できるけど、やらない。やりたくない。


 そもそも、万に一つも戦いで自分が死んでしまったら、誰が母なる女神を救えるのか。

 霊狐は帰らなくてはならない。

 敬愛する女神のもとへ、飢えに苦しむ母のもとへ、(にえ)をお届けしなくてはならない。

 なにがなんでも──!


 メイは霊狐の、あまりにも純粋な思慕に胸を打たれ、つぶやいた。

「……お気持ちは、よくわかりました」

「え……?」


 気の抜けたような声を出す巨大な霊狐の、神々しくも優美な姿を、メイはふり仰ぐ。

 こんなに美しく偉大な存在に、傷などつけたくなかった。たとえできても、やりたくない。

 だからこそ、説得しなくてはならない。

 決然と告げる。


「今すぐ、ご一緒することはできません。契約もしてさしあげられません」

「!」

「でも、それ以外でわたしにできることがあれば誠心誠意、力を尽くしてお手伝いさせていただきます。どうかこの約束をもって、わたしたちをもとの世界に帰してください」

「せ……せやかて……」


「わたしはあなたと戦いたくないんです。あなたの女神さまも、戦いはお望みではないはず」

「……!」

「あなたが傷ついたり、まして、万が一にも滅びたりなさったら、あなたの女神さまはどれほど悲しまれることでしょう」


 メイの言葉に霊狐は動揺し、純白の毛皮が風もないのに激しく波打った。

 メイは、霊狐の無言を肯定と受け取って、声をはげます。

「わたしにできることならなんでもします! でも、準備に少し、お時間をください。わたし霊能者としてほんとに初心者のド新米で、知らないことばかりなので、女神さまのお役に立つ方法とか、零課の上司にも相談したいし……」

「零課に……?」


 たちまちざわ、と殺気立つ霊狐に、メイはくったくなく続ける。

「あ、ほむらさんがわたしを焼こうとしたことは、黙っておくので安心してください。わたしも意地張っちゃったし……落ちついて、最初からもっとちゃんと話し合えば良かったです」

「…………」


「でも、ほむらさんがわたしもろともキバさんや、子猫のミーちゃんまで焼こうとしたのは絶対、良くないです! この異界ではなんにも死なない、とかおっしゃってましたけど、あんなふうに焼きはらわれたら、たとえ命は助かっても魂に傷がついちゃいます」

「…………」


「あなたはお強いんですからもう少し、まわりに気を配ってくださらないと困ります」

 言ってから、メイは気づいた。

 霊狐はそれなりに気を遣っている。だからこそ〈はざまの世界〉には生き物がいない──。


 巨大な霊狐は頭を傾け、まばゆい金の目で、自分に意見する人間の少女を見た。

 少女の危機を救わんと、火伏せの猫神へと成りあがってのけた子猫。それから、その猫神のたてがみに隠れて息をのんでいる、霊狐からすればノミ以下の、小さい小さい小鬼を見た。

 ふっと、その目もとがゆるむ。


「せやなあ。気ぃつけるわ」

「ありがとうございます」

 感謝するメイの前で、九尾の霊狐はまばゆい純白の光を放ち、溶けるように小さくなった。


 街を蹴散らして歩きそうな怪獣サイズから、虎よりは大きいがゾウほどではない、実にささやかな姿へ。

 道の真ん中に、稲荷社の置物そっくりに行儀良くすわり、荒れ果てた街を見まわす。

 白く輝く九尾が揺れた──かと思うと、


「!」


 異界の街はもう、もとの姿でそこにあった。

 業火にえぐられめちゃくちゃになった家並みも、メイの念に消し飛ばされた一角も、電柱からゴミバケツまですっかりもとどおりになり、しんと静まりかえっている。

 なにもかも夢だったのかと思うほどだ。


「……狐につままれたような、とはこのことじゃな」

 小鬼のつぶやきに霊狐は笑った。

「うまいこというやん。まあ、この〈はざまの世界〉はしょせん、にわか仕立ての異界、因果が甘いさかい、ここまでできるねん。現世ではわいかて、ここまではでけへんなあ。壊したら壊れてまうし、殺したら、死んでまう」


 優美な首を傾け、あらためてメイを見る。


「クシナダはん、我があるじ様、荼枳尼(だきに)天様を助けに、ほんまに来てくれはるんやな?」

「準備がととのいましたら、すぐに」

「何日欲しい」

「七日ください」

「ほな、七日後に迎えに行くで」

「はい。お待ちしています」

 答えた次の瞬間。


 メイと猫神と小鬼は、どことも知れない夜の山道に立っていた。



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