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霊狐おののく③

 霊狐はご機嫌だった。

 おしゃれな現代人の姿のまま梢から梢へ、ふわりふわりと跳ねていく。

「上々、上々の出来や! ここまでうまいこといくとは正直、思うてへんかったわぁ」


 人里離れた山奥である。

 あたりに人の通う道はなく、送電線の鉄塔さえ見当たらない。

 見渡すかぎり、紅葉に彩られた山々が美しい。


 静かだった。

 鳥の声ひとつしない。

 もののけの気配もない。


 二時間ほど前、白銀に燃え輝く流星が飛来したからだ。

 流星は、災厄の気配をまき散らしていた。谷に落ちた。もしくは、降りた。


 まず妖怪が、クモの子を散らすように逃げ出した。

 鳥と獣が続いた。


 晩秋なので虫はそう多くなく、活発でもなかったが、羽根のあるものは逃げた。

 今や周囲数キロに動くものはない。


「どないしてクシナダ姫と引き離したもんか悩んどったけど、勝手に離れてくれよった! これがほんまの果報は寝て待て、ちゅうやつやな」

 切れ長な目を細め、霊狐は木立の向こうを透かし見る。


 身軽くひと跳び。

 明るい雑木林の中に、ふうわりと降り立った。


 紅葉した梢から西日が射しこみ、落ち葉におおわれた地面に木漏れ日が踊っている。

 どんぐりの木の下で、小さな破壊神が眠っていた。

 木の根にもたれてすわり、目を閉じている。


 完全に隠形(おんぎよう)し気配を断っていたが、霊狐は事象の揺らぎの申し子。

 神の目をもあざむき、鉄壁の守りもすり抜ける。見えないはずのものも見るぐらい、なにほどのこともない。

 霊狐は慎重に距離をたもち、気配を殺したまま、しばし様子をうかがった。


「……かなり深く、眠ってはる」

 足音を忍ばせ、一歩近づく。

「……反応せえへんな。んん、だいぶ、ひび()ってるんちゃう?」


 首をのばして遠くからのぞきこむ目が、金色に変わった。

 瞳孔がしゅっと、猫のように縦にすぼまる。


「ウソやろ、こいつ霊玉(ウパーラ)が……ふたつもありよる! うっわあ、霊玉(ウパーラ)複数持っとる神さん、久しぶりに見たわ……! それに心臓の座が欠けとる……うわさの、どこぞの龍にとられたゆう霊玉(ウパーラ)は心臓のやったんやな! つまり、もともとの霊玉(ウパーラ)はみっつ……! おっとろし」

 明るい色の髪が獣のように、恐怖に反応して逆立つ。


 霊狐は直接戦闘を好まない。

 敵を排除したければ、因果さえ仕込めばどうとでもなるからだ。


 自滅させるもよし。

 寿命そのものを縮めるもよし。

 今後絶対出会わないよう、細工するもよし。

 対立する意志そのものを曲げ、味方に変えてしまうことだって不可能ではない。


 ただ、求める変化が大きいほど、因果を仕込むには時間がかかる。長い、長い時が必要だ。

 その場その時、即席でできる干渉は、かぎられているからだ。


「せやけど……弱っとる。とうに死ぬほどひびだらけやん。ほんのひと押し、あとちょい押したったら、底の底まで眠らせられる……深く、首ちぎられても目覚めへんほど深く……」

 霊狐はごくりと生唾を飲んだ。


 不穏な欲望に反応し、金の目が真紅に燃えあがる。

「無理や思うとったけど、これならわいの力でも……暗黒神(マハーカーラ)殺して霊玉(ウパーラ)()れるやん! 喰ろうた者を不死にするちゅううわさの霊玉(ウパーラ)……宮様にさしあげればきっとお役に……」

 思わず身体が前のめりになり、変化(へんげ)が破れかけて手の爪がのび、容貌も崩れる。


 霊狐はしかし、ためらった。

 まともに戦えばかなわない相手。失敗は許されない。


 暗黒神(マハーカーラ)はこの状態なら短くても一ヶ月、長ければ数年は目覚めないだろう。

 メイを勧誘するじゃまをされる心配はない。

 ほうっておけばいいのだ。しかし──


「大神の霊玉(ウパーラ)を奪う、千載一遇の好機や……! 気づいてもうたからには、なかったことにはでけへんなあ……!」

 狐と人の間のような顔でぶるっと身震いし、霊狐は真紅の目を燃やして集中する。


 爪がのび、異形にゆがんだ右手をあげ、因果の糸をつまびくごとく、左に一回、右に一回、そうっと払った。


 静寂。


 あるかなしかの風が流れ、明るい梢がそよめく。

 霊狐は息をのんで、木の下で眠る小さな破壊神を見守る。

 その時。


 小さな破壊神の、眠っていてもまっすぐ立っていた頭がゆっくり、傾きはじめた。

 全身を支える力がゆるみ、深い眠りにのみこまれるように、身体が横に倒れかける。

 瞬間。


「!」


 白銀の閃光が爆発した。

 身を裂く爆風を錯覚し、霊狐はとびすさると同時に本性をあらわし地に伏せる。

 虎より大きい純白の狐は全身の毛を逆立て、九尾を護身の術に輝かせて牙をむき出した。

 動けない。


 破壊神は縮身術を吹き飛ばし、本来の大きさに戻って、木の下にすわっていた。

 全身が白銀の炎に包まれている。

 輪郭が揺らめいている。


 ばき、めきめき、と地割れに似た異音が轟き、無数の稲妻が宙空に飛び散る。

 その目はまだ、うっすらとしか開いていなかった。

 まだ、ほとんど眠っている。だが──

 銀の双眸(そうぼう)が、鋼の意志をもって睡魔を押し切り見開かれた瞬間、額の第三眼まで開いた。


「!!!」


 世界が裂けるような音がした。

 聞いた者の魂まで引き裂くような音、正気を打ち砕くような音に、霊狐は悲鳴を噛み殺す。


 破壊神は今や、炎の化身のようだった。

 凄まじい異音をまき散らし、頭蓋を割って──


 顔の左右に、異質な顔があらわれた。


 左に横顔を見せたのは、痩せこけ真っ黒な、殺戮の悪鬼。

 右に横顔を見せたのは、慈悲に輝く菩薩のような顔。

 正面はもとのまま、左右どちらにもくみしない、冷徹にして苛烈な闘志そのものの顔だ。


 顕現(けんげん)した三つの顔に呼応し、腕も割れた。

 悪鬼の黒い腕は憤怒に満ちて宙をかき、菩薩の白い腕は気をなだめるように左右へ開く。

 もとの腕はなにも起きていないかのように、膝の上でくつろいでいる。


 今や、恐るべき破壊神のすべてが、あますことなくその場にあらわれていた。


 顕現(けんげん)圧だけで周囲の山々が根こそぎ消し飛んでいても、不思議はなかった。

 なのに空が暗くなるどころか、まわりの草一本、枯れ葉一枚燃えもせず、腐り落ちもしないのが、逆に奇跡。


 霊狐は、おののいた。


 魂の底から震えあがった。


 暗黒神(マハーカーラ)は、三つの相を持っている。

 大昔、複数の相を持つ夜叉神が、分裂をなしとげた話を聞いたことがあった。

 だが暗黒神(マハーカーラ)は、三個あるべき霊玉(ウパーラ)のひとつを欠き、残るはふたつ。

 これでは分裂できない。こうまでバランスを崩してしまっては、もはや砕け散るしかない。


 そして、これほどけたはずれの霊的エネルギーが一気に解放されたなら──

 近くにいる自分だけでなく、この島国が丸ごと、あとかたもなく蒸発するだろう。


 異界さえも無事にはすむまい。

 愛する稲荷神の坐す神域も、蜃気楼よりあっけなくかき消され、消滅するにちがいない。


 霊狐は後悔のあまり、臓腑(ぞうふ)がねじれる心地がした。

 これは、触れてはいけない相手だった。

 おとなしく眠らせておくべきだった──!


 一方。


 霊狐の干渉をはねのけた破壊神は、おかげで完全に覚醒していた。

 白銀に燃え輝く三つの目で、おびえる霊狐をしげしげとながめる。

 愉快そうに言った。


「なんの用だ」


 あまりに平静な声音に、霊狐は耳を疑った。

 こいつ、この状態で正気なのか? 対話できるのか? ほんとうに?


 信じられなかったが、格上の神に問われて言葉を返さないわけにはいかない。

 霊狐は地べたに伏せたままかろうじて口を開き、声をしぼり出した。


「た……建速(たけはや)素戔嗚尊(すさのおのみこと)! ご無礼なにとぞご容赦を。わいは稲荷神さまにお仕えする、神使の狐におざります。我があるじ様は長年飢えに苦しまれ、もう何百年も、お声ひとつ発しておられまへん。そこで当代クシナダ姫のことでお願いがあり、まかりこしましてん」


「クシナダ?」


「神納五月はんのことです。あの娘は千年にひとりの霊果、神の(にえ)たるクシナダ姫! どうか姫を、我があるじ様におゆずりください」


「だめだ」


「せやかてミコトも、ほんまは姫を、長生きさせたいのとちゃいまっか。姫の霊力が暴走した時、喰うてまう代わりに危ない橋渡ってまで、救いはったやおまへんか」


 破壊神はなにも言わず、かすかに目を細める。

 悪鬼の横顔が不吉にきしみ、牙をむいた。

 菩薩の顔は微動だにせず、すべてを許している──。


 霊狐は必死でまくしたてた。


「わいのあるじ様、荼枳尼(だきに)天様も(にえ)をお召しになる。せやけどあんさんとちごうて、わいのあるじ様は贄の寿命を、一秒たりとも縮めまへんのや! 生ある間に願いをかなえる代わり、死したのちに心臓をもらうだけの、おやさしい契約やねん。姫にとってはあんさんとの契約より、ずうっと得や、思われまへんか」


 ひと息に言ってしまってから、ふたたび霊狐は激しく後悔した。


 灼けつく殺気が猛毒の烈風となって、どっとたたきつけてきたからだ。

 もはや目も開けられない。身体が煙をあげ、あえなく溶け落ちていく心地がした。

 だが息は詰まったものの、実際に身に害がおよぶことはなく、


「ふうん」


 瘴気を吐く悪鬼の顔をよそに、破壊神はむしろ、興味深そうに口の端をあげる。

 頬杖をついてくつろぎ、世間話の気軽さで言った。


「おまえ、メイにその話をしていいぞ」


「……え」


「あいつがおまえを選ぶなら、俺はあいつを手放そう」


「!」


 まさかの言あげ。

 霊狐は自分の耳が信じられず、あぜんと破壊神を見あげる。

 破壊神の、悪鬼の相は怒り狂ってもがき、菩薩の相はほほ笑んでいる。


 正面の顔は、底抜けに愉快そうだった。

 ほとんど親しみをこめて言う。


「狐、おまえ、メイの化粧を手伝う人間に化けてたろう」

「え……」

「証拠があれば首をはねてたところだが、メイの力の封も解いたのもおまえだな」

「う……」

「よくやった」

「!」

「行け」

 (いくさ)神のひと言に打たれ、霊狐ははじかれたようにとんぼを切り、異界に飛びこんだ。


 耳を伏せ九尾をなびかせ、無我夢中で虚空を駆けながら、驚天動地の喜びを噛みしめる。

「ウソやろ……! ウソや! 信じられへん……! まさか……まさか暗黒神(マハーカーラ)が、クシナダ姫を手放す言わはるなんて……」


 喜びのあまり金の目に涙が浮かび、神速の疾走にぬぐわれ後方へきらきらと飛び散る。


「うれしや、あなうれしや、宮様お待ちを、今すぐ、すぐにクシナダ姫を御前(おんまえ)へ……!」

 身をひるがえし、時空のはざまたる異界から、メイの気配を求め現世へと(くだ)ってゆく。

 純白の霊獣はふたたび、人の形をとった。


        ◆


 破壊神は、霊狐が去ったのを見届け、おもむろに第三眼を閉じた。

 左右の顔の第三眼も同時に閉じる。


 しかし悪鬼はなおも、憤怒に(たけ)り狂っていた。

 牙を鳴らし身をよじり、無理やりにでも本体から離脱せんばかり。おかげで五体がきしみ、地割れとも雷鳴ともつかない凄まじい異音が、続けざまに天地を震わせる。


 ついに全身に、白銀のひび割れ模様が浮かびあがった。

 骨の割れ目からあふれる強烈な光が、血肉を貫き肌にまで届いたのだ。

 身体が、今にも砕け散ろうとしているのを感じて、


「許さない」


 破壊神はつぶやいた。

 滅びるのはかまわない。

 しかしここで砕け散れば山の向こうの人の街……いや、国が丸ごと消えてしまうだろう。


 もちろんメイも助からない。

 それは困る。


 こういう事態になりそうな気がして、もっと遠くまで──なんなら月まででも──飛ぼうとしたのだが、できなかった。

 であれば、できることはひとつ。


 破壊神はその底なしの意志力を限界までふりしぼり、爆発寸前の火山を封じるように、おのれの力をねじ伏せた。

 暴れる悪鬼の相も、菩薩の相も「我」と認識。

 強引に統合する。


「……!」


 壊れてはならないものが壊れる、恐ろしい音をまき散らしながら、よぶんな顔はゆっくりと頭蓋にのみこまれ、白銀の炎に包まれて消えていった。

 よぶんな腕ももとの腕と溶け合い、溶けた金属さながら白熱しつつひとつの形に収束する。


 かろうじてもとの姿に戻り、破壊神はあえいだ。

 だがまだ足りない。


 あまりの内圧に身体の輪郭が震えていた。光るひび割れ模様もみるみるうちに増えていく。

 止められない。ならば、


「砕けていい。だが散るな」


 牙をむいて、身体に命じた。

 破壊神の、全身全霊をこめた言霊(ことだま)に、輪郭の震えが一瞬停まる。

 その隙をついて縮身をなしとげた。


「!」

 なにがどう、からみあった結果かはわからない。

 縮身が成功した瞬間、ああ、これで「散る」ことは防げるな、と確信する。

 確信し、ほっとしたとたん──この器に生まれついて初めて、心底、疲れた、と感じた。


 休みたい。

 休まなければならない──という本能に背を押され、破壊神は気配を消す。

 完全な隠形(おんぎよう)を達成してから、ゆらゆらと飛び立った。


 眠い。

 死ぬほど眠い。

 だが、眠っている間に、近づいたやつに丸のみされてもめんどうだ──。


 小さな破壊神は今や、冬眠の季節が迫った獣のように、安全な隠れ場所を探していた。

 力ある妖異はこういう時しばしば、みずから異界を創ってその中へしりぞく。

 だが破壊神には、異界を破る力はあるが、創る力はなかった。

 全身の、光のひび割れ模様が鈍くまたたいている。

 だが、すべては深く封じこめられ、隠形を破ることは、もうない。


 それならもう、どこでもいい──と思った自覚さえないうちに、小さな破壊神は適当な木の根もとに降りていた。雨に流されないよう、無意識に根と根の間のくぼみを選び、横たわる。


 一瞬、晩秋の空が目に映った。

 すぐなにも見えなくなる。

 どこかが壊れたようだ。


 今眠ったら百年か、ことによると千年ぐらい目覚められないかもしれないな、とひとごとのように考える。しかしそれならそれで、メイにとっては幸運だ、俺に喰われずにすむ──と思った時、どこからともなく、メイが、大泣きしながら激怒している気配が伝わってきた。


 知らずに口もとがゆるむ。


「……そうだ。もっと強くなれ」


 つぶやいた声の余韻も消えぬ間に──破壊神は深い、深い眠りに落ちた。




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