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霊狐、おののく①

 メイは緊張もあらわに、真新しい丸いドアノブを握って回す。

 ドアがちゃんと開き、きちんと閉まるのを確認して、安堵のため息をついた。


「あー良かった、ちゃんとついてるー」

「ゆうべはだいぶ、苦戦しておったからのう」

 小鬼は床に、作業で出た木くずを発見、小さいほうきとちりとりでまめまめしく掃き取る。


「前の取っ手をはずすまでは順調じゃったが、穴の位置が合わなんだり、ついたように見えてもドアが閉まらなんだり……ポンコツのそなたの手にあまるのではとヒヤヒヤしたわい」

「わたしもですー」


 昨日、帰ったとたん小鬼がすっ飛んで来て、「そなたの母者(ははじや)暗黒神(マハーカーラ)めの存在に、気づいてしもうたぞッ」と耳打ちしてくれた時には、心底あせった。


 いつものように本棚で寝ていた子猫を抱きあげようとして、破壊神に触れてしまったらしい。

 それで隠形(おんぎよう)が破れたうえ、破壊神が目を覚ましてしまったので気配が爆発。

 母は腰を抜かすほどおびえていたそうだ。


 小鬼は自分専用のおそうじセットを腹の毛の中にしまいこみ、肩を落とした。

「すまぬ、ワシのせいじゃ。母者の電話に気を取られて子猫を見失ったうえ、その子猫を探しているうちに母者にまんまと二階にあがられてしもうた……かえすがえすも口惜しい」


「いいえ、わたしのせいです! わたしがもっと早く、ミーちゃんが部屋に入れないよう対策しておけば……まだ小さいしジャンプしても届かないだろうなんて……甘く見てました」

 実は昨日、こうなったらいっそ母になにもかも打ち明けてしまおう! と、何度か切り出しかけた。


 しかし母はそのたびにさっと席を立ち、背を向け、なにか他のことを始めてしまう。

 返事どころか、目も合わせてくれない。

 全身で拒絶されて話すに話せず、メイはとにかく、ドアノブを鍵つきに替えたのだった。


 慣れない作業で悪戦苦闘したものの、なんとか無事につけられたし、作業中、母が見に来たり、文句を言ったりすることもなかった。

 とりあえずこれで、今後、勝手に部屋に入られる心配はない。

 さっそく鍵を取り出した時、背後から声がした。


「なんで部屋に鍵かけるの」

「!」

 ぎょっとふり返ると母が、階段に半ば隠れるようにしてじいっとこちらをうかがっている。

 不意を衝かれたメイはとっさに、


「ミ……ミーちゃんが勝手に入るといけないと思って! うちのドア、取っ手がハンドルタイプでしょ? それだと賢い猫さんなら開けられるよ、って教えてもらったから、その……」

 早口にまくしたてかけて、しまった! と息をのんだ。


(わ……わたしのバカ! お母さんはもう、スサノオの存在に気づいちゃってる! なのに、せっかく話しかけてきてくれたのにミーちゃんの話でごまかしたら……逆効果じゃない!)


 今こそ打ち明けるチャンス! と、メイは必死で切り出す。

「お母さん、あのね、わ、わたしの部屋には実は……」

「それならいいわ」

 不自然に強い声で、母がさえぎった。


「ミーちゃんが入らなければそれでいいの。さっさと学校、行きなさい。また遅刻するわよ」

 つぶやくように言い捨ててきびすを返し、ぱたぱたと一階に降りて行ってしまう。


「……聞きたくない、というそぶりじゃのう」

 小鬼がメイの足もとの影から頭だけのぞかせ、ささやいた。

 メイはがっくりうなだれる。

 母の信頼を取り戻すのは、かなりむずかしそうだ。


「でも……落ちついてゆっくり話せば、きっとわかってくれるよね」

「そううまくいくかのう」

「キバさん、申し訳ありませんが、良かったら今日も……」

「うむ、家で母者を見張るとしよう。なんぞあったらすぐ知らせにゆく」

「助かります、どうぞよろしくお願いいたします」


 メイは真新しいドアノブをきっちり施錠し、登校した。


        ◆


 ピンポーン、と玄関チャイムが鳴った。

「はーい」

 キッチンで洗い物をしていた母が、手をふきながら出て行く。


 小鬼は影伝いにこっそり、あとを追った。

 昼すぎで、宅配便かなにかだろうと思ったのだが、

「まあ、お義母(かあ)さん!」

 という母の声に驚いてのぞくと、戸口に小柄な客が立っていた。


 白髪の老婦人だが、髪にはパーマをあてているし、地味だがこざっぱりした身なり。身体をよく使うらしく、歳のわりに背筋がのびていて、動きも若々しい。


「順子さん、いきなりじゃまして悪いねえ。元気かい」

 ちょっとしゃがれた声で言いながら、笑顔でメイの母の肩をぽんぽんとたたく。

 小鬼はその手がさりげなく母のケガレを祓ったのを見て、ぎょろ目をむいた。


 霊能者だ!


 さすがはメイの祖母、見かけより強そうだ。そのうえ手慣れている。

 母は祓われたことには気づかず、感激に声を詰まらせた。

「まさかこんなに早く、来ていただけるなんて……」


「行くって言ったじゃないの。それに順子さんが怖いもの、見たって言うし」

「お店の方はだいじょうぶなんですか」

 あわててスリッパを出してすすめる母に、祖母は笑った。


「平気平気。みなさん何十年来の常連さんだし、孫の一大事だって言ったらさっさと行ってやれ、って。髪なんか、半年ほったらかしでも死にゃあしないんだから、って」

「それは……ありがとうございます。今、お茶を……」

「おやおや、可愛い子がいるねえ」

 居間から出てきた子猫に、祖母は顔をしわくちゃにして相好を崩す。


 しゃがみこんで手を出す祖母に、子猫も怖がることなくとことこ近づき、頭をすりつけた。

「いい子だ、いい子だ」

「最近、拾ったんです。迷い猫で……」

「良かったねえ、にゃんこや。捨てる神あれば拾う神あり、だ」


 甘える子猫を上手になでて喜ばせながら、祖母は母にきく。

「この子、名前はなんて言うんだい?」

「ミーちゃん、ってつけました。安直かもですけど、すてきな三毛さんだから」

「いいねえ、ミーちゃん。幸せだねえ」

 にこにこと話すうちに、母娘(おやこ)の不和で乱れた家の空気が、見る間に浄められていく。


 言霊(ことだま)が磨かれている。

 零課課員ほどパワーはないかもしれない。しかし霊能者として年季が入っているのだ。

 小鬼は本能的に逃げ出したくなり、思わず毛を逆立てる。


「そうそう、これ、地元の冷やしまんじゅう。良かったら、メイちゃんと食べてな」

「ええっ、そんな! こちらはなんにも用意してなくて……」

「いいのいいの。それより順子さん、これ冷蔵だから」

「あ、はい! すぐ冷蔵庫入れます」

 紙袋入りのおみやげを受け取り、母はぱたぱたとキッチンへ。


 祖母はおもむろに、そのあとを追うのかと思ったら──


 いきなりふり向いた。

「!」

 思いっきり目が合ってしまい、生きた心地もなく固まる小鬼に、祖母は目を輝かせた。

神鬼(しんき)さまじゃないか。まあ、めずらしいこと」

「!」


「その首飾りはメイちゃんのお手製だね。いつも孫がお世話になっております」

 母をはばかって声は小さく、しかし丁寧に頭をさげる。ポケットを探り、

「良かったらひとついかが?」

 小鬼は、しわだらけの手に乗せてさしだされたあめ玉を、まじまじと見つめた。


 ありふれたあめ玉だが、祖母の霊力がまぶされてほんのり光っている。

 おそるおそる受け取って、驚いた。

 祖母の霊力はメイと同じように、ふうわり甘い。

 同じ系統の力だ。


 祖母はキッチンをのぞいて、お茶の用意でばたばたしている母に声をかけた。

「順子さんや、あたしゃちょっと先に、上を見させてもらいますよ」

「え? あっ、あのそれが……メイが昨日、部屋に鍵つけちゃって……」

 あわてて飛び出してこようとする母を押しとどめて、祖母は笑った。


「平気平気、鍵ぐらい、なんてことないから」

「そ……そうなんですか? でもお義母さん、この家初めてだし、あたしも一緒に……」

「メイちゃんの部屋は、ドアに手作りの名札がかかってる部屋でしょ」

「え? そうですけど……お義母さんにその話、したことありましたっけ……?」


 いぶかる母を、霊能者の祖母は涼しい顔で受け流した。

「順子さんはここにいてな、上でなにか物音がしても、あがって来ちゃいけないよ」

「え……」

「すぐすむから、このちびさんと待っておいで」

 足にすりついて甘えている子猫を抱きあげ、母に手渡す。


 ついでに母の鼻先で、いつも開けっぱなしの居間のドアを、きちんと閉めた。

 きびすを返し、すたすたと、勝手知ったる足取りで階段を登っていく。

 小鬼はあわてて影伝いに追いすがった。


「ばば様よ、いったいなにをするつもりじゃ」

「そう心配しなさんな、孫を助けるだけだから」

「霊力の暴走ならばもうおさまって……」

「まあねえ、そっちは今のところ、問題なさそうだけども」


 祖母はメイの部屋の前に立つと、持参のくたびれたトートバッグを床に置いた。

 水晶の数珠をとりだし手首に巻き、青々とした(さかき)の枝を、反対の手に持つ。

 すっと立ちあがった祖母の霊力が、メイが討伐術を発動した時のようにバチバチし始めるのを感じて、小鬼は青くなった。


「いかんぞ、ばば様! その部屋におるものは、そなたの歯の立つ相手では……」

「あたしゃただ、お願いに来ただけですよ」

「そうは見えんぞ! 良いか、母者はなにも知らぬゆえ驚いてしもうたようじゃが、あやつはああ見えて、零課も認めたれっきとした守護神で……」

「少し、静かにしていておくれ」


 祖母が手のひらで押しやる仕草をしたとたん、小鬼は声が出なくなった。

 身体も動かない。


 メイの首飾りにかかっている護身法術は反応しなかった。小鬼への攻撃の意図がないからだ。

 あせる小鬼をよそに、祖母はメイの部屋のドアに向かって、威儀を正した。


 榊を胸の前に捧げて目を閉じ、しばしなにごとか祈る。

 目を開けると榊の枝をノブに向かって、ほこりをはらうように軽くふった。


 右へ一回。

 左へ一回。


 かちっ。


 鍵があっさり開く音に、小鬼は目をむいた。

 祖母は当然のように手をのばし、ノブを回して、外開きのドアを大きく開け放つ。


 術に縛られ動けない小鬼を廊下に残し、粛々(しゆくしゆく)と室内に入った。

 入ってすぐ左の、本棚の方を向く。

 うやうやしく拝礼した。

「尊き大神さまに畏れながらご挨拶申しあげます。神納五月の祖母、神納キミ子と申します」


 間があった。

 破壊神は眠っていたらしい。

 祖母の「挑戦」の気を浴びてゆっくりと目覚め、ひんやりした気配が広がる。


「なんの用だ」


 物憂げに言った。

 眠いのだ。

 おそらく死ぬほど眠いのだ。


 小鬼は心の中でメイの祖母に懇願した。たのむ、後生(ごしよう)だからそいつを刺激せんでくれ!

 しかし祖母は顔をあげ、小さい姿でも恐ろしい神をまっすぐ見、続けた。

「お願いがあってまいりました。どうか神納五月を解き放ち、自由にしてやってください」


 小鬼は青くなった。

 メイの祖母は、破壊神がメイに「とり憑いている」とでも思っているようだ。

 だがちがう。


 メイによれば、メイは破壊神と取引し、約束を交わしたのだ。

 助けてもらう代わりいつか神と戦う=喰われるというとんでもない約束だが、対等だ。


「あいつは自由だ」

 破壊神はめんどうくさそうに言った。

 眠気がうすれたぶん、いらだちと殺気がにじみ、空気に錆びた鉄のような味が混じる。


 小鬼は恐怖にしびれたが、祖母は退かなかった。

「そんなはずはありません。はかなき定めの人の子が、それも年端も行かぬ小娘が、いと古き大神の御前(おんまえ)で、どうして自由でいられましょう」


 いやいや、わたあめ娘は自由じゃぞ! と小鬼は心の中で叫んだ。

 あの娘は確かに暗黒神(マハーカーラ)の求めに応えよう、神と戦えるよう強くなろうとはしておるが、それはなにより、あの娘がそうしたいからじゃ! あやつはろくすっぽ神を恐れてもおらんぞ! ええいこの術を解け! ワシにしゃべらせんか──!


 しかしいくら心の中でわめいても、メイの祖母に届く様子はない。

 祖母は深々と一礼して続けた。


「人ひとりの命など貴方様にとりましては朝露のひとしずく、うたかたの夢でございましょう。かように御目をとめられるにはおよびません。どうかすみやかにお忘れあそばし、お立ち去りくださいますよう、伏してお願い申しあげます」

「その願いは聞けない」


 破壊神の即答に、小鬼は内心身もだえする。

 バカ者! いくらめんどうでももう少しきちんと説明してやらんか、このトーヘンボク! 

 と考えて、すぐ気づく。


 破壊神が人間相手に説明なんて、するわけがないではないか。

 事情もよく理解しないまま、ずうずうしくも一方的な要求をしてくる人間に対し、律儀に返事をしているだけでも奇跡である。

 本来なら、敵対の意志を抱いて近づいただけで、あっさり斬り殺されているところだ。


 その時──

 祖母が深く頭をさげたまま、核心に切りこんだ。

「どうしても……神納五月を(にえ)としてお召しになるおつもりですか」


 小鬼は驚いた。

 祖母はメイが「いずれ喰われる」部分については、しっかり把握しているようだ。

 破壊神はまたもや、即答した。


「そうだ」


 あまりにも無造作で、無慈悲なまでに純粋な答えに、小鬼は凍りつく。

 夜叉神に二言はない。


 命をかけ、存在を危険にさらしてまでメイを救ったくせに、やはり喰う気なのだ──という事実を目の当たりにして、小鬼は混乱した。やっぱりこいつは理解できん!

 しかしメイの祖母は驚いた様子もなく、平然と言った。


「だと思いました」

 頭をあげたとたん、祖母の霊光(オーラ)がぐんと輝きを増す。

 青々とした榊を胸の前に構え、驚くべき気迫で小さな破壊神に目を据える。


「かくなるうえは是非もなし。畏れながら、わたくし、神納キミ子の身命を賭し、御身を封じさせていただきます」

 破壊神のことだ「やってみろ」と即答するにちがいない、と小鬼は思ったが、


「やめておけ」

 意外にも、小さな破壊神は苦々しげに言った。

「おまえの力では俺に届かん。身のほどを知れ」


「とるにたりない力しかないことは、重々わきまえております。それゆえ命を()けるのです」

「無駄死にだ」

「やってみもしないで、どうしてわかりますか」

「!」

 がち、と刃物がぶつかるような音がしたのは、破壊神がいらだって歯噛みしたから。


 今や、小さな破壊神は怒っていた。

 まれに見る闘志と覚悟で向かってくる獲物を、「人は殺さない」約束ゆえに狩れないから。

 狩れないのに、攻撃させただけで相手が勝手に死んでしまう可能性が高いから。


 そのうえ相手はメイの血族。

 死なせればめんどうなことになる。

 メイの自室でメイの血族──それも、メイのために命を投げ出すほどメイを大事にしている年寄り──が自分を攻撃したせいで死ぬ、という事態は、どう考えても愉快とは言えない。


 この年寄りはちゃんと計算している。

 自分の死で、メイと破壊神のつながりに、傷をつけられればそれでいい、と。

 悪くない戦略だ。

 証拠に、破壊神はすでに動揺している。


 しかし、だからといって譲歩し、勝手な要求をのんでやる筋合いはない。

 断じて、ない。

 それになにより。


 小粒な力しかない人間が、それでも破壊神に挑もうとする蛮勇は、あまりに輝かしかった。

 好ましかった。

 くじくことなどできない。


 先制し、意識を断つ。衝撃を与え戦意喪失させる。どちらもたぶん、たやすかろう。

 だが、やりたくない。

 それこそ破壊神の本質に反するからだ。


 警告はした。

 それでもやるなら、小さき者の無謀な挑戦に敬意を表し、命の輝きを見届けるのみ。

 神速の思考速度を持つ破壊神は、一秒の十分の一で結論に達し、あたかも即答のごとく──

 鋼の声音で言った。


「好きにしろ」


        ◆



 メイの母は子猫を抱いたまま、居間をうろうろしていた。

「どうしよう、ほんとにただ、ここで待ってていいのかしら」

 足を止め、義母が閉めていった居間のドアを見つめるのも、もう何度めかわからない。


 子猫が、なでられることに飽きて、母の腕をよじ登ろうとツメを立てる。

「痛い痛い! こらミーちゃん、おツメ立てたら、痛いでしょー」

 遊ぶ気満々で聞く耳を持たない子猫を、しかたなくソファにおろした時。


 ごとん──と、二階で重たい音がした。

「!」

 息をのんで天井を見あげる。


 午後の日射しで居間は明るく、天井も明るい。

 続く物音はない。怖いほど静かだ。けれど──


「だめ! 音がしてもあがってくるなとか……かえって怖いっ、無理っ!」

 母は居間のドアに突進して開け放ち、そのまま階段を駆けあがる。


「お義母(かあ)さん? 今、変な音がしましたけどだいじょうぶで……」

 鍵が閉まっているはずのメイの部屋のドアがなぜか、いっぱいに開いていた。

 そしてその向こう、室内に義母が倒れている。


「お義母さんっ!」


 母は悲鳴をあげて駆け寄った。

 スリッパの足裏がなにか硬いものを踏んで痛み、あやうくすべりそうになる。

 かまわず義母のかたわらについた膝が、なにかをはじき飛ばした。

「!」


 床に、真っ白に濁った、小さな丸い玉が散らばっていた。

 ついさっきまで透きとおった水晶の数珠だったものだが、今はまるで古い骨の玉だ。

 母にその異常さはわからない。

 わからないが、良くないことが起きたのは一目瞭然だった。


 無我夢中で義母の血の気の失せた口もとに手を当て、息を確かめながら呼びかける。

「お義母さん! お義母さん、聞こえますか……お義母さんっ!」

 かすかにだが息はあった。首筋で脈も確認。


 でも、呼びかけに反応はない。まったくない。

 肌がつめたかった。幼いメイが死にかけた時のことを思い出し、母は真っ青になる。

「き……救急車っ、救急車呼ばなきゃ……」


 エプロンのポケットからスマホを出したが、パニックでうまく操作できない。

 その時。


 ばき──!


 という異音が、耳も割れんばかりに轟いた。


 驚愕のあまり身がすくみ、手も止まる。

 稲妻が大気を裂く時のような、あるいは大きな樹木がまっぷたつに裂け、幹を割って倒れていく時のような凄まじい音がいくつも続き──

「!」


 母は突如、目もくらむ閃光を感じた。

 本棚の上にいる()()が、燃え輝いている。

 背を向けていても圧を感じるほどの光、身体が焼け焦げていく錯覚をおぼえるほどの光だ。


 恐ろしい。


 ()()が義母を打ち倒したにちがいない。

 義母は負けたのだ。


 殺される──!


 母は反射的に義母の上におおいかぶさり、我を忘れて叫んだ。


「出て行って! 今すぐうちから出て行きなさい!」


 瞬間。


 強烈な銀の光がレーザーのように、本棚の上と部屋の窓を結んだ。

 消えた。

 一拍遅れて──

 窓ガラスが粉々に砕け散る。


「……!」

 母は義母をかばって床に伏せたまま、しばらく動けなかった。

 ガラスの破片が落ちる音が、やむ。

 うそのように静かになった。

 ようやく、もう「圧」を感じないことに気づき、おそるおそる顔をあげる。


「な……」

 ガラスがなくなってしまった窓で風にはためくカーテンには、大きな穴が開いていた。

 合繊のレース生地は熱したアイロンでもあてたみたいに溶け、異臭を放っている。

 だがもう、恐ろしいものはいない。

 いなくなった──。


 母は、かじかんだ手が握りしめたままのスマホを思い出し、救急車を呼んだ。




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