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ゆずれない一線①

 破壊神は、眠るメイを見おろしている。

 安らかな寝顔だ。

 昨日は肌は真っ白、くちびるも青かったが、今日は血色がいい。

 ほほ笑んでいるようにさえ見える。


 破壊神は音もなく縮身を解き、気配をほとんど消したままメイの枕元に近づいた。

 メイの心臓の鼓動に耳を傾ける。

 規則正しく、安定している。もう大丈夫だろう。


「良かったな」


 声に出してしまったが、熟睡しているメイは目覚めない。

 破壊神の口もとにうっすら、笑みがにじむ。


 次の瞬間。


 銀の閃光が視界を割った。

 ベッドの金属フレームが、かすかにきしみ──

 突然、くの字に割れ落ちる。


 割れたのは、メイの首の位置。

 ベッド本体もマットレスも、メイのおさげも、線上にあったものはすべて断ち落とされ──

 傾くベッドとともに落ちていくメイの身体から、首が離れる。


 どっと鮮血をほとばしらせる身体の上に、うつむきに落ちかかるメイの頭を、破壊神はつかまえた。

 ついに刈り取った命──奔流となってなだれこんでくる、待ち焦がれた極上の輝きに笑み崩れながら──(にえ)の首を、短くなった髪をつかんで持ちあげる。


 メイの顔は、死してなお安らかだった。

 おそらく、殺されたことに気づいてさえいない。


「良かったな」


 と言う破壊神の声音には、いたわりと嘲笑、哀悼と歓喜がこもっている。

 どういうわけか、メイの首からしたたる血に、激しくそそられた。生まれて初めて、刃ではなく、舌で血を味わおうと乾いた牙をむき、期待に満ちて、メイの生首を口もとへ──



「!」



 目覚めてしばらく、破壊神は、なにが起きたのか理解できなかった。

 病室は、寝静まっている。

 なにも破壊されていないし、メイもすやすやと変わりなく、穏やかな寝息をたてている。


 窓の外がほんのり、白みはじめていた。

 夜明けが近い。

 破壊神は縮身したまま、昨夕、腰を据えた空中にそのまま、すわっていた。


 少なくとも数キロ四方に敵はいない。

 呪い、魔術、なんであれ、なにかに干渉された痕跡もない。

 夜叉神の心臓の拍動にも、乱れはなかった。

 なぜこんな鮮烈な、現実と見分けがつかない幻を見たのか理解できない──。


「…………」


 メイのとなりのベッドの患者が、眠りながらかすかにうなった。

 目をつむったままぴくぴくと身じろぎし、小さく「あぶない……! あぶない……!」とつぶやく。大きくため息をつき、ふたたび深い眠りに落ちた。

 夢を見たらしい。


「…………」


 ああ、そうか──と驚愕とともに理解する。

 今のが「夢」というやつか。

 現象としては知っていても、体験するのは初めてだった。

 そもそも「眠る」ようになったのも最近のことなのだから、当然だ。


 妙に心がざわつく体験だったが、「夢」と言えば無害なものの代名詞である。

 無視しても問題ないだろう──と警戒を解きかけた時。

「……!」

 破壊神はひざに置いた自分の手が、わずかに変形しているのに気づいてぎょっとした。


 爪が伸び、骨が波打ち、刃が出かけている。

 ありえない。

 現実にそうしようという意志決定抜きに、夢ごときに反応して身体が勝手に先走るとは!


 手の変形は、破壊神が気づいたとたん、なにもなかったかのようにおさまった。

 だがこれは──

「…………」


 存在の核を、大きく割ったせいだ。

 おかげで破壊神の意志の自由度はあがった。

 だが同時に、対抗する殺戮の意志も、より自由になったにちがいない。


 もしかすると殺戮の意志は、破壊神の主たる意識が眠り、その支配が弱まった隙をついて、身体を乗っ取ろうとしたのかも。

 やりかねない──と破壊神は考える。


 自分ならきっとそうするし、殺戮の意志もまた、破壊神の一部だからだ。

 破壊神は、欲っするものを容易にあきらめない。

 どんなに不利な状況でも、小さなチャンスをものにすべく、常に隙をねらう。


「…………」

 不可解なことがあるとすれば、殺戮の意志がどうしてそこまでメイを狩りたがるか、だ。

 生存本能が危険因子であるメイを排除したがっているのは知っているが、さっきの夢に、自己の死への恐怖はなかった。


 あったのはきわめて純粋な、殺しの欲求だけ。

 闘いの喜びをあきらめてでも、今すぐメイを殺したい、という渇望だけだった──。


「まさか……そういうことなのか?」


 本当にただ、殺したい。

 ()()()()()()()と自覚して、破壊神は瞠目(どうもく)する。


 永い永い間、飢えていない時の方がめずらしく、殺すことはすなわち喰うことだった。

 分けて考えたことなどなかった。

 だからメイと出会い、飢えから解放された時、飢えていないなら狩る必要はない、と単純に判断していたが──。


 自分は()()()()殺したい、破壊したいのだ。

 必要だからではなく、本能だから。


 翼あるものは羽毛も生えそろわぬうちからはばたき、肉食獣は歯牙が萌え出るや噛みつく。

 同じように、万物を断つ刃を持つ破壊神は、万物を斬り刻まずにはいられないのだ。

 にもかかわらず──


「必要がないから」と、最近は狩ることができる獲物まで見逃している。そのうえ、みだりに殺したり破壊したりできない理由を、あまりにもたくさん見つけてしまった。


 そのせいで、殺戮の意志は飢えている。

 殺戮と破壊そのものに、いまだかつてないほど飢え、(かつ)えている。

 しかも自分の存在を完全に無視され、爆発寸前にいきり立っているのが感じられた。


「……わかった」


 破壊神は、殺戮の意志の主張を認めた。

 自分には──少なくとも今の自分には──真実、殺戮と破壊が必要なのだと認める。


 そのとたん、神の眠りに悪夢をもたらした内的圧力が、ふとゆるんだ。

 存在を認められた殺戮欲はひととき、おとなしくなる。


「…………」


 小さな破壊神はふたたび、眠るメイに目をやった。

 悪夢の中で見たのとそっくり同じ、ほほ笑んでいるようなのんきな寝顔だ。

 霊力はすっかり鎮まり、もう暴走の気配はない。

 今のところは大丈夫そうだ。


 大丈夫でないのはこちらだな、と破壊神は考える。

 深く割れたひびの痛みも残っているし、今や意志まで割れかけている。

 そのうえ人間の霊力を鎮めるなどという、本質に反する暴挙の反動で眠気がひどかった。

 極上の獲物を前にもう一度眠ったら、悪夢が実現しかねない。


 眠るならいつもの場所がいい。

 メイがくり返し祈念を捧げ、破壊神が受け入れて、ある種の聖域と化した祭壇──

 メイの部屋の本棚の上でなら、殺戮の意志は勝手に出て来られないだろう。


「…………」


 小さな破壊神はちらっと周囲を見渡す。

 窓はどれも開いていなかった。

 家の窓と作りがちがい、開け方もよくわからない。

 やむなくドアが開くのを待ち、入ってくる人間のわきをすり抜けて病室を出た。


        ◆


 小鬼は零課課員を探してひと晩じゅう街を駆けずり回り、へとへとだった。

「むう、間もなく夜明けではないか! 零課の連中はいったい、どこにおるのじゃ!」


 妖怪には手当たり次第話しかけ、零課を見かけていないかたずねた。

 霊能者の気配を感じればすっ飛んでいって、様子をうかがった。

 零課の課員が制服を着ているのを見たことがない。勘だけがたよりだ。


 弱そうな霊能者は無視。

 強そうなら礼儀正しく、出会い頭に消し飛ばされないよう注意しつつ、声をかける。

 ちょっと前なら絶対、恐ろしくてできなかったと思う。

 しかしわたあめ娘の命がかかっている。にらまれたり、しっしっと追い払われたり、時には問答無用で攻撃されたりしつつも、めげずに声をかけ続けた。


 工事現場の誘導員。

 コンビニのバイト。

 夜遊び学生(霊力は強かった!)。

 夜中の散歩が趣味の漫画家(小鬼から話を聞きたがってしつこかった)。

 夜道でタバコを吸うサラリーマン。

 豆腐屋。

 空き缶を拾う老人(霊力は怖いほど強かった!)。


 市井の霊能者は思っていたより多かったが、零課を知っている者は見つからなかった。

 もはやよれよれのふらふら。

 空を飛んでも、幼児のこぐ三輪車ぐらいの速さしか出ない。

 その時、


「!」

 護身法術を帯び、淡く金色に輝く竹ぼうきを満載した軽トラが、目の前を通りすぎた。

 お掃除班の配達係だ!


 小鬼は跳びあがり、死にものぐるいであとを追った。

 夜明け前の道はすいていて、軽トラは軽快に飛ばしていく。

 ぐんぐん引き離され、見失うかと思った矢先、軽トラが信号で停まった。


「あれぐらいの距離ならッ」

 影をくぐれば一瞬で車の中じゃ──と勇んで、手近な影に飛びこむ。

「んがッ」

 目から火花が散った。


 防御結界にはじかれた、と気づいたのは車道に落ち、ころころと転がってから。

 路上に大の字にのびた小鬼の頭上で、軽トラがぶるるん、とエンジンを始動した。

 のんびり発車。小鬼を置き去りにそのまま遠ざかっていく。


「んぐぐぐ」

 はね起きたかったが身体がしびれ、すぐには動けなかった。

 メイからもらった護身の首飾りをつけていなければ、消し飛ばされていたかもしれない。


「ええいワシはアホウか、わたあめ娘の家ではあるまいし、零課の車が無防備なはずなかろうが! 油断しすぎじゃ!」

 必死で気合いを入れて立ち直り、遠ざかる軽トラに、影くぐりで必死に追いすがる。

 次の、次の信号で追いつき、サイドミラーにしがみついた。

 フロントガラスに跳び移り、無我夢中でたたきまくる。


「?」

 ハンドルを握っていた作業服姿の男性が、けげんそうに小鬼を見た。

 小鬼の必死の形相にほだされたらしい。

 すぐ路肩に車を停め、ウィンドウを下ろして、礼儀正しくたずねた。


「なにかご用でしょうか」

「零課に至急、連絡をたのみたいッ」

 叫んでから、小鬼は相手に霊力がほとんどないのに気づいた。

 これはふつうの人間ではないか。その失望を察してか、男性はすまなさそうに言う。


「すみません、わたしは妖異が見えるだけの一般職でして、現場の対応は業務外……」

「かまわぬ! ワシは神納五月巡査守護の鬼であるッ。神納五月の霊力が暴走してしもうて生命の危機なのじゃ。ふつうの医者に救えるとは思え……」

「すぐ遠見係に通報します」

 男性はそれ以上聞かずにスマホを取りだした。


 呼び出し音が響き、自動音声が対応。男性の操作に従い『オペレーターにおつなぎします』という音声が流れたが、なかなかつながらない。

 零課は人手不足だそうだし、夜明け前のこんな時間は本来、対応時間外なのかもしれない。


 待ち時間の長さにじれて、小鬼はおずおずと続けた。

「搬送されたのは昨日の夕刻じゃ。搬送先の病院の名称と所在地は……」

「あ、不要です。遠見係は千里眼ですので、どなたを見るかわかっていれば十分なんです」

「それは……すごいのう」

 ぼんやりつぶやいた時、オペレーターが出た。


 女性の声だ。熟睡しているところをたたき起こされたらしく、ものすごく不機嫌。

 非常識な時間なのは間違いない。

 男性はしきりに謝罪しながら、小鬼の話を簡潔に伝えた。


 すると女性の声の表情が変わり──

 数秒、電話口が静かになった。

 それから冷静になにか伝える。男性は「はい、はい、わかりました」とうなずき、

「ありがとうございました」

 とお辞儀して通話を切った。


「どう……どう、どうなったのじゃ? 誰か助けに来てくれるのかッ」

 すがりつくように言う小鬼に、男性はにっこり笑顔を向ける。

「安心してください。神納巡査はすでに快方に向かっているとのことですよ」

「まことか!?」


「神納巡査の守護神が、霊力の暴走を鎮めてくださったそうです」

「そ……そうか。あやつ……やりおったのか」

 安堵のあまり力が抜け、小鬼は地面に落ちかけた。


 気を取り直し、親切に対応してくれた男性に頭をさげる。

「かたじけない。仕事中を呼び止めたうえ、ムダな手間をかけさせてしもうて、すまなんだ」

 男性はあわてて両手をふった。

「ムダなんてとんでもない! 課員の霊力暴走なんて、こちらが先に把握していなければならない事案です。後手に回ってしまって申し訳ありません。通報ありがとうございました」


「そ……それなら良い。邪魔したのう」

 そそくさと軽トラを離れようとする小鬼をしかし、男性は笑顔で呼びとめた。

「あの、あなたは確か、神納巡査の護法のキバさんですよね! お会いできて光栄です」

「え……あ……」


「夜通し零課の課員を探しておられたご様子、お疲れさまでした。今後、このようなことがないよう、さっそく対策を取らせていただきます」

「う……うむ。よろしくたのむ」


「お気をつけてお帰りください。ありがとうございました」

 敬意のこもった一礼を受け、小鬼は感激と誇らしさに胸がいっぱいになる。

「そなたも道中、気をつけよ」

 せいいっぱい威厳をつくろって、とぷん、と手近な影に沈んだ。


 メイが快方に向かっているなら家に帰っても良かったが、やはりメイの様子が気になる。

 影伝いに最短距離をとって病院へ向かい、十分ほどで到着する。


 昨日の夕方、建物を丸ごと包んでいたメイの巨大な霊光は、すっかり消えていた。

 暴走はほんとうにおさまったらしい。


「そういえば、わたあめ娘はこの建物の、どこにおるのであろうな」

 まあ中に入ればわかるであろ、と気軽に影をくぐり、一階待合の床から顔を出したとたん。


「おい」


 破壊神に声をかけられ、小鬼はぼん、と毛を逆立てた。

 声をかけられるまで気づかなかった。目の前に浮かんでいる今も、ほとんど気配がない。

 縮身しているうえに、隠形(おんぎよう)寸前まで気をしぼっている。


 目が半分、閉じていた。

 瞳に光がない。

 ものすごく眠そうだ。

 言った。


「外に出たい」

「で……出ればよかろ」

「どこも開かない」


 窓の開け方もわからんのか、とか、壁ぐらい抜けられんのか、とか言える空気ではなかった。

 おそらく意識が八割方、眠ってしまっている。頭が回っていない。

 それで困って小鬼に声をかけた。

 つまりこれは──夜叉神としては、助けてくれと言っているも同然。


 小鬼は戦慄(せんりつ)した。

 まずい。とてつもなくまずい。

 こやつを早く外へ出してやらぬと大惨事になる……!


 壁や窓どころか病院丸ごと斬り刻まれて崩壊し、ついでに街も消し飛ぶかも──という恐ろしい予感に駆り立てられ、小鬼は「物理的に出られる」出口を探して必死で飛び回る。


 一階の自動ドアは診療時間外でロックされており、センサーを刺激しても開かなかった。

 壁面の大きな窓ははめ殺しで開けようがない。

 天窓も同じ。


 煌々と照明のついた救急外来受付に飛びこみ、窓をあらためる。

 上下二枚のガラスのうち、下がスライドしてあがるタイプの窓を見つけた。

 ロックは手動のものがふたつ。鍵穴がついているので鍵もあるらしい。


 なにも言わず、不気味なほどおとなしくついてくる小さな破壊神にあせりながら、小鬼は手動のロックをひとつずつ、音を立てないようにはずした。

 室内で立ち働く職員が遠ざかるのを待って、窓の下に手をかける。


 鍵がかかっていたら力づくで壊して開けてしまおう、という覚悟でえい、と力を入れる。

 鍵は、かかっていなかった。

 スライド窓はきしみもせず、数センチ開いた。


 瞬間。


 銀の閃光が、小鬼の手もとをすり抜けた。

 気配もなく、微風ひとつ生じなかったのに、小鬼はぞっと総毛立つ。


 窓の外を見やったが、小さな破壊神は刹那に飛び去り、痕跡すら残っていなかった。

 もちろん感謝のひとことなど、あるはずもない。

「……礼にはおよばぬ」

 小鬼はぼそりとつぶやき、音を立てないよう窓をもとどおり閉めた。


 破壊神は家に戻ったのだろう、となんとなく察する。

 眠るためだ。

 あの家は破壊神にとって、おそらくこの世で唯一、安心して眠れる場所なのだ──。

 と気づいたとたん胸がせつなくなりかけて、小鬼はあわてて力いっぱい頭をふった。


「ワシには関係ないことじゃ! あやつはオヤジ殿の仇ッ! 今はかなわぬゆえ機をうかがっておるが、近くにおるのは弱点を探るため! 決してなれあうためではないぞッ」

 小さな拳をつきあげ力説してしまってから、我に返ってしゅんとなる。


「いったい誰に言い訳しておるのやら……それよりわたあめ娘の見舞いじゃ、見舞い」

 気を取り直し、こそこそと受付を出たところでやっと、思い出した。

 メイの病室がどこか、わからない。


「ぐぬぬ、暗黒神(マハーカーラ)めは知っておったはず……病院から出してやる前にきけば良かったわい!」

 とはいえさっきの破壊神はとても、ものをたずねられるような状態ではなかった。

「……まさかあやつ、わたあめ娘に傷などつけてはいまいな」

 急に心配になってきて、小鬼は救急外来の受付に飛び戻った。


 室内のパソコンのディスプレイを順にのぞいてまわる。

 メイの学校の授業で、パソコンの使い方はだいたい理解していた。

 外来患者の記録が日付順に並んでいるものを見つけ、担当者が席をはずした隙を狙ってそっとマウスを操作、画面をスクロールさせる。


 神納五月の名前を見つけた。

 さらに何度かクリック、試行錯誤の末、メイが今いる病室番号を表示させることに成功。

 ちょうど担当者が戻って来たので、画面をそのままにしてデスクを離れる。


「あれ?」

 担当者は、席を立った時と表示がちがうことに気づいたものの、深く考えなかった。

 さっさと不要なウィンドウを消し、仕事に戻る。


 小鬼は影から影へと抜け、たちまち三階の、めざす病室にたどりついた。

「それにしてもあやつめ、影どころか壁ひとつ抜けられんとはあんがい、不器用なやつ」

 山をも吹き飛ばす力を持つ神が、人間がたまたま開けるまで出入り口の前で待ったり、いちいちめんどうくさい通路をたどったりしたのかと思うと、ほんのり哀れになってくる。


「…………」

 いつか思いっきりバカにしてやろう! と心に決めて、小鬼は鼻をきかせた。

 複数並ぶベッドのひとつから、メイの甘い、霊力の香りがかすかにただよってくる。

 こわごわのぞくと、メイが、なにごともなく眠っていた。


 手足はちゃんとそろっているし、死にかけてもいない。

 まだチューブやコードがくっついているが顔色もいいし、いつもどおりの平和な寝顔だ。

 ほっとしたあまり涙があふれかけ、小鬼はあわてて顔をぬぐった。

「くそう、暗黒神(マハーカーラ)め……! 夜叉神のくせにこしゃくな真似を」


 正直なところ、破壊神がメイを助けられるとは思っていなかった。

 助ける気があるかどうかさえ疑っていた。


 だが今は不覚にも、感謝の念で胸がいっぱいだ。

 できないはずのことをやってのけた神への、畏敬の念に圧倒されそうだった。

 悔しいが、あれは思っていたよりずっと奥深い、偉大な神らしい。


「……わたあめよ、命があって良かったのう」

 メイの寝顔をのぞきこみ、小鬼は思う。

 ワシもすぐ強くなるゆえ、待っておれ。ワシはそなたの護法、そなたを守らねばならぬ。あらゆる危難から──そしてそなたのあの、不可解で恐ろしい神からも。


 メイの枕に降りた。

 きょろきょろとあたりを見まわす。

 医者や看護師の中に、妖異を見る目を持つ者がいないとはかぎらない。

 念入りに気配を消し隠形(おんぎよう)を固め──

 小鬼はメイの髪にもぐりこんで、寝た。




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