破壊神、挑む②
手足がしびれ、抑制しきれなかった気が今度は天井を焦がし、カーテンをそよがせる。
だが同時に破壊神は、心が急に解き放たれた感触に、目を輝かせた。
さっきまでよりずっと抵抗なく「助けを求める」ことを考えられる。
だがその時。
(許サナイ)
自分でありながら自分に従わない、完全に分裂した意志がくっきりと、脳裏に響いた。
(許サナイ。殺ス)
なるほど、と理解する。
自ら器を割ったことで思考の自由度はあがったが、生存本能からくる殺意も健在だ。
存在感は対等。強引に押し切ることはできそうにない。
ではどうするか。
説得するしかない──と考える間もなく、
(喰ウ。贄ノ娘、殺ス)
急激に猛烈な飢餓感がこみあげ、殺戮の意志が問答無用で身体を乗っ取りかける。
破壊神はすかさず、主導権を奪い返した。
(許さない)
(娘、モウ死ヌ。死ヌ前ニ殺ス)
乱雑に刃を研ぐ音のような、ざらついた思念は血の味がした。
殺戮への飢え、いまだかつて感じたことのないほどの渇望が、じりじりと思考を焦がす。
(許さない。こいつはまだ、俺と戦っていない)
(モウ死ヌ。戦エナイ)
(助ければ、戦えるぞ)
(助カラナイ)
(やってみもしないで、なぜわかる)
(!)
荒れ狂う殺戮の意志は、それでも破壊神の一部だった。
試しもせずに「できない」とは、口が裂けても言いたくない。だが、それでも抵抗する。
(余計ナコトダ。今、喰ウ方ガ確実)
(全力のこいつと、戦ってみたくないのか)
(!)
殺戮の意志は凍りついた。
メイほど巨大な霊光のぬしが、力を自在に使いこなせるようになったら?
そしてその全力、全技能をもって立ち向かってきたら?
想像しただけで期待のあまりとろけそうになり、殺戮の意志は認めた。
(戦イタイ)
(そうだ。だから助ける)
(デキルノカ)
(やる)
と答えたものの、さっきまでよりずっとやわらかくなり、不安定にもなった破壊神の心は、本来ありえないほど弱気でもあった。
本音を言えば、自信はない──と、はっきり認めることができるほど。
だが、やるしかない。
殺戮の意志はその心の揺れを見て、乾いた牙を鳴らした。
身体を乗っ取る隙を求めて、ざわざわと不穏に渦巻きながらうなる。
(失敗シタラ殺ス)
(いいとも)
破壊神は笑い、なおも不満げな殺戮の意志に釘を刺す。
(だからおまえは邪魔をするな。邪魔したら殺す)
(!)
ふたつの意志はひとつの身体の中でにらみあい──
合意に達した。
「…………」
不意に頭の中が静かになり、小さな破壊神はほっと息をつく。
代わりに致命的割れの痛みがどっと押し寄せ、その衝撃と疲労のあまり、数センチ落下。
だが踏みとどまり、小さな破壊神は笑った。
意外にも、初めてかすかな自信が生まれていた。
今なら、できそうだ。
目を細め、メイの霊光の広がりを瞬時に把握する。
わかってはいたが、大きい。
コントロールには、縮身状態で出せる全力が必要だ。
全力。すなわち、失敗すれば反作用でメイは即死する。やり直しはきかない。
かまわず、気を同調させるため挙げようとした手が震えた。
疲労のせいか、あるいは失敗への不安のせいか。
いいことだ、と破壊神は考える。
メイに波長を合わせるなら、これぐらいでちょうどいい。
目を閉じ、感覚を開く。
さっきまで一滴も受け取るまいと遮断していたメイの気の、甘さがしみこんできた。
メイの、与え尽くす喜び、夜叉神の心性では理解しがたい、しかし、まぎれもない幸福感がまばゆくしみこんできた。
まったく、信じられないほどバカなやつ。
胸の内でひとりごちる破壊神の表情が、ふとゆるむ。
小さな破壊神は目を閉じたまま、我知らず、神々しいほど柔和な微笑を浮かべた。
今、助けてやる。
◆
「!」
楓はハッとした。
病院の建物を丸ごと包むメイの霊光に、一瞬、淡い銀のさざ波が走ったからだ。
破壊神の気にしては繊細でやわらかく、微風がそっとなでるほどの感触しかなかった。
(もしかして、メイが目を覚ました!?)
思わず走り出しかけてメイの母が一緒にいることを思い出し、自制する。
看護師さんに教えてもらい、メイが運ばれた三階の集中治療室に向かうところだった。
入院患者用の配膳ワゴンを追い越す。
おみそ汁のいい香りがした。
「ナースステーションのとなり……って、あそこかしら」
メイの母が不安そうに言った時、楓はあっ、と息をのんだ。
広い廊下を満たすメイの霊光が音もなく、波のひくようにひいていく。
小さくなっていく。
すぐに、行く手のコーナーにある大きめの病室から、光があふれているだけになった。
それも見る間に部屋の中にしりぞき、見えなくなる。
「あそこですね」
楓は確信を持って指さし、メイの母に教えたが、声がかすれた。
メイが目覚めたのではなく、死んでしまった可能性もあると気づいたからだ。
無意識に足が重くなり、小走りに先を急ぐメイの母から遅れていく。
「あの……神納五月の家族ですが」
母はちょうど出てきた看護師に声をかけ、先に中に入った。
楓は戸口手前で立ち止まり、壁の大きな窓から室内をのぞく。
ひとつだけ、霊光に包まれたベッドがあったのですぐ、それとわかった。
間仕切りのカーテンが閉まっていて、メイの姿は見えない。
看護師が母になにか、説明している。
表情が明るい。
快方に向かっているようだ。
ほっとする間にもメイの霊光はさらに小さくなり、ベッドを囲むカーテンの向こうに消えた。
室内を照らすのは当たり前の、通常の照明だけになった。
母は看護師にうながされ、枕元へ入っていく。
楓はそっと、小さな破壊神を探した。
気配がつかめず目で探す。
いた。
メイのベッドを足もと側から見おろせる、天井近くに浮いている。
空中にあぐらをかいてすわり、目を閉じていた。
一階で見送った時の荒れようとは打って変わって、平和な夜のように静まりかえっている。
だが眠っているわけではない。
おだやかだが、断固たる意志が感じられる。
そして楓の目には、破壊神の横顔にうっすら、メイの面影がだぶって見えた。
メイの魂と完全に同調している──と悟って、楓は驚愕に目を見開く。
おそらく、強大無比な夜叉神の意識の一部を明け渡し、吹けば飛ぶ人間の少女の、不安定なあり方を丸ごと受け入れている。そのうえで壊さないよう、コントロールしている。
心底、驚いた。
まさか破壊神に、こんなことができるとは。
(ううん、この神さま絶対、こんなことやったことないはず! 今までなら、やろうとさえ思わなかったはず……!)
やるわけがない。
戦神の本質に反している。
見鬼の楓は、妖異が純粋である理由を経験則で察していた。
彼らを彼らたらしめているのは、その純粋なあり方、そのものなのだ。
あり方の原則を崩したら、それだけで存在が揺らいでしまう。
ひび割れる。
下手をすれば崩壊し、消滅する。
にもかかわらずやってのけた。
破壊神のことだから、存在を危うくする挑戦さえも、楽しんでいるのかもしれないが──。
楓は畏怖に震えた。
同時に、心の底から感謝した。
(メイの神さま……メイを助けてくれてありがとう! ほんとうにありがとう!)
感激のあまり涙ぐみ、楓は壁に隠れてそっと手を合わせる。
そこへメイの母がぱたぱたと戻ってきた。
「野々宮さんも良かったら入って。メイに声、かけてやって」
「あ……はい」
「メイ、まだ目は覚めてないけど、バイタルすごく良くなってきたって。持ち直したって」
うれし涙に目をうるませるメイの母に、楓はごく自然に調子を合わせる。
「良かったー。ほっとしました」
「野々宮さんが救急車呼んでくれたからよ! もう、いくらお礼しても足りないぐらい」
「あたしはなんにも……」
メイの母について病室に入りながら、楓はふと心配になった。
(そういえば……キバ君によればおばさん、妖怪見えるようになっちゃったんだよね? メイの神さま、気配は消してるけど姿隠してないし……万一、見えちゃったらどうしよう)
杞憂だった。
短い面会の間、メイの母はひたすらメイを見つめ、楓と話し、看護師にお礼を言っただけ。
すぐそこに、本物の神が浮かび、娘を守護していることに気づくどころか──
天井に目をやることもなかった。
◆
神納順子は楓を家まで送り、帰宅した。
ご近所さんで、家もバス停ふたつぶんしか離れていないから、たいした寄り道ではない。
どうしても、送りたかったのだ。
ついでに楓の母に挨拶できれば、と思っていたが、楓の家族は留守だった。
「またあらためてご挨拶に」と言う順子に楓は「いえそんな、友だちなんで気にしないでください。それにうち、みんな留守が多いし」と固辞。
しかたがないので「くれぐれもどうぞよろしくお伝えください」と言って辞したが、楓のことだ。両親にはものすごく軽く話すか……なにも言わず涼しい顔をしていそうだ。
思わず、苦笑まじりのため息をつく。
「まあ……わたしだってあの年ごろなら、そうかなあ。でも、じゃあ、ご両親には特になにも言わないとして、楓ちゃんにだけお礼するのはアリよね!」
玄関で靴を脱ぐ間もなく、物音を聞きつけた子猫が居間でみーみー鳴き始めた。
今度はちゃんとケージの中にいるようで、飛び出してこない。
「はいはいミーちゃん、ただいまー。いい子ねー」
子猫のために灯りをつけたままにしておいた居間に入り、ケージの中の子猫に挨拶。
荷物を床に置き、キッチンの灯りをつけた。
手を洗い、やかんを火にかける。
帰りにスーパーで買ってきた、安売りお惣菜を食卓に出した。
温めたいものだけ器に移し、電子レンジにセットする。
居間に戻り、看護師さんが袋に入れて渡してくれた、メイの衣類を洗濯機へ。
体操着はまだかなり湿っていたいた。
「メイったら、こんなに汗かいて……」
そういえば、リレーの代走をたのまれたとか言っていた。練習もずいぶんしたらしい。
「体育祭で……よっぽど無茶したのかしら」
それにしても、救急車で運ばれるほど具合が悪くなるのはやはり心配だ。
しかも今回も、担当医は原因がわからないと言う。
「三歳ぐらいまででこういうの、卒業したと思ってたのに……」
メイが赤ん坊の時は大変だった。
わけもなく高熱を出したり、逆に今回のように体温が急低下して呼吸まで止まりかけたり。
何度も救急に駆けこんだ。なのにどこの病院でも原因がわからず「検査数値に異常はありません。大きくなれば自然に安定しますよ」などと言われるばかり。
思いあまってあちこちの神社でお祓いしてもらったし、お寺でご祈祷もお願いした。
どれかが効いたのか、あるいは医者の言うように、育って丈夫になったのかもしれない。
いつしか救急車を呼ぶこともなくなり、最近はますます元気そうで、ほっとしていたのに。
「…………」
じわっと涙ぐみかけて、あわてて顔をぬぐう。
ピーピー鳴っているやかんの火を止めた。
好きなほうじ茶をいれて気持ちをなだめる。
「だいじょうぶ! お医者様も付き添いいりませんよ、っておっしゃるぐらいなんだから」
担当医はしかしメイの病歴を聞き、なにか見落としているかもしれないから、退院までにできるかぎりの検査はします、とうけあってくれた。
「…………」
症状の原因となるものが見つかればいいのか。なにも見つからない方がいいのか。
どちらもうれしくなくて、湯飲みを手にすわったまま、しばしぼうっとしてしまう。
夫に電話したが、つながらなかった。
午後から何度か送ったテキストメッセージにも、まだ既読がついていない。
単身赴任中の夫は研究職で、没頭すると他のことはすっかり忘れてしまうタイプ。
スマホの管理も苦手だ。
「またどこかにほったらかして忘れて……充電切れちゃってるんだわ、きっと」
でも、いつものんびりのほほんと動じない夫の顔を思い出すと、少し気持ちが落ちつく。
メイが快方に向かっていることを、メッセージで書き置きした。
ひとりきりの夕ご飯をすませ、洗い物の途中で思い出す。
「そうだ、メイのお弁当箱、まだ出してなかった! 洗っといてあげなくちゃ」
居間の床にすわり、メイの通学バッグからお弁当の包みを出した。
もとどおりジッパーを閉めようとする。
「?」
バッグの内ポケットが、ぼんやり白く光っているのに気づいた。
スマホに着信でも入っているのかと、あわてて手当たり次第、中味を出す。
生徒手帳とハンカチ、手作りっぽいお守り袋、定期入れとスマホが出てきた。
どれも光っていない。
「? ペンライトでも残ってるのかしら……」
からにしたつもりなのにまだ光って見える内ポケットをすみからすみまで、丁寧に探った。
なにも手に触れなかった。
だが光は消えていない。念のためもう一度探る。
「?」
定期入れサイズのものに手が触れたので、抜き出した。
「…………」
見たことのない革の定期入れを、まじまじと見つめる。
色は黒。
なのにどういうわけか全体に、うっすら金色の輝きを帯びている。
テーブルの影にかざしてみた。
ぼんやりとだが、確かに発光しているのがよくわかる。
蛍光塗料や蓄光素材の放つ光とはちがう、やわらかい、間接照明のような発光だった。
明るいのに、まぶしくはない。
おそるおそる指先でさすってみたが、熱は感じなかった。
思い切って開いてみる。
「……えっ? ちょっ……なんなのこれ……!」
警察官姿のメイの写真の下に、テレビでしか見たことのない警察章が、燦然と輝いていた。
警察手帳だ。
本物に見える。
ただし金色の警察章が、文字通り「輝いて」いる。
輝く警察章には〈警察庁〉と刻印されていた。
「警察……庁……?」
その文字を目にしたとたん、たった今まで忘却の彼方に埋もれていた記憶が、心の奥底でおぼろにうごめく。その時。
スマホが鳴った。
びくっと跳びあがりかけたが、自分のスマホだと気づいてすぐ取る。
「お父さん!? あのね、今ね……」
てっきり夫だと思い息せき切って話し始めたとたん、年配の女性が答えた。
『もしもし順子さん? キミ子です』
「お義母さん!」
夫の母は七十代。
田舎で小さな美容室を営んでいる。
小柄だが元気なひとで、実家が遠い順子を、自分の娘のように気にかけてくれていた。
ひとり息子の、しかも初孫にあたるメイに対してはさらに猫かわいがり。
目の中に入れても痛くないという比喩がぴったりの、べたべたの甘々だ。
赤ん坊のころから人見知りなメイも、この「おばあちゃん」にはよくなついていた。
メイがまだ小さいころは夫の実家近くに住んでいたから、よく行き来していた。
あずかってもらったこともある。
都市部に引っ越してからも毎年、盆と正月は夫の実家へ里帰りしている。
今年の夏はメイが研修で忙しくて同行できず、メイも義母も、とても残念がっていた。
「あの、ご……ご連絡が遅くなって……」
順子はなにから話せばいいかわからず口ごもる。
すると、義母が言った。
『メイちゃんに変わりはないかい』
「! それが……今日、体育祭の帰りに倒れて……あ、でももう、落ちつきました! お医者様も、もうだいじょうぶだとおっしゃって、目が覚めたらすぐ退院できますよ、って……」
『櫛がね、割れたもんだから』
「えっ……?」
『七五三のお宮参りの時、メイちゃんの髪を結ってあげた、桃の櫛』
「あ……ああ、その節は……」
美容師の義母は三歳のメイの着付けを引き受け、今よりもっとふわふわでもつれやすかったメイの髪を、それは愛らしく、きれいに結ってくれたのだった。
『お祀りしてあった櫛が割れてるのに、今、気づいてな。なんかあったんじゃなかろうかと』
「お……お祀り……?」
『ああ、順子さんには言ってなかったっけ。神納の女は代々、巫女の血筋でなあ』
「え」
『メイちゃんには力がある。ありすぎるぐらい。そんで悪い影響が出てたもんだから……櫛で封じたんだよ。先祖伝来のやり方で……まあ、たいした術じゃないんだけども』
「え」
『……急ぎじゃなさそうだね。うん。今は……鎮まってるようだ』
確信をもってつぶやき、しかしすぐ続ける。
『二、三日中に都合つけて、そっち行くから。なんかあったら遠慮なく知らせてな』
「そんな……お義母さん、お店があるのに……」
『メイちゃんの方が大事。だいじょうぶ、あたしがきっと、なんとかすっから! 順子さんは安心して、よう休んでな』
義母は、仕事場の美容室から電話してくれていたようだ。
客が割りこんだことで、あわただしく通話は終わり──
順子は、手の中で光り続ける警察手帳のことを、義母に話しそこなった。
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