幕間 家猫修行・その2①
子猫は目を真っ黒にして、小鬼をねらっていた。
ふわふわの小鬼は今日は、短いひもを片手にぶらさげている。
そのひもを時々、「しっぽ」みたいにちょろちょろ動かす。おかげですごくネズミっぽい。
子猫は上体を伏せ、不器用にお尻を左右にふった。
短い後ろ足に力がこもる。
飛びかかった。
「うおー、やられるぅー」
小鬼はしっぽに見立てたひもをひきずり、パラララッと早回しの足音をたてて床を駆けた。
つかまりそうでつかまらない、絶妙な速さで逃げる小鬼を、子猫は大喜びで追い回す。
「そこだ! がんばれ! いけぇ!」
居間の床に寝そべり、スマホで動画を撮りながら、子猫に声援を送っているのは楓だ。
そばにすわっているメイは、うれしくて楽しくて、もう顔がゆるみっぱなし。
「キバさん、猫さん遊ばせるの上手なの。いつもいろいろ工夫してじゃらしてあげるんだよ」
「意外と面倒見いいじゃん。ちびニャンもよくなついてるし」
土曜日だった。
お昼すぎ、いきなり楓から『午後にちょっと、メイのとこに子猫見に行っていい?』とメールが届いた時は驚いた。久しぶりに一日オフだったので『もちろんどうぞ!』と返した。
バイトに出ている母にも楓の来訪を知らせたところ、
『えっ、野々宮さんが遊びに来るの!? 大変! リビング掃除して、洗濯物片づけといてね! それとあたしが帰るまで野々宮さんひきとめといて! 今日のシフト、夕方までだから! ケーキ買って速攻で帰るから! よろしく!』
というビックリマークだらけの返信が来た。
楓は午後四時すぎに到着。
挨拶もそこそこに「メイのお母さんが拾ったっていう子猫、どこ? 三毛さんなんだよね」とわくわく顔であがりこみ、それからずうっと子猫を撮っている。
子猫も、今日はメイと小鬼がずっと家にいるので、ご機嫌だ。
「あ」
子猫が小鬼の「しっぽ」──ならぬひもにかじりついた。
ぐい、とひっぱり、小鬼から「むしりとる」ことに成功!
誇らしげにぴん、と短いしっぽを立て、得意満面のどや顔で戦利品をひきずっていく。
「あーん、ニャンコさいこー」
楓はため息をつき、ようやくもそもそと起きあがった。
大量に撮った動画ファイルのチェックにメイも参加、目をみはる。
「え、すごい、どれもかっこいい……! 猫さん目線で迫力あるー」
「これなんかどーよ、飛びかかる瞬間のスローモーション!」
「ええっ……特撮映画みたい! 野々宮さん、映画監督になれそう!」
「怪獣映画と合成して『ミーちゃんの進撃』とかタイトルつけて、ネット配信しちゃう?」
「やってやって!」
「あはは、時間があればねー」
盛りあがるメイと楓のそばに来て、子猫がぽて、と寝そべった。
捕まえたひもを、無心に噛んだり蹴ったりし始める。
「あ、ねえメイ。あのひも、ちびニャンが食べちゃったりしないの?」
「猫さんには噛みきれない、安全なひもです。それでもひとりで遊ばせたらダメだけど、キバさんがちゃんと見ててくれるから」
というメイの声に気をひかれたらしい。子猫はひもをぽとりと落として寄ってくると、よいしょ、よいしょとメイのひざによじ登った。
寝転がって手足をのばし、おなかを見せて甘える子猫を、メイは優しくなでる。
「くうっ、か、可愛いー」
ゴロゴロ、盛大にのどを鳴らす子猫を、楓は羨望のまなざしでのぞきこんだ。
「あたしもなでてみたい……ていうか、抱っこさせてもらってもいい?」
「いいよー。はい、どうぞ」
「きゃあ、感激ー」
初対面の人の膝に置かれて、子猫は一瞬びっくりした顔をしたが、すぐくつろいだ。
おっかなびっくりなでる楓の手の下で、目をつむってゴロゴロ、のどを鳴らし始める。
「あー、いやされるぅ……あたしもいつか絶対、猫飼う!」
「今はダメなの?」
「んー、仕事と学校であんまりうちにいないし、何日も留守しちゃうこともあるし」
「そっか。野々宮さん、忙しいもんね」
「メイだって忙しくしてるじゃん」
「野々宮さんほどじゃないよー。でも、野々宮さんの撮影見て、忙しい理由納得した!」
メイは楓の、これぞプロ! という見事なポージングの数々を思い出し、顔を輝かせる。
「あんなすごいことできるんだもん、ひっぱりだこで当然だよね!」
「メイだってすごかったじゃん。初心者なのにプロ顔負け! 見とれちゃったよ」
ちょっと妬ましそうな顔をする楓に、メイはあわてた。
「えっ、わ、わたしのあれは霊感使って……スタッフのひとの理想のイメージを、乗り移らせたみたいにして動いてただけで……ひとりじゃ絶対、なにがいいかも、どう動いたらいいかもさっぱりわかんなかったし、ほんとになにもかも、みなさんのおかげで……!」
必死で説明するメイに、楓は「なるほどー」と目を丸くした。
「あの時、有名モデルそっくりの身ぶりや表情がいくつか入ってたのって、それでか」
「え……そんなの入ってたの?」
「メイ、パリコレのショウなんて、観たことないよね」
「ないない、一度もない!」
「じゃあカメラマンか、スタイリストさんがファンだったのかな」
子猫をなでる手を休め、楓はあらためてしみじみとメイの顔を見つめる。
「ひとのイメージどおりに動くなんて器用……霊能者って、おもしろいことできるんだね」
「わたしもびっくりしたー。おかげで助かったけど」
「ってあんたはまた、人ごとみたいに」
笑う楓の手を、子猫がぺし、とたたいた。
見ると、不満そうに楓の顔を見ている。ぽかんとする楓に、メイは笑った。
「ミーちゃんね、最近、なでなでする手が止まると、ご機嫌ななめになるの」
「ええー」
「あ、ほら『早くなでなさい、休んじゃダメでしょ』って顔してる。なでてあげて」
「うわ、ちび女王さま! はいはい、申し訳ございません、こんな感じでよろしいですか?」
楓があごの下をくすぐり、耳のうしろをかいてやるとすぐ、子猫はまたゴロゴロ、満悦そうにのどを鳴らしはじめた。自分から楓の手に、小さな頭をすりつけてくる。
「うう……わがままでも……やっぱり可愛い」
「うん。うちに猫さんがいるなんて、夢みたい」
にこにことのぞきこむメイに、楓はふと気づいてきいた。
「そういえばメイはあんまり、子猫の写真、撮らないね」
「撮るより、直接見てたくて。あと、まだスマホにそんなに慣れてないからかなあ」
スカートのポケットからスマホを取り出し、ちょっとファイルを検索する。
「でも、少しは撮ったよ」
「少しってどれぐらい」
「ええと……今のところ全部合わせて……九枚?」
「少なっ」
「これでもがんばって撮ったんだよ? 野々宮さんと……千葉さんにも見せたくて」
「あ、千葉さんにも送ったんだ!」
二年生の男子ラグビー部員、千葉朝陽の名が出て、楓は子猫をなでながら目を輝かせる。
「もしかして千葉さんももう、このちびニャン、見に来たの?」
「ううん、まだ。でもそのうち見に来たい、って」
「おー、いいじゃん! 千葉さん、猫好きかな」
「憧れてるけど、さわれたことないんだって。怖くて」
「えー、うそ、千葉さん、ニャンコ怖いんだ! まさか……子猫でも?」
「どんなにちっちゃくても、目が開いてたらもう、怖いそうです」
「うーん、意外。小さいころに、ひっかかれたりしたのかな」
「そうかも。今度たずねてみようかな」
と思案顔になるメイを、楓は軽くひじでつっついた。
「で、その後、どうなってんの? 少しは進んだ?」
「? なにが進むの? 期末試験の勉強?」
「じゃなくて! 千葉さんとちゃんと、定期的に会ってるのかって話で……」
「あ、それなら今月の頭にちゃんと会ったよ。千葉さんがスサノオに、挨拶のお供え持ってきてくれてね、河原でちょっと腕試し的なことして……」
「腕試しっ……!?」
「千葉さんすごいんだよ! わたしの目にも見えないぐらい、完全に姿消したスサノオに、突きを当てることができたの。それでスサノオが千葉さんのお供えの木刀、受け取って灰にして……すっごくご機嫌になってね」
「ち、ちち、ちょっと待って! 千葉さんラグビー部だったよね? なんで木刀? しかも姿消してる神さまになにを当てたって? なにそれどんな達人? 聞いてないよっ!」
思わず身を乗り出す楓の手を、子猫が噛んだ。
「あイタっ」
驚く楓のひざから、子猫が耳を伏せて跳び降りる。メイがフォローの手を出すより早く、
「バカ者、大声を出すからじゃ」
小鬼がすかさず飛んできて、子猫の目の前をさっと横切り、気をひきながら言った。
「幼い獣はおおむね怖がりじゃ。近くで大声は禁物。気をつけよ」
「ご、ごめんなさい。気がつかなくて」
恐縮する楓の前で、小鬼は子猫をたちまち遊びに誘いこむ。
小鬼の見ちがえるほど大人びたふるまいに、楓は恐れ入って首をすくめた。
「叱られちゃった……! キバ君すごいね、優秀なペットシッターじゃん」
「そうなのー、たよれる鬼さんなのー」
言いながら、メイは楓の、子猫に噛まれた手をそっと確かめる。
ちょっと血が出ているのを見て、軽く治癒術をかけた。
たちどころに傷はあとかたもなく消え、楓は治療されたことにさえ気づかないまま、子猫を世話する小鬼のかいがいしい姿に、感服のため息をつく。
「姿は小さいままだけど、キバ君、ちょっと見ない間に、めちゃくちゃ成長しててびっくり」
「だよね! すごい勉強好きだし、図書室で猫の育て方とかもちゃんと調べてたし」
「ほんとに? すごいじゃん」
「実はね、キバさん、日記も書いてるんだよ」
「えっ……? に……日記? 妖怪が!? うそ!」
驚愕のあまり息をのみ、楓はひと呼吸おいて、メイの肩をつかんだ。
「あたしが聞いてない話、どんだけあるわけ? ひとつずつ! 全部! 話して」
「そういえば最近ずっと、お昼休みにも会えてなかったもんね」
メイは、思いつくままに話した。
小鬼の活躍や成長ぶりを語り、千葉朝陽と小さな破壊神の、対決の顛末を語った。
内気な千葉朝陽がなぜ木刀を持っていたかを話し、どう見ても剣道の天才と思われる千葉朝陽がなぜ、ラグビー部にいるかも話した。
「そういうわけで、千葉さんの木刀なくなっちゃったから、代わりをプレゼントしたんだよ」
なにげなく続けたメイに、楓は目を丸くする。
「プレゼント! あんたが?」
「うん。千葉さん毎日、素振りとかしてる感じだったし、ないと困るだろうな、って思って」
「ほほう、ほうほう」
「せっかくだから護身法術かけて、宅配便で送ったー」
「……今、なんて?」
「? 宅配便で送りました」
「いや、そこじゃなくて……護身法術かけたって……木刀に?」
「うん。いけなかったかな」
「いけなくはないけど……その木刀、霊刀になっちゃってるよ、きっと」
「えー、そんなすごくはないと思うけど」
「だってあれでしょ、学校でこの前、折り紙の剣にかけてたのと同じ術でしょ」
「うん」
「ならもうそれ、立派な退魔の剣だから! 千葉さんもう、歩く魔除けだね! 知らずに素振りでそのへん、浄化しまくってるかも!」
「あはは、まさかー」
晩秋の日没は早い。
子猫が小さな破壊神になついている話をし、小鬼が描いた子猫の絵を見せ、さらにスタジオで助けた妖精たちが、小鬼を英国へ連れて行きたがった話で盛りあがっているうちに暗くなってきたので、メイは灯りをつけ、カーテンをひいた。
玄関灯も点けて、楓をふり向く。
「お母さん、あと三十分ぐらいで帰ってくると思うけど、野々宮さん、まだ時間、平気?」
「だいじょうぶだけど、なんで?」
「お母さんが『帰るまで野々宮さんひきとめといて!』って。ケーキ買ってくるってー」
「えー、そんな気使わなくていいのに」
「野々宮さんがうちに遊びに来るの幼稚園の時以来だし、それにこのあいだ熱出した時は、うちまで付き添ってもらっちゃったしね。お母さんもお礼がしたいんだと思う」
言いながらメイはお茶の準備を始めた。
「野々宮さんはケーキの時は紅茶派? それともコーヒー?」
「コーヒー」
「ごめんね、うち、この、お父さんの買い置きのインスタントしかないけど……」
「あ、ラッキー! その銘柄好みです。濃さは自分で調節するよ」
「はーい。カップはこのサイズでいい?」
「うん、ありがと」
楓は、キッチンでぱたぱたと立ち働く小柄なメイをながめて、ちょっと笑った。
「なんか、ほっとしちゃった」
「え?」
「メイ、元気そうで良かった! オーラも今は、ふつうサイズにおさまってるし、このあいだみたいに、やたらと明るくなったりもしてないし!」
「あ……」
「地下にいるあんたのオーラが、三階にあふれた時は、ほんっと、びびったけどね」
ドシリアスな顔で言う楓に、メイは思わずぴょこんと頭をさげた。
「す、すみません! そのせつは、大変ご迷惑をおかけしたのではないかと……その……」
「撮影すんでたからだいじょうぶ。セッションの最中だったらさすがに困ったと思うけど。オーラがでかすぎるうえに明るすぎて、しばらくなんにも見えなかったし」
「あう」
「あの日はいろいろ押しててゆっくり話聞くヒマなかったけど、ずっと気になってたんだ。ねえメイ、なにがどうして、あんなことになったの?」
「それが……スサノオにもきかれたけど、よくわからなくて」
答えるメイに、楓は驚いたようにまばたきした。
「神さまにもきかれたんだ?」
「うん。あの時、なんか霊力が暴走したみたいになって、ふわふわして、いろいろよくわかんなくなってたんだけど、そしたらスサノオが来て『落ちつけ』って、声かけてくれて」
「へえ、あんたの神さま来てたんだ! あたしは見かけなかったけど……て言うか、神さまが駆けつけるぐらいやばかった、ってことかな」
「そうかも。暴走おさまって撮影に戻るころには、もういなくなっちゃってたけど」
「あはは、あの神さま、ファッションとか撮影とか、ぜんっぜん興味なさそーだもんね」
「そうなのー! せっかくすごくきれいにしてもらったから、ほんの少しでも気づいてもらえたらうれしいかな、なんて思ったのに……」
「それはないものねだりかな。ライオン相手におしゃれしても髪型変えても、意味ないし」
「そうかもしれないけどー」
と楓と笑っている最中、メイははたと思い当たって、輪にした三つ編みに手をやった。
「あ……もしかして……髪?」
「髪がどうかしたの」
ときく楓に、メイは今さらながら、楓に話しそびれていたことを切り出した。
「あの、ちょっと前に、山神さまに神隠しされた話、したよね」
「うん聞いた。帰りが真夜中すぎちゃって、お母さんにむちゃくちゃ怒られた話」
「そう! そうなんだけど、その、山神さまの蔵をお掃除してさしあげて、帰る時にね、山神さまがわたしの髪にちょっと触れて、おっしゃったの。『その髪、とくなよ』って」
「えっ、それってどういう意味……」
「わからなかったの。髪なんて、毎日といてるし」
「だよね」
「だから『とくなよ』って、なんのことかな、って思ってたんだけど……今、山神さまの言葉思い出したのは……なんかね、スタジオでいろいろあってから髪が……軽い気がするの」
「軽いって?」
「うん、うまく言えないんだけど……長年のもつれがとれた、みたいな。ヘアメイクの人が名人で、すごく上手にとかしてくれたし、いい整髪料もつけてくれたから、そのおかげかもしれないんだけど……前よりもつれないような……もつれにくくなった……みたいな」
「へえ、前はそんなにもつれてたの?」
「うん。いつもね、ブラシがすごくひっかかって、もうあきらめてたんだけど……マシなの」
「メイ、リンスとかコンディショナーとか、今まで使ってなかったんじゃない?」
「あ、それ、ヘアメイクの人にも言われたー」
恥ずかしさに首をすくめ、でもすぐメイは真顔に戻る。
「でもね、髪だけじゃなくて、あれから……ずうっと凝ってた肩や首までほぐれた、みたいな……ずうっとかぶさってた、見えない蜘蛛の巣みたいなものが、ふっと消えちゃった……みたいな感じなの。なんだか、すっきり! して、目の前も前より明るい感じでね」
「悪いことには聞こえないけど」
「うん。悪くはないんだけど、霊力の暴走と、髪が軽くなったの、関係ある気がして……野々宮さんは、どう思う?」
おずおずとたずねるメイに、楓はちょっと笑った。
「そういえばメイのオーラがすっごくまぶしくなったのって、前もあったよ」
「え、いつ?」
「メイが仕事がんばりすぎてバテて熱出した日。帰りのバスの中で……そう、確かあたしがメイをからかいすぎて、メイが恥ずかしがってうわーってなった時、いきなりオーラがぶわあっ、てめちゃくちゃまぶしくなってさ、あんたが落ちつくまで前見えないぐらいだった」
「あ……!」
「あの時のオーラがどこまで大きかったかは、メイのとなりにすわってたあたしにはわかんないけど……ふだんとくらべて少なくとも、数倍にはふくらんでたと思う」
推理が大好きな楓は、仮説構築の楽しみに目を輝かせる。
「つまり、メイはストレスがかかって感情が高ぶると、放出パワーがあがるのかも!」
「あ……ありえます」
「スタジオでいきなりモデルの代役に指名される、なんて、どう考えてもストレスマックスだよね。それでパワーが今までにないほど暴走! その結果、今まであんたをひきとめてた、無意識の心理的ブレーキみたいなものも吹っ飛んじゃった……という説はどう?」
「すごい! ありそう! 説得力あるー」
思わず拍手するメイに、楓はしかし渋い顔を向けた。
「でも気をつけないとね。バスの中でオーラ爆発したあと、メイ、へろへろになってたじゃない。今回はなぜか、あんまり疲れなかったみたいだけど……」
「あ、直後はへとへとでした」
「やっぱり! あれ、きっと身体に負担かかるんだよ。しばらくはなにをするにも慎重に、平常心を心がけて……力出しすぎないようにして欲しいな」
「うん、そうするー。スサノオにも『加減しろ』って言われたし」
うなずいた時、なにかがメイのそでをひっぱった。
ふり向くと小鬼が妙に力の入った顔で、かたわらに浮かんでいる。
「キバさん、なんでしょう?」
「うむ」
と、しかつめらしくあいづちを打ち、深呼吸をし、それからやっと小鬼は言った。
「こ……子猫の夕餉の刻限なのじゃが……」
「あ! すみません、気がつきませんでした! すぐやりま……」
動きだそうとするメイを、小鬼はあわてて止める。
「ワ、ワシがやっても良いかのう」
「え……でも離乳食の猫缶……」
「どこにあるかは知っておる。開けることもできるぞ」
「分量を量らないと……」
「一食あたり何グラムかは冷蔵庫に貼ってあるメモで読んだ。電気仕掛けの秤のありかも、使い方も承知じゃ! 猫缶の使い残しは器に移し、冷蔵庫に入れれば良いのであろ?」
ぎょろ目を期待にきらきらさせて、小鬼の全身が「やらせてくれい!」と訴えている。
メイは思わずにっこりした。
「今ならお母さんにも見られないし、ではよろしくお願いします」
「よしっ」
小鬼はうれしさのあまり短い両手でばんざいし、すっ飛んで猫缶がストックしてある棚へ向かった。その小鬼を、待ち構えていた子猫がみーみー、催促の声をあげながら走って追う。
楓が信じられない、という顔で言った。
「ちびニャン、キバ君にごはんねだってる……!」
「時々おやつ、あげたりしてたからかもー」
「ねえキバ君、ほんとに鬼!? グラムがどうとか冷蔵庫使えるとか……あっ! あんなに小さいのにほんとに猫缶、うまく開けた! 器用! って……うそでしょ、は……測ってる……!」
「キバさん、なんでもすぐ理解しちゃうの。すごいよね! 見習わなきゃ、って思っちゃう」
「あたしも欲しい……お手伝い鬼」
ぼそっとつぶやいて、楓はメイに向き直る。
「それにしても、いくらなんでも成長早すぎない? 鬼ってみんな、あんな風なの?」
「わかんない。生まれたての鬼さんに会うのも初めてだし」
「あっという間にめちゃくちゃ強くなりそう……」
「わたしもそう思うー。そういえばキバさん、この前、雷出せるようになったんだよ!」
「えっ……?」
「ちっちゃいけど放電の火花が指先から出るようになったの。バチバチかっこいいんだよ」
「…………」
急に真顔になって黙りこむ楓に、メイは心配になって、
「どうしたの?」
「いや……その派手っぽい能力、ちょっと前のキバ君ならあたしが家につくなり、めちゃくちゃ自慢して見せびらかしてただろうな、って思って」
「あ……」
「なのに今は、ずうっと涼しい顔で、熱心に子猫のお守りしてて、威張りもしない……」
楓は、はああああ、と、自己嫌悪のため息をついた。
「大人になった……て言うか、ほんの半月ほど見ない間に、精神年齢追い越されちゃった気がする。くううっ、悔しい。あたしもがんばらなくちゃ……!」
「ええー、野々宮さんはいつもがんばってるし、じゅうぶんすごいと思うけど……」
「女優、めざそうと思ってるの」
いきなりの爆弾発言に、メイはぽかんとする。
「えっ? で……でも野々宮さんはモデルで……ちゃんと成功してて……」
「背がね、足りないんだよね」
メイよりずっと長身なのに、楓は軽く顔をしかめて、頭の上に手のひらをかざした。
「少なくともあと十センチ! 欲しかったんだけど」
「でっ……でもスタイリストさんが、わたしみたいな背丈でもモデルはできる、って……」
「国内ならね。あたしは世界のランウェイを歩く、ショーモデルをめざしてたの。アジア人ってだけですでに不利なわけだけど、それ以上に絶対、背丈が必要なのよ」
「野々宮さんに、そんな悩みがあったなんて……」
ついしんみりしてしまうメイに、楓は吹き出した。
「あはは、そんな深刻な話じゃないから! そろそろ背が伸びるの止まったなー、っていうのは、ずいぶん前からわかってたし、女優もやりたいことのひとつだし!」
「そうなの?」
「うん。モデルって一生やれる仕事じゃないし、最初から、モデル挑戦の次は、女優に挑戦するつもりだったの。ちょっとタイミングが早まっただけ! 演技のクラスもとってるし、モデルと兼業する人、けっこういるんだよ」
やる気満々でガッツポーズをする楓に、メイはほっとする。
「なんか納得しちゃった! 野々宮さん、このあいだの撮影でも演技力、すごかったもんね! 野々宮さんが動くたびに、いろんなすてきな物語がキラキラ、あふれてくる感じで……」
「あ、その感想うれしい! ありがとー」
「いつから女優さん、めざしてたの?」
「三歳ぐらいから」
さらっと答える楓に、メイはあっけにとられて二の句が継げない。
「えっ? ええっ……さ……三歳……? し、進路考えるには、早すぎない?」
「ほらあたし、見鬼だから」
「? そ、それと女優さんめざすのと、なんの関係が……」
「たぶん物心つく前からかな、ずうっと、オバケなんて見えないふり、気がつかないふり、続けてるうちに、演技にハマっちゃって!」
「あ……!」
メイは胸を衝かれて言葉を失った。
幼いころから亡霊や妖怪がいつも見えていたら……しかもそれを、周囲の誰にもわかってもらえないとしたら、どれほど苦労したことだろう。
「野々宮さん……」
「だーからそういう顔、しなくていいってば」
楓はふたたび吹き出して、我慢できないとばかりに身を乗り出す。
「いや、実際おもしろかったのよ! 『見えそうな』子どもにからんでくるオバケはさ、おどかしてやろう、怖がらせよう、ってどーん、と来るわけじゃない? それを予測してしらっと無視して、いいタイミングであくびしたり、ソーダ飲みすぎてげっぷしたり、アニメのギャグに爆笑してわざと、怖がらせてるオバケすれすれに、顔つきだしてやったりやるわけ。そーすると、どんなにやる気に満ちてるオバケもがっかりして、あーつまんねえな、って顔ですごすご去って行くの。ああ、あたしの演技、オバケにも通用するんだ! もしかしてあたし、名女優? って、めちゃくちゃうれしくなっちゃって!」
ひと息にまくしたて、楓はちょっと照れたように笑った。
「つまり、あたしに役者の英才教育ほどこしてくれたのはオバケたち、ってこと! ヤなやつもいたけど、わりと感謝してるんだよ」
メイは、どう反応していいかわからなくなってしまい、楓につられて笑ってしまう。
「野々宮さん……やっぱりすごいよー」
「いやいや、メイほどじゃないよ」
顔を見合わせてぷっと吹き出した時、玄関で鍵を回す音がした。
がらららっ、と玄関の引き戸を開ける音と同時に、母の声が響く。
「ただいま! ケーキ買って来たわよ! 野々宮さん、まだいるー?」
幕間 家猫修行・その2②へ続く
「可愛い」が満載の章です☆
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