どこまでもハプニング④
楓は心配していた。
メイが撮影の代役にひっぱって行かれてすでに一時間半。
メイクと着付けは最大一時間ほどですむ。とっくに撮影に入っているころだ。
(メイ、写真撮られるの苦手なのに……)
一方、楓の撮影兼見学会はさっき終了、今は交流タイムだった。
「楓さん! 一緒に一枚お願いします」
「はーい」
研修生のリクエストに笑顔で応えながら、楓は責任を感じて気が重くなる。
メイは可愛い。
でも、モデルには向いていないと思う。
人前に立つのが苦手。注目されるのはもっと苦手。
眼鏡なしでは人と話すのにも苦労するほど。
そのうえ、うそをつけない正直者で、不器用。つまり、演技ができない。
スタジオに充満していた薄黒いもやは、メイが浄めてくれたおかげですっかり晴れた。
建物の中も外も見ちがえるほど明るく、おかげで今日はスタッフも見学者も元気だ。だが、
(まさかこんなことになるなんて……! ごめんねメイ、なんとか無事、切り抜けて! おわびにあとでなんでもおごるから……!)
心の中で手を合わせた時、
「?」
一瞬ふわっと足もとから温かい風が吹きあがり、身体が宙に浮いた心地がした。
次の瞬間、
「!」
どっと視界を塗りつぶしたまぶしい光に、楓は声もなく立ちすくむ。
(えっ……これ……)
見覚えがあった。
目がくらむほどまぶしいが、やわらかい純白と輝かしい金色の混じったこの色合いは──
(メイのオーラ!? でっ、でもあの子がいるのは地下で……ここ、三階なのにっ!)
ビルをのみこむほど巨大なオーラを持つ人など、見たことがない。
「楓さん? だ、だいじょうぶですか?」
誰かが話しかけてきたが、メイの強烈、かつ巨大な霊光のせいでなにも見えない。
「ごめんなさい、目……目になんか、入っちゃったみたいで……」
まぶしさのあまり涙が出てきたので、周囲はすぐ信じてくれた。
スタッフの手を借り控え室に戻りながら、楓はメイの無事を祈る──。
同じ時。
建物の軒下でメイの鞄から地図帳を出して広げ、妖精たちにあれこれ教えていた小鬼も、輝く霊光にのみこまれていた。
驚くひまもなかった。
地面から突如噴きあがった黄金の霊光に、小鬼も妖精も、木っ端のように吹き飛ばされた。
ビルをのみこみ黄昏の空高く噴きあがる、巨大な霊光の柱の中に舞いあがり──
たちまち酔った。
メイの霊光は甘く、かぐわしく、神の酒のようだった。
光を飲もうとか、喰らおうとかしたわけではない。なのに、流れに浮かんでほんの数瞬で、小鬼も妖精も泥酔してめろめろになり、わけがわからなくなった。
「おい」
鋭い声とともに揺すぶられ、小鬼は重たいまぶたを開けた。
銀色に輝くなにか恐ろしいものが胸ぐらをつかんでいたが、小鬼はそれがなにかわからなかった。「なにがあった?」ときかれたかもしれない、きかれなかったかもしれない。
相手はすぐ、小鬼に返事ができないことを悟り、小鬼を捨てて消えた。
霊光の柱の外へ放り投げられた小鬼は道ばたの植えこみに落ち──気分よく眠りに落ちた。
同じ時。
メイは絶好調で撮影をこなしていた。
霊感を全開にしてスタッフの理想を吸いこみ、過去にこの場で仕事をしたモデルたちの残像も吸収して、みんなの夢を、求められる前に形にする──。
芸術の女神が乗り移ったかのようなメイを前に、スタジオは異様な熱気に包まれていた。
衣装や背景が変わっても動じない。
送風機の風や、風変わりなライティングを生かすのもお手の物。
メイは今や、子どもの時からこの仕事しかしていないかのように、場になじんでいた。
夢の中で空を飛んでいるような心地だった。
現実味はないけれど、とても楽しい──。
「なにをしてる」
耳もとで硬い声がした時、メイは、とっさになにを言われたのか理解できなかった。
それぐらい「ハイ」になっていた。
撮影に集中しきっていた。
ほとんど自動的に合図の音に合わせて次々ポーズを取り続けながら、数秒たってやっと、あ、もしかしてスサノオ? とぼんやり思う。
その目の前に、小さい破壊神が回りこんできて、言った。
「力を出しすぎだ。しぼれ。燃え尽きるぞ」
(え? 力……なんて出してませ……)
やっと念話を思い出して心の中で返事をすると、破壊神はわずかに顔をしかめた。
ふだんの調子で念じたつもりが、よほどの大音量だったらしい。
「わめくな。自覚しろ。この建物を吹き飛ばす気か」
まさか、そんなことしませんよ……と伝えようとした、まさにその瞬間。
メイは突然、ビル丸ごとを意識の「内」に認識し、あっと息をのんだ。
建物のミニチュアを、胸に抱いているみたいな感じだった。
中で動き回っている人ひとりひとりも、体温から息づかいまでありありと感じ取れる。
驚いたことに自分の身体も、そのひとつだった。
地下スタジオでなにごともなく、生き生きと撮影をこなし続けている。
(え? え?)
見おろすと、三階建てのスタジオの、屋上が見えた。
巨人のような視点の高さに動揺し、メイは実感のない巨大な「からだ」を思わずひねる。
そのとたん、ビルのまわりで街路樹が、見えない手になでられたようにたわみ、揺れた。
(うそ……!)
「動くな。落ちつけ」
耳もとで、破壊神の声がした。
その〈かたち〉は今も小さい光の点として、地下スタジオのメイの身体のかたわらにある。
しかし今、メイは霊力の高まりのおかげで初めて、破壊神の「真の」巨大さを悟っていた。
巨きい。
これほど霊力が高まっているメイでも、あっさりひとのみにできるにちがいない。
軽いひとなでで、根こそぎ刈り取れる。
今はまだ、やらないだけ。
そびえたつ雪山か、底知れない海のような、とてつもない存在への畏怖に魂が震え──
一瞬で頭が冷えた。
メイは破壊神の指示に従い、動きを止めた。
少しでも落ちつこうと「目」を閉じ、身体感覚を取り戻すべく「深呼吸」をイメージする。
「そうだ」
破壊神の声が、わずかにやわらいだ。
「鎮めろ。小さくなれ。ゆっくりでいい」
おまえの器に、おさまるがいい──という声がすうっと遠ざかったかと思うと、
「オッケーです!」
ディレクターの高揚した叫びが耳に飛びこんできた。
メイは棒立ちのまま、まばたきする。
「だいじょうぶ? 疲れた?」
近づいてくるスタイリストの女性にあいまいな笑顔を返し、メイは、寒くもないのにかじかんだ両手を、ぎゅっと握りしめた。
指も腕も震えている。鼓動がやけに速くて、足もとがおぼつかなかった。
「えっ……と……ちょっと休憩、いいですか」
「もちろん!」
スタッフ全員が声をそろえた。
メイはスタイリストの女性に手伝ってもらい、フィッティングスペースで衣装だけ脱ぐと、
「すみません、ちょっとだけ……ひとりにしてください」
たのみこんで押し切り、間仕切りカーテンをひいた。
下着姿のまま、化粧台の前の椅子にたどりつくなり、へたりこむ。
(ソファとかあれば……良かったのに……)
借り物のシルクのシュミーズや、ヘアメイクのひとが丹念に整えてくれた髪が台なしになる心配がなければ、床に転がりたいぐらいへとへとだった。
化粧台の上に未開封のスポーツドリンクがあるのを見つけ、誰の物か気にする余裕もなく、封を切って飲む。目をつむり、ひたすら深呼吸をくり返していると、破壊神の声がした。
「おさまったようだな」
(はい。ありがとうございます、おかげさまで、なんとか……)
念話で答え、目を開ける。
小さな破壊神が、手の届く距離に浮かんでいた。
メイの下着姿にも、神がかった至高のメイクアップにもいっさい関心を示さず、きく。
「なにをしてああなった」
(わかりません。なんか……霊力の調子が良くて、いろんなことがよくわかって、モデルさんのふりをするのに役に立って、うれしくなって……知らないうちに……)
「…………」
(あ、代役をたのまれたんです。それで、ご迷惑にならないようにがんばろう……とは思いましたけど……でも、あんな、わけわかんないパワー出す気はなかったです。ほんとです)
「ふうん」
小さな破壊神は納得できない様子で、音もなくメイのまわりをぐるぐると飛ぶ。
しかしメイの霊力の暴走は、すべての霊的痕跡をきれいに消し飛ばしてしまっていた。なにか「きっかけ」になる術や干渉があったとしても、もう見つけるすべはない。
(あの、でも、どうしてここに? キバさんが呼んだんですか?)
少し体調が落ちついてきてきちんと座り直すメイに、破壊神は答えた。
「ちび鬼なら外で目を回してたぞ」
(えっ)
「あてられたんだろう。小さいやつらにはさっきの霊気は、強すぎる酒みたいなもんだ」
(つまり、酔っぱらって……)
わたしの霊気って、もののけさんたちにとってお酒なの? とびっくりしながらも、メイは、小鬼に害がなかったことにホッと胸をなでおろす。
そういえば小鬼は最初、メイを「わたあめ」と呼んでいた。
お酒。
甘いもの。
どちらにしても食べ物なのね、とちょっと苦笑いしながら、メイは気づいた。
小鬼が知らせたのでないなら、破壊神は自分でメイの異変を察知し、駆けつけてくれたのだ。
もしかすると知らずに大音量で念を放送し、たたき起こしてしまったのかもしれない。
(お騒がせしてすみません。来てくださってありがとうございました!)
陳謝と感謝をこめて手を合わせるメイに、小さな破壊神はおもしろくもなさそうに言った。
「力を出せるようになったのはいいが……器からはあふれるなよ。加減しろ」
(はい、気をつけます)
爆発したみたいに外にはみだしていた霊気が、きちんと身体におさまったおかげだろう。
みるみるうちに元気が戻ってきて、メイはぴょん、と立ちあがった。
身体が軽い。スポーツドリンクをもうひと口飲み、腕をあげさげしたり、ターンしたり、準備運動に入ったところへ、間仕切りカーテンの外からスタイリストの女性の声がした。
「神納さん? 大丈夫?」
「はい! ご心配おかけしてすみません、落ちつきました! 次、いけます」
「良かったあ!」
スタイリストの女性があわただしく入って来て、次の衣装の準備にとりかかる。
「撮影アイテム、まだ半分残ってるからちょっとひやひやしちゃった! ムリさせちゃったかな、ってみんなで話してたとこ。神納さん、初心者なのに……なまじなプロよりうまいからみんなテンションあがって飛ばしちゃって……ごめんね、ペース少し落とすから」
「あ……あはは……」
「ほんとにモデル経験、ないの?」
「え……その……上手なひとを……見る? のが好き……みたいな……」
ただ見るのではなく、霊感で見て体感もろとも写し取るのだが、まあ、ウソではない。
スタイリストの女性は情熱をこめて、うなずいた。
「あなた絶対、才能ある! 背が低いことなんか気にしないで、勉強がんばって! きっと世界に通用するモデルになれるわ!」
「あう」
あっという間に着付けがすむと、待機していたヘアメイクが入って、スタイリストと打ち合わせしながら手早くメイクを手直ししていく。
「このアクセやったら肌に少ぅし、青乗せても映えまっせ」
「いいですね! あ、アイメイクの方にも少し……」
「このラメとか?」
「最高!」
相談しながら衣装に合わせて髪型もがらりと変え、メイは、さっきとはすっかりイメージチェンジしてフィッティングスペースを出た。
すでにスタイリスト、ディレクター、カメラマンの要望は霊感で拾ってある。
でも、さっきまでみたいにふわふわと、宙に浮いたような気分にはならずにすんでいた。
(良かった! なんとか〈あふれ〉ないで残りの撮影、こなせそうー)
ディレクターの指示を聞きながらなにげなくスタジオを見まわす。
(あ……!)
壁際に私服の楓が立っていた。小さく手をふってくれる。
心配そうな顔だ。さっきの霊光の大暴走を、三階スタジオで「目撃」したにちがいない。
(野々宮さん「見え」るひとだから……迷惑かけちゃったかも! あとで謝らなくちゃ)
考えながらメイは、小さい破壊神の姿を探してふり向く。
もし良かったら野々宮さんとちょっと待っててください、そしたら久しぶりに一緒に帰れますから、と言おうと思ったのだが──
つれない神は、とっくに姿を消していた。
5 どこまでもハプニング⑤に続く
5 どこまでもハプニング⑤
二時間後。
「お疲れさまでした!」
「ありがとうございましたー」
撤収作業を終え、とっぷり暮れた夜空のもと挨拶をかわす撮影スタッフはみな、やりきった満足感にあふれていた。モデル代役のメイはひと足先に帰り、もういない。
「いい撮影でしたね!」
「また機会がありましたらぜひ、お声がけください」
それぞれ仕事道具を積んだ車に乗りこみ、いそいそと帰路につく。
いちばん荷物が多いスタイリストの女性が最後にスタジオを出たが、業務用バンで駐車場を出てすぐ、スピードをゆるめた。ウィンドウを下ろす。
「穂村さん、歩きですか? 駅までお送りしましょうか」
大きな鞄を手にとぼとぼ歩いていたイケメンヘアメイクが、驚いたようにふり返った。
「おかまいなくー。帰りに寄るとこ、ありまっさかい」
「そうですか? じゃあお気をつけて」
「ご親切に、おおきにー」
笑顔で手をふる青年に会釈を返し、スタイリスト女性の車はすぐ左折して走り去る。
ヘアメイクの青年は手にした鞄を、重たそうに持ち直した。
ふたたびとぼとぼ、気の抜けた歩調で夜道を歩き出す。
道ばたに自販機を見つけて立ち止まり、鞄を路上に置いた。
ずらりと並ぶ飲料に目移りしながら、ポケットから小銭入れを取り出す。
「あ」
小銭入れのふたが開いていたらしい。派手な音を立てて硬貨が散らばってしまい、
「うあー、またやってもうたー」
青年はあわててしゃがみ、必死に小銭を拾い始める。
「ひい、ふう……百円玉が足らへん。ああもう……!」
「首をはねれば、人間かどうかわかるが」
小さな破壊神が、青年の顔の真横でつぶやいた。
十センチも離れていない。
まばたきもせず、刃のように冷静に、青年を観察し続けている。
しかし青年は気づく様子もなく、拾い集めた小銭を二度、勘定し直し、全額そろったのを確認。ほっとして立ちあがり、缶入りおしるこを買った。
あち、あち、と熱い缶をお手玉しながらその場で開け、おいしそうに飲む。
小さな破壊神はその頭の後ろにすう、と移動しながら、
「人間は首を落とすと死ぬからな。腕一本ぐらいなら平気か……?」
突如、凄まじい殺気を放った。
百メートル以内の妖怪は残らずぎょっとすくみあがり、あとも見ずに逃げ出した。
近所に居合わせた普通人の中でも、勘のいい者は寒気を感じて身震いし、あるいは本能的にわけもなく背後をふり返る。
しかし。
ヘアメイクの青年は反応しなかった。
現代社会にあふれる、普通人の中の普通人、神が鼻先を通っても気づかない凡人そのものの鈍感さでのんびりおしるこを飲み終わり、缶を捨てた。
甘いもので元気が出たらしく、重い鞄を持ち、さっきよりは元気よく歩き出す。
そのポケットでスマホが鳴った。
青年はあわてて鞄を持ち替え、スマホを取り出す。
「はい、穂村ですー。あ、これは……ごっつ久しぶりでんなあ! どないしてはりました」
得意先らしい通話相手と、歩きながら話し始める青年を、小さな破壊神はなおも数秒、じっと見つめていたが、
「…………」
次の瞬間、いなくなった。
飛び去った、と認識すらさせない速さで、去ったのだった。
ヘアメイクの青年はそのままスマホ片手に歩き続け、
「はい、来月やったら大丈夫です。詳細はメールでお願いしますわ……はい、はい、ではー」
通話を切るとスマホのアプリに、今入った予約についてきちんとメモする。
表通りに出た。
狭い歩道を、前後に子どもを乗せた自転車がやって来たので道をゆずる。
「すいませーん!」
大きな鞄をわざわざ抱いてよけてくれた相手に、自転車をこぐ若い父親がすれちがいざま会釈した。後ろの席に乗っている子が、青年の大荷物に、ものめずらしそうな目を向ける。
青年は愛想よく手をふって見送り、また歩き出した。
コンビニの前にさしかかった時、向こうから宅配便のトラックがやってきて停まった。
あわただしく配達員が降りてきて、トラック後ろの扉を開く。
そこへスマホの着信音が響き、配達員は通話を取った。
荷台に背を向けて、再配達の依頼を聞き始める。
ヘアメイクの青年はのんびりした歩調のまま、通話中の配達員のわきをすり抜けた。
当たり前のような顔をして、荷台の空いたところへ、自分の鞄をひょいと載せる。
と、その時。
通話中の配達員のベルトにささっている機器がいきなり、動き出した。
勝手に伝票を印字し、吐き出す。
通話を終えてふり向く配達員の視界から、ヘアメイクの青年はちょっとどいた。
涼しい顔で、配達員がカートに荷物を積みこむのを待つ。
配達員は腰の後ろでひらひらなびく伝票には気づかないまま、積みこみを終えた。荷物を満載したカートを押し、そのまま配達に向かう。
配達員が背を向けたとたん、青年はさっと手を伸ばし、伝票を切り取った。
勝手に積みこんだ自分の大きな鞄に、貼る。
宛先にはなんとかヘアメイクサロンという社名と「穂村様」の宛名が印字されていた。
笑顔でぽん、と鞄をたたき、
「メイク道具一式、一日貸してもろて助かったわあ。ええ道具やった! ありがとさん」
ご機嫌で立ち去りかけてはたと気づき、あわてて戻る。
「あかん! 忘れるとこやった! 他にもいろいろ拝借しとったんやった……!」
ごそごそとポケットからスマホや小銭入れを出しているところに、そのスマホが鳴った。
平然と通話を受ける。
「はい」
『えっ、あれ? つながるやん! す、すんません、わい、穂村言います、スマホなくしてもうて……拾ってくださった方やろか』
「ま、そんなもんですわ」
『あの、今どちらに? どこで拾われました』
「今から送り返すよって、こまかいこと気にせんと」
『送り返すって……どこに?』
「会社。仕事道具の大きな鞄、宅配で送って、行方不明になりはったやろ」
『あっ』
「一日遅れやけどちゃんと届くさかい、かんにんしてや。スマホと小銭入れも入れとくし」
『え? ええっ?』
「あ! 小銭、少うし減ってもうたけどお賽銭や、思てくれたらええねんで。お返しに、ごっつうもうかる仕事入れといたよって、がんばりぃや」
『え? ちょ、あんた誰……』
という声をしりめに通話を切り、ついでにスマホの電源も切った。
小銭入れと一緒に大きな鞄の内ポケットにきちんと収納、鞄のふたをロックする。
配達を終えて戻ってきた配達員の横をすり抜け、誰にも見とがめられずにその場を離れた。
肩をすくめてくすりと笑う。
「誰や、言われても困んねん。まさか正一位稲荷大明神が神使、命婦専女神……なあんて名乗れへんやん! そもそもなぁんで『めのかみ』やねん! わいはオスやて」
踊るように軽やかに歩き出した。
「ま、人間のつけた呼び名なんてどうでもええけどな。わいが呼ばれたい名はひとつだけ。呼んで欲しい相手は宮様だけや……〈ほむら〉て、宮様のお声で……」
せつなそうにつぶやきながらスーパーの店先を通り過ぎる。
そのとたん、軒下に並んだゲーム機がコインも入れていないのにカプセルトイを吐き出し、自動販売機が〈当たり〉の音楽を奏でててぴかぴかと電飾を輝かせた。気づいた買い物客が驚いて寄っていくが、霊狐は見向きもしない。
人型に化けたまま、霊狐はぺろりと、白い指先をなめた。
「あー、神饌の姫……クシナダはん、甘かったなあ! よだれが出そうな霊気やった! 甘うて甘うて、そのうえ……からんどるもん祓ったらどわっと嵩が増えよった!」
切れ長の目を子どものように輝かせて両手を広げ、宙を踏む身軽さで小躍りする。
「なんやあれ、千人ぶんあるんちゃう? 極上の贄や! あの姫なら宮様をお救いできる! すぐ宮様のとこ連れて行こ思たのに……暗黒神のやつ、秒で飛んで来よって」
霊狐の顔が曇ると同時にぱらぱらと、小雨がぱらつき始めた。
コンビニから出てきた女性ふたり連れが雨に気づき、夜空を見あげて驚きの声をあげる。
「えっ……雲ないじゃん。星、見えてる」
「傘いるかな。戻って一本、買っとく?」
「天気雨なら、すぐやむでしょ」
「えー、夜でも天気雨って言うの?」
「言わない? じゃあ、狐の嫁入り?」
二人の会話に、人型の霊狐は通りすがりに、のほほんと割りこんだ。
「狐のご祝儀、ちゅう言い方もありまっせ」
「え」
ふり向いた女性ふたりは、霊狐のすらりと垢抜けたたたずまいに目を丸くする。
思わずたがいにつつきあい「うわ……芸能人?」「おしゃれ……足、長っ……!」小声でささやきあうふたりに、霊狐はにっこりした。
「せやな、今日はごっつうおもろい一日やったさかい、ほんまにご祝儀あげたろ」
人さし指をあげて言ったとたん、ふたりのふところで、ほぼ同時にスマホが鳴った。
片方はメールの通知音。片方は電話の呼び出しメロディ。
偶然にしてはタイミングが良すぎて、ふたりともとっさに動けない。
むなしく鳴り続ける呼び出しメロディに、人型の霊狐は吹き出した。けらけら笑いながら、
「早、取りぃな。うれしい知らせやで。礼はいらへん」
「え?」
半信半疑でそれぞれスマホを取り出すふたりをあとに、霊狐はご機嫌で歩き出す。
数秒後、
「ほ、ほんとですか? ほんとにわたしが……受かったんですか?」
「ウソ! 一等! きゃーっ、生まれて初めてくじ、一等当選した!」
ふたりの女性が喜びの悲鳴をあげた時には、霊狐はすでに、道ばたのビルの屋上にいた。
普通人の目にも映る、「ふつうの」人型を保ったまま、だ。
人通りはむしろ多かったが、目撃者はゼロ。
誰ひとり、歩道を歩いていた若者が突然、軽いひと蹴りで九階建てビルの上まで跳んだことに、気づかなかった。
たまたま、目の前を車が横切ったから。
たまたま、スマホが鳴ったから。
たまたま、店先の広告に気を取られたから。
たまたま──。
全員が〈偶然〉、霊狐の超自然のふるまいを目撃するチャンスを逃したのだった。
しかも霊狐は、霊能者や妖怪がそれと気づくほどの力など使っていない。
ただ、望むだけでそうなる。
霊狐はそういう存在だった。
あたかも蝶の小さなはばたきが、地球の裏側に嵐を引き起こすごとく──
息するように因果律に干渉し、望む未来をたぐり寄せる。
実のところ霊狐自身も、なぜ、そうなるのかを理解してはいない。
望みの未来が「どのように」実現するかも選べない。
だが事象の揺らぎとたわむれ、支配することこそ霊狐の本質であり、楽しみでもあった。
ありえないこととありうることは、霊狐にとってはほぼ同義語だ。
どんなことも起こりうる。
歩くだけで、晴れた空から雨が降る。
ちょっと踊れば、穂さえ出ていない不作の田も、たちどころにたわわに実る。
時間をかけ、丁寧に干渉を積み重ねればとてつもない天変地異もひき起こせるし、遠い未来のありえない出会いを、事前に「都合良く」確定してしまうこともできる。
たとえぱ今日、当代クシナダ、神納五月に怪しまれずに近づくにはとてつもない偶然の連鎖が必要だった。
しかし霊狐は実のところ、今日、偶然を必然に変えるためになにもしていない。
因果のしこみは神域から現世へ、出てくる前にすんでいた。
霊狐は流れに乗っただけ。
それだけで、必要な道具も連絡も、すべて向こうからやってきた。
使い慣れた関西なまりで話す、同じ背格好、近い声質、同じ呼び名のヘアメイクの身分まで、一日ちゃっかり、借りることができた。実は容貌まで、他人のそら似程度には似ている。一日、赤の他人ならぬ霊狐が代役を務めたことに、今後も誰も、気づく可能性はない。
ただ今日の現場にいたスタッフが、「あの日の穂村さんはなんか、神がかってましたね!」と言うぐらいだ。
いつしか本人も記憶があいまいになり、自分が出かけたのだと思うようになるだろう。
そうなるように因果をしこんである。
霊狐は、霊能者はもちろん、神の目をすり抜けるのにさえ苦労したことはなかった。
なのに。
にもかかわらず。
「あれが……暗黒神」
晴れた夜空からぱらつく雨が勢いを増していく。
はるか眼下の歩道で人々が足を早め、あるいは手持ちの傘を広げるのが見えた。
しかしビル屋上にたたずむ霊狐には雨粒ひとつ当たらず、周囲の床だけが濡れていく。
人型の霊狐の瞳は今や、金色に輝いていた。
「なんでやねん、手がかりひとつ与えてへん……わいは完璧に、ほんまに完璧に人間に見えとったはずや! なのに首はねてみよか、みたいに脅しよって……だいたい『人間は首落としたら死ぬ』て……冗談キツいわ! 妖怪かて首落とされたら死ぬっちゅうねん!」
手ぶりつきでツッコんで、今さらながらぞっとした顔で、首筋をなでる。
「さすがに肝が冷えたわ。人間殺さへんて契約、クシナダ姫と結んどるそうやけど……せやなかったらあの戦バカ、あの場の人間、確認のためだけに全員、首はねとったんちゃうか。死んだら人間、塵ぃなったら妖怪……なぁんてな」
冗談めかして言ってしまってから、はたと真顔になって身震いした。
「いやいや……ほんまにやりそでしゃれんならん。野蛮なやっちゃ! 文明以前の神やな!」
今やざあざあと音を立てて降りそそぐお天気雨の向こうで、小さく雷が鳴った。
ぽとっ、と小魚が一匹足もとに落ちてきてぴちぴちはねる。
霊狐はぎょっとした。
「うわ、たんま! 待ってぇな、そこまでは困るちゅうか……目立ってまう、うわあ」
しかし霊狐の気分に反応し、降り続けていたお天気雨は急にはやまず、小魚の出現も一匹では停まらなかった。百匹前後の小魚がどこからともなく降りそそぎ、ビルの下でも歩行者の驚きの声があがる。数秒後にやっと、雨も、小魚の出現もやんだが、
「あー、やってもうた、あー……証拠隠滅……しきれんな」
ビルの屋上でぴちぴちはねる小魚を見渡し、霊狐はげんなりした顔をした。
少しして、下の歩道では「たまたま」魚のにおいにひかれてきた野良猫や、「たまたま」料理好きでかつ冒険心のある人間が、小魚をひろいはじめた。
ビルの屋上にも「たまたま」都会の明るい夜に慣れたカラスがやってきて、せっせと出所不明の小魚をついばみはじめる。ビルの中からも「たまたま」小魚に興味を示す人間が出てきそうな気配に、霊狐は身軽く跳ねた。
となりのビルへ、さらにそのまたとなりへ。
屋上から屋上へと、人型のまま軽々と走りながら、ため息をつく。
「どないしょ。野蛮な暗黒神とケンカはしたないし、クシナダはんは思うとったよりずうっと幸せそうにしてはるし、望みのあらへんおひとを勧誘するんはややこしいし……」
はたと思いつきに顔を輝かせた。
「せやったら少し、困らしてみたらええやん! クシナダはん、困りごとの種はぎょうさん持ってはるようやし、つつけばすぐ火ぃつくやろ。戦バカの暗黒神に人の世のもめごとなんて解決できるわけあれへんし、そこへわいが助けに入って信頼してもろて……万事解決や!」
罪悪感のカケラもなく、にいっと口の端を両端にひいて笑う。
「ま、わいがなにをどないしようと結果はもう決まってるしなぁ。クシナダ姫は必ず、宮様の御前にやってくる……! ああ、楽しみや」
つぶやいた瞬間。
事象の揺らぎの申し子は、どこへともなくかき消えた。
「面白い!」「続き読みたい」と思われた方は、はげみになりますのでぜひぜひブックマーク、下の評価をよろしくお願いします~☆




