どこまでもハプニング③
五分後。
「ヘアメイクさん、間もなく到着です!」
カーテンの外から声をかけられた時には、メイはすでにくたくただった。
制服を脱いで、採寸され、高価そうなランジェリーをいくつか試着。
合うものを見つけ、着方をレクチャーされ、姿勢についても注意を受けたあと、「今からメイクだから」と渡されたバスローブが、どこもかしこも大きすぎてまごまごし、やっとなんとか身につけ終わったところにこれだ。
(な、なんで……どうして、こんなことに……)
零課のはたきは「私物はそこのかごに入れて」と言われたかごに入っていた。
いつも首からかけている月の石入りお守り袋にスマホ、財布、着て来た服一式、それに、人見知りを悟られないための、たのみの眼鏡も、だ。
ちょっとしたデスクぐらいある広い化粧台の向こう、大きな鏡に映っている自分の姿をちらっと見て、メイは怖いものを見たみたいにさっと目をそらす。
我ながらなさけない姿だった。
顔色は悪いし、見開いた大きな目はおびえた小動物のよう。借り物のぶかぶかのバスローブを、そでをまくって着ているのでますます場違いに、貧相に見える。
(わたし……わたしにモデルさんなんてできるわけない……! どうしよう、絶対、みなさんに迷惑かけちゃう、どうしよう……どう……)
ここで泣いたら最悪! と我慢していたのに、こみあげる涙に視界がうるんできた時。
「おはようさんでございますー」
明るくよく響く、関西イントネーションの声が耳に入った。
若い男性の声だ。ディレクターと挨拶を交わしながら、こちらにやってくる気配。
「えっ? ヘアメイクさんって……お……男のひと?」
思わずバスローブの胸もとを抱いて固まるメイに、スタイリストが笑った。
「ヘアメイクさん、男性多いわよ。美容師さんと同じ。ていうか、ちゃんとガウン着てるんだからそんなに恥ずかしがらなくても……下着姿だってみなさん、仕事柄見慣れてるし」
「えっ……え……」
ぜんぜん気持ちの準備が整わないうちに、
「入ってええですか」
礼儀正しい問いに、スタイリストが迎えに出て間仕切りカーテンを開けた。
「はい、どうぞ! 実は今日のモデルさん、急きょお願いした初撮影で、モデルの勉強もまだはじめたばかりの初心者さんなんです。お手やわらかにお願いしますね」
「へえ、初心者さん! そらむしろ腕が鳴りますわ」
大きな鞄を抱えて、すらりと背の高い若者が入って来た。
色白で茶髪、切れ長の目もとが涼しい。
目をひく美青年ぶりに、メイだけでなくスタイリストも目を丸くする。
「うわあ、イケメン! ヘアメイクの方……ですよね? モデルもやってらっしゃる?」
「よう言われまっさかい、わい、モデルはでけへんねん。写真撮られるん、ちょお苦手でー」 ハの字眉になってはたはたと手を左右にふる美青年に、場の空気が一気になごんだ。
青年は首からさげたスタッフ証を示し、丁寧に一礼する。
「穂村、言います。本日はよろしゅうお願いいたします」
「こちらこそ! わたしはスタイリストのヤマシタ、今日のモデルさんは神納五月さん」
「し……初心者です。どうぞよろしく、お願いいたします」
眼鏡がないので目線も合わせられず、震える声で挨拶するメイに、青年はにこっとした。
「可愛い子ぉですやん」
「でしょう」
スタイリストもうれしそうに言う。
「たまたま研修生の中にこんな撮影イメージぴったりの子がいて、ほんと助かったっていうか……あ、神納さん、髪おろしてください。まず編みぐせのばしてもらうから」
「……はい」
と返事したものの、メイはためらった。
メイの髪はくせっ毛で三つ編みをほどくと何倍にもふくらんでしまうし、もつれやすい。
そんなわけで髪をほどくのは髪を洗う時と、朝夕、編み直す時だけ。
美容院にも行ったことがないし、家族以外の人の前で髪をほどいたことはない。
(でも……でもそんなこと言ってられないし……!)
メイは勇気をふりしぼり、おさげを輪にまとめている髪ゴムをはずした。勢いのついているうちにと根もとのゴムもはずし、左右に垂れた長い三つ編みを手早くほぐす。
「…………」
髪をすっかりほどいてしまうと、服を脱いだ時よりはだかになった心地がした。眼鏡もかけていないし、緊張と心細さのあまり指がかじかんでくる。
その間に、広い化粧台は整然と並ぶ多種多様なメイク道具で埋まり、イケメンヘアメイクはスタイリストの女性から「今日の撮影に必要なイメージ」の聞き取りを終えた。
「ほな、さっそく始めましょ。モデルはん、こっちへ」
手招きされ、メイは大きすぎるバスローブのすそをひきずり、ぎくしゃくと化粧台の前の椅子に腰をおろす。ふわふわにふくらんだ乱れ髪に隠れ、無言でうつむいたままのメイの肩に、ひかえめな手が触れた。いたわるように注意する。
「背ぇしゃんと伸ばしてな、まっすぐ鏡見て……そうそう。今日はお化粧は? してはる?」
「し……してません」
「そら良かった! 今からメイクさしてもらうけど、髪とか耳とか、さわられるの平気?」
「た……たぶん……だいじょうぶです」
「イヤなことあったら、すぐ言うてな。これは、わがままとちゃうねんで」
イケメンヘアメイクはメイの長い、もつれやすい髪を優しくときはじめながら言い、衣装を準備中のスタイリストもうんうん、とうなずく。
「あ……ありがとうございます」
おかげでメイも少し、肩の力が抜けた。
ヘアメイクの青年はちっとも急がず、丁寧にメイの髪にブラシをかけていく。
そのブラシが一度も髪にひっかからないことに、メイは心底驚いた。
(自分でとく時だって……すぐもつれたとこひっぱっちゃって、けっこう痛いのに……)
つい感覚をこらして〈観〉ていると、青年の、細くて長い指がブラシと一緒に髪をすき、ひっかかりそうなもつれを手早く、ひとつずつ、ほどいているようだ。
(すっごい器用! さすがプロ!)
感動しながらも、メイは恐縮してしまう。
「す……すみません、お手数おかけして……」
「なんの、こんぐらい手ぇかかるうちに入らへん。楽勝や」
鼻歌でも歌い出しそうなご機嫌の口ぶり、メイの髪をとく手つきにこもった愛情に、スタイリストの女性がおもしろそうに口をはさんだ。
「穂村さん、お仕事大好き! って感じね」
「好きでなかったらやってまへん。磨いてほどいて装うて、本人も気づいてへん魅力を引きだしたる! この仕事の醍醐味や」
と言う間にも優しく、たゆみなく、ブラシと手指がメイの髪をくしけずっていく。
不思議なことにそのひとすきごとに、心のもつれやこわばりまでほどけていく心地がした。
「あー、もったいな。髪のトリートメント、ふだん、してへんでっしゃろ」
ため息まじりに言われ、メイは思わず肩を縮める。
「す……すみません」
「それとな、こないにきつう結んだらあきまへん。将来、はげてしもたらどないするん」
「えっ……は、はげ……」
「工夫せな。結ぶ場所少しずつ変える、とか、髪型変える、とか。考えたことあれへんの」
「あ……あんまり……」
言われてみれば、なぜだろう。
母に髪を結んでもらっていた幼稚園以来、ずうっとこの髪型しか、したことがない。
自覚してびっくりし、メイは鏡にちらっと目をやる。
丹念に髪をとかし続ける青年の細面に、優しい笑みが浮かんでいるのが見えた。
「もしかしてこの髪で、小さいころ苦労しはった?」
「え……はい。ちょっと……人より色が明るいし……くせっ毛だし……」
悪目立ちして、いじめられた。
「せやけどこの髪、今は宝物ですやろ」
「え……」
べつにそんなことは……と言う間もなく、青年はにこにこと続ける。
「染めへんでもええあんばいの明るい色で、パーマあてへんでも上品なウェーブ。お得やん」
「あはは……言われてみれば、そうかも」
くしけずり、ほどき、するするともつれをはらい落とす。魔法のようになめらかな手技と語りに、いつしかメイは、緊張を忘れ始めていた。
「あ、ええ笑顔しはるやん! めっちゃ可愛いわぁ」
「え……そ……そうですか?」
「わい、お世辞は言わへんゆうんがポリシーやねん」
「うわあ……真顔で……穂村さん、もてるでしょう」
「それがなんでか、さっぱり」
メイだけでなくそばにいたスタイリストまでぷっと吹き出し、イケメンヘアメイクは、
「えー、そこ笑うとこちゃいますよー」
と抗議してますますふたりを笑わせる。
そうする内に、スタイリスト希望の髪型がたちまち仕上がった。
ふわっと自然に、綿雲のように軽やかに広がる髪の、要所に繊細な、凝った編みこみ。
(うわあ……!)
自分の髪とは思えなくて、メイは鏡を見つめたきり声もない。
「こないな感じでオーケー?」
言われて、メイと同じく、ぽかんと見とれていたスタイリストもあわててうなずいた。
プロの目から見ても、ずば抜けた出来栄えだったらしい。
スタイリストは信じられない、という顔で何度も仕事の手を止め、ふり返る。
イケメンヘアメイクは気にした様子もなく、見るからに楽しげにメイクにとりかかった。
複数の化粧ブラシを奇術師さながら鮮やかに操り、きちんと測定器械も使って肌色を服や、照明にあわせて調整、さらに最小限の手数で、顔の輪郭や彫りに演出を加えていく。
ほとんど神業。
鏡の中でみるみるうちに輝きを増していく自分の顔を、メイはあぜんと見つめていた。
ラストにくちびるに淡く色をさし、イケメンヘアメイクはにっこりする。
化粧筆を置いた。
「ほな、衣装どうぞ」
笑顔で「仕上がった」メイを渡され、スタイリストの女性は感動のあまりうなった。
やる気に燃えてメイに衣装を着付け、靴を履かせ、小物やアクセサリーで飾りつける。仕上がりを厳しくチェック、会心のできだったらしい。無言で小さくガッツポーズした。
時計を見て、ホッと安堵の吐息をもらす。
「良かった! 撮影開始までまだ五分以上ある……! 穂村さんありがとうございます、おかげさまで間に合いました!」
「そら良かったわぁ」
「拝見してましたけどすごい技術ですね! もしかして海外経験とかもおありなのでは……」
「いやいや、そないなたいそうな経験なんてあらへんて」
イケメンヘアメイクは照れに照れて色白の細面を赤らめ、長身をかがめて頭をかいた。
「わいなんてただコツコツ、地道ーにやってくことしかようせんアホウで……」
「ご謙遜を! 仕事、ご一緒できて光栄です。学ばせていただきます」
「や、やめてぇや、こそばゆい……」
本気で照れまくるイケメンヘアメイクにスタイリストが笑い、メイもくすっと笑ってしまう。
不思議なほど、身も心も軽かった。
すみずみまで浄められた部屋のように、心が晴れやかで、明るい。
同時に、半分夢の中にいるみたいに、なにもかもがふわふわしていた。
「神納さん、衣装や髪で、なにか気になるところある? 良かったらちょっと動いてみて、動きにくいところがあったら言ってください。すぐ手直しするから」
スタイリストに言われてやっと、メイは今から撮影なんだということを思い出した。
忘れていた自分にちょっとびっくりし、初めてきちんと姿見に向き合う。
「……!」
少女小説から抜け出してきたみたいな、きらめく「少女」がそこに、たたずんでいた。
服も靴も、ひとつひとつは、そのへんで誰かが身につけていておかしくないもの。
おしゃれだけれどむしろ気軽なデザインだ。
なのに、プロの手でブラッシュアップされたメイは、触れるものすべてに非日常の輝きを与えていた。おろしたての新しい服が、無数の物語を秘めて鳴り響いているように見える。
(うわあ……!)
ふだんなら気圧されて、かちんこちんに固まってしまったにちがいない。
でも今のメイは、なぜかなにも怖くなかった。
むしろ楽しい。
メイはぱたぱたと両手をあげおろしし、くるりとその場でターンした。
長いスカートのすそがふわっと広がり、巻きつくように遅れて落ちてくる感触に目を輝かせる。さっき見たばかりの楓の演技を真似て、ちょっとポーズをとってみる。
すぐ、これはちがう、とわかった。
この撮影を企画したスタイリストの女性の、違和感が伝わってきたからだ。
いつもより、霊力の感度があがっていた。
人の心を読むことへの抵抗もなくなっていた。
ためらいもなくスタイリストの思い描いているイメージにフォーカス、その「波」に乗る。
流れるように身体が動いた。
首の角度、ほほ笑み、まなざし、髪をはらう仕草──どれもメイ本人のものではなく、スタイリストの理想の中にしかない動きだ。
「!」
スタイリストが息をのんだ。
成功。
メイは別人のような自信に満ちてスタイリストの目をまっすぐに見、にっこりした。
「問題ありません。撮影、行けます」
どこまでもハプニング④へ続く
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