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はじめの一歩②

「やっ、ややや、やる気かあっ? ふ、不意打ちとは卑怯なりッ!」

 パニックを起こし、小鬼は墨の出ない筆を刀のようにふりまわす。

 破壊神はその筆を、指さした。


「それは持ってるやつの力を喰って動く道具だ。力をこめろ」

「……え?」

 小鬼はぽかんと破壊神を見つめ、手もとの筆を見、もう一度、破壊神を見た。


 やっとなにを言われたか理解し、筆を握り直す。大きく息を吸いこんで気合いを入れ、

「んぐぎぎぎぎ、ぬおおおおお!」

 あらんかぎりの力をふりしぼり、千年筆にそそぎこんだ。

 ついに息切れし、気合いに逆立った毛もしおたれて、さあどうだ、と筆先を見直す。


「…………」


 根もとにほんのり、淡い灰色がにじんでいた。

 しかし筆先は白いまま。

 さらさらと手のひらで触れてみても、なんの色もつかない。

 千年筆から墨を出すには自分は弱すぎるのだと悟り、小鬼は衝撃のあまり青ざめた。


 並みの妖怪なら誰でも使えるはずの道具である。つまり、自分は「並み」にさえほど遠い、きわめつけのザコなのだ……と痛感して、悔し涙に視界がゆがむ。


「じれったいな、貸せ」

 破壊神の声が耳に届くより速く、小鬼の手から千年筆が消えてなくなった。

「あっ……」


 神速の動きでひったくられた、と気づいた小鬼が最初に思ったのは、塵や灰にされてはかなわない、ということ。たのむから壊さんでくれ、と懇願しようとふり返る。

その目の前で、小さな破壊神が手にした縫い針サイズの筆から、真っ黒な墨が噴き出した。


「!」


 小さな筆から滝のようにほとばしる墨で、たちまち床のカーペットに、たらい一杯の墨をぶちまけたような特大の墨だまりができる。

「おっと」

止まった。


 破壊神は筆からよぶんな墨をふるい落とし、やっと、床の真っ黒な水たまりに気づいた。

 表情は変わらなかったが、放置するとメイがうるさい、と思ったのかもしれない。

 筆を持っていない方の手をあげ、床に向かって軽く、はらうようにふる。

「!」


 どっと巻き起こった超常の風に、小鬼は悲鳴をあげて縮こまった。

 ケガレや瘴気どころか、小妖怪ならかすめただけで消し飛んでしまうような風だった。

 直撃すれば物理実体だって風化しかねない。が、


「よし」

 という破壊神の声におそるおそる顔をあげた小鬼は、確かに風に吹かれたはずの自分の毛や角が傷んでいないのをさわって確かめ、目を丸くする。


 次いで床をのぞきこみ、墨だまりがきれいに消えているのを見て、ぽかんと口を開けた。

 あたりに飛び散ったしぶきもあとかたもない。なのに家具に劣化のきざしはなかった。

「な……なんと器用な……!」


 無造作なひとあおぎで、狙ったものだけ蒸発させてのけた破壊神に、小鬼はあらためて震えあがる。その目の前に、破壊神が投げてよこした千年筆が飛んできた。


 あわてて受け止めた小鬼は、墨を満タンにしてもらったことに礼を言うべきか、いや、こやつはオヤジ殿の仇、仇に礼を言うわけには……と激しく迷う。

 小鬼の葛藤など気にした様子もなく、破壊神が言った。


「さっさと続きを書け」

「へ?」


 今さらながら、秘密の日記を仇の目にさらしている現状に気づき、小鬼は、恥ずかしさに顔から火が出そうになった。短い両腕をせいいっぱい広げ、紙面を背にかばいながら叫ぶ。


「み、みみみ、見るなっ! 見るでないっ!」

「ほんとうに見られて困るもんなら、ここで書かねえだろ」

 言ったかと思うともう破壊神の姿は小鬼の前になく、次のセリフは後ろから聞こえた。


「で、こいつはどういう術なんだ?」

「どっ……どど、どういう意味じゃっ」


 小鬼は、破壊神がつめたい銀の目で、自分の書き散らかしを興味深そうにのぞきこんでいるのを見て頭が真っ白になる。破壊神は紙をめくり、数ページにわたってみっしり書きこまれた文字や絵を、平然とあらためながら言った。


「ここまで手のこんだ呪符は見たことがない。どこまで書けば完成するんだ?」

「…………え?」

「おっ、この鬼の絵はおまえじゃないか? ふうん……もしかしてこの紙束を全部埋めて術が完成すると、おまえがこういうふうに強くなるのか?」


 無邪気なほど純粋な期待をこめてきく破壊神を、小鬼はまじまじと見た。

それから、破壊神が指している、小鬼が妄想して描いた『理想の武器を持って強くなった自分』のラクガキを見た。


 金棒と刀を混ぜたようなでたらめな武器を持ち、角は鋭く、目からは火花が散り、口からは炎を吐いている。腕は細く短いままだが矢印つきで『すごく強い!』と書きこんであった。

 そのまわりにみっしり書きこんである文章はと言えば、こんな風だ。


『どうすればオヤジ殿の仇を討てるかと、日夜考えておるがさっぱり妙案が浮かばぬ。腹が減るばかりである。ひと晩寝たら百倍強くなる術を覚え、一歩進むだけで一年歳をとる薬を飲み、山神の蔵を丸ごと喰らい、日本中の雷を飼い慣らして子分にし、そうじゃ、ついでにあやつがポンコツ娘から朝夕捧げられている霊気たっぷりの供え物を、横から少々ちょろまかして喰ってしまえば少しは力がつくやも……嗚呼(ああ)、それはできぬ、盗みはせんという約束じゃ。鬼たるもの、約束を反故(ほご)にするわけにはいかぬ。しかしそれではどうすれば……(以下略)』


 小鬼は数秒、真剣に考えた。

 この恥ずかしい書きつけのどこをどう読んだら、「呪符」だなどとかんちがいできるのか?

 破壊神は愚か者ではない。

 ならば結論はひとつ。

 小鬼は半信半疑で、つぶやく。


「貴様……まさか……字が読めんのか?」

「それがどうした」

と返して初めて、破壊神は少し目を細めた。

 なにか考えついたらしい。いたって冷静に続ける。


「まさか、俺がこれを読んでやらんと、おまえの術は完成しないのか? そういう術か?」

「い……いやその……」

「残念だったな。俺は字を知らん。誰が読んでもいいなら、メイのやつに読んでもらえ」

「…………」


 小鬼は破壊神を笑ってやりたかった。今こそ目いっぱいバカにしてやるチャンスだった。

 山より長生きしているくせに貴様、字のひとつも読めんのか、とかなんとか。

 だが、悪態の代わりになぜか、ため息が出た。


「……これはのう、呪符などではないぞ」

「ふうん?」

「ええい、いちいち疑いの目で見るなッ! 貴様の頭の中には戦いしか入っとらんのか!」

「? 他に、なにか考える必要があるのか」

 真顔できかれて、小鬼はめまいをおぼえた。


 一瞬、目の前の小さい神が、痛いほどまぶしく感じられた。

 強くなりたいと望みながらすわりこんであれこれ本を読みふけり、役にも立たない愚痴や妄想をつらつら書きつらねている自分が、底なしのアホウのように感じられた。


 一生かなわない、という実感にぺしゃんこにされ──

 次の瞬間、猛然と腹が立ってきた。


「この(いくさ)バカめッ! 無学な貴様は知るまいが、これは日記というものじゃ!」

「ニッキ?」


「ぬう、もの知らずな貴様が発音すると香料の名に聞こえるわ! よいか、日々記す、と書いて、日記、と読むッ! 学んだことや心動かされたこと、記憶にとどめおきたいこと、誰にも言えぬ夢や希望、憤懣(ふんまん)、愚痴、なんでもよい、赤裸々に書き記して我が身をかえりみる鏡、あるいは心の道しるべともする……日記は優雅にして奥深き、文人の営みなのじゃッ!」


 ひと息にまくしたて、はあはあと肩で息をする小鬼を、破壊神はおもしろそうに見た。


「なにを言ってるのかわからん」

「んがああ!」

「わからんが、おまえにとってこいつが大事なのはわかった」

「!」

「しかもおまえは、なんのためでもなく、ごちゃごちゃ書くことそのものが楽しいらしい」


わずかに首を傾け、今初めて気がついたみたいに言う。

「おまえ、変わってるな」

「貴様にだけは言われたくないわあッ!」

 小鬼がわめいた時、部屋のドアが開いた。


「あ、お話中、おじゃましてすみませ……」

メイが言い終えるより速く、小鬼は死にものぐるいでノートを閉じ、腹の影に押しこんだ。

 あまり急いだので息が切れ、ふうふうと肩で息をしながら目をあげ、ぎょっとする。


 小さな破壊神が興味をそそられた様子で、こちらを見つめている。

 にやっと笑った。


「ふうん」

「なっ……ななな、なにが言いたいッ!」

「その気になりゃあ、少しはマシに動けるじゃねえか」

「……!」

「出し惜しみしてねえで、ふだんから全力を出せ」


 ()()()()()()()()()()()、という言外の意図がずしん、と胸に響いて、小鬼は息をのむ。

 そこへ、部屋に入ってドアを閉めたメイが割りこんだ。


「なんのお話で……あっ、キバさん! その、手に持ってらっしゃる小さいの、筆……このあいだ話してらした千年筆ですね! ということはさっきちらっと見えたのはノートですか?」

「あ……う……まあその……」


「どうしてしまっちゃったんですか? キバさんが書くところ、見たいんですけど……」

 固まったままの小鬼に代わって、破壊神が口を開く。


「あれはこいつのニッキだそうだ。他のやつには見せたくないらしい」

「ああ! 日記ではしかたがないですね」

「そういうものなのか」


まだ納得しきれない顔の破壊神に、メイは笑った。

「そういうものです。日記って、誰にも読まれたくないような個人的なことを、読まれないからこそ安心して書いてしまうものなので」

「読まれたくないようなことを、なぜわざわざ書きつけるんだ」


「うーん、それは、たぶん……ふだん、ぼんやり感じてるいろんなことを言葉にして書くことで……気持ちや考えが整理できたりする……のと、あと、楽しいから、かなあ……」

「おまえもニッキを書くのか」


「いえ、あんまり。ときどき、書こう! って思い立って日記帳買ったりはするんですけど、たいてい三日坊主で終わってしまって……続かなくて」

「三日坊主? 聞いたことのない妖怪だが……」

「あ! ちがいますちがいます、三日坊主は妖怪じゃなくて……新しいことを始めたものの、続かなくて三日で投げ出してしまう人のたとえで……」


 ばつが悪くなったらしい。メイは小鬼に向き直り、話題を変えた。


「日記以外なら、書くところを見せていただいてもいいですか?」

「それはまあ……かまわぬが……」

「やったあ!」

 メイはいそいそとレポート用紙を一枚とり、小鬼のスペースに合うよう半分に折る。


 小鬼は「どうぞ」と差し出された紙片に乗った。膝をついて筆を構えたところで気づく。

 いつのまにか破壊神が小鬼のスペースに降り立ち、間近から見おろしていた。


「なっ……ななな、なんのつもり……」

「気にするな。ただの見物だ。おまえのような生まれたてが器用に字を書くのはめずらしい」

「そ……そうなのか?」

「少なくとも俺は初めて見た。そら、さっさと書け」


 小さな破壊神とメイの、期待のまなざしを全身に浴び、小鬼はどっと冷や汗をかく。

 頭が真っ白になってしまい、筆を持つ手が震えた。


 紙片がはてしなく広く感じられ、困りはてて衝動的に「紙」と書いてしまう。

 いつもの汚い字、いや、いつもより乱暴に書けてしまった。恥ずかしい。


 しかしメイは感嘆に息をのみ、小さすぎてよく見えないのか、のぞきこんできた。

 小さな破壊神も、未知の武器を使う敵を観察するような視線を小鬼の手もとに注いでいる。


 いたたまれない。


 小鬼は必死で考えた。「紙」などと書いてしまった。どう続ければよい? どう……

 緊張とプレッシャーのあまり、頭のどこかがぷつん、とオフになり、小鬼は書き出す。


『紙……は高価である。もののけ堂であつかっておるのは古式ゆかしき和紙中心。かように薄手で美しく漂白され、筆すべりもなめらかな洋紙は人の世にしかない。遺憾なことである。これを人は工場で作るという。機械仕掛けである。学校の書庫で製紙法を調べてみた。仕掛人形を作る職人は我らの世界にもいる。製紙工場とて、その気になれば建てられるであろう。洋紙の製紙技術の肝要は以下のようなものであった』


 学校の図書室の参考書や事典で調べたばかりの、木材パルプを原料に作る洋紙の製造工程を、小鬼は図つきでよどみなく書きつけていく。

 メイと破壊神が見ていることなど、とうに意識から消えている。


 気分良く没頭し、小鬼はいつもの日記の調子で思いつくまま筆を走らせた。

 もし自分が工場を建て、紙を生産するようになったらどんな製品を作りたいか。


 分厚い書物も作ってみたいが、まずは帳面からだ。表紙に子猫の図柄など入れたら愛らしいのではないか──とアイデアを出したついでに、家にいる子猫のラクガキをいくつかする。


 きょとんとすわっているところ。へそ天で寝ているところ。おもちゃに飛びつくところ。

 ちゃんちゃんこを着せてみた。首にリボンをつけてみる。可愛い。

 むむ、これは商売になるのではないか?


 どうせなら妖怪世界で主流の木版ではなく、〈印刷〉してみたい。

 ならば印刷所が必要だ。

 建てるなら、人間に見つからない異界がいい。


 異界作りが得意な妖怪を仲間にするか、教えを乞うて、その技を会得すればよい。

 ゆくゆくは猫絵つき帳面で大もうけし伝説の武器を買い、山より大きく育って──


『見るも恐ろしい巨大な武器をふりかざし、山や丘を蹴散らして歩くものすごく強い自分』のラクガキを夢中で描いている途中で、小鬼はハッと我に返った。


 筆を持つ手が止まり、どっとイヤな汗が噴き出す。

 死んだ方がマシ、と思うほど恥ずかしかった。


 しかしメイも小さな破壊神も、なにも言わない。

 おそるおそる探ると、メイだけでなく破壊神の気配にも、驚きと、賞賛がふくまれていた。


 どちらもなにも言わないのは、小鬼が次になにを書くかと興味津々だからだ。

 ジャマをしては悪い、とさえ思っているようだった。

 いたたまれない。


 小鬼は緊張で干上がったのどから、必死で声をしぼり出した。

「ざ……ざ……ざっとこんなもんじゃ!」

 恥ずかしい紙を丸めて腹の毛の中につっこむべく、小鬼は無我夢中で動きかけたが、一瞬速く、破壊神が紙の端を踏んだ。


 機先を制され、動けない小鬼の前で紙面にしゃがみこみ、小鬼が描いた図を指さす。

「これは、なんの絵だ」

「に……人間の、紙の作り方を示したものじゃ」

「そっちは?」


「印刷……活字という部品を工夫し、同じ内容の書物をたくさんこしらえる方法の図じゃ」

「こんな手のこんだ仕掛けをおまえ、生まれつき知ってるのか」

 真顔できかれて小鬼はあっけにとられた。


「んなわけあるかアホウ! 学んだんじゃ! この娘の学校の書庫で書物を読んで……」

「なるほど」

 破壊神は初めて、文字を読む能力の真価を理解したらしい。


 率直な賞賛を隠しもせず、言った。

「たいしたもんだ」

「!」

 小鬼は衝撃にぼん、と毛を逆立てたきり、口がきけなくなってしまう。


 そこへメイが浮き浮きと口をはさんだ。

「あの、キバさん、もし良かったらその……」

「…………なんじゃ」

「キバさんがお描きになったミーちゃん……その三毛の子猫、絶対ミーちゃんですよね? すっごい可愛いのでその、写真撮っていいですか?」

「しゃしん……」


 小鬼はふり返り、スマホを手に、期待に目をきらきらさせて待つメイを見あげる。

 それから、足もとの紙面を見た。子猫のラクガキを撮ろうとすれば確実に、恥ずかしい妄想日記も写りこんでしまう。ぞっとした。


「ダ……ダメじゃダメじゃ! これはいかん!」

「ええー」

「こっ……このあたりにうっかり書いてしもうたのは日記なのじゃ! 写してはいかん!」

「あ……はい。そういうことでしたら……」


 しおしおとスマホをしまうメイに、小鬼はあわてて言った。

「猫の絵が欲しくば他にいくらでも描いてやるゆえ、そうへこむでない」

「ほんとうですか?」

 メイはぱっと顔を輝かせ──


 小鬼は、新しく出された紙に、子猫の絵をたくさん描いた。

 必死で描いた。大きく描き、小さくも描き、後ろ足で立たせてほしいとか、ワンピースを着せてみてくれとか、わけのわからないリクエストにも応えた。見られているせいか気合いが入り、レポート用紙一枚が絵で埋まるころには、我ながら上達した、と感じたほど。


 大喜びのメイがスマホで撮影を始めてようやく、ほっとひと息つく。

 それで気づいた。かぶりつきで見物していた破壊神の姿が、いつの間にか消えている。

 きょろきょろする小鬼に気づいて、メイも本棚の方をふり返った。


「あ、スサノオ、また寝ちゃいましたね」

「あやつは……信じられんほどよう寝るのう」

「そうなんですか? もののけさんの基準でもよく寝る方?」


「古い神は一度眠るとなかなか起きぬと、話には聞くが……あやつは目覚めておってもほとんど動かんではないか! よほどの無精(ぶしよう)者か、道理の通じぬ心の持ち主かと……」

 言いかけて小鬼ははっとした。


 メイが「無精……ではないと思いますよ。興味のないことには反応しませんけど」と答えている声も、半分ほどしか耳に入らない。


 本棚の上の破壊神の気配はふたたび静まりかえり、ほとんど存在しないかのようだった。

 ()()()()()()()()()()()。ついさっきまで普通に話していたとは思えない。


「…………」


 にわかに鼓動が速くなった。

 これはもしや、目を覚まし続けて()()()()()だけでは?

 そうは見えないが実は、重大な不調を隠しているのでは?

 とすれば今こそ夜叉神を討つ、千載一遇の好機……!


 思わず手の中の千年筆を握りしめ──だがすぐ、思い出した。

 どれほど調子が悪かろうと、破壊神は今なお小鬼の万倍強い。どうしようもない。

 しかもその神が力をこめてくれたおかげで、千年筆の穂先は今も、したたるほど黒かった。


「……ぬぬ、討つのはこの筆の礼をしてからじゃ。ワシは恩知らずではないからなッ」

 ぶつぶつうなる小鬼の背後で、メイのあらたまった声がした。

「あのう、キバさん、ちょっといいですか?」


「?」

 大事な千年筆を腹の毛の影にしまいながらふり返った小鬼は、メイが両手でつまんでいるものを、まじまじと見る。


 細いひもで手製のビーズを連ねた、ミニチュアの細工物だった。

 ビーズのほとんどは牙の形に磨いた木片。中に勾玉型のガラス玉が混ざっている。

 分厚い護身法術がかかっていて、全体に淡い金の輝きを帯びていた。


「それも、そなたの神への供え物か」

 あやつはなんでもかんでも灰にしてしまうのに、むやみに手をかけてもったいないことよ、と考える小鬼に、メイはにっこりした。


「いえ、これはキバさんに」

「ほうほう…………今、なんとッ!?」

 仰天して目をまん丸にする小鬼に、メイは照れながら答える。


「キバさんのために作りました。その……お守りです。わたしと一緒にいらっしゃると、このあいだみたいにあぶない目にあうかもしれないし……キバさん、わたしの護身法術に触れてもなんともないでしょう? だからきっと……お役に立つかと……その……」

「…………」


「ごっ、ごめんなさい! 好みに合わなかったらすぐ作り直します! これはその……しんらさんがしてらした首飾りをモデルに、がんばって作ってみたんですけど……」

「オヤジ殿の……?」

 ふらっと前に出る小鬼に、メイはうなずいた。


「はい。しんらさん、こういう感じの飾りをかけてらっしゃって……」

 小鬼は宙を踏んで、メイの手もとまで駆けあがった。

 霊気に輝くミニチュアの首飾りに、おそるおそる手をのばす。


 触れただけで、強い(まも)りの力を感じた。

 なにより、見たことのない亡き父鬼の姿に触れる心地がして、牙を模した木片、勾玉を模したガラス玉のひとつひとつに、胸がいっぱいになる。


 受け取った。

 ぎこちなく頭からかぶり、首にかけてみる。


「その……つけた感じはどうですか? 短かったり、長すぎたりしませんか?」

 メイの声を聞く内に目頭が熱くなり、どっとあふれる涙でなにも見えなくなった。

 あわてて涙を隠し、小鬼はせいいっぱい平静を装う。


「うむ、ぴったりじゃ。れ……礼を言う」

「どういたしまして! 気に入っていただけて良かったです」

 メイはにっこりし、今度は破壊神用のお供えを用意し始めた。


「あ、そうだ、キバさんが大きくなって首飾りのサイズが合わなくなったら、遠慮なく言ってくださいね! すぐ新しく作りますから」

「かような気遣いは無用じゃ。大きく強う育った暁には、もうそなたの護りの世話にはならぬ。ワシがそなたを護ってやるゆえ、大船に乗った気でおるがよい」

「楽しみです! 大きくなったキバさん、すっごくたよりになりそう!」


 ぱあっと顔を明るくするメイを見あげて、小鬼は思った。

 そうとも、ワシは小さくとも護法。こやつの守護神である。


 命にかえても、この娘を護ってみせようではないか。


 行く先々の危難から。


 そしてもちろん、いつかこの娘を狩るにちがいない、破壊神からも、だ。


しかし、どうやって──?


「…………」

 小鬼は自分の小さい手を見おろした。

 小さな武器しか持てない手だ。力も、妖怪としてはお話にならないほど弱い。

 攻撃力が欲しかった。


 しかし一夜で大きくなれるわけはないし、盗みを辞めた今、新しい武器を手に入れる当てもない。では、どうするか?

 ふと思いついた。

 弓矢をおぼえてはどうだろう?


 自分は小さいし、まだ弱い。

 だが破壊神の反応を見るかぎり、本気で動けば少しはすばやいらしい。

遠くから攻撃し、すぐ逃げる戦法でなら、今よりはマシに戦えるのではないか?

「…………」


 ふつふつと闘志がわいてきた。

 さっそく明日にでも、自分にあったサイズの弓矢を作ろう、まずは適切な材料を調べて集めて──などと考えながら、小鬼は持ったこともない弓を構え、射る真似をしてみる。


「んん……? 右手と左手が逆じゃったか? 弓手(ゆんで)馬手(めて)という言葉があるからには弓は左手じゃな……して、右手で矢をつがえ、かようにひきしぼり……」

 ぶつぶつつぶやきながら、格好(かつこう)だけとはいえなにかを狙ってみたくなり、きょろきょろと室内を見まわす。


メイがドアの上の壁に貼った「念ではじく」練習用の紙切れが目に入った。

 よし、的はあれじゃ! と、片目をすがめ、小鬼はおおまじめにねらいを定める。

 思い入れたっぷりに力をこめ、想像の弓をひきしぼり──


 放つ。


 ぱちっ。


「……ん?」

 想像の弓を構えていた左手の、のばした人さし指の先で、小さな音がした。


 数メートル先の「的」である付箋に、特に動きはない。

 小鬼はなんとなくメイを見た。

 お供え用の折り紙に集中しきっている。今の音とは関係がなさそうだ。


「…………」

 小鬼はふたたび、想像上の弓を力をこめてひきしぼり、真剣にねらいを定めた。

 放つ。


 ぱちちっ。


 今度は左手の人さし指に一瞬、泡がはじけるような感触があった。

「いったい……なにごとじゃ……?」

 小鬼は小さな両手をつくづくながめ、握ったり開いたりする。


 目の前に掲げた左手の人さし指を凝視しながら、矢をつがえ、弓をひきしぼるイメージで全身の力をこめてみた。

 放つ。

「!」


 ばちっ、と爪の先から一ミリほど、鋭く小さい火花が飛んだ。


「こっ……これは……!」


 そっくりの現象を撮影した写真を、メイの持っている参考書で見たことがあった。

 放電実験の写真だ。


 つまりこれは、極小の(いかづち)


 こみあげる興奮をおさえて、小鬼は今度は右手の人さし指で試してみた。

 左手とまったく同じにぱちっ、と青白い火花が飛んだ。

 他の指でもできた。

 左右の人さし指で同時に、はムリなようだ。

 では同じ方の手の、指二本でなら?


「!」


 今度のミニ放電はさっきの倍、二ミリの長さまで伸びた。

 小鬼は小躍りした。我を忘れてぱちぱちと、指先から火花を散らす実験に熱中する。


 小一時間ほども続けただろうか。

 さすがに疲れて、いくら必死に力んでもなかなか火花が出なくなったころ、

「キバさん、それ、もしかして電気……?」

 メイの声に、小鬼は跳びあがった。


「お、おどかすでないッ!」

 言いながら向き直った拍子に、足がもつれて、ぽて、としりもちをついてしまう。

 へたりこみ、ぜいはあと肩で息をする小鬼を、メイは心配そうにのぞきこんだ。


「だいじょうぶですか?」

「つ、疲れただけじゃ……それより見たか?」

 小鬼は誇らしさにはちきれんばかりになって、すわったまま両手でばんざいする。


(いかづち)を出せるようになった! まだ小さいが、雷ぞ! 鍛えれば遠くの敵も一撃じゃ!」

「やっぱりカミナリなんですね! すごい! おめでとうございます!」

 目を丸くして、メイも小鬼といっしょに大喜びでばんざいし──興味津々でたずねた。


「どうやって出せるようになったんですか? いきなり出たんですか?」

「よくぞきいてくれた! 弓を学ぼうかと思うてな、こう構えて、そなたがそちこちに貼っておる的用の紙切れをねらい、射る真似をしてみたのじゃ。すると指先から……」

「カミナリが出たんですか!」

「うむ」


 鼻高々でふんぞり返る小鬼に、メイは羨望(せんぼう)もあらわにため息をついた。

「いいなあ、すごいなあ、わたしも早く、念飛ばせるようになりたいなあ」

 ドアの上の、壁に貼りつけた付箋(ふせん)をふり返る。


 小鬼の話に触発されたらしい。メイも付箋めがけて、弓に矢をつがえるポーズをとった。

 ぜんぜんサマになっていないが、おおまじめにねらう。


 小鬼は左右の手が逆じゃぞ、と教えてやろうとしたが、メイが想像上の矢を放った、瞬間。


 ぱしっ。


 付箋が音を立てて壁からはずれ、ひらひらと宙に舞った。


「……え?」


 小鬼とメイはそろってぽかんと口を開ける。

 床に落ちた付箋を、メイはあわてて拾った。どこも破れたり、ちぎれたりはしていない。


「キバさん、わたしの念が飛ぶの……見ました?」

「念はどのみち見えぬ。そなたの霊気がバチバチに変わった気配はなかったが……」

「ですよね……じゃあ、たまたま接着が弱くなってはずれただけ……かも」

「もう一度やってみればわかる! 早う試せ!」

「やってみます……!」


 メイは椅子に登り、ドアの上の壁の、同じ場所に新しい付箋をきっちり貼った。

 椅子から降り、慎重に数歩離れて、深呼吸する。

 向き直り、またもや左右の持ち手を間違えたまま、不器用に想像上の弓矢を構えた。

 放つ。


「!」


 ぱしっ、と軽い音がして、付箋が壁からはずれ、舞いあがった。

 今度は紙片が床に落ちるのを待たず、小鬼が空中で飛びついて捕まえる。


此度(こたび)も紙は破れておらぬ。傷ひとつついておらんが……そなたの霊気の名残を感じるぞ!」

「と……いうことは……」

「念を飛ばせるようになったということじゃ! やったではないか!」

「うそみたい! うれしー、わーい!」


 感激のあまり小さく跳びはね、メイは宙に浮かぶ小鬼に手を合わせた。

「ありがとうキバさん! キバさんのおかげです! 弓を射るつもりで撃つなんて、わたしひとりじゃ絶対、思いつきませんでした!」

「な……なんのこれしき……」

 小鬼は赤くなり、照れ隠しに顔をひきしめ声をはりあげる。


「そんなことより練習じゃ! ただちにくり返し、コツを身につけるのじゃ!」

「はい!」

 元気よくメイが返事した時、コンコン、とドアをノックする音がした。


 あっ、と息をのんで固まるメイと小鬼の耳に、母の声が響く。

「メイ? ごめんね、電話中?」

「ち……ちょうど終わったとこ!」

 メイはあわててドアに駆け寄り、開けた。


 洗い髪をたらした母が、パジャマ姿で立っていた。

「お風呂あいたわよー、って、下から声かけたんだけど」

「ご、ごめんなさい、ちょっと……夢中になってて聞こえなくて……」

「みたいね」


 母はひょいと部屋の中をのぞきこみ、本棚の上を見る。

 妖怪を見ることができない母の視線は、目の前で眠っている小さな破壊神をすどおりした。


「ねえ、もしかしてミーちゃん、あんたの作った編みぐるみが好きなのかしら」

「あ……あはは……そーかも」

 破壊神になついちゃったみたいで、とは言えないメイをよそに、母はあくびをする。


「まあ、ドア閉めてあればだいじょうぶでしょ。あたし、今日はもう寝ちゃうから。お風呂、さめる前に入りなさいよ」

「はぁい」


 メイは閉めたドアごしに、母のスリッパの音がとなりの寝室に入るのを確認した。

 空中で固まったままの小鬼をふりかえり、声をひそめる。


「お母さん、となりの部屋で寝てるので、このあとはなるべく静かにお願いしますね」

「そなたこそ、我を忘れてはしゃぐなよ」


小鬼とメイは顔を見合わせ、そろってぷっと吹き出した。

 なんとか笑いを押し殺し、それぞれ、手に入れたばかりの力を夢中で磨きにかかる。


 挑戦はまだ、はじまったばかりだった。




「面白い!」「続き読みたい」と思われた方は、はげみになりますのでぜひぜひブックマーク、下の評価をよろしくお願いします~☆


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