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はじめの一歩①

 メイは新しい竹ぼうきを手に、目を閉じた。

 心の中で祭文(さいもん)を唱え、祈念の高まりのままにほうきの()の、端から端まで指をすべらせる。


 完了。


 目を開け、竹ぼうきが穂先まできちんと、護身法術の淡い金色の光に包まれていることを確認し、にっこりした。光るほうきを、右側に置かれた大型ゴミバケツにさす。

 左側のバケツをふりむいて初めて、


「あれ?」


 ゴミバケツがもう、からっぽなのに気づいた。


「おつかれさま! そのバケツでラストよ。ありがとう!」


 明るく言ったのはメイ直属の上司、諸淵(もろぶち)千里(せんり)だ。


 おしゃれな白ジャージにポニーテール、いつ見ても元気なお掃除班班長は、光るほうきがぎっしりささった重たい大型ゴミバケツを、からっぽの鍋みたいにひょいと持ちあげた。

 涼しい顔で外の駐車場へ向かう。


(すっごい力持ち! もしかして実は、霊力も使ってる……のかな……?)

 メイはからのバケツ(それでもけっこう重たい!)を持って、よたよたと千里を追った。


 煌々と照明された体育館より広い建物は、企業の配送センターだ。

 整然と積まれた大きな荷物の間を、フォークリフトが忙しく行き来している。


 メイはここに、「お掃除」に来たのだった。

 零課と話がついている社員さんに中に入れてもらい、仕事をすませたところに、千里がやって来た時にはなにごとかと身構えてしまったが……。


「竹ぼうき百本、三十分かからなかったね! メイちゃんすごい!」

 目を輝かせて絶賛されてしまい、ほめられ慣れていないメイは赤くなって縮こまる。

 千里は気づかず、


「いきなり大仕事たのんで、また帰り遅くなっちゃったら悪いなー、とか思ってたんだけど、あんまり手際よくてびっくりした! むらもないしパワーも十分! おみごと!」

「あ……ありがとう……ございます。でも、あの……その……」

「ん?」


 お掃除班で使う竹ぼうきに、ちょっとまとめて護身法術かけてほしい、と言われて、メイとしてはせいいっぱいがんばったつもりだ。つもりだが、自信はなかった。


「その……護身法術なら、千里班長の方がずうっとベテランでいらっしゃるのに……わ、わたしなんかで……良かったんでしょうか……」

「もちろん! サポート係も、メイちゃんだからお願いしたんだよ」

「そ……そうなんですか?」


「あたしの護身法術、出力は大きいんだけど、だいたい十時間で切れちゃうの」

「じゅうぶんすごいと思いますけど……」

「ところがどっこい! メイちゃんがこのあいだ護身法術かけたほうき、三日以上、余裕で使えたんだって! サポート係がびっくりしてた」

 と言われ、メイの方がびっくりしてしまって目を丸くする。

 千里はくったくなく笑った。


「それで『神納巡査の護身法術は()()がいいので、なるべくたくさんの竹ぼうきにかけて、経費節減にご協力を』ってたのまれちゃったってわけ」

 建物を出入りするフォークリフトをよけて少し待ち、建物の外に出る。


 千里が竹ぼうきを満載してきた軽トラックは、駐車場に並ぶ配送用大型トラックの谷間に、ちょこんと停めてあった。

 竹ぼうきがぎっしり詰まった大型バケツを、千里は軽々と軽トラの荷台にあげる。

 メイが運んで来たからっぽのバケツも積み、手慣れたロープさばきで積み荷を固定した。


「よっしゃ、完了!」

 荷台のあおりをロックし、あらためてメイを見た。

「それとね、メイちゃんの護身法術かかったほうき、使った課員全員、いつもより疲れなかったって! みんな、メイちゃんに会ったらお礼言っといて、って」

「そっ……そんな……おっ、お礼なんて……」


 あわあわしてしまうメイに、千里はにっこりした。

「みんなに代わって、ありがとう」

「お……お役に立てて、な……なにより……です」

 恐縮しきって小さくなるメイの肩を、千里は笑ってばんばんたたく。


「あはは、そんなに気にしないで! 零課はみんな助け合い、おたがいさまなんだから!」

「お……おたがいさま……ですか?」

「たとえばあたしの護身法術は、ほんとにあぶないところに入る時の、短期決戦用」

「祟り神さまの丘とか……?」


「そ! ああいう時用。ほかの部署の人用にもよく護符とか数珠とか作るんだよ。逆に、お掃除班のほうきにいつも隠形(おんぎよう)の術かけてくれるのは、実は討伐班の人」

「あの、他の人に認識されにくくなる術って……オンギョウの術、って言うんですね」


 初めて知ることばかりのメイに、千里はあっけらかんと続けた。

「で、その、メイちゃんの頭の上で隠形使ってる子が、報告書にあったキバ君?」

「え」

小鬼のことをすっかり忘れていたメイは一瞬、ぽかんとなる。


 押しかけ用心棒の小鬼は毎日、律儀に「用心棒」としてメイにくっついて登下校し、零課の「仕事」にもくまなく同行している。

 だが今日は帰り支度をしている途中、ふっと気配が消えてしまい、そのあとすぐ千里が話しかけてきて忙しくなったので、そのまま忘れていたのだった。


「あれ? キバさん、まだそこにいらっしゃるんですか? 先に帰っちゃったのかと……」

話しかけてもまだ気配がつかめないので、そうっと頭の上に手をのばすと、


「ええいこのポンコツ! せっかく隠れておるのにさわろうとするやつがあるかっ!」


 小鬼の破れかぶれの叫びとともに、唐突に気配があらわれた。

 メイの髪にしがみついて、小さくなっている。がちがちに緊張しているようだ。


「ご、ごめんなさい、でもこちらの千里さんは、そんな怖い方では……」

「ウソつけ! 零課のハンチョーであろ? 妖怪(ワシら)の天敵ではないかっ! ワシにも最初からバチバチ、おっそろしい気をぶつけてきおって……」

泣きそうな声で愚痴る小鬼に、千里が「あ、ごめんなさい」と手をあげる。


「あんまりうまく隠形してるもんだからつい……見たらもう、わかったから! あなたを攻撃したりしないから安心して」

「ま……まことか」

 半信半疑の小鬼にうなずいて見せてから、千里はメイを見た。


「その鬼君、メイちゃんの護身法術、平気でしょ」

「あ、はい。そうかなあ、とは思ってましたけど、このあいだうっかり触れても平気でした」

「悪意がないからよ。あとたぶん、わりと由緒正しい神鬼(しんき)の系統」

「シンキ?」

 声をそろえて「なにそれ?」という顔をするメイと小鬼に、千里は吹き出した。


「いいねいいね、気も合ってる」

「あう」

「神鬼っていうのはね、山野の化身の一種。山や森のヌシになることが多くて、人里に降りる時も豊穣神だったり、守り神だったりする」

「うわあ……すごいもののけさんなんですね」


「式にするの?」

「え?」

「ええとつまり、正式に契約して、零課にも式神登録して、使役する予定なのかな」

「えっ、いえ、使役なんてとんでもない! ご好意で用心棒をしてくださってるだけで……」


 あわてて否定するメイの頭の上から、小鬼も必死で口をはさむ。

「い……命を救われた礼にすぎん! 借りを作ったままにしてはおけぬゆえ……」

「あの、契約とか登録とかなしで、もののけさんと一緒にいてはいけない……んですか?」

 心配するメイに、千里はあっけらかんと笑って手をふった。


「そんなルールないない。うちの班にもやたらとたくさんの妖怪、連れ歩く人いるし」

「うわあ……なんかそれ、憧れます」

「大事なのは相性。この子、メイちゃんの神さまには許可もらってる?」

「ばっちりです」

「ならオッケー! 管理部に届ける時は、ふつーに守護神枠に登録しとけばいいよ」


()()()!」


 メイと小鬼がふたたび声をそろえて言ったので、千里は爆笑した。

「やだ、あんたたちどんだけ気が合ってるの! しかもどっちもうれしそうだし」

「ふふん、ワシもあやつと同じ守護神か……ふふふん、神!」

「良かったですね! お似合いだと思います」


 和気あいあいと盛りあがる小鬼とメイに、千里はおかしそうに続ける。

「うん、守護神。等級はFの〈護法〉だね。あたしの権限で登録しといてあげる」

()()とはなんじゃ、護法と呼ぶからには強い方であろ? どれぐらい強いのじゃ」

 小鬼にきかれて、千里はにっこりした。


「最弱」

「さいじゃ……」

「いちばん弱い」

「いちばん、よ……弱……」


「生まれたてでまだ霊気も小さいしね。でも最初から影を使えて、しっかり話せるし隠形もうまい。読み書きまでできるんだって? わりとすぐに昇級するんじゃないかな」

「!」


「キバさん、あらためてメイちゃんのこと、どうぞよろしく」

 零課の班長に「さん」づけで挨拶されてしまい、小鬼は驚きと誇らしさにぶるっ、と震えた。

「うむ、まかせておけい」

 たちまち調子に乗ってふんぞりかえる小鬼に、千里は笑い、スマホで時刻を確かめる。


「予定より早く終わったし、メイちゃん、今日はこれであがりだよね」

「あ、はい」

「久しぶりに一緒に晩ご飯、どお?」

「すみません、早く帰らないと母が心配するので……」


「あ、そっか、そうだよね。神隠しされちゃった件の報告書、読んだよ。まあ、お母さんとしては未成年の娘が連絡もなしに真夜中に帰ったら、心配して当たり前だよねー」

「そうなんです。なので今度から神隠しされたら、まずお母さんに電話入れようかと」

「あ、それはやめといた方がいい」

「え?」


 ぽかんとするメイに、千里は真顔で続けた。

「異界からの電話って基本、通じないから! たまぁに通じても声、ノイズだらけで切れ切れになっちゃってかえって怖がらせちゃうし、メールならだいたい文字化けしちゃう」

「ほ、ほんとに?」


「うん。着信のタイミングが大ズレすることもよくあって、三日遅れなんてまだいい方。年単位で遅れちゃったり、逆に未来から過去に、どうでもいいメールが届いた例もある」

「えええ──!」


「異界は時間の流れ方がちがう、って良く言われるけど、時空? かなにかがズレちゃってるらしいのよ。というか……もしかするとあたしたち人間が『時間ってこんなもの、空間ってこんなもの』って信じてる常識の方が、すごーく偏ってるのかも」

「そ……それはびっくりですね」

「予知する人に言わせると、過去と現在と未来が同時に存在してる次元? もあるっぽい」


 そんな「次元」なんて想像もできない。

 千里は怖いほど真剣に続けた。


「理屈はともかく、これだけは守って。異界に巻きこまれたら絶対、長居しないこと! 戻ってきたら百年たってた、なんてイヤでしょ?」

「それ、スサノオにも言われました。き……気をつけます」

 あらためて胸に刻みつけたところで、千里が「あ、そうだ」と顔をやわらげる。


「撮影スタジオのお掃除、メイちゃん、行けることになったよ」

「ほんとですか? ありがとうございます!」

「今、モデル事務所さんに話通して手続き中だから、もうちょっとだけ待ってね。それと、これは今すぐ決めてほしい、ってわけじゃないけど……」


 千里はあらたまった様子で、言った。


「メイちゃん、お掃除班に来ない?」

「え……」

「今はまだ仮配属でしょ。本配属先が決まるのってふつうは二、三年先なの。でも、メイちゃんさえ良かったら、このままお掃除班に来てほしいな、って。すごく向いてると思うし」

「あはは……あ、ありがとうございます。わたしも、そう思いますけど……」


 まだ他にどんな班があるかさえ、よく知らないし、というメイの心の中のつぶやきを聞いたみたいに、千里は身を乗り出した。


「零課の外勤……現場の処理に出る班は、鎮静(おそうじ)班と討伐班だけよ。非常勤の人や課長は遊撃隊っていうか、無所属のままでいろんな現場に行くけど」

「そうなんですか」


「メイちゃんまさか、討伐班には行かないでしょ」

「そう思います。もののけさんを……たとえ祟り神でもただ滅ぼすなんて、わたしには……」

 言いかけて、メイははたと思い出し顔をあげた。


「そういえば千里さんに、ちょっとおたずねしたいんですが」

「うん?」

「あの……討伐術の練習って、どんなふうにすればいいんでしょうか」

「えっ、練習したいの?」


 信じられないという顔でききかえされてしまい、メイはあわてて説明する。


「命がけで攻撃する術の練習なんて、ふつうできないかな、とは思うんですけど……でも、このあいだ現場で、討伐術撃ったことないの見抜かれて、あぶなくなっちゃって……」

「いや、ベテランだって撃ったことない人の方が多いよ?」

「そうなんですか?」


「一生、使わないですめばその方がいい術だしね」

「で……でも……スサノオが『試し撃ちをしろ』って……」

「ええー? さっすが(いくさ)神、怖いこと言うなあ」


「でないと必要な時に狙った的に当たらない、って。それで、わたし……その……ボール投げるのとか苦手だし、きっと的に当てるの苦労するだろうって変な自信があって……その……」

 しどろもどろになるメイに、千里ははたと手を打った。


「あ、なんだ。的に当てる練習だけなら、討伐術起動しなくてもできるわよ」

 軽トラックの助手席をがさごそやって、荷物の中から付箋(ふせん)を取り出す。

「こういうのをちょっと離れたとこに貼って……うんまあ、風もないし、ここでいいか」

 軽トラのサイドミラーに付箋を一枚、貼りつけた。


「で、ちょっとだけ離れて……こんな感じ」

 二メートルほど離れてふり返ると、サイドミラーからとびだしている付箋を指さす。


「!」


 ぱしっ、という小気味のいい音とともに、付箋が宙に舞った。

 ひらひらと足もとに落ちた付箋をあわてて拾いあげ、メイは息をのむ。

 付箋はただはずれたのではなく、根もとでちぎれていた。

「千里さん、すごい!」


「すごくなんかないよ。軽く念を飛ばしてはじいただけ。討伐術起動できる人なら簡単よ」

「えええー」


 いくらなんでも「簡単」はありえない……! と思ってしまうメイの前で、千里はサイドミラーに新しい付箋を貼りつけた。にっこり、メイをふり返る。

「じゃあ次、メイちゃんね。やってみて」

「……!」


 メイはやってみた。

 真剣に、まじめに、本気で。

 しかし何度やっても付箋はぴくりとも動かない。


(もっと……もっと集中しなきゃ!)

 必死で力むメイを不思議そうにながめて、千里が言った。


「メイちゃん、討伐術の発動はできたんだよね?」

「あ、はい。切り替えないと治癒法術使えない感じでしたから……発動してたと思います」

「そうだよね。威嚇効果もちゃんとあったわけだし……でも念、ぜんぜん飛んでないよ?」

「ほ、ほんとですか?」


「付箋のとこにとまってる苦手な虫を、おっぱらうつもりでやってみて」

 なにも起きなかった。


「付箋についてる糸くずを、はらい落とすようなつもりで」

 なにも起きない。


「ううーん、それじゃ、付箋に邪念のかたまりがくっついてると思って」

 浄化の祈念の輝きがさざ波のように軽トラック全体をなでたが、付箋はそよぎもしない。

 居心地の悪い沈黙が落ちた時、千里のスマホが鳴った。


 緊急の呼び出しで練習はお開きになり、

「この練習はどこででもできるけど」

 あわただしく軽トラックに乗りこみながら、千里はむしろうれしそうに笑った。


「メイちゃんはやっぱり、お掃除班向きだと思うな」

「あう」

「返事はいつでもいいから、お掃除班(うち)に入ること、考えといてね!」

 金色に輝くほうきを満載して走り去る軽トラックを見送って、メイは肩を落とした。


        ◆


「えいっ……えいっ! えーん、なんでびくともしないんだろ」

メイは帰宅するなり冷蔵庫や洗濯機の横、自室やトイレのドアの近くにも付箋を貼った。


 それから数日。


 貼ってある付箋の近くを通るたびに「念を飛ばしてはじく」練習を欠かさないが、今のところ一度も、付箋が動いたことはない。


「えいっ……あ! 今ちょっと動いた! 動きましたよね? キバさん!」

「あー、今のは、部屋の向こうで母者(ははじや)が洗濯物をふった風であろ」


 今日はめずらしく、メイも母も夕飯前に帰宅した。

 メイはお弁当箱を洗い終わったところ。

 母は居間で、子猫を遊ばせながら洗濯物をたたんでいる。母が子猫をおどかさないようこちらに向けてタオルをふるのを見て、メイはがっくりした。


「どうしよう、これじゃぜんぜん、的に当てる練習になんないよー」

 母が小耳にはさんでふり向く。

「どうしたの? なにが練習にならないの?」

「え、あの、ち、ちょっとその……課題がうまくこなせなくて……」


「まあなんでも、やってればそのうちなんとかなるわよ」

「なるかな」

「なるなるー」


 猫じゃらしを相手に夢中で遊んでいた子猫が、こてん、と電池が切れたみたいに眠りこんでしまったので、母は子猫をそうっとケージのベッドに運んだ。

 掛け金をかける母の横から、メイもすやすや眠る愛らしい子猫をのぞきこむ。


「この猫さん、こんなに小さいのに自分で掛け金はずせるなんて……すごいよね!」

「天才よ! そんなにお外に出たいんならもう、掛け金なしでいいかなとも思うんだけど」

 母はメイを見て、たずねた。


「メイ、もしかして本棚の上になにか食べ物、置いてるの?」

「えっ? 食べ物はべつに、置いてないけど……」

 まさか、小さな破壊神がいつもそこで寝てます、とは言えない。


 母は首をひねった。

「じゃあなんでミーちゃん、脱走するたびにメイの部屋の本棚に登っちゃうのかしら」

「さあ……た、高いところが好き、とか?」


 実のところ子猫は、他ならぬ破壊神が、気に入っているようだった。一匹で留守番中、一緒にいてくれる「ひと」を見つけて、なついてしまったらしい。

 驚いたことにスサノオの方も、子猫をうるさがったり追い払ったりする様子がない。


 メイはそれがとても、うれしかった。

 毎日、帰宅するとまず「今日もまた一緒に寝てるかなー」と楽しみにのぞきに行くほどだ。

 もちろん、母の見解はちがった。


「でもミーちゃん、ひとりじゃ本棚から降りられないでしょ? 今日はあたしが降ろしてあげたんだけど、あそこ、あらためて見ると子猫には、それなりの高さだと思うのよ」

「あ……うん」


 子猫を降ろす母の手を避けてくれたにちがいない破壊神に、メイは心の中で猛烈に感謝する。

 なにも知らない母は、あっさり続けた。


「留守中なにかあったら困るし、メイの部屋のドア、今度からきっちり閉めてくれる?」

「えっ! で、でも……換気が……」


 メイがドアストッパーで自室戸口にすき間を確保しているのは、物体をすり抜けることができないスサノオのためだ。母には「部屋の換気のため」と説明していたが──。


「あんたが部屋にいる時は開けっぱなしでいいから」

「ええー」

 いる時はむしろ閉めておきたいメイの不満の声をものともせず、母はにっこり結論した。

「お願いね」

「あう……はい」


「そうだ! 換気なら、窓にほら、あれなんて言うのかしら、防犯錠? みたいなものつけてちょっとだけ開けとけばいいんじゃない? ミーちゃんが出られないぐらい、ちょっぴり」

「そ、そうだね……」


 破壊神が出入りしやすいよう、最近、窓に鍵をかけたことがないメイは冷や汗をかく。

 じゃあ、晩ご飯できたら呼ぶから、という母をあとに、メイはそそくさと二階へあがった。

 部屋に入る前に、ドアの上の壁に貼った付箋をこりずににらみ、指さして狙う。


 せいいっぱい精神集中し「えいっ」と気合いをかけたが今度も、なにも起きなかった。

「……わたし、こういう術、向いてないのかも」

 しょげるメイの頭の上で、小鬼がぼそりとつぶやく。


「向いとらんことはないじゃろ」

「えっ……そ、そうですか?」

「そなた、討伐術とやらをみごと発動していたではないか」

「そう……ですけど、でもいくらがんばっても念飛ばせないし……なにが足りないのかなあ」


「足りぬと言うなら、殺気であろ」

「殺気!」

「あの時のそなたは怖かったぞ! いつもふわふわのそなたの霊気がバチバチになってな。まだなにもしておらんのに、そのへんの車は揺れるわ、近くの瘴気が蒸発するわ……」

「えっ、あの時、そ……そんなことが起きてたんですか?」


 にわかには信じられないメイに、小鬼はため息まじりにアドバイスした。

「そなたは怒りで霊気の質が変わるとみた。あの紙切れに、怒りをぶつけてみてはどうじゃ」

「ええー……」

 メイは、ドアの上に貼った付箋を見やる。


 なんとなく手をあげてはみたものの、付箋相手にどう怒ればいいのか見当もつかない。

「ま……またあとで。宿題、しなきゃ」

 ドアを開けただけでそよそよとなびく付箋を見あげて、メイはため息をついた。

 部屋に入り、母の要望どおりドアストッパーをはずして、きちんとドアを閉めた。


        ◆


 小鬼はメイが部屋に入ると、メイの頭から離れた。

 宙に浮かんだまま、ちらりと横目で本棚の上をうかがう。


 小さな破壊神はいつもの場所に、いつものように寝そべっていた。

 目覚めているが、置物のように静かだ。

 ドアの外のメイと小鬼の会話は聞こえたはずだが、口をはさむ気はないらしい。

 メイも小鬼も見ていない。ただ、おもしろがるような笑みをうっすら、浮かべている。


「…………」


 小鬼はちょっといらだって、戦神なら助言のひとつもしてやれ、と言いかけたが、やめた。

 メイの用心棒になってこの家に住みついて、すでに十日あまり。

 実はまだ一度も、破壊神と言葉を交わしていない。

 声さえ聞いていなかった。


 用心棒になった日は、気絶しているうちにメイに部屋に運びこまれ、知らないところで話がついてしまった。翌朝目覚めた時には、向こうが眠っていた。

 ある晩、破壊神が目覚めているのに気づいたことはあるが、怖かったのでメイの髪にもぐりこんで寝たふりをしているうちに、ほんとうに眠ってしまった。


 その後もなるべくふたりきりにならないよう避け続け──今にいたるというわけだ。

 メイにはりついているおかげで、破壊神を間近に観察する時間は飛躍的に増えた。

 しかし弱点を見つけるどころか、前よりもっと理解できなくなった気がする。


 第一に。

 破壊神は、動かないとなったら石のように動かない。

 目覚めていても平気で何時間でも、まったく同じ姿勢のままでいる。


 観察していると、まばたきもほとんどしない。どうということのないひとつの表情が、星座かなにかのようにいつまでもいつまでも、なんの変化もなく浮かんでいたりする。

 妖怪の基準に照らしても、かなり不気味だ。


 動いたら動いたで、いちいち小鬼の常識をぶち壊すふるまいをする。

「お供え」の受け取り方からしておかしい。

 触れるだけですべてが燃え尽き、灰になる。


 メイお手製の折り紙の剣には、ヌシの身体にも大穴をうがちそうな、大出力の護身法術がかかっている。破壊神はそれも、あっさり灰にしてしまう。それだけでなく──

 剣を灰にした時だけ、うっとりと目を細める。

 ()()()らしい。


 ある晩、メイがお供えに木の実を出した時は、さらに度肝を抜かれた。

 破壊神はお供えを前に動かず、めずらしく、すぐに灰にしなかった。

 メイは、なにか言いたげな顔をした。だがそのまま机に向かい、宿題をはじめた。


 本棚の上の破壊神は起きあがると、無表情に木の実をひとつ、手に取った。

 ぽいと放りあげ、空いた手に次の一個をとり、さらにそれも放りあげ──


 たちまち片手で十数個の木の実を奇術師のように手玉にとり、縦横に宙を舞わせた。

 なのに物音もしなければ気配の揺らぎもなく、そもそも飛ぶ木の実を見てもいない。

 まさに神業。


 小鬼はぽかんと見とれた。見てみい、そなたの神がおもしろいことをしておるぞ、とメイに声をかけようとした、その時。

 無害に宙を舞っていた木の実のうちの三個がほぼ同時に、矢のようにメイの背を直撃した。


 小鬼はあっと息をのんだ。

 しかし木の実は淡い護身の光にはじかれ、なにごともなく床に散らばり落ちた。

 メイは攻撃されたことにさえ気づかなかった。


 破壊神は眉ひとつ動かさず、続けて数発、同じ威力のつぶてを放ち──

 次の瞬間、小鬼は強烈な気の高まりを察知して青ざめた。


 待てい! そんな力で撃っては娘の身体に穴が開くぞ! 殺す気か! と制止しかけた。

 だがなにを言うヒマもなく、壁をぶち抜く威力のつぶてが、メイの後頭部を直撃した。


 ぱっ、とまぶしい金の光が目を射た。


 破壊神の投げた木の実は、メイの後頭部で護身の光に食い止められ、静止していた。

 一秒ほど遅れてころんと転がり、床にこぼれ落ちた。


 メイもなにか感じたらしく、ちょっと手をあげて、後ろ頭をなでた。だがたいして気にした様子もなく、そのまま宿題に戻ってしまった。

 破壊神はにやっとした。満足したらしい。たちどころに残りの木の実を灰にし、寝た。


 小鬼は衝撃のあまり、しばらく動けなかった。

 メイの護身がやけに堅固な理由は、これだ。

 しかしこんな鍛え方をされては、命がいくつあっても足りない。


 小鬼は真剣に怪しんだ。破壊神は実は、メイの命などなんとも思っていないのでは?


 かと思えば。


 その同じ神が、くり返しすり寄る子猫を追い払いもせず、平然と受け入れて一緒に寝る。

 小鬼がバカにして笑っても、怒るどころかふり向きもしない。空気より無反応だ。


 見ていると、メイの朝夕の挨拶、拝礼にも返事をしたためしがない。

 といって無視しているわけでもなく、尊大さも感じられない。もう、わけがわからない。


 そして。


 よく眠る。


 はっきり言って子猫より、寝ている時間が長い。


「……古い神は一度寝るとなかなか目覚めんと話には聞いておったが……うぬぬ、しかしワシの力では寝こみを襲ってもどうにもならぬし……」

 考えを口に出してしまったことに気づき、小鬼はハッと破壊神の方を見る。


 しかし年経た夜叉神はさっきとまったく同じ表情、気配のまま静まりかえっていた。

 宿題を始めたメイも小鬼のひとりごとに気づかず、数式を前にうんうんうなっている。


「…………」


 あれこれ悩んでいるのがバカらしくなってきて、小鬼は部屋の片隅に降りた。

 メイが机の横のカラーボックスの上を片づけ、小鬼用のスペースにしてくれたのである。


 本立てにさしてある日本史の教科書と世界史の教科書は、もう読んでしまった。

 今はメイが学校の図書室で借りてくれた分厚い民話伝説の本と、伝奇小説を読んでいる。

 どちらにもさまざまな鬼が登場するのだが──


「うぬぬ、人の書いた本ゆえやむをえんが、人が勝つ話しか載っとらんではないか!」

 ざっと目を通しておしまいにし、小鬼は小学生向け算数の参考書を開いた。

 分数はおもしろい。九九もおもしろい。三角形の面積の計算に、しばらく熱中する。


 一階から「ごはんよー」というメイの母の声がした。

 メイは「はーい」と返事をしておいて、小鬼のスペースをのぞきこむ。


「一緒に食べにいらっしゃいますか? それとも、あとで取り分けて持ってきましょうか?」

「む、気(づか)い無用じゃ。今宵は腹は減っておらぬゆえ」


 計算結果の答え合わせに夢中の小鬼は、上の空で答えた。「ではちょっと行ってきます」と席を立って行ったメイが、ぱたん、とドアを閉めた音で、ハッと我に返る。


 どっと冷や汗が出た。

 まずい。

 破壊神とふたりきりになってしまった!


「…………」


 どきどきしながらそうっと横目で本棚の方をうかがう。

 この位置からでは本棚の上は見えない。


 だが、その気配にはまったく変化がなかった。いっそ平和な心地がするほどだ。

 小鬼は気を落ち着けるべく、小声で自分に言い聞かせる。


「そうじゃ……あれは雲! 彼方に浮かぶ入道雲とでも思えばよい。いずれ雷鳴を轟かせ夕立を降らせるやもしれぬが、近づかぬかぎりはただの風景……さよう、風景にすぎん」

 声は届いているはずなのになおも海のように無関係な気配に、小鬼はやっと肩の力を抜いた。


 少しだけ、古い神とのつきあい方がわかってきた気がした。

 さわらぬ神に祟りなし、ということわざどおりだ。

 こちらからちょっかいを出さないかぎり、山が起きあがって文句を言うことはない。


 そこにいても、いないも同然。


 と結論したとたん、物足りないような、さびしいような心地に胸がちくりとする。

「…………」

 しかし小鬼はぶるるっと頭をふって、よけいな感傷をふりはらった。


 ちょっと耳をすまし、メイと母親が階下でにぎやかに食事をはじめた気配を確かめて、腹の毛の中に右手をさしこむ。

 影の中から取り出したのは、メイが買ってくれたメモ帳サイズのノートだった。

 うやうやしく表紙をめくる。


 小鬼が上で寝られるほどの紙面は、すでに数ページ、小さな文字で埋まっていた。

 余白には九九のメモや、メイがくれたおにぎりの絵、教師の似顔絵や子猫の寝姿が描き散らかしてある。こんな武器があったらいいのに、という夢を詰めこんだ最強武器をふりかざす、「強くなった自分」の姿を描いたらくがきもあった。


 メイに「いつか書くところを見せてくださいね」と言われているが……


「あやつにこの帳面は、見せられぬのう」


 字は汚いし、絵もヘタクソだ。そのうえ内容の少なくとも半分は、こんなふうにうまくいけば自分でも破壊神をぶっ殺せるのに、というご都合主義まみれの恥ずかしい妄想計画である。

 とても、見せられない。


 今までは誰にも見られぬよう、影伝いに屋根裏にもぐりこんでこそこそ書いていた。

 だが破壊神がこちらにまったく関心を示さないとあれば、別だ。

 灯りのある部屋の方が書きやすいし、ここなら屋根裏とちがってノートが汚れる心配もない。


 小鬼はページの余白に正座し、ふたたび腹の毛の中に手をさしこんだ。

 短い縫い針サイズの筆を、影の中からひっぱりだす。


 すりきれてなくなってしまうまで墨なしで書ける、あやかし印、千年筆である。

 筆先をぺろりとなめて整え、まず日付を書きこんだ。続けて──


『吾輩は鬼である。うむ、今日はこの書き出しで始めようと思うておった。ポンコツ娘の学校の書庫で、夏目なにがしという小説家の、猫が語り手の小説を見つけて読んだのである。猫に語らせるとは人間にしては粋な物書きである。もしや鬼を語り手にした本を書いていないか調べてもろうたが、遺憾ながらないようじゃ。まっこと残念至極』


「む?」


 残念至極、の「極」の字を書いている途中で墨が急に薄くなり、文字がかすれてしまった。

 よくよく見ると「至極」の「至」の途中からすでに墨が薄い。

 筆先をあらためると、真っ黒なはずの穂先がいつの間にか灰色になっている。


「むう、これはいったい……」


 穂先を下に筆を軽くふり、そのまま「極」の字の続きを書いてみた。

 薄い。読めない。

 余白スペースに筆を当て、思いっきり太い線をひいてみる。

 まったく色がつかなかった。


「バ……バカな! まだ穂先は無事じゃというになにゆえ墨が……不良品か? も、もしや千年使えるというのがそもそもでたらめ……いやいや、千年筆は有名じゃ! 軸の焼き印も本物……に見えるが……偽物なのか? ワシはあの行商人めに偽物をつかまされたのか……?」


 どうしても、どうしても欲しくて、とっておきの霊泉の石と交換して手に入れた筆だ。

 まさか偽物とは信じたくなくて、小鬼は筆の軸をぎゅうっとしぼってみたり、ふりまわしてみたり、なんとか墨を出そうと悪戦苦闘する。


 だが、出ない。

 ついに真っ白になってしまった筆を手に、情けなさと悔しさに泣きそうになった時、


「力をこめろ」


 背後から響いた破壊神の声に、小鬼は文字通り跳びあがった。

 全身の毛を逆立ててふり向く。

 すぐそこの空中に、小さな破壊神がなんの気配もなく立っていた。



           はじめの一歩②へ続く


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