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幕間 家猫修行

母が拾ってきた、迷い猫の正体は……

「おとといぐらいだったかな、お店の倉庫で子猫の声聞いた、っていう人が何人かいたの。でも探しても見つからなかったし、すぐ静かになっちゃったからみんな忘れてたんだけど……今朝、倉庫で、この子が見つかったもんだから」


 メイは、母が猫用のケージを組み立てるのを手伝いながら、興味津々でたずねる。

「誰が見つけたの?」


「それが実は、あたしなの。倉庫で作業してたらね、廃棄用段ボールの後ろになにか落ちてるのに気がついてね。布地のサンプルかなって思ってひっぱりだしてみたら……びっくりしたわよ、子猫なんだもん! ぐったりしてるしつめたいし、最初死んじゃってるって思って……」


 母はせつなそうに言葉を切った。

 ケージのパーツを確かめ、はめこみながら続ける。


「かわいそうでしばらく抱っこしてなでてるうちに、まだ息してるのに気がついてね、あわててホットドリンク湯たんぽ代わりにしてタオルでくるんで、近くの動物病院に駆けこんだの! あ、それでシフト、遅番の人と交換してもらったんで、今夜は遅くなっちゃったんだけど」


「猫さん、病気なの? ケガしてたとか?」

 心配になるメイに、母は首を横にふった。


「ううん『低体温と脱水だけです。良かったですね』って言われた。離乳食はじまったばっかりぐらいの子なのに、お母さんとはぐれて、二、三日、なんにも食べてなかったんじゃないか、って。病院で手当してもらって、猫ミルクもらったら夢中で飲んで、こてんと寝ちゃって」


「さっきのぞいたら起きてたよ。なんか、すごく……警戒? してる感じだった」

「ぜんぜん人慣れしてないよね。体力ないはずなのに、目が覚めたらすっごい威嚇してきて」

 母は子猫用の猫トイレを説明書を見ながら組み立て、メイはペットヒーターを準備する。


「あ、メイ、大きめのバスタオル、何枚かとってきて」

「はーい」

 母娘はコンパクトなケージをバスタオルと古い毛布で丁寧におおい、保温した。


 メイは、早く子猫を見たくてキャリーの方をちらちら見てしまう。

「野良さんなら、飼い主さん探さなくてもすむね」

「いちおうね、あとで写真撮って『保護してます』ってビラは作るつもりだけど……あんな、よちよち歩きの子猫が、ひとりで家から迷い出るわけないじゃない?」


「うちの子になってくれるといいねー」

「ね!」

「キャリーの奥、暗くてよく見えなかったんだけど、どんな猫さん?」


「三毛! まだぽわぽわのうぶ毛で模様はっきりしてないけど、でもきれいな三毛さんよ」

「ミルク、一日に何回あげればいいのかな」

「あ、病院で聞いて、メモとってきた! 待ってね、今、見せるから」


「お父さん、びっくりするね」

「ふふ、もうメール送ったー。寝てる子猫の写真撮ってね、『うちの子にしました』って」

「お父さん、なんて?」

「『ずるい。いいなー。早くうちに帰りたい』って」


 そろってくすくす笑い、母娘はいそいそと子猫のためのスペースを作りあげる。

 母は猫用哺乳瓶を洗って煮沸。メイにやり方を教えながら猫用粉ミルクを計り、沸かしてさましたお湯を入れ、哺乳瓶を片手で手際よくふって溶かす。


「お……お母さん、なんかすごく、手慣れてるね!」

「あんた育てる時に、たくさんやったもん」


 母は哺乳瓶が適切な温度まで冷めたのを確認すると、子猫の入っているキャリーの扉と、屋根もそっとはずした。すみで固まっている子猫を、タオルごと抱きあげる。


「わあ、ちっちゃい……!」


 こんな幼い猫を見るのは初めてのメイは、目をみはった。

 小鬼よりは大きいが、手のひらにすっぽりおさまるサイズ。うぶ毛がいかにも幼い。


 子猫はメイと目が合うと、乳歯ののぞく小さな口をいっぱいに開けて、一人前に威嚇した。

 しかしフー、という威嚇音は高すぎて、ほとんど聞こえない。


「か……可愛いー」

「だよねー。あ、獣医さんが言うには、猫さんは人間とちがってミルクあげる時、仰向けにしちゃいけないんだって。こんなふうに腹ばいの態勢にしてあげてから……」


 母は椅子にすわり、膝に子猫を置いて優しくなでながら、

「これぐらいの角度でミルク、あげてください、って」

 そうっと哺乳瓶を近づける。


 聞こえない声でフーシャー言っていた子猫は、ミルクのにおいに気づくなり哺乳瓶の吸い口にかじりついた。目をつむり、無心に飲みはじめると、前足が自然に動いて宙を踏み踏みする。

 かすかにゴロゴロ、のどを鳴らす音が聞こえはじめ、


「か……可愛すぎるー」

 なんだかじんわり泣けてきてしまうメイに、母は笑った。

「いい子だよねー。すぐに馴れてくれそう」


「次のミルクは、わたしがあげてもいい?」

「もちろん! 先生が言うには、このぐらいの子なら夜間の授乳はしなくていいって。明日の朝、起きたらすぐ、お願いね。やり方のメモ、食卓に置いとくから」

「うれしい! 早起きするー」


 ミルクを飲み終わる前に、子猫はうとうとしはじめた。前足の動きがだんだん遅くなり、間遠になり、それでもがんばって飲んでいたが、ついに動きが止まる。

「あ、寝ちゃった」

「疲れてるのよ」


 母は子猫のゆるんだ口もとから哺乳瓶をとり、口もとにこぼれたミルクをふいてやった。

 指先でちょっと子猫の額をなでると立ちあがり、組み立てたばかりのケージへ向かう。


 中に置いた猫ベッドの、ヒーターが熱すぎないか手を当てて確かめてから、電池が切れたみたいに眠っている子猫を、タオルごとそっと寝かせた。

 音を立てないよう、ケージの掛け金を静かにかける。


「うわあ、うちに猫さんがいるなんて……夢みたい」

「散財しちゃったから、お仕事がんばらないと」

「わたしも猫さんのご飯代とか、出すー」

「あら、メイったら太っ腹」


「名前どうする? お母さん、もうなにか考えた?」

「もちろん! 候補は三つあるんだけどねー」

 母娘は眠る子猫に遠慮して、ささやき声で盛りあがりながら居間を出、灯りを消す。

 神納家の居間は、名なしの子猫のものになった。


        ◆


 子猫は無心に、猫トイレのチップをかいていた。

 お昼に、大きい方の「おかあさん」に離乳食をもらって、トイレをすませたところ。


 うまく埋められたので満足して、よいしょ、とトイレのふちを乗りこえ、ケージの床に降りた。敷かれたタオルをひっかいたり、下にもぐろうとしてみたりして遊ぶ。


 でんぐり返しをしてあおむけになったまま、キトンブルーの瞳でぽかんと、誰もいない、明るい居間をながめた。


 ごはんを出してくれた大きい「おかあさん」はまた出かけた。

 誰もいないけど、安心。


 ここはあったかくて、ごはんがあって、静かで、「おかあさん」もいる。

 それも、大きいのと小さいの、ふたりもいる。

 どっちもごはんをくれる。やさしい声で鳴く。なでてくれる。ついゴロゴロ言ってしまう。


 それから小さい、鬼がいる。

 ちょうどじゃれつきたくなる大きさで、手が届くか届かないかという高さをふわふわ、からかうみたいに飛びまわるので、楽しい。

 今はいない。つまんない──と、思ったその時。


(!)


 ミコは唐突に化け猫の自意識を取り戻し、ぎょっとまばたきした。


(うそだろ! 今、あたい、自分が誰だか忘れてたっ!)


あわてて起き直り、必死で記憶をたどり直す。

 夜の繁華街でいきなり魔法が発動し、生身の、ただの子猫になってからの時間経過はあいまいだった。なにしろすぐ疲れるし、眠くなるし、空腹になる。


 そのうえむしょうに寒くてたまらず、ずっと震えながら、人間や妖怪、カラスから逃げ回っているうちにうす暗いすき間に転げ落ちてしまった。

 出られなくなり……次に気がついたら、薬臭い動物病院の診察台にいた。


 知らない顔なのに、どことなく知ってるにおいのする女がミコをかごに詰めて運び──


(そう! メイ! あの鈍くさ娘っ! 霊能者のくせしてあたいを見て、なんであたいだって気がつかないんだよっ!)


 運びこまれた家の中からメイが出てきた時は、やった! これで助かった! と思ったのに、メイはミコに気づきもせず、面と向かって悪態を並べても、聞こえてもいないようだった。


(なんで……なんで……)


 そこでやっと思い出す。

 この魔法は試練なのだ。

 しかもその試練は、自分ひとりで乗りこえなくてはならない。それまでは──


『神も人も、このわたくしも……誰ひとり、あなたがどれほど訴えても、もはやあなたがそこにいることにさえ気づかないでしょう』


 というアナスタシアの言葉が脳裏によみがえり、ミコは全身の毛を逆立てる。


(でもっ……かんじんのその試練の中身がわかんないのに、どうすればいいってのさ? こんな……乳歯も生えそろってないちび猫になってメイと、メイの母親に世話されるなんて……)


 しかも、メイの母親がさしだす温かいミルクのにおいをかいだ瞬間、化け猫としての意識が途切れてしまったような気がする。


(やだーっ! 化け猫の恥! こっ、こんな屈辱……耐えらんないよお!)


 子猫の身体で頭を抱えてじたばたするうち、はっと思い出した。

 アナスタシアは確か、試練解決には時間制限がある、とも言っていたはずだ。

 日がたつにつれ、記憶をなくしていく、思考力もなくなっていく……と。

 息をのんだ。


(えっ……ここんち来てから今日って……何日め? 来てすぐ猫の意識しかなくなっちゃったから、日付はわかんないけど……でも絶対、二、三日はたってる! 魔法が発動してからメイの母親に拾われるまでだってきっとそれぐらいはたってて……もっ、もしかしてタイムリミット、近づいてるってことかい? あるいはとっくにすぎちまってる……とか……)


 しかも、運良くメイの家にたどりついたというのに、メイは自分に気づいてもくれない。

 あと、気づいてくれそうな相手といえばスサノオぐらいしか思い当たらないが──


(? そういえばスサノオ様はどこにいらっしゃるんだろ? 見たことないちび鬼はうろちょろしてるけど、スサノオ様は一度もお見かけしていない気が……)


 ただの子猫だった間に、小耳にはさんでいたメイと小鬼の会話の音声を、苦労して記憶からひっぱりだし、言語として理解し直す。


 メイの守護神はいつも、二階で寝ている、とかなんとか言っていたようだ。

(このうちの二階に、スサノオ様がいらっしゃる!)

 ミコはキトンブルーの瞳を輝かせた。


アナスタシアは「神にも気づいてもらえない」と断言していたけれど、破壊神は例外ではないだろうか。そばに行って直接訴えれば、きっと気づいてもらえるにちがいない!


 希望に燃えて、ミコは子猫の身体ですっくと立ちあがった。

 ケージの掛け金をはずすためだ。

 子猫の前足は細く、簡単にケージのすきまから出せた。


 しかも掛け金は、ただひっかけてあるだけのシンプルなもの。

 子猫の前足が不器用なので手間取ったが、それでも十秒とかからず、はずすことに成功。

 ミコはケージの扉を押し開け、外に出た。


 幼い耳をぴくつかせる。


 メイとメイの母が登り降りする時の足音で、階段の位置はだいたいわかっていた。

 とててて、と小走りに居間を横切り、開けっぱなしの扉から廊下に出る。

 迷わず階段のある方へ曲がり、最初の一段にたどりついて……あぜんとした。


 一段が、高い。


 後ろ足で立ちあがり、いっぱいに背伸びしてやっと、前足が次の段にかかるぐらい。


(こっ……これぐらいなんてことないっ!)


 前足のツメをひっかけ、後ろ足でじたばたとあちこち蹴りまくり、なんとかよじ登った。

 ふうふう息を切らして、しばし達成感にひたる。


(ほら! できたじゃんか。次! 次!)


 気がせいて、まちがったタイミングで跳びあがろうとして鼻面をぶつけたり、ツメがひっかかりきらずにずり落ちたりしながら、がむしゃらにさらに数段、登った。


 もう疲れてきた。


「みー」という、我ながらなさけない声が口からもれてしまう。

 引き返そうかな、と思って来た道をふり返ったとたん、背筋の毛が逆立つのがわかった。


 高い。


 ほんの数段登ってきただけの階段が、断崖絶壁を見おろすように感じられる。

 怖い。

 化け猫は空を飛べる。力も強い。生まれてこのかた、高さを恐れたことは一度もない。


 でもここ数日で、生身の子猫はほんの少しの段差でも簡単に転げ落ちるし、四肢は信じられないほど弱くて、ほんのちょっとの落下の衝撃さえ吸収できない、ということを知った。


 落ちてなにかにぶつかれば痛い。

 目から火花が散るような思いもしたし、小さなツメの一本はすでに欠けている。


(ダメ。ムリ)


 本能的恐怖に身がすくんだ。

 この身体の不器用さ、弱さではとても、この階段を無事「降り」られそうにない。

 では、進むしかない。


 階段に向き直り、次の一段に挑む。

 さっきよりはうまく登れた。

 よし、次の一段。

 さらに次の一段。


(ダメだァ、もう、もう足が動かないよ……ちょっとだけ……ちょっとだけ休んで……)


 ぺたんと腰をおろしたとたん、こっくり船をこぎかけて、あわてて頭をプルプルふる。


(ねっ、寝ちゃダメ! メイたちが帰ってくる前にたどりつかなきゃ、連れ戻されちまう!)


 ふたたび階段に挑む。

 死にものぐるいでよじ登り続け、何段登ったか、数えるのも忘れたころ。

 しゃにむに段差をはいあがって顔をあげると──

 次の段が、なかった。


(あっは! やったァ! ざまあみろ、てっぺん……二階だァ!)


 人間の姿だったら万歳して跳ね回りたいぐらいうれしかったが、あいにく子猫の身体はそういうふうにはできていない。そんな余力もない。


 ミコはぽて、とその場に横倒しになってふうふうと荒い息が落ちつくのを待ち、それからやっと、あたりを見まわした。


 狭い廊下に面して、片側にドアがふたつ。反対側にドアがひとつ。

 どれがメイの部屋かと悩む必要はなかった。

 ふたつ並んだドアの奥の方に、『MAY』というプレートがかけてある。


 都合のいいことにそのドアだけ、足もとに小さなドアストッパーをはさみ、閉まりきらないようにしてあった。簡単に入れそうだ。


(あそこにスサノオ様が……こ……こんななさけないあたいをごらんになったら、なんておっしゃるか……ああもうっ、ビビってないで……そら、行きなっ!)


 自分にハッパをかけ、無意識に足音を忍ばせてドアに近づいた。

 数秒ためらってから、思い切ってすき間に鼻先をつっこみ、すり抜け、室内へ入る。


(……メイのやつ、こんな部屋に住んでんの?)


 ばくぜんと想像していたより、ずっと小さい部屋だった。

 蛇女神(ナーギニー)の店の、物置より狭い。

 ベッドと学習机、小さめの本棚ひとつしかないのに、きゅうくつな感じがするぐらい。


 そのうえダサい。

 椅子の背にかけられたパジャマのいちご模様に気づき、ミコは軽蔑のあまり鼻を鳴らした。


(縮身してらっしゃるとはいえ、こんな狭苦しい部屋のどこに、スサノオ様が……)

 しばらく室内をうろうろしてみたが、あいにく子猫の体格では、いくらのびあがっても本棚の上どころか、机の上さえよく見えない。


(気配もぜんぜん感じられない……ってことは、眠ってらっしゃるんだね)


 妖怪は普通、眠る時は気配を消す。

 隠形(おんぎよう)し、姿まですっかり見えなくなってしまうものさえいる。

 無防備になるのだから当然だ。


(お呼びしてみよう……スサノオ様! ミコです! 化け猫のミコです! 困っています! 申し訳ありませんが、助けていただきたいんです!)


 ミコは子猫の身体でせいいっぱい声をはりあげ、みーみー鳴いた。

 しかし、たっぷり五分、がんばって鳴き続けたが、なんの反応もない。


(……今日にかぎってお留守……なのかな)

 せっかくここまで、がんばって登ってきたのに。

 反動で、むらむらと腹が立ってきた。


(あー、くさくさするっ! あたいがこんなバカみたいな苦労してんのも、なにやってもうまくいかないのも、こんな鈍くさい、なんにもできないちび猫になっちまったのも、ぜんぶぜんぶぜえぇーんぶ、メイのやつのせいだっ! あいつさえいなけりゃ、今ごろ……)


 今ごろ、なんだろう。

 メイと出会っていなければ、今なにをして、どんなふうにすごしていただろう?


(…………)


 なぜかなにも思い浮かばない。その事実にますます腹が立って、ミコは子猫の姿でのびあがり、メイのベッドのベッドカバーで思いっきりツメをといでやった。


 といっても子猫のツメだから、気が晴れるような傷はひとつもつかない。

 それどころか細いツメが布目にひっかかってとれなくなり、宙ぶらりんになってしまった。


(きいーっ! ああもう腹立つったら! 取れろっ、この……いまいましい布地だねっ!)

 フーシャー怒りながらじたばた暴れている最中、突然、ぞくっ、とした。


 全身の毛がぶわっと逆立ち、身体が固まってしまう。

 猛獣の気配……いや、夜叉神の気配だ!


(スサノオ様だ! あたいの怒りに反応なさったんだ!)

 ミコはツメ一本でベッドにぶらさがったまま、喜びのあまりゴロゴロのどを鳴らした。


 猫は、ごく普通の猫でも、妖異を見ることができる。感じることもできる。

恐ろしい気配は一秒とたたずに消えてしまい、ミコがみーみー鳴いてもふたたび発せられることはなかったが──


(本棚の上だ! あそこにいらっしゃるんだ!)


小さな破壊神の居場所はわかった。

ミコはなんとかベッドカバーからツメをはずして床に転がり落ちると、めげずに起き直る。

 小走りに本棚の下に駆け寄った。

 見あげる。


 子猫の目からはそびえたつような本棚だった。

 しかし安物のうえ年代物で、ひび割れた化粧板を隠すため、側面に布を貼ってある。

(これなら……登れるっ!)

 ミコはためらうことなく布地にツメを立て、登りはじめた。


 猫のツメはひっかかった時、手前にひっぱってはずすのはむずかしいが、押すとわりあい、簡単にはずれる。四肢のツメすべてを使い、本棚の側面にかじりつくようにして登っていくのは、階段をよじ登るよりずっとやさしかった。


(なんだい、たいしたことないじゃんか! もうちょっと……あと少し……えいやっ)


気合いとともにくりだした前足のツメが、本棚の天板をとらえる。

無我夢中ではいあがり、顔をあげると……


(…………)


 不細工な編みぐるみが、視界をふさいでいた。

 どんぐりのキャラクターらしいが、なぜかピンク。子猫から見ると大岩ぐらいはある。


(ったく、とことん趣味の悪い女だねっ)


いかにも手作りで、多くの人が素直に「可愛い」と評するであろうほのぼのしたデザインだったが、ミコにとっては悪趣味以外のなにものでもなかった。


(こんな……こんなくそダサいもんを、スサノオ様が休んでいらっしゃる横に置くなんて!)

 編みぐるみの前か後ろをすり抜けることはできそうだったが、こんなものをわざわざよけて進むのもシャクにさわる。


(フフン……どうせ編みぐるみなんて、図体だけの見かけ倒し。軽いに決まってるじゃん)

 ミコは、ついでに本棚からたたき落としてやろうと、ぽふ、と猫パンチをくらわせた。

(…………)


びくともしない。


ぽふ。


 ぽふぽふ。


 何度たたいても、のどかな表情の巨大どんぐりは揺れもしなかった。


 ミコはかっとなって後ろ足で立ちあがり、子猫の小さい両前足でむちゃくちゃに殴りかかる。

(ちくしょうっ、バカにすんなっ! くそダサい編みぐるみのくせにっ! おまえなんか、おまえなんかこうして、こうっ……)


 ツメがひっかかった。

 はずれない。

 あわててはずそうと前足をふるが、後ろ足でのびあがっている態勢ではうまくいかない。


 しかも、頼みの足はとっくに疲れ切ってへろへろだった。

 あちらによたつき、こちらによたつき、次の瞬間、


(あ)


 子猫の体重がかかったとたん、編みぐるみがぐらりと傾いた。

 ミコはひっかかったツメをはずせないまま、大きな編みぐるみもろとも、本棚のてっぺんから宙に投げ出され──


「なにをしてるんだ、おまえは」


 なつかしい声が耳もとで言った。

 ミコは空中で停まっている自分に気づいて、目をぱちくりする。


 首の後ろをつかまれているのを感じた。

 編みぐるみだけがミコのツメからはずれて落下、はるか下方の床に転がる。

 子猫のミコは持ちあげられ、本棚の上に──信じられないほどそっと、降ろされた。


 ぼうぜんとすわりこんでいるミコの前に、小さな破壊神が降り立った。

 つめたい銀の目で、子猫の頭の先から尻尾の先まで検分する。

「ケガはないな。おまえがケガをするとメイと母親がうるさ……」


 ミコは全力で、猫流の感謝の頭突きを、小さな破壊神にぶちかました。

 子猫にとって夜叉神は岩より硬く、金属の柱にぶつけたみたいに頭が痛んだ。

 かまわず、二度、三度と感謝の頭突きをぶつける。


 特大のゴロゴロ音がのどの奥からほとばしり、小さな破壊神はいぶかしそうな声を出した。


「妙な猫だな。俺が怖くないのか。獣は逃げるのがふつうだぞ」


(うれしい……ありがとう……ありがとうございます! こんなバカな……バカなあたいなんかを……助けてくださって……)


 鬼の首も素手であっさりむしりとる破壊神が、幼い猫の首の皮に傷ひとつつけず、落下から救ってくれたのだ。ミコはもう、すべての願いがかなったような心地だった。

 子猫の目を感動の涙にうるませ、小さな破壊神にぐりぐりと頭をすりつける。


(あたい、ミコです。わかんないんですよね。でもいいです。あたいが誰だかわかんなくても、スサノオ様は助けてくださった……! それだけでじゅうぶんです……!)


「おまえ……どこかおかしいんじゃねえのか」

 子猫のあまりのなつっこさに、小さな破壊神は当惑したようにつぶやく。


 勢いに流されたか、あるいは、押しやろうとする手が混乱したのかもしれない。

 破壊神は一度だけ。

 子猫の額を軽くなでた。


        ◆


 夜七時。

 メイは走って帰宅した。


 遅番の母に夕方の授乳をたのまれ、今日の担当現場を半分片づけたところで、いったん帰って来たのだ。竹ぼうきを玄関のたたきに置き、大急ぎで靴を脱ぎながら、

「猫さん、ただいまー。遅くなってごめんね! すぐミルクの準備するから……」

 居間に向かって声をかけるメイに、頭の上から小鬼がツッコむ。


「子猫にかように話しかけても、言葉は通じまいに」

「気持ちは伝わると思うの。猫さんー」

 荷物を玄関に置き、居間とキッチンの灯りをつける。


 母にたのまれて買ってきた食材を冷蔵庫にしまい、猫ミルクを溶かすため、やかんを火にかける。それからもう一度、居間をのぞき──息をのんだ。

「ケージが開いてる!」


「なんと! 母者(ははじや)が昼に、閉め忘れたか?」

「さ……さすがにそれはないと思うけど……猫さん!」

 ケージの中をメイが確かめる間に、小鬼が居間とキッチンを、すばやく飛んで見て回り、


「家具のすき間や裏にも、もぐりこんだり落ちたりした形跡はないのう」

「窓は……」

「どれも施錠されておる」


 風呂場とトイレの戸は閉まっていた。あとは二階しかない。

 メイはあわてて二階に駆けあがった。廊下のゴミ箱の陰と、窓のカーテンの陰を確認し、それから、唯一ドアがすいている自室に入って灯りをつける。


 破壊神に、なにか見ていないかたずねようと本棚の上をふり返って、

「!」

 目を丸くした。


 どうやって登ったのだろう。

 幼い子猫は本棚の上、破壊神の定位置にいた。

 天板のど真ん中で短い四肢を投げ出し、あおむけで熟睡している。

 そして──


 その子猫を枕に、小さな破壊神もぐっすり眠っていた。


「…………」


 なにがどうしてこんなことになったのか、想像もつかない。

 つかないけれど──

 奇跡の光景に、メイは声もなく見とれてしまう。

 そこへ、遅れて部屋に入ってきた小鬼が同じ光景を目にして、ぶは! と吹き出した。


「ぐわはははは! い、いったいあやつはなにをしておるのじゃ! いにしえの夜叉神ともあろうものが幼い猫に寝床をとられて仲良う添い寝とは……んむぐぐ」

 ふり返ったメイに思いっきり(しーっ)と身ぶりでたしなめられ、あわてて口を押さえる。


 幸い、子猫も破壊神も目を覚まさなかった。

 メイは部屋の灯りを消し、子猫のミルクを準備するため足音を忍ばせて部屋を出る。

 子猫が目を覚まし、ミルクを欲しがってみーみー鳴き始めるまでそっとしておこう、と思う。


(だって……ふたりともよく寝てるのに、起こすなんてできないよー)

 残りの仕事はそのあとにすませることになるから、きっとまた帰りがまた遅くなって、母ににらまれるだろうけれど──


 そんなことはぜんぜん気にならないぐらい、メイは幸せだった。



 メイの母はその晩、子猫の名前を決めた。

 寝る前のミルクをもらって、満腹した子猫は眠たそうにゴロゴロのどを鳴らしている。その背や頭を優しくなでながら、メイの母はそっと話しかけた。


「ミーちゃん。あんたの名前は今日から、ミーちゃんね」


 子猫はキトンブルーの瞳できょとんと母を見あげ、小首をかしげる。


 一瞬、ゴロゴロがとぎれた。

 しかし、よくわからなかったらしい。

 ふたたびゴロゴロという幸福の響きで、小さい身体を無心に震わせる。


 名なしの子猫は、「ミーちゃん」になった。




    

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