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用心棒、がんばる②

 電車とバスを乗り継いでおよそ半時間。

 メイは最後の現場にたどりつくなり、「やっぱり!」と声をあげた。


「ここ、十日ほど前にお掃除したばかりです。なのになんでこんな……」


 古びてうす暗い街灯に照らされているのは、小さな駐車場だった。

 住宅街のはずれにあり、せいぜい十台ぶんのスペースしかない。


 舗装どころか砂利敷きもされておらず、雨が降るとひどくぬかるむのだろう。乾いた土には、つまずいたら転びそうな深いわだちが刻まれていた。


 夜九時近いのに、停まっている車は三台だけ。

 確か、前回来た時も三台だけだった。

そして──


 せまい敷地にはびこっているのは、鉄条網のような、ケガレのイバラ。

 祟り神の丘で見たほど巨大ではないが、トゲが鋭く、長い。

 具象化しきらない黒いもやのような瘴気までただよっていて、息が詰まりそうだ。


「呪いのニオイがするのう」

 小鬼がひくひくと鼻をうごめかし、ぶるるっ、と身震いする。メイは驚いた。

「これって、呪いのせいなんですか?」


「この腐ったようなニオイは、呪いじゃ」

「呪術を使う人か妖怪が、この場所を使っている、ということかもしれませんね。それならこんなに早くケガレがたまるのも納得です」

 メイは通学鞄を道のわきに置き、竹ぼうきを手に呼吸をととのえる。


「ちょっと待ってください。ほうきに護身法術、かけます」

 毎日のようにお供えに添える折り紙の剣にかけているので、手慣れたものだ。

 目を閉じ、シンプルな祭文を静かに唱えながら祈念をこらし、右手でほうきの柄を端から端まで、ゆっくりとなぞっていく。


 なぞり終えて目を開くと、竹ぼうきは穂先までしっかり、淡い金色の光を帯びていた。

 ここまでの「お掃除」で少し煤けていた部分も、もとどおりきれいになっている。

 流れてくる瘴気も押しやられ、少なくとも周囲の空気は軽くなった。

「うん」


 にっこりするメイの背後で、小鬼が跳びすさって距離をとる。

「なっ……なんて物騒なしろものを作るんじゃ! うわわ、バカ者! こちらに向けるなっ」

「え? でもこれ、たぶんキバさんには害がないと思うんですが……」

「たぶんじゃ困るっ! そんなもんに触れたら、ワシなんぞ一発で塵に……」


その時。


 ふうっと街灯が暗くなった。

 メイは反射的に身構え、息をのむ。


 さっきまで誰もいなかった駐車場の真ん中に、黒っぽい服の男が立っていた。

上は丸首シャツにパーカー、下はスウェットだろうか。十一月の夜なのに、素足にビーチサンダルをひっかけている。なで肩で、両手をポケットにつっこみ、だらしない印象。

 妙にひらたい感じの顔をかしげ、にたあ、と笑った。


「へえ? そこにいるチビ、見覚えあんなあ」

 言ったかと思うともう、メイの目の前にいる。

 法術の輝きをまとったほうきを恐れもせず、声もなく固まるメイをのぞきこむ。


「零課のお嬢ちゃん、あんたがそのチビ、飼ってんのかい」

 口もとからギザギザの、のこぎりのような歯がのぞき、獣のにおいがした。


(妖怪! もののけさんだ! すごく……強い! ふつうのヌシさまより……)


「しつけのなってねえ嬢ちゃんだなあ。たずねてんだから返事しろよ。うおおーい」

 という声の恐ろしい「圧」に、メイは、千里から習ったばかりの防御の「一線」をひこうとする。


 その時、小鬼が空から降ってきて、見知らぬもののけとメイとの間に立ちはだかった。

「小娘っ、こやつの語りかけに応じてはならん! 術をかけられるぞっ」

「かかりません」

 メイは断言して、祈念で自分と、男の姿をしたもののけとの間に「一線」をひく。


 具体的には足もとの地面に、光の線をイメージするのだが、そのとたん、

「!」

 どっと立ちあがった光の壁にはじかれて、男は「おっとと」とのけぞった。


 だがその顔から、笑みは消えていない。

「ケヒヒッ、まあ、零課だしなあ」

 光の壁に触れた胸もとからあがる煙を軽くはたいて消し、メイとともに光の壁に守られている小鬼へあごをしゃくった。


「で、よぉ。そいつは、嬢ちゃんが飼ってんのかい? あんたの式かい、ってきいてんの」

 メイがなにか言うより先に、小鬼が牙をむいてわめいた。

「ワシは誰にも飼われてなぞおらん! ワシはこの小娘の用心棒をしてやっとるだけじゃ!」

「ウケケケ、おめえが? この嬢ちゃんの、用心棒?」


 男はキィキィ響く甲高い声を発し、腹を抱えて笑った。

「ヒーヒヒヒ、あー笑かしてくれるわ。まあ、そういうことにしといてやってもいいがよう」

 ゆらりとしなうように身体を揺らし、こちらを見る顔が少しずつ、黒い、イタチのような獣に変わってゆく。小さな両目に鬼火を宿し、肌がちりちりするほどの妖気を放って言った。

「チビ鬼。うちから盗んだもん、返しな」


「小娘、逃げよ」

 メイに背を向けたまま、小鬼が言った。

「で、でもキバさ……」

「こやつは悪名高い呪具作り。並みのヌシより強いのは、見ればわかるであろう? 逃げよ。こやつのねらいはワシじゃ。そなたを巻きこんでは鬼の名折れ」


 言うなり小鬼はメイの防御の「一線」をみずから飛び出し、大妖怪の前に降り立った。

 恐怖と緊張に毛を逆立てながらも逃げずに、自分よりはるかに大きい相手を見あげて言う。

「返せるものなら返したいが、あいにく、返すことはできぬ」


「なんだとう?」

「あれは、壊れてしもうた」

「ウソつきゃあがれ。あの槍がそぉんなあっさり、壊れるわけが……」

暗黒神(マハーカーラ)に打ちこんだら、当たっただけで折れて砕けて、塵になってしもうたのじゃ」


 メイはあっ、と息をのんだ。

(そういえばキバさん、スサノオのこと何度も襲ったって……盗んだ武器で襲ってたの?)


「すまんかった」

 小鬼はがば、とその場に土下座した。

「これこのとおり、あやまるゆえ、許してはくれまいか」

「……気に入らねえなあ」

 イタチ頭の大妖怪は、ゆらり、ゆらりとやわらかい身体を左右に揺らした。


 まばたきしない目に宿る鬼火が、弱々しい街灯の光よりも強く、不穏な尾をひく。

「ふざけてんのか、なめてやがんのか……それとも両方かあ?」

 おもむろに片足をあげ、こぶしひとつにも満たない小鬼を、踏んだ。

「!」


 小鬼がぎゃふっ、と悲鳴をあげ、メイは全身の血の気がひく。

 力の差は少なく見積もってもヒグマとアリぐらい。本気で踏まれたら妖怪だって即死だ。

 しかし、


暗黒神(マハーカーラ)に当たって壊れただあ? ケッ、寝言は寝て言えや。おめえごときチビが夜叉神に挑める器かよ! 売っぱらっちまったんだろ? だから持ってねえだけなんだろ? どこのどいつに売りやがったんだ、言えよ」


 イタチ頭の大妖怪は殺してしまわない程度に加減して、悲鳴をあげ、丸まることしかできない小鬼をげしげしと踏みつけ続ける。

 メイは見かねて叫んだ。

「やっ……やめてください!」


「はあ? なにを?」

イタチ頭の大妖怪は、ビーチサンダルをはいた足でこれ見よがしに小鬼を踏みにじり、にたあ、とぎざぎさののこぎり歯をむき出す。


「確か零課にゃあ、妖怪同士のいざこざに首をつっこむ権限はないはずだよなあ? しかもこのクソチビは、オレ様のものを盗みやがったんだぜえ」

「そ……それはそうですけど……でもっ……」

 ハッと気づいた。


(キバさん、このひとのこと『呪具作り』って言ってた! ということは……)


「ひ……人の居住地の一キロ以内で呪術を行うのは出雲法違反です! しかもくり返し同じ場所で、ケガレがこんなにたまるほど……」

「だったらどうだって言うんだい、お嬢ちゃんよう」


 イタチ頭の「呪具作り」はキィヒィヒィ、ときしるような笑い声を立てたかと思うと、黒々と、目に見えるほど分厚い妖気を放った。

 あまりの強さにメイの防御の「一線」が一瞬打ち負け、またたく。


「ケヒヒ、呪具作りで場にケガレがたまるだぁ? 問題ねーだろ! どーせあんたら、お掃除班がせっせと〈お掃除〉してくれんだからよお」

 護身法術をかけたほうきを前にかざしていても、相手の言霊が胸に食いこみ、今や、イタチ頭の大妖怪は、そびえたつほど大きく見えた。


「ここは呪具作りにとっちゃあうってつけの使いやすい気脈でなぁ、こちとら何百年も前からここを使ってんだ! あとから来た人間風情がごちゃごちゃぬかすんじゃねえよ。イヤだってんなら引っ越しな。おめえらの方が、どっかに行っちまえばいいだろぉ?」

「!」


 獣臭さと生臭さの混じったすさまじい瘴気を浴びせられ、メイは必死で護身の祈念をこらす。

 イタチ頭はせせら笑った。

「ほうきふりまわすしか能がねえお掃除班の腰抜けは、おとなしくひっこんでな」

 言い捨てて、地べたにのびているぼろぼろの小鬼をつまみあげた。


「で、あれはどこよ」

「こ……壊れたと言うたであろ」

 息も絶え絶えに答える小鬼を信じたらしく、イタチ頭はため息をつく。


「そうかい。なら新しく作るしかねえから、手始めにおめえの腕を一本、もらおうか」

「えっ……やっ、やめ……腕なんぞむしられたらワシは……ち、塵になってしま……」

「キヒヒ、いくらおめえが弱くても妖怪が、腕一本ぐれえで死ぬもんかよ」


「しかしワシはまだ生まれたてで……うわああ、やめっ、やめてく……」

「安心しな、殺しゃあしねえ。塵になっちまったら、呪具の材料に使えねえしなぁ」

言いながら、呪いを強めるためだろう。イタチ頭はわざと時間をかけ、ゆっくり小鬼の腕をひきちぎろうとし、小鬼の絶叫に混じってみちっ、とイヤな音が響く。


「やめなさい」


 メイが言った瞬間、街灯がぱちっと火花を散らし、ショートして消えた。

 同時に、近くの標識やフェンス、停めてある車まで、たたかれたようにびりびりと震える。


 イタチ頭は驚いてメイを見た。

「な……なにを……」

しかしメイは激怒のあまり周囲の状況にまったく気づかず、ひとりごとのように続ける。


「わたしは確かにお掃除班所属ですが、討伐術の講習は受講済みです」

「そ……それがなん……」

「あなたがキバさんの腕をむしったら、わたしはあなたの腕をいただきます。キバさんが死んでしまったら、わたしはあなたを滅ぼします」


 一ミリのためらいもない純粋な決意の表明は、討伐術発動の第一段階だ。

 これを習った時、メイは、自分はこんな術、一生使うことはないだろう、と思った。


 初心者に支給されるおもちゃっぽい銃を携行していた時でさえ、誤射であやうく、傷つけたくない相手を傷つけかけた。

 武器なんてもう持ちたくない、こんな怖い術、覚えるのもイヤだ、とさえ思った。

 でも今は、知っていて良かった、と思える。


「て……てめぇ零課のくせして、こんなことしてただですむと思……」

「とがめられたら、始末書書きます。停職になっても、クビになってもかまいません」

「なっ……なめんなよおッ! てめぇ一度もこの術、撃ったことねーだろ? ケヒヒッ、見りゃわかんだよ、こんな付け焼き刃の術が、通用すると思……」

「通用します。なぜなら、わたしは命をかけるからです」


 この宣言も、討伐術の正規の手順だ。ベテランは口に出して宣言などしないが、同じこと。

 討伐術は命をかける。

 もし相手に通用せず、跳ね返されたら死ぬ覚悟。

 それがあって初めて、真の威力を発揮するからだ。


 迷いのない攻撃の意志の表明を受け、メイの霊力の質がはっきりと変わった。

 急激に厚みと強度を増し、近くのケガレや瘴気が、静かに蒸発し始める。

 しかしメイはそれにも気づくことなく、淡々と要求した。


「キバさんを放しなさい」

「…………」

 イタチ頭は無言で小鬼を放り出した。


 ぽて、と汚れたスポンジみたいに転がった小鬼に駆け寄りかけて、メイは必死で足を止める。

 治癒術と討伐術を、同時に発動することはできない。

 小鬼を治したければ先に、討伐術を解除する必要がある。


(でも……でも今、討伐術を解除したら……)


 歯をむきだして威嚇のうなりをあげているイタチ頭が、即、飛びかかってきそうだ。

 動けない。

 しかも初心者の悲しさ。

 イタチ頭が小鬼を手放したとたん、メイの怒りの八割は消えてしまい、今や、討伐術を維持し続けることさえむずかしかった。今にも自然に解けてしまいそうだ。


 イタチ頭の大妖怪はメイの窮状をたちまち察知、にたあと残忍な笑みを浮かべる。

(どうしよう、どうしたら……)

 泣きそうになった時、

「に……逃げよ、と言ったであろ」

 小鬼がよろよろと立ちあがった。


「キバさん!」

 ほっとしたとたん討伐術が解けてしまい、イタチ頭の殺気がふくれあがる。

 そこへ小鬼が、むしられかけた腕をおさえ、よたつきながらも大声をしぼり出した。

「やい、呪具作り! 忠告してやるっ! この小娘には手を出さぬ方がよいぞ!」


「だぁから、お掃除班のヘナチョコなんざ、怖くもなんともねぇって……」

「この小娘を守護しておるのは、暗黒神(マハーカーラ)じゃ! 小娘にすり傷ひとつつけようものなら、貴様ごときたちどころに斬り刻まれ、小骨一本残らんぞ!」

(あ……)


 メイは目が点になった。

 いつもいつも肝心のところで「ひとりで行ってこい」と言われ続け、おかげですっかり「ひとりで限界までがんばる」クセがついていた。

 基本、いいことだし、必要なことだとも思う。でもおかげで──


「キ……キバさん、ごめんなさい! わたしスサノオを呼ぶとか、思いつきもしなくて……」

「あやまらんでいいから呼べるならさっさとあやつを呼べ! こやつを片づけてもらえ!」

「え……でもスサノオ、かかってこない相手は食べられないし……」


「ええいこのポンコツっ! 喰ってもらわんでも、こやつが逃げればそれで片づくではないか! にっくき仇の威を借るは本意ではないが、背に腹は代えられん!」

「で、でも……寝てるかもしれないし……」

「たたき起こせっ!」

 わあわあ言い合うメイと小鬼を交互に見て、イタチ頭はじり、と後ずさる。


暗黒神(マハーカーラ)が守護してるって……まさか、おめぇがうわさの……神納五月?」

「あ、はい」

 メイは道ばたに置いた通学鞄のところに行き、警察手帳を取り出して、開いて見せた。


「申し遅れましてすみません。神納五月巡査です」

 零課の警察手帳には、見る目を持つものにだけわかる、規定の術が刻まれている。

 イタチ頭は首を伸ばしてのぞきこみ、本物だと確信したらしい。

 じり、とさらに一歩、後ずさる。


 いきなり、のこぎり歯をむいてわめいた。

「このクソチビ鬼! おめえ、ほんとに暗黒神(マハーカーラ)に、あの槍をぶつけやがったのかよ!」

「うむ」


「トンチキがぁっ! 夜叉神に傷つけられる武器がそのへんに転がってるわけねぇだろぉ! よくもよくも、オレ様自慢の芸術品を塵にしやがって! そもそもありゃあ、呪具なんだ! 術の効果を増すもんであって、ふりまわして直接攻撃するもんじゃねぇんだよアホンダラっ!」


「いやいや、あれならきっと通用すると見こんだのじゃ。なかなかの業物(わざもの)であった」

 おおまじめに評価する小鬼を見つめて、イタチ頭の大妖怪はゆらりと黒い頭をかしげる。

「腕がダメなら、指よこしな」

「んあ?」


「十本全部だ。むしらせろ」

「いっ……そ……それは……」

「指もダメなら目ん玉でもかまわねぇ。目ん玉なら二個とももらう。おめぇ、チビのくせにいい根性してっからきっと、いい呪具ができるにちがいな……」

「やめてください」

 割りこんだメイは、困惑していた。


 イタチの姿のもののけが、こんなに強くて話も通じる大物なのに、メイの守護神を知ってなお、呪具作りに執着する理由がわからなかった。


(獣の姿だもの。呪いの気の化身……とかではないし、たぶん古い山の怪とか、そういう存在のはずなのに、どうしてこんなに悪意と邪念で真っ黒に煤けて……)


 思った時、それが目に入った。

イタチ頭が放つ濃密な妖気と瘴気の中に、うっすら人の姿が浮かんでいる。

 死霊とも呼べないほどすり切れた……もう生ある者に、働きかける力さえないただの残像。


 古いのだ。

 戦国時代の人物らしい。

 修験者のような出で立ち。

 呪術をなりわいとし、人を呪ったり、呪いから守ってやったりして暮らしていた。

 酒を好み、旅に生き、流行病(はやりやまい)で死んだ。


 イタチ頭の妖怪は、山でこの男に拾われた。可愛がられた。使われた。

 呪術も呪具作りも、この男から学んだ。たちまち熟達した。ほめられ、重用された。

 しかし、男はすぐ死んでしまった。


 イタチ頭は命じる者がいなくなっても、呪具を作り続けた。

 得意だから。

 呪いを集めるのが好きになったから。

 そうしていると……

 男がまだそこにいるような気がするからだ。


「なっ……なんだってんだ! そんな目で見やがるんじゃねえっ! 見るなっ!」

 ひるんだような声を出し、顔をそむけて遠ざかるイタチ頭の大妖怪に、メイは言った。


「申し訳ありませんが、キバさんの身体の一部をむしる以外の方法で、なんとかお許しいただけないでしょうか」

「!」

イタチ頭の呪具作りは、きしるようなうなり声をあげ、鬼火が揺らめく目で小鬼とメイを、いまいましそうににらんだ。


 細長い背を丸め、音も立てずにうろうろと行ったり来たりする。

なにか思いついたらしい。

 足を止め、にたりと笑った。


 すっかり獣のものに戻った手の、人さし指を器用に立てて、

「よぉし、こうしようじゃねえか。そこのクソチビ鬼めが、今後二度と、誰からも盗みをしねえと約束するなら、許してやらんこともない」


 息をのんで固まる小鬼の前にしゃがんで顔をのぞきこみ、キィキィふくみ笑う。

「けどおめぇにそんな約束、できっこねえよなぁ? 片腕一本むしられたぐれぇで死んじまうほど弱っちい、生まれたてのチビ助がよ、盗みもしねえでやっていけるわけがねぇ」

「うぐ」


「おめぇ、影くぐりも気配消しも、生まれたてにしちゃあ堂に入ってたぜ? このオレ様の鼻先でお宝かすめとって、逃げ切ったぐれぇだ、腕利きの盗賊になれらぁ! だからよ、悪いこた言わねえ、ここは観念して指か目ん玉、さしだしな。どうせすぐ生えてくるんだしよ」

「……!」


 恐怖と葛藤にぶるぶる震える小鬼の背中に、メイはそっと声をかけた。

「盗みはしない、と……言ってしまってもいいのではないでしょうか」

「しっ……しかしっ、ワシから盗みをとってしもうたら……なっ……なにも残らな……」

「そうでしょうか」


「ワシは……弱くてなんの力も……ない……ゆえ……」

 蚊の鳴くような、泣きそうな声でつぶやきながらうなだれる小鬼に、メイは言った。

「キバさんは強いですよ」

小鬼が驚きに息をのみ、イタチ頭はぶはっ、と吹き出した。


「なにねぼけたこと言ってんだ、この嬢ちゃんはよぉ!」

「ねぼけてなんかいません」

 メイは淡々と言い返した。


「キバさんほど熱心に学ぶもののけさんは初めてですし、まだ小さいのに、こんなにしっかり話が通じる方も初めてです。そのうえキバさんは、かなわないとわかっているあなたに、一歩もひかずに立ち向かいました。キバさんほど勇敢な方を、わたしは他にふたりしか知りません」


「はああ? こんなバカがほかにもいるってのかよ。誰だよそいつぁ」

「ひとりはスサノオです」

 にっこり、心からの敬愛をこめて言うメイを前に、イタチ頭はあんぐりと口を開けた。


 知らずにとはいえ破壊神をバカ呼ばわりしてしまったことを自覚、ぶわっと毛を逆立てる。

 メイは続けた。

「もうひとりは、しんらさんです」

「!」


 小鬼はぎくしゃくとふり返り、メイを見あげる。

「そっ……それはまことか」

「はい! しんらさんはとても勇敢な方で、初めてスサノオに会った時も……」


「い、いやそうではなく、そなたはワシを、ま、まことに……オヤジ殿と同じほど勇敢じゃと……思うのかと……」

「もちろん思います! キバさんがこれからどんなすごい鬼さんに成長されるのかと、今から楽しみでたまりません」

 心から信じてにっこりするメイを、小鬼はぼうぜんと見つめた。


 ぶるっと武者震いした。

 ゆっくりとイタチ頭の大妖怪に向き直る。

 言った。


「ワシは二度と、盗みはせん。これでよいか」


「!」

 言あげがなされた瞬間、メイには小鬼の気配がひとまわり大きくなったように感じられた。

 ちび鬼の思わぬ気迫に、イタチ頭も気圧されてのけぞる。


「このガキっ……バカじゃねえのか! まさか、まさか盗みを捨てやがるとは……」

 メイは静かに口をはさんだ。

「キバさんはあなたの要求どおり、言あげなさいました。今度はあなたが、キバさんを許す、とおっしゃってくださらなくては」


「そっ……そそ……そんなこと、言ってやる筋合いはねえなあっ! ゆっ……許してやらんこともない、とは言ったが、許す、なんてひとことも……」

なにがなんでも小鬼をむしろうと粘るイタチ頭の背後にまた、修験者の残像がちらつく。


 イタチ頭を拾って使役し、呪術をしこんだこの修験者は、たぶん、きれいに()った。

 亡霊なんか、残さなかった。

 悪いこともしたが、良いこともした。

 この世に思い残すことはなく、執着もなかった。


 執着したのはイタチ頭の方。

 男ともっと一緒にすごしたかった。ずうっと一緒にいたかった。

 それで──


 想い出をひきとめようとする一念が、いつしか(こご)って残像となり呪いとなり、イタチ頭自身を支配してしまったのだ。

「せつないですね……」

 つい口からあふれたひとりごとに、イタチ頭が「ああ?」といらだちの声をあげる。


 メイは顔をあげた。イタチ頭がケガレのイバラだらけの駐車場内に立っているのを確かめ、竹ぼうきを握り直す。

「お話の途中失礼ですが、そろそろわたし、うちに帰らないといけない時刻ですので……」

「ああ帰れ帰れ! そのチビクソ鬼は置いてけよ」

 とうなるイタチ頭に、メイは礼儀正しくたずねた。


「今、ここのお掃除をすませてしまっても、かまいませんか」

「……? そいつはまぁ、かまわねえが……」

「ありがとうございます」

 許可を得て、メイは深呼吸をひとつ。


 目を閉じ、たちまち澄みわたってゆく透明な祈念をこめ、竹ぼうきでゆるやかに宙を掃いた。

「きれいに……なりますように」

「!」

 小鬼が小さく息をのむのが聞こえた。


 なんの手ごたえもなかったけれど、なぜかうまくいったという確信とともに目を開き、

「うん」

 メイは、にっこりする。


 小さな駐車場にはびこっていたケガレのイバラと瘴気は、きれいになくなっていた。

 敷地内に立っていたイタチ頭の大妖怪の、背後ににじんでいた修験者の残像も、長年積み重ねた呪いの残り香、みずからかもした瘴気ももう、あとかたもない。


 すべてのケガレを根こそぎすすがれたイタチ頭は、もう、黒くなかった。

 ぴかぴかな茶色の毛並みに戻り、ぽかんと口を開けて立っている。


 ややあって、気が抜けたような声を出した。

「あー……ええと……なんだっけな」


「キバさんを許す、と言っていただけると助かります」

 と言うメイをじっと見つめてまばたきし、今、初めて見るみたいに小鬼を見おろす。

 小鬼が、メイの浄化の霊力を浴びてもなんの変わりもないのを見てとって、ふと、うらやましそうな顔をした。


「おめえ……いいやつに憑いたな」

「!」

「許してやっから、強くなれよ」

「い……言われるまでもないっ」


 イタチ頭はゆらりときびすをめぐらし、去ろうとしてもう一度、メイを見る。

 もう鬼火を宿してはいない、透明な野生の瞳で言った。

「オレ様を拾ったやつも、悪いやつじゃあなかった」

「はい」


 答えた瞬間、メイは、イタチの怪とばかり思っていた相手が、実はカワウソであることに気づいてハッとする。

 水中を機敏に泳ぐ、しなやかな獣の姿がちらっと脳裏にひらめいた。


 昔は川に棲んでいたのだ。

 でも、かつてなじんだ川は、なにかの工事で干上がり、今はもうないらしい──。

 思わず、なにかできることはありませんか、という言葉がのどもとまで出かけた時、古くて強い川の怪は察知し、ふり向いた。鋭い歯をのぞかせて笑う。


「零課のお嬢ちゃん、わかってねえなぁ! 水の流れなんてぇもんは、人間がいようがいまいが、どんどん変わるんだぜ。太ったり、細ったり、消えたり、わいて出たり。そのうえ、あれこれえり好みしねぇでも、どこにだってあるしなぁ」


 なつかしむように目を細めた、かと思うと地にもぐってかき消えた。

 どこか地中深くで、ちゃぽん……と、幻のような水音が、遠く響く。

 そのとたん、

「あっ……! い、今……」


 急に空気が軽くなったように感じ、目をみはるメイの足もとで、小鬼がつぶやいた。

「気脈のよじれが……ほどけたようじゃのう」

「えっ、すごい! そんなことができるなんて……ヌシさまみたい! なんで……」


「そなたへのわびと、浄めてもらった返礼であろ。ここが二度と呪術に使われぬよう、整えていきおった。見かけによらず……粋な……ヤツ」

 ぱたり、と小鬼がひっくり返った。

「キバさん!」


メイは青くなってほうきを放り出し、気絶した小鬼のそばにひざをつく。

 たった今まで立ってふつうに話していたとは思えない、ボロぞうきんのような惨状を正視できず、目をつむって両手を小鬼にかざした。

 ただちに治癒術を発動、一心不乱に小鬼に生命エネルギーをそそぎこむこと、数分。


(あ……欠けてるところ……なくなった?)

手の感触でざらつきや、光の薄いところがないか確認してから、おそるおそる目を開ける。

 小鬼がもとどおりふわふわの、きれいな麦わら色の毛玉のようになり、血のシミひとつついていないのを確認して、ほっと安堵の息をついた。


「キバさん?」

 そっと声をかけてみたが、返事はない。すやすやと、穏やかな寝息をたてて眠っている。

メイは両手で包むように小鬼を抱きあげ、通学鞄の中の、衣類の上にそっと置いた。

 竹ぼうきを手に、夜道を小走りに家へと急ぐ。

 おなかが、ぺこぺこだった。


        ◆


「……というわけで、キバさんはわたしの、用心棒をしてくれることになりました」

 帰宅するなりジャージのまま遅い晩ご飯をかきこみ、後片づけ。

 お風呂に入って髪を洗って乾かして、洗濯機を回し……パジャマ姿での報告である。


 破壊神はしかし、メイがどんな服装だろうと気にするどころか、たぶん目にとめたことさえない。百パーセント関心がないとわかっているので、メイも気が楽だ。

「あの……聞いてらっしゃいますか?」


 小さな破壊神は本棚の上の定位置に、片ひじをついて寝そべっていた。

 銀の目は、メイの学習机の片隅に寝かされている、ふわふわの小鬼に向けられている。

 おもしろそうに言った。

「おまえがそいつの用心棒、のまちがいじゃないのか」


「そんなことありません! 今日もいっぱい助けてくれたんですよ! キバさんが呪いに気づいて注意してくれたから、護身法術間に合ったし、それに、そもそもキバさん、自分だけならいつでも影の中に逃げられたはずなんです。なのにそんなそぶりさえ見せなくて……」

と、そこまで言ってから、はっと気がついた。


「あそこであったこと、全部……()()()()()んですね?」

 現場とメイの家は何キロも離れているが、思念に距離は関係ないらしい。

 小さな破壊神はうすく笑った。機嫌がいい。それも、すごく。

「あれだけわめけばな」


「わめいてなんかいません!」

 ちょっと憤慨して口をとがらせ、メイはつい、ぼやく。

「聞こえてたんなら、来てくれても良かったのに……」

「ヘタレのおまえがめずらしくやる気を出してるのに、ジャマするわけがないだろう」

「あう」


「それで、イタチだかカワウソだかはどうした。ぶっ殺したのか」

「殺しません! 浄化させていただいて、そうしたらお返しに気脈を整えてくださいました」

「なんだ、つまらん」

「つまらなくないです!」


階下で洗濯機がピーピー鳴り始めたので、メイは席を立った。

「ちょっと洗濯物干してきます。キバさんが起きても、おどかさないであげてくださいね」

「試し撃ちをしろ」

「えっ?」

 部屋を出かけていたメイは、びっくりしてふり向く。


 小さな破壊神はさっきと同じ姿勢で小鬼の方を見たまま、続けた。

「討伐術とかいうやつだ。試せ。練習しろ。でないといざ必要な時、狙った的に当たらんぞ」

 あまりにもまっとうなアドバイスに、メイはたじろいだ。

「でっ……でもでも、討伐術って、お試しで撃つような気軽な術じゃないし……」


「生き物相手がイヤだってんなら、岩でも板きれでもいい。狙え。撃て。当てろ」

「そ……でも……」

「やれ」

「……はい」

 押し切られた。


 メイはぼうぜんとしたまま一階に降り、上の空で洗濯機から洗濯物を取り出した。

 かごに入れて居間に運び、定位置に干しながら、


(ど……どうしよう? 討伐術なんて、どこで練習すれば……前に、零課支給の霊力を打ち出す銃、うっかり撃っちゃった時は、コンクリートの壁に大穴が開いちゃったし……あ! それとも討伐術の場合は、物理的になにかが壊れたりはしない……のかな?)


 なにもかもわからないので、今度、千里班長に相談してみよう、と決心する。

その時、玄関で鍵を開ける音がし、がららっと引き戸を開ける音が続いた。

「ただいまー」

 母の声に、メイはぱたぱたと居間から飛び出す。


「お帰りなさい! お風呂、まだあったかいよ」

「ありがとう、すぐ入るわ」

 と言う母が、両手いっぱいに大荷物を抱えているのに気づいて、メイは目を丸くした。


「どうしたの? なんかすごい買い物、してきたみたいだけど……」

あわてて大小さまざまな袋を受け取りながらたずねるメイに、母は、肩にかけてきた大きなエコバッグをよいしょ、と床におろし、ちょっとやましそうな顔をした。


「あのねあのね、びっくりしないでね」

「うん」

「拾っちゃったの」

「なにを?」

「猫」

「ええー!?」


 仰天するメイの前に、母はプラスチック製の、小ぶりなキャリーをそっと置く。

透明な扉部分から中をのぞくと、いちばん奥の暗がりに──

 まだうぶ毛の目立つ子猫が一匹、目を真っ黒にして固まっていた。



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