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わたあめとキバ④

「え? ここ、ど、どこ……?」

 ぽかんと立ちつくすメイは、学校指定のゼッケンつき長袖ジャージ姿だった。

 掃除中だったのか両手でホウキを握りしめ、見るからにおっかなびっくり蔵の中を見回す。


 たよりないことこのうえないが、今は小鬼にとって唯一の命綱だ。

「うおーいっ! どこを見ておる、ワシはここじゃ! はよう助けんか!」

 今までのいきさつは都合良く忘れ去り、小鬼はヌシ様の手の中で手足をばたつかせて呼ぶ。


「あ、このあいだの鬼さん!」

目をあげたメイは、蔵の天井近くに浮く光球の中に、きちんと小鬼を見いだしたらしい。

 ぱっと顔をほころばせ、納得のおももちでぽんと手を打った。


「わかりました! 鬼さんがわたしをここに呼んだんですね。なんのご用で……」

「ちがうわぁっ、このボケカスポンコツ!」

 そうだった。この甘々娘はどうしようもない天然なのだった! と思いだし、小鬼は絶望にかられて頭をかきむしる。


「いったいどこに目をつけとるんじゃ、生まれたてのワシに、人ひとり神隠しできるような大それた力があるよーに見えるかああっ!」

 自分で言っていて悲しくなるが、事実だからしかたがない。しかしメイときたら、

「え? これって……神隠しなんですか?」


「たった今までガッコウにいたのだろ! それが一瞬でこんな蔵の中に飛ばされて……」

 最後まで説明するヒマはなかった。

「バカ者、かわせっ!」

「はい?」


 横なぎに襲ったヌシ様の白い腕をくらって、メイはあっけなく吹っ飛んだ。

「!」

 巻きこまれた鎧兜や刀剣、呪物のたぐいも吹っ飛び、将棋倒しにひっくり返る。けたたましい音がようやくおさまったあとに、もうもうとホコリがたちのぼった。


 あ、死んだな。こいつぁ、死んじまった。一発だ。

 小鬼はぼんやり、思った。

 生身の人間の小娘があんなふうに飛ばされて、生きていられるわけがない──。

 と考えただけで、なぜだかきゅうっと、胸が苦しくなる。


 あの甘々娘はワシのために泣いてくれたのに。

 名もないワシを「鬼さん」なんて「さん」づけで呼んでくれたのに。

 ワシとちがってこの蔵で、悪いことなどひとつもしていないのに──。


 腹の底の、そのまた底からむかむかと腹が立ってきて、

「この頭でっかちのくそバケモノめ! ヌシのくせに人間相手に手加減ひとつできんのか!」

 短い手足をぐるぐるふりまわして暴れるが、やはり巨大童女の指はふりはらえない。ならば──と小鬼は小さい口をめいっぱい開け、ヌシ様の指の一本にがぶりと噛みつく。


『あ』


 ちょっとは痛かったのか、それともただ驚いただけか。ゆるんだ指から小鬼はすかさずすべり出て、メイが吹っ飛ばされたあたりに跳び降りた。

 あまりの瘴気とホコリに目が痛み、たまらず涙ぐみながら無我夢中で、


「小娘! わたあめ! どこじゃ!」

 骨だけでもひろってやらねば、という心持ちだったので、

「こ……ここですぅー」

 まのびした返事が聞こえた時、小鬼はほとんど耳を疑った。


 い、生きてるだと? 何者だこの娘は!

 思う間に、けほけほとせきこみながら、分厚いホコリの雲の向こうからメイがあらわれた。

 さすがにちょっとふらふらしている。


「だ、だいじょうぶか!」

 駆け寄る小鬼にメイは、

「はい、ただその……勢いよく転がったのでちょっと……目が回っちゃって」

 床体操とか、苦手なんです……と場違いなことをつぶやく。


 見れば頭からホコリをかぶりクモの巣にまみれて、ジャージも髪も灰色っぽくなってしまっているが、ケガらしいケガはしていない。ホウキもちゃんと持ってるし眼鏡まで無事。そこへ、


『あまい。あまぁい。おくれえ』


 今度は真上から襲いかかったヌシ様の白い手は、メイがふらついたせいでそれた。


 ずん!


 小さい手のひらが床にめりこんで、ぱらぱらと木片を散らす。殺人的威力に小鬼は青ざめ、


「たわけたヌシじゃ! 自分で自分のすみかを壊してどーする! そもそも人を殺したら、たちまち零課に退治されてしまうぞ! 零課は恐ろしいぞ、平安の術士どもの末裔ぞ! なにを隠そうこの娘もそのひとりで──って、少しはひとの話を聞かんかーいっ!」


 きゃんきゃん叫ぶがヌシ様は小鬼など、もはや目にも入っていない様子。

 メイに向かって長い首をさらに長くのばし、裂けた口からぼたぼたよだれをこぼしながら、


『おくれ。おくれ! めのたま、おくれ』


「え? 目の玉は困ります」

 バカ正直に返事するメイの返事も、聞こえていないようだった。


『めのたま! めのたま、おくれ。くび、おくれ』


 小鬼を手放したおかげで空いた両手で、矢継ぎ早につかみかかる。


「きゃあ」


 緊張感にとぼしい悲鳴とともに、メイはよたよたふらふらと……しかし意外とカンがいいようで、つかまらずにかわし続け、逃げ続ける。

 おかげでたちまち、そのへんの床は穴だらけになり、


「あ」


 メイは穴のひとつに足をとられ、転んだ。


『おくれええええ!』


 ヌシ様が吠えたとたん、その白くにょろりと長い手が、数十本に増えた。

 同時にヌシ様の気配も爆発的にふくれあがり、蔵全体をごう、と震わせる。

 息もできない妖気の濃さに小鬼は腰が抜け、ころん、と床に転がってしまった。


 その背中をヌシ様のものではない手がすばやく、しかしやさしくすくいあげる。

 メイだった。そのままかばうように胸に抱いてくれる。


 だが、蔵いっぱいに何十本もの生白い腕がうねり、今にも殺到してこようとするおぞましい光景を前に、小鬼は死の予感で頭がいっぱいで、なにも考えられない。その時──


「?」

 きらっと一瞬、つめたい閃光が目を射た。

 ヌシ様の動きが止まる。

 それから巨大な頭部をかしげ、がらんどうのひとつ目をけげんそうに蔵の天井へ向けた。

 つられて小鬼とメイも同じ方を見る。と──


 蔵の薄暗い天井に、切れ目が走った。

 割れていく。

 梁も屋根もすっぱり、薄紙のように断ち切られているのだった。ぎぎぎいぃ、と不安定にきしみながら、広がっていく割れ目の向こうに、人のかたちをした()()が浮かんでいる。


 破壊神だった。

 縮身を解き、白銀の髪と肩布をなびかせて、不機嫌そうにこちらを見おろしている。


 小鬼は打ちのめされた。

 夜叉神の気配には、慣れたつもりでいた。その強さもちゃんと理解したつもりでいた。

 しかし縮身を解いた太古の破壊神は、根本的に次元が異なっていた。


 ()()にくらべればヌシ様とてかわいいもの。よちよち歩きの子犬も同然だ。

 しかも破壊神は、機嫌が悪かった。

 この場のすべて──メイもふくめ──を今にも殺戮しそうな、ただならぬ殺気を放っている。


 ヌシ様でさえ、凍りついていた。

 ましてや生まれたての小鬼は、恐怖とショックだけで存在が消し飛びそうだった。

 メイの胸に抱かれていなかったらあっけなく塵になり、ほろほろと崩れ去っていたかも。

 なのに、


「あ、スサノオ」


 つぶやいたメイは、びっくりはしていたが、これっぽっちも怖がっていないようだった。

 夜叉神の、逆光で影になった顔の中で銀の双眸(そうぼう)がつめたく光る。


「こんなところで、なにしてる」


 問うた。

 同時に、片手にさげていた小枝がぼっと、青白い炎をあげて燃えだす。


 まさかあやつ、あんな棒っきれでヌシの結界を斬りおったのか!? と小鬼が目をむく間に、きれいさっぱり灰になった小枝を投げ捨て、破壊神はいらだたしげに続ける。


「探したぞ」


 え、探したんだ? 夜叉神が? 人間の小娘を?

 驚天動地の異常事態に目をまん丸くする小鬼をよそに、破壊神はうなった。

「まったくおまえというやつは……ほかのやつにほいほいついていくなと前にも言ったろう」


 この場で八つ裂きにされても不思議はないほどの殺気を向けられながら、しかし、メイの返事はいたって平静だった。


「呼ばれちゃったんです。学校でお掃除してたら、なんだかいきなりここにいて」

「さっさと帰って来い。おまえの母親がうるさくてかなわん」

「お母さんが? でも、まだそんなに遅くはなってないと思……」

「〈外〉はもう夜だ。異界に長居しやがると、すぐ朝になるぞ」

「えっ? そ、それは困りま……」

「だったら早く出るんだな」


 言うと、用はすんだとばかりに空中であっさりきびすを返す。

 小鬼はあぜんとした。仰天した。信じられない! あきれかえったあまり恐怖も忘れて、


「いや待て待て、ちょっと待てえいっ! 貴様、仮にもこの娘の守護神のくせに、せっかくここまで来ておきながらなんで助けてやらんのじゃっ!」


 力いっぱいわめいてしまってから、後悔した。

 むきだしの刃のような破壊神のまなざしが、今初めて気づいたかのように、メイの胸もとに抱かれている小鬼にそそがれる。生きた心地もしない、とはこのことだ。


 だが夜叉神は小鬼の指摘にも一理ある、と思い直したらしい。もう一度メイに目をやる。

「助けてほしいか」

 たずねたのも驚きだが、対するメイの返答は、小鬼の想像をはるかに超えていた。


「いえ、だいじょうぶです。なるべくすぐ帰りますから」

 スサノオは、そうか、とも答えずたちまち飛び去ってしまい、小鬼の開いた口がふさがらないうちに蔵の割れ目の方が復元して、音もなくもとどおり、くっついてしまう。


「な、ななな……なにを考えとるんじゃそなたは!」

 動転のあまりもうなにを言っていいかわからない小鬼の頭を、メイの手がそっとなでた。

「ちょっと待っててくださいね」


 よいしょとホウキを杖に立ちあがると、まだ固まったままのヌシ様の──ひとつ目の穴から黒い汁をしたたらせているまがまがしい顔を、まっすぐに見あげた。

「山神様」

 言い当てられて、巨大童女の汚れた顔が、ひるんだようにかすかに揺れる。


 メイは、礼儀正しく続けた。

「お招きいただき恐縮です。でももう日も暮れました。そろそろおいとまさせてください」


『だめ。めだま、おくれ』


 ヌシ様はようやく、夜叉神襲来のショックから覚めた様子で、じり、と身を乗り出す。

 しかしメイは、びくつくどころかにっこりした。

「目玉はあげられません。でも、かわりにお掃除なら、してさしあげられます」


『おそう……じ?』


「はい。ここ、ホコリがつもりすぎです。わたし、ちょうどホウキを持ってますし」

 目を閉じ、ひとつ深呼吸。

 祈るように、つぶやいた。

「きれいに、なりますように」

 目をつむったまま、手にしたホウキで足もとをゆっくり、丁寧に、ひと掃き。


「!!!」


メイの肩にしがみついていた小鬼は、ホウキの先からどっとほとばしった金色の輝きに、目がくらんだ。分厚いホコリも蜘蛛の巣も、瘴気のよどみさえ消し飛んで、清浄な気があたりにあふれる。メイは目を閉じたままそろりと半歩、すり足で進んでふたたび、


「きれいに、なりますように。山神様の居心地が、よくなりますように」

 不器用なほど真摯に思念をこらして、ひと掃き。ふた掃き。

 たちまち視界をぬりつぶしてふくれあがるまばゆい霊力の輝きに、小鬼は触れれば我が身も消し飛ぶものと、本能的に覚悟する。


 しかしのみこまれたメイの力はあくまで甘く、やわらかく、ふうわりとぬくかった。

 胸がせつなくなるほど、ぬくい──。


 巨大童女が、たじろいだ。

 わけのわからない叫びをあげ、やみくもに白い手を打ち下ろしてくる。


「!」


 警告の叫びをあげようとした小鬼は、ヌシ様の恐ろしい手がすべて、霊力の輝きにはばまれ届かないのを見て、あぜんとする。

 しかもメイは目を閉じたまま〈お掃除〉に集中しきっていて、ヌシ様の攻撃に、気づいてさえいない。


「お心が、安らかになりますように。明るくなりますように。すみわたりますように」

言葉とともにはてしなく増していく霊力の輝きに、小鬼はたまらず目をおおう──。


        ◆


 いつの間にか、あたりはしん、と静まりかえっていた。

 おそるおそる目を開けた小鬼は、驚きのあまり目をぱちくりする。


 なにもかも、見違えるようにぴかぴかだ。

 蜘蛛の巣どころかホコリひとつ見当たらない。床も梁も、長年磨きこまれたようにつやつやと美しく黒光りし、不思議なことに、ヌシ様があちこちに開けた穴まできれいに直っていた。


 よどんだ瘴気も根こそぎ清め祓われて、山奥さながら澄み切った空気を、小鬼は胸いっぱいに吸いこむ。うむ、すがすがしい。


 その時初めて気づいた。

 いびつな姿の巨大童女、数十の腕で蔵を占領していたヌシ様の姿が、消えていた。

 影の端切れさえ、見当たらない。


「ふう」

メイがぺたん、とその場にへたりこんだ。

ホウキにすがって息を切らし、震える手でうなだれた顔の汗をぬぐう。

 やわな生身の人間が、あれほどの力を放出したのだから当然だ──と思う小鬼に、


「す、すみません。鬼さん、代わりに、見てください。ちゃんと……お掃除できましたか? まだその……じ、自信とか、ぜんぜんなくて」

「自信がないのに『だいじょうぶ』とかぬかしたのかそなたは!」

 あきれながらも小鬼はあらためてあたりを見回し、請け合ってやる。


「安心せよ、〈お掃除〉は大成功じゃ。床まで直るのはどういう魔法かさっぱりわからんが」

「あ、たぶんこの蔵が、山神様のお力で、できてるからだと、思います。物理的な実体のあるものまで直すには、まだまだ、力不足ですけれど……」


「なにをバカな! 実体ある物質を、祈るだけでどうにかできる霊能者などおるものか」

「いらっしゃいますよ? 大矢野課長とか」

「オオヤノ……零課の課長か! 強いとは聞いておったが、そんなことまでできるとは!」


 金輪際、近くに寄るまい、と固く決心する小鬼である。

そうこうするうちにメイの息切れも少しおさまり、こわごわ、というふうに顔をあげた。

 すっかりきれいになった蔵を見て安堵に表情をゆるめたがすぐ、「あ」と息をのむ。


「なんじゃ、どうした」

「大変! 鎧とか刀とか……ひっくり返ったものがそのままです! あれって妖怪さんのものじゃなくて、人間界の……実体のあるものなんですね! か、片づけないと」

よろよろと立ちあがって作業に取りかかるが、非力すぎて刀一本持ちあげられない。


 見かねて、小鬼は手を貸してやることにした。

 鎧具足はもとどおりいかめしく組みあげ、刀剣呪具のたぐいはすべて台座に戻す。

 その台座が壊れてしまったものはさすがに元通りとはいかなかったが、小一時間でそこそこ片づいた蔵になった。


 なのにまだ気がすまないらしく、メイは床にすわりこみ、ポケットから出したハンカチで、兜の曇りや霊刀の鞘の汚れをちまちま一心に磨いている。小鬼は()れて、


「おい、わたあめ娘」

「はい」メイは作業に夢中で生返事。目をあげもしない。

「もう良かろ。いいかげんに切りあげよ。早う帰らねばいかんのじゃろ」

「あ」

 忘れていたらしい。あわてて立ちあがる鈍くさいメイを先導して、小鬼は蔵の扉へ。


 土蔵の扉は外開き。内側に取っ手はない。なにも考えず、押した。

「?」

 動かない。二度三度とたたいても、びくともしない。

 青くなったところにメイが追いつき、華奢な手を扉にそえ、うん、と力を入れると、


「なんと!」

 重たそうな漆喰塗りの扉は、拍子抜けするほどあっけなく、すべるように軽々と開いた。

 外は幻の日射しのもと、季節外れの花々が咲き乱れる異界の庭だ。

「良かった! さ、帰りましょう」

 勇んで蔵の敷居をまたごうとしたメイを、なにかがひきとめた。


 驚いてふりかえる。

 ジャージのすそを幼い手で握りしめ見あげているのは、人の子サイズのヌシ様だった。


 紅い着物は質素だがもうぼろぼろではなく、肩揚げと、短く詰めたすそが愛らしい。

 つやつやした黒髪を稚児輪に結い、幼い足ははだし。顔は半紙に隠されていた。

 異様さの名残と言えば、半紙中央に黒々と墨書された、ひとつ目マークぐらいか。


『待って』


 ささやく声も、もう銅鑼のようではなかった。やさしく、かそけく、耳に心地よい。

「なんでしょう、山神様」

 しゃがみこんで目の高さをあわせるメイにヌシ様は、内緒ごとのようにそっと耳打ちした。


『あげる。なんでもひとつ。持ち帰って、いい』


 小鬼は待ちきれず、ちょこまかとメイの足もとをすり抜けて蔵から出ようとしたが、

「ンがっ」

目から火花が散って、ひっくり返った。敷居のところで見えない壁にぶつかったのだ。

「バカなっ! なぜじゃっ! このっ! 通さんかっ!」


 ムキになってくり返し頭から突っこむが、手ひどくはじかれ、跳ね返されるばかり。

ついに、ぶつけすぎてズキズキ痛むおでこをおさえて、涙目になる。


「えっ? そんな、どうして……」

 驚いてメイがのばした手は、問題なく敷居を越えられる。わけがわからない。すると、


『その鬼、ぬすっと』


 顔を半紙で隠した童女が、淡々と告げた。


『ぬすっと、我のもの。骨も肉も魂も、血の一滴まで我のもの。煮て喰おうと焼いて喰おうと、思いのまま』


とりたてて怒っている様子はなく、勝ち誇ってさえいない。

 ただただ、事実を告げる口調である。その非人間的なまでの揺るぎなさが、「神」として永く、何世代もにわたり祀られてきたであろう来歴を、雄弁に物語っていた。


 これは、逆らえない。

 自分の命運はやはりとっくに尽きていたのだ──と小鬼はがっくり肩を落とす。そこへ、


「あの、わたし、なんでもひとつ、持って帰っていいんですよね」

 メイがたずねた。ヌシ様がこくり、とあごをひくのを確かめて、うれしそうに宣言する。

「じゃあわたし、その鬼さんを持って帰ります!」

 小鬼をさっとすくいあげ、そのまま蔵を出ようとする。しかし、


『だめ』


ヌシ様はふたたび、メイのすそを握りしめて止めた。困ってしまうメイに、


『その鬼、ひとつじゃない。ふたつ』


 奇妙なことを言う。小鬼はふと、イヤな予感に襲われた。まさか──。


『その鬼、じぶんの物ではないもの、持ってる。ぬすんだもの、隠してる』


「ま、まま、待てヌシ殿! 神にも情けはあろう、たのむ、それ以上なにも言わんで……」


『霊力を帯びし鉄のかたまり。さくらの花の色』


 謎かけのようなことばに、どんな品物か想像できず首をひねるメイを指さし、ヌシ様は、


『そなたの家より、ぬすまれしもの』


 容赦なく告げた。


メイの手の上から身ぶり手ぶりで必死にヌシ様に向かって、黙っていてくれろとサインを送っていた小鬼は、固まってしまった。いくら甘々のわたあめ娘とはいえ、小鬼が大切な持ち物をちょろまかしたと知れば、怒るだろう。気を悪くするだろう。傷つくだろう。


 いや、もちろんあのときは、小娘に腹いせをしたくて盗んだのだが、今となっては知られたくなかった。しかもこんなタイミングで──。


「ああ……ダンベルのことですね! 二キロの!」

 メイはようやく思い当たったらしい。小鬼を手に載せたまま、明るい声を出す。

「ピンク色の……そういえば、桜の花の色かも。どうりでひとつ、見当たらないと……」


 はたと言葉を切り、小鬼を持つ手をそろそろと顔の前にあげた。

 小鬼は非難、あるいは軽蔑を覚悟して目を伏せ、せいいっぱい強がる。

「フ……フン! これでそなたもわかったじゃろう。そなたとワシは、そもそも仇同士……」


「いったいどこに、どうやって持ってらっしゃるんですか?」

心底、不思議そうなメイの問いに、小鬼はびっくりして目をあげた。

 大きな眼鏡の向こうで、メイの瞳はほとんど畏敬の念に近い、素朴な尊敬に輝いていた。


「鬼さん、こんなに……ダンベルよりずうっと小さくていらっしゃるのに、どうやって……」

 などと言われて、調子に乗らずにいられようか。小鬼はつい、

「うむ、それはな、ワシは腹の影の中にどんなものでもしまいこめるからじゃ。見よ!」


 ててーん! というノリで、ピンクのミニ・ダンベルを取り出し、高々と掲げる。

「わあ!」

 歓声をあげたメイは、小鬼を手のひらに載せていなかったら絶対、拍手していたに違いない。


 だがそこでやっと、小鬼は我に返った。

 ワシはバカか。()()()()()()()! よりによって盗んだ相手に見せびらかしてどうする! 知らんぷりをしておけばよいものを……!


 後悔先に立たず。盗品を堂々と掲げたまま石のように固まり、内心だらだらと冷や汗をたらす小鬼に、メイはしかし、にっこりした。


「これ、気に入ってらっしゃるんですか?」

「い……いや……そ、そそ、そういうわけでは……」


 嫌がらせのためにかっぱらった、などとは口が裂けても言えぬ。

 しかしメイは気にした様子もなく、うれしそうに続ける。


「じゃあ、ヌシ様にさしあげてもかまいませんね」

 うぐ。

 惜しかった。なんとしても惜しかった。


 なにしろ、荒れ狂うヌシ様の攻撃から小鬼を守り抜いた、極上の霊器である。これさえあればスサノオの攻撃を防ぐ……のはさすがにムリかもしれないが、盗みはきっとラクに──。

 だが選択の余地はない。小鬼は断腸の思いでダンベルを手放し、メイに渡した。


「ありがとうございます」

 メイはそのままダンベルを、ヌシ様にさしだし──

 ヌシ様は小さな両手をのばしのびあがり、受け取った。ひしと抱きしめる。


 ばつが悪くてたまらない小鬼はそそくさとメイの肩にあがり、メイは、

「これで、鬼さんを持ち帰ってもよくなりましたか?」

 ヌシ様がうなずくのを確かめて、ホウキを手に、せいいっぱい丁寧に一礼した。

「では、おいとまさせていただきます」


『大儀であった』


 ヌシ様の、あどけない姿に似合わぬ重々しい感謝の言葉に、メイはぱっと笑顔になる。

「お役に立てたなら、なによりです」

 するとヌシ様はメイを見あげて小首をかしげ、片手で自分の稚児輪に結った髪に触れた。


『おそろい』


「はい……?」


『その髪、とくなよ』


「え? それはどういう……」

意味ですか、ときく間もなく、ヌシ様の姿も蔵も急に霧に包まれかすんでゆき──



 メイは唐突に、真夜中の住宅街にぽつんと立っていた。

 それも自宅の真ん前だ。


「えっ? えええっ? も、もううちの前?」

「夜道を歩かずにすんで良かったではないか」と、肩の上から小鬼。

「で、でも制服も鞄もスマホも、バスの定期も! ぜんぶ学校に置いたままで……」

 そのうえ足もとが上履きなのに気づいて、メイはヌシ様に攻撃された時より青くなる。


「どっ、どうしよう? あした、わたし、どうやって学校に行けば……」

「明日の心配は明日でよかろ。早う家に入ったらどうじゃ。母者(ははじゃ)が心配しておるのじゃろ」


言って、小鬼はぴょい、とメイの肩から地べたに跳び降りた。メイの母親はともかく、不機嫌な破壊神と、もう一度顔を合わせるのはごめんこうむりたい。なのに、


「鬼さん、今日はほんとうに、どうもありがとうございました」

 メイの底抜けに能天気なセリフに、影に逃げようとした足が止まった。つい向き直り、


「はあ? そなたはまた、たわけたことを! ワシは礼を言われるようなことなぞなにも」

「ヌシ様の蔵の、重たい物の片づけを手伝ってくださいました」

「そなたこそ……」

 何度もワシの命を救ってくれたではないか。

 と、はっきりとは言いにくくためらっているうちに、メイが続けて、


「あの、ずうっと鬼さん、とお呼びしてましたけど、お名前をうかがってもいいですか?」

「名だと? ワシの……名は……」


 ない。

 なかったのだが小鬼は今初めて、呼び名が欲しい、と思った。

 この娘に名を呼ばれたい。


「……キバ、じゃ」

 とっさに口先からこぼれた思いつきにすぎなかったが、声に出したとたん、なぜかぐんと、身のうちに力が満ちる心地がした。胸をはってくり返す。

「ワシのことはキバと呼ぶがよい!」

「キバさん」

 メイは、響きを味わうように丁寧に復唱し、にっこり微笑む。


「しんらさんの牙から生まれたキバさん、良いお名前ですね」

 そこへ──玄関先のメイの声を聞きつけたのだろう、家の中で、階段をどたどたと駆け下りてくる足音が響いた。たちまち玄関の、古い引き戸が乱暴に開け放たれ、


「メイ!」

 飛び出してきた母親は、勢いあまって転びそうになりながらメイにかじりついた。

「バカバカバカあっ! 心配したのよ! 何時だと思ってるの! 電話ぐらいしなさい、事故にでもあったかと思うじゃない! もうちょっとで警察呼んじゃうとこだったわ!」


「ご……ごめんなさい。ちょっとその……手が離せなくて」

 ウソではない。

 そんなメイの様子をあらためてまじまじと確かめ、母は不審そうな顔になる。


「やだメイったら、どうしてホウキなんか持って……ジャージ着てるの? 制服は?」

「き……着替える暇がなくて……」これも、ウソではない。

「すっかり冷えちゃってるじゃない。早くお風呂に入って……晩ご飯は食べたの?」


 母にうながされて家に入りながら、メイは夜道をふりかえったが──


 小鬼の姿はもう、なかった。

  



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