~幕間~ 吸血姫の贈り物②
アナスタシアの臣下で、妖怪を見る目を持つ人間がひとり、ミコに付き添ってくれた。
ふっくらした白人女性で、日本語はできないが化け猫のミコにも親切だった。
猫好きらしかった。人に見えないミコのために飛行機の座席を確保し、お菓子をくれたり、機内で寝ているとそうっと毛布をかけてくれたり。
ものすごくうっとうしかったが、ひっかいて追っ払うほどではなく、だんだん慣れた。
日本につくと女性は空港からタクシーで、ミコの住み慣れた街まで送ってくれた。
ワラキア公国の暗い夜に慣れた女性は、昼のように明るい日本の街に圧倒されたらしい。
「ココ、デよろすぃー、デースカ?」
丸暗記したらしいカタコトの日本語で心配そうにたずねる彼女に、ミコはうなずいた。
「ばっちりだよ、ご苦労さん! さあ、とっとと行っちまいな」
しっしっ、と追い払う仕草をするミコを、女性は走り去るタクシーから何度もふり返った。
それでミコもなんとなく、相手が見えなくなるまで見送ったが──
そこではたと、我に返った。
「あれっ、今あたいもしかして、人間なんかに『ご苦労さん』って、言っちゃった?」
妖怪相手にだってほとんど言ったことないのに!
「…………」
ピアスをはずした耳たぶに加え、今はくちびるまでたよりなく、すうすうする気がして、ミコは思わず指先でくちびるを押さえる。
だいじょうぶ。ちゃんとある。
気を取り直して、ぶらぶらと歩き出した。
飲食店が建ち並ぶ繁華街は戦後すぐ発展した町で、ミコの子猫時代からのなわばりだ。
酔っ払いからなんでも盗みほうだいだし、調理場で出来たて料理をつまみ食いする楽しみもある。バーやクラブが閉まっている時間に、高価なソファで眠ることもできる。
店も人もすぐ入れ替わるが、営みが変わることはない。
住みやすい。
蛇女神、珠貴の棲み家も近い。古いビルを丸ごと所有し、人と妖怪、双方を客として迎える蛇女神のクラブは、ミコの唯一の「バイト先」でもあった。
化け猫はふつう、働かない。
欲しいものは盗む。狩る。だましとる。
空襲の火災で母猫を失い、きょうだいちりぢりになって間もなくのころ。
まだ子猫だったミコは、今思えば怖いもの知らずにも、蛇女神の棲み家に忍びこんだ。
驚くような宝物がたくさんある、と聞いたのだ。
だが当然ながら、小物ひとつ持ち出すこともできないうちに、見つかった。
古い夜叉神の生き残りである、黄金の蛇体と宝石の美声を持つ麗しい蛇女神はしかし、寛大だった。ミコを許し、店内の、子どもでもできる雑用に雇ってくれた。
さぼって放浪の旅に出たり、気まぐれに辞めたりしても、戻ればまた雇ってくれる。
おかげでミコは読み書きができるようになった。帳簿つけもおぼえた。
大きくなった。
蛇女神はミコの、恩人だ。そのうえ──
──「ミコ、貴女に外の仕事をまかせたいのだけれど」
楽屋の掃除をしていたミコは蛇女神、珠貴に声をかけられた時、正直、めんどうくさいな、と思った。確か「えー、あたいじゃなきゃダメなんですかァ」とか言った気がする。
しかし、蛇女神が耳に心地よい音楽的な美声で、
──「素戔嗚尊のお手伝いに行きなさい。人間社会での探し物は、あの方にはなにかとごめんどうでしょうから……貴女は字が読めるから、きっとお役に立てますわ」
と言うのを聞いた時には、夢かと思った。
スサノオノミコト。鉄。暗黒神。天魔王。
数多の名を持つ伝説の戦神は、人間の戦争で孤児になったちび妖怪たちの憧れだった。
ミコが幼い日々、路地裏で耳にした昔語りはこうだ。
昔々のそのまた、大昔。この小さな島国には無慈悲で貪欲な古い神々がひしめき、弱く小さい妖怪たちには居場所がなかった。
だがそこに大陸から、最強の破壊神がやってきた。
五大陸に敵なしと謳われた戦神はたちまち古い神々を狩り尽くし、平らげてしまった。
地は平和になり、おかげで新しい世代の妖怪たちが栄えるようになった。
だが同時に、破壊神の消息も絶えた。
──「海の向こうからやってきて、我らのために災いを平らげてくださった大神は、また海の向こうに去られたのじゃ」
世話好きなしゃもじの付喪神は「おはなし」をせがむ幼い妖怪たちにそう語り、ミコの幼心には英雄神の、輝かしい印象がくっきりと刻みこまれた。
ミコよりもっと幼いちび妖怪たちなど、「天魔王ごっこ」をして遊んでいたほどだ。
そんなちびたちを、蛇女神の店に客として出入りする、オトナの妖怪たちは笑った。
──「バカだねえ、しゃもじなんかの与太話を信じて」
──「夜叉神様の中の夜叉神様が、他妖助けなどするものかよ」
──「あれはただ、獲物を求めて流れてきただけ」
──「そうして喰える相手がいなくなってしもうたので、どこぞで死を待っておられるのさ」
──「とうに滅びたのではないか? もう何十年も見ておらぬ」
──「もし滅びたなら、大神の霊玉を喰えるのう」
──「喰う者を不死にする霊玉とな。ぜひ味わってみたいものよ」
文字通りよだれをたらしてささやき合う妖怪たちに、ちびたちはあきれ、ミコは腹を立てた。
たとえ彼らの言うとおりだとしても、いくらなんでも敬意がなさすぎる。
──「あんたたち、天魔王様が怖くないのかい」
言い返したら、面と向かって大笑いされた。
──「ほほほ、そなた、さわらぬ神に祟りなし、ということわざは知っているかえ?」
──「天魔王様はその典型よ。向かって行きさえしなければ、喰われる心配などありはせぬ」
──「敬い、遠ざけておけばよい」
──「さすれば勝手に滅びる」
──「霊玉はあとでゆうるり、拾えばいいだけ。散歩がてらの、楽な仕事さね」
ミコはますます、腹を立てた。
あんまり腹が立ったので、無礼な客が受付にあずけたコートのポケットに生ゴミを入れて返し、蛇女神に叱られた。
ミコは、昔語りの神に恋をしたのだった。
しゃもじの付喪神は本体のしゃもじがダメになって、間もなく消えてしまったが、ミコの恋心は消えなかった。
天魔王様なんてとっくに滅びてもういないのかも、と思うようになっても、消えなかった。
その、憧れの存在、神話の神に。
珠貴のおかげで会えた。
ひとときでもそばにいられたなんて、今思い出しても夢のようだ。
役に立とうとがんばればがんばるほど迷惑かけて、なのにどうでもいいみたいに無視されて、とうとう名前さえ、おぼえてもらえなかったけれど。
スサノオは最後まで、ミコを「猫」としか呼ばなかった。
「メイのやつはともかく……霊力もなんにもない、ただの人間のタクトとかってやつも、名前おぼえてもらってたのに……」
じわっと視界がうるんできて、ミコはあわてて顔をぬぐう。
「あーやだやだ、こんなとこ歩いてると嫌なことばっかり、思い出しちまう!」
腹立ちまぎれに、道ばたの空き缶を蹴りあげた。
軽い音を立てて転がった缶に、夜の街を行きかう人々がふり返ったが、誰も、化け猫のミコには気づかない。
ミコは子猫時代のように、街路樹で思いっきりツメをといでやった。
ポストの上で即興のダンスを踊り、人間が自販機から取りだそうとしたジュースの缶をかすめ取る。オレンジのにおいに顔をしかめ、植えこみに捨てた。ミルクなら良かったのに。
「試練の魔法って、なんなんだよ! ちっとも……なんにも起きやしないじゃないか」
路地をのぞきこんだが、顔見知りの妖怪の屋台は、今夜は出ていなかった。
「珠貴様のところにでも、寄ろうかな……」
つい、気弱なつぶやきが口からもれる。
アナスタシアから聞いた言葉が、頭の中でぐるぐるまわっていた。
いちばん苦手なこと、大嫌いなこと、想像することさえ避けたい試練──って?
「そんなもん……予想することもできないじゃんか」
怖い。
でも強くなりたい。
メイをびっくりさせてやりたい。
いにしえの破壊神に、せめて名前を呼ばれたい。
はたと足を止めた。
「そういや吸血鬼のお姫さん、魔法は『もっともふさわしい時と場所を選んで発動する』とかなんとか言ってたよーな……」
住み慣れた夜の街を見まわし、思わずつぶやく。
「試練とやらがあるのはこの街じゃないのかも。あたい……あたいが認められたいのはメイのやつと、天魔王様なんだから……」
今、会いたいかときかれれば、むしろ絶対、会いたくない。
しかし、だからこそ、メイとスサノオのところに行かなければならないのでは?
ミコはツメを噛み、行きつ戻りつしてじりじりとためらい、しかし決断した。
「……ッ! ちくしょう、いいよッ、行ってやろうじゃん……!」
メイの家の場所なら知っている。
ここからは駅数個分離れているが、妖怪にとってはひとっ飛びだ。すぐ行ける。
ミコはきびすを返し、めざす方角めがけて地を蹴った。
「?」
くらっと目が回ったような感覚があった。
落ちる、と感じるより早く猫の本能が体勢を立て直し、四つ足できちんと着地──
したつもりが、手足の踏んばりがきかずぺしゃ、と路上につぶれてしまう。
「…………」
ミコは仰天してまばたきした。
目がおかしい。
ちゃんと見えない。ピントもろくに合ってないし、色も半分ぐらいしかついてない。
とりあえず起きあがろうとしてやっと、自分が猫の姿に戻っていることに気づいた。
(え? な……なんで?)
しかもなんだか頭が重たい。起きあがっても身体のバランスが悪く、ぐらぐらする。
と言うより……手足が短くなっているような……?
「見て見て、こんなとこに子猫がいる!」
どこかで人間の女の歓声があがった。
と思ったら、どかどかと大きな靴を履いた足がたくさん迫ってきて、
「わ、ホントだ!」
「きゃー、可愛いー」
「三毛じゃん。ぽわぽわ」
「生後一ヶ月ぐらい? 捨て猫?」
まさか自分の話をしているとは思わないうちに、人間の手があっという間にミコの首のうしろをつまみ、軽々と持ちあげた。
(なんで? なんでこいつら、あたいのこと見えんの?)
「びっくりしてるぅ! 可愛いー」
あわててじたばたと暴れてみるが、自分でももどかしいほど動きが悪い。
人間たちはミコの抵抗など気にもせず、よってたかってあちこちさわり、なでまわす。
「あー、お持ち帰りしたいー」
「うーん、でもこのコ毛並みきれいだし、迷い猫かも」
「それなら飼い主さん、きっと探してるね」
「おなかすいてまちゅかー? 確かコンビニで猫缶、売ってるよね」
「このコならまだ猫ミルクじゃない?」
ミコはようやく「バカにすんなクソ人間どもッ! あたいは化け猫なんだよッ!」と叫んだが、口から出たのは幼猫の、ほとんど聞こえないフーシャー音だけ。
「おー、怒ってる怒ってる」
「あんまり人慣れしてない感じ? 野良さんかな」
「あ、痛っ」
小さい前足の小さいツメが、やっと人間の肌にひっかかった。
人間は驚いてミコを投げ出し、ミコは今度こそきちんと着地……しようとしたがまた、ぺしゃ、と路上につぶれた。あごと鼻先をぶつけ、ころんころんと路上を転がる。
無我夢中で、目の前の植えこみに飛びこんだ。
「あー、逃げちゃったあ」
「野良なんだよ。しょうがないよ」
「でもぉ……」
追ってきそうな人間たちの声をあとに、ミコは必死で逃げ出す。
といってもまだ乳歯も生えそろっていない子猫の走りだから、よちよちぽてぽてとたよりない。ちょっとした段差も越えられないし、急ぎすぎると転ぶ。
(うそ! うそ! こんなのって……)
なんとか物陰にもぐりこんだ時にはとっくに、方向感覚をなくしていた。
今、街のどこにいるかわからない。
もちろん、メイの家がどちらの方角かもわからない。
ちび猫の身体はもうへとへとで、四つ足がぷるぷる震えていた。
(だ……誰か助けてーッ!)
ミコは叫んだつもりだったが──
子猫のかぼそい鳴き声は街の喧騒に飲みこまれ、誰の耳にも届かなかった。
このエピソードをもちまして「祟らない日常・篇」、幕となります。
次のエピソードから「神饌の姫・篇」がはじまります☆
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