25 安全なウソ。危険なホント。
時間が無い。時間が無いのに、やる事が無い。早く時間が過ぎて欲しいような気もするし、このまま時が止まって欲しいような気もする。
ジルに、会いたい。
ガウル殿下が国境砦へ戻るまで、後二日。それまでに全てを終わらせなくてはならないため、ジルは昼夜問わず忙しく動きまわっている。
ただ、周囲にその事を悟られないよう、夜はあたしの部屋で過ごしていることになっていた。実際はこの三日でジルが部屋に訪れたのは一回だけで、それも一刻半ほど死んだように眠った後、すぐに出てっちゃったんだけどね。
今は寂しいとか、不安だとか言っている場合じゃないとわかってるけど、やっぱり不安だ。現時点ではあたしに手伝えることが何も無いのも焦りを誘う。何か出来ることはないかと考えて、結局一日の大半を魔法陣の練習に費やした。他に出来ることって、思いつかないし。
均一に魔力を込めるのは結構上手くなったと思う。あたしは夕食の後に幾枚かの陣を描き上げた。ちゃんと途切れずに魔力を込めれているかを確認していると、弾んだ声があたしを呼ぶ。
「リュミエール様! ジル殿下がいらっしゃるそうです」
「え!」
衝立を立てている間、リリィは決して傍へ近づかない。大急ぎで出来上がった陣と見習い魔法陣集を箱に仕舞って立ち上がる。衝立から顔を出すとざっとあたしの全身を眺めて「髪型が少し乱れていますね」と鏡台へと連れていかれた。
「ついでにお化粧も直しておきますね」
本当に、リリィは優秀すぎる。一昨日ジルが部屋を訪れた時は突然すぎて、あたしが化粧や髪の乱れを気にしていたのに気付いてたんだろうな。さらには、あたしがジルが来るから化粧を直したいとは、恥ずかしくてなかなか言い出せない事にも気付いている。有無を言わせず強制的に、あたしの希望を叶えてくれた。
ジルが東の塔から解放された後、リリィはあたしの事を女神様ではなく『リュミエール様』と呼んで良いかと聞いてきた。
ディディエにもリュミエールと呼ばれた後だったので、深読みして焦るあたしに彼女は深々と腰を折り
「ジル殿下からリュミエール様のみに忠誠を誓う許可を頂きました」
と、とんでもない事を言ってくれた。
あたしの世話をしてくれている五人は、元はジルに付いていた女官だ。ジルの部下はあまり力のない貴族の子息子女ばかりで、後ろ盾が弱く辛い思いをしていた所を拾われた者も多い。
リリィもジルに助けられた一人で、王家というよりもジル個人を慕っている印象があったのに。
『女神様』に忠誠をと言われたなら躊躇はしない。笑ってありがとうと受け入れる。でも
「リュミエール様個人にお仕えしたいのです」
リリィはこんな言い間違いはしない。あたしは泣き笑いで何度も頷くしかなかった。
そのリリィは手早くあたしの化粧を直すと、ニコニコとご機嫌で髪を梳かしている。たまにはちょっと違う髪型にしてみましょうと、サイドの髪を少し取ってくるくると捻ると緩く纏めて一つに結わえた。花瓶からちょうどいい大きさの花を選んで、結び目を隠すように飾ると上品で可愛らしい。
「リュミエール様には、薄紅の花がやっぱり似合いますね」
鏡を使って見せてもらった花は魔法の花びらと同じ色。なるほど、黒い髪にはよく映える。花を髪に飾るのはお祭りの時ぐらいだ。なんとなく、気分が高揚してそわそわしてしまう。ノックの音とジルの声にほんの少し緊張した。
「変わりはないか?」
そう言って入ってきたジルは軽くあたしを抱き寄せて、髪にキスをしてくれた。頬ではなくて頭なのは、ジルの背が高くてあたしがチビだからです……。最初は頬にしてくれてたんだけどね。毎回かがむのが面倒になったんだろうね。
でも今回は髪に注目してもらいたいから都合がいい。さりげなく首をかしげてアピールしてみる。少し笑う気配がしたから『さりげなく』は失敗した可能性有。
「よく似合ってる。早咲きのサリだな」
豪華な花より控えめな野の花が好きだと、リリィが花言葉の本を読んでいた時に漏らしたら、野の花が部屋に飾られるようになった。サリの花はハクカと同じぐらい好きだ。今の時期はあまり見かけないが、初夏の咲き乱れる時期にはよく大量に摘んできたものだ。
この花は染料にもなる便利な花なんだ。小さな子供達が集めてきた花を、少し年長の女の子が色ごとに分けて袋に詰めるのは、村の初夏の風物詩だった。
「サリの花びらをすぐに千切らずに飾ったのは初めてだよ。花びらにまみれて色ごとに袋に詰めた思い出しかないし」
染め物か。とジルは笑う。染料になる事は知ってたみたいだ。青色が一番珍しいんだよと言いかけて、ジルの顔を見上げて眉を寄せた。
少し疲れた顔をしてる。うっすら隈までできている。そういえばジル最近あんまり寝てないみたいだったと思い出した。花で浮かれていたことがなんだか申し訳なくなる。
「ジル、ちゃんと寝てる? ご飯食べてる? 少しは休まないとダメだよ」
今が正念場なのはよくわかっている。でもジルが倒れたら元も子もないでしょうに。心配するあたしにジルは笑って大丈夫と言うと、リリィを見る。心得たもので彼女は一礼してすぐに部屋を出る。防音のための風の魔法陣が発動された。
「俺がしなければならない仕事は粗方終えた。明日朝まではゆっくりできる」
「本当!?」
嬉しい。ジルと過ごせる時間はもう残り僅かだ。 ああ何をしよう? 何を話そう? 疲れてるみたいだから休ませてあげないといけないよね。でも紅茶を飲んでもらうぐらいはいいかなぁ?
お茶を飲むかと聞いたら入れてくれと言われたので、急いで準備する。砂時計を返して蒸らしに入った所でジルを見ると、片付ける暇のなかった書き物机の紙とペンをジルはじっと見ていた。
「陣を書いていたのか?」
「うん。ちゃんと線と円を引く練習もしてるよ」
そうか。と答えてインク壺を引き寄せると、ジルは何かを紙に書いている。魔法陣の補充かな?
ソファーテーブルに茶菓を置き、カップを並べて、砂時計で時間を慎重に確かめると紅茶を注ぐ。よし、完璧。
出来たよと声をかけると、ジルは書き上げた紙を二つに折ってテーブルに置いてから、ソファーに座った。
「リュミエの煎れた紅茶は久しぶりだな」
「あ、ごめん。すぐに寝たいならお酒の方がよかったかな?」
お酒を飲む習慣が無いから気が回らなかった。お茶を飲むと寝れなくなる人もいるよね……。
「いや、これでいい。話もしたいから」
だよね。最後の打ち合わせってヤツだね。予定では明後日の夕方
ジルはハクカの王位を纂奪する。
表立って最初に動くのはガウル。そしてそれを正当化する為に教会も呼応。彼らはハクカ王家に囚われ望まぬ婚姻を強いられた女神を救い、圧政に喘ぐ国民を救う為に救世軍として兵を挙げる。
救世軍は最初は女神に婚姻を強いた王族として、ジルも討伐対象として口上を上げる。そうでなければ、あたしを連れて王宮から脱出する役目のあるジルの身が危ない。勿論あたしが救い出された後には『誤解』を解く。
あたしはその後救世軍を支持。ジルとガウルを旗頭に、救世軍は王家を断罪する。
実はこの部分で意見が割れた。ディディエは女神を中心になって王家を断罪すべきだと主張した。ガウルとは晩餐会以降会ってないが、彼もディディエ寄りの意見だったらしい。
あたしとジルは、神が国を裁くのは良くないとこれには反対。国を導くのは人であるべきだと思う。信仰が指針になるのは構わないけれど、人ならざるものに未来を丸投げしちゃダメでしょう?
結局、あたしが断固として拒否したので、渋々ディディエは引き下がった。こういうとこはディディエもやっぱり神官なんだなと思う。あたしやジルは政治と宗教は極力切り離したいと思うけど、ディディエにこの感覚は理解できないんだろう。
「予定の変更はない。ガウル兄上が兵を上げ、民衆にその目的が周知されたらすぐに王宮から出る。時間との勝負だ。昼食はしっかりとっておけ。次に食事ができるのはいつになるかわからない」
「そっか。何か準備は必要? 動きやすい服に着替えたりとか」
「いや、それよりも上着を脱いだらすぐに女神とわかるような格好にして欲しい」
着替える暇も無いかもしれないもんな。女神は『そこに居る』って事が一番のお仕事だから、遠目からもすぐわかる格好が重要だ。
「正装は動きにくすぎるから、何枚か省くか似た印象のローブを着るよ。その上からはフードのついた地味目の外套だね」
「それでいい。時間がないだけで、ディディーと合流できれば必要なものは揃っているから」
「他に気をつけることは?」
「無い。王宮を抜け出しさえすれば後はディディーがどうにかする。何か不測の事態が起きても、無事にディディーかガウル兄上と合流する事だけを考えろ」
あっという間に打ち合わせは終了。ジルは何か質問はあるかと聞きながら、茶菓子を摘む。炒った木の実に飴を絡めた菓子は、甘くて香ばしくて、ケーキの次にお気に入りだ。簡単に作れそうだから、いつか村のみんなに作ってあげたいなぁ。
「特に無いかな?」
そう言ってあたしも菓子を摘む。口の中に広がる甘さと香ばしさに頬を緩めていると、お茶を飲み終えたジルはテーブルに置いていた紙を手に取った。
「そうか。俺には、ある」
「え? 何が?」
「質問が」
広げられた紙に描かれていたのは、予想通り魔法陣。それも何回も描いたのですっかり覚えてしまった、望む方向へ風を吹かせる陣だ。
見慣れた陣。おそらくこれならあたしでも空で描ける。ただ、一箇所だけ見慣れない文字があった。
『風』
中央に描かれた文字は、『力ある文字』でも、普段使っている大陸共通語でもなかった。これは
「女神文字」
ジルの言葉に、悲鳴を上げずにいられたのは上出来だけど、全身から血の気が引いて身体が強張っているのを自覚した。手が震える前に、ソーサーにカップを戻す。ガチャリと音を立てたそれは、薄茶の液体を跳ねさせてテーブルを汚した。
「ジル、やめて」
声が震えていないのが奇跡だ。動揺するな。動揺するな。あたしは、嘘つきの性悪女でしょう?
「リュミエ、お前」
なんで? どうしてジルが正解を知ってるの? どうやって誤魔化せば良いの? しらを切ればいいの? それでジルは納得する?
必死で脳細胞を叱咤して最善の反応を探すけど、あまりの恐怖に上手くいかない。結局、現実を直視したくなくて意図的にジルの言葉の意味を曲解して話を逸らす。
「女神文字を陣に組み込むのは危険なんでしょ? やめて」
「そうだ危険だ。リュミエール、お前は」
やめて。嫌だ。聞きたくない。あたしに
「お前は、女神文字が読めているんだろう?」
あたしに、ジルを殺させないで。




