26 はなさないで。
「リュミエはまだ上手く追えないようだが、魔力の残滓というものがある」
そう言って、ジルは書物机の方を見た。あたしは、表情を消すことで精一杯。残滓? 何だよそれ。魔力の流れを読むのと何か関係あるの?
「濃く魔力を込めた線を引けば、それはそのままの形でそこへ留まることがある。あの机に残っていた残滓は、くっきりとこの文字を残していた。」
そんなの教えてもらってないよ。なんで教えてくれなかったんだ。
「前から不思議に思っていた。魔力量も、誤魔化しただろう? どんなに上手く配分しても、あの水盤で量った以上の魔力をリュミエは行使している」
あれは上手くいったと思ってたのに。必要に迫られたんだからしょうがないじゃない。練習で増えたで済ませたいけど、残滓の件があるから説得力がない。
テーブルの上の魔法陣を睨みつける。コレさえなければ、無理矢理にでも『よくわからない』で押し切ったのに。
何を言っても墓穴を掘りそうだ。唇を噛んで俯いていれば、ジルはさらに知り得た情報から秘密を探り当てる。
「リュミエール、お前は東国の出身で東には黒髪が多い。もしかしたら、女神と女神文字は東にある実際の……」「やめて!」
どうして? なんでそこにまで気が付くの!?
「お願い……それだけは駄目なの!」
「リュミエ?」
突然悲鳴を上げたあたしにジルは眉を寄せる。駄目だよ。それだけは駄目。呼吸が早くなって、涙が滲んだ。
「ここでの会話は外には漏れないんだよね? 誰も聞いてないよねぇっ!?」
「落ち着け、急にどうしたんだ?」
「だって! 駄目なんだよ。この国には今、死神がいるのに! お願いジル……全部忘れて。あたしはただの村娘で、これは本当なの。それ以上の事は詮索しないで。じゃないと」
ああ。これは言うべきなんだろうか。どうすれば、ジルを守れるんだろう?
「じゃないと、ジルが……ジルを、あ、あたしは」
抱き寄せられる。ゆっくり息をしろと、頭の上から声を落として慣れた手の平が背を撫でる。あたしはジルの胸に額を押し付けて、細く、声を搾り出した。
「……ジルを、殺してしまう」
一瞬だけジルの手が止まったけど、伝わる心音は穏やかなままだ。本気にされなかったんだろうか? あたしには無理だと思われたんだろうか? そりゃ、あたしには無理だけど。
ジルの馬鹿。もうちょっと危機感持ちなよ。何を油断してるの? ……あたしは、もっと馬鹿だ。ジルの力になりたくて頑張ってたのに、この様だ。本末転倒どころの騒ぎじゃない。
「リュミエ、防音の陣は正しく機能している。ここでの会話は二人だけのものだ。ちゃんと話してくれ。こんな中途半端な状態だと、何がリュミエの害になるのかすらわからない」
子供をあやすように背中と頭に触れて、嘘でもいいからとジルは付け足す。
「何を言われても信じるから。一人で抱え込むな」
そうだよ。あたしは嘘つきの性悪女神だよ。でも
「あたし、隠し事はしてもジルに嘘はつかない……今までもジルにだけは、嘘は言ってないよ」
ジルにだけは、どうしても嘘をつく事ができなかった。この国の人全てを騙したけど、ジルにだけは嘘は言ってない。
あたしは覚悟を決めて、心地よい腕の中から抜け出してジルに向き合った。
「全部は無理だけどちゃんと本当の事を、話す。だから、ひとつだけお願いを聞いて」
「なんでも叶えてやる。言え」
即答しないでよ。信用されてるのは嬉しいけど、万が一あたしが無茶な事言ったらどうするの。将来女で失敗する王様にだけはならないでよ?
「ありがとう。今からあたしが話す事、二人だけの秘密にして。絶対に……誰にも言わないで」
「……そんな事でいいのか? お前が必死で隠していた秘密を、誰かに話したりするわけないだろう?」
不満気な低い声。そりゃそうか。こっちはまるでジルを信用していないかのようなお願いだもんな。
「ごめん。あたしだけが罰を受けるわけじゃないから、どうしても念を押したくて。じゃあ、他のお願いに変えていい?」
罰のくだりで少し眉を寄せたが頷いてくれたので、あたしは言葉を変えて……結局は同じお願いをする。
「あたしの秘密を知っている人に、あたしがどんな目に合わされても、ジルは何も知らないふりをしてね」
「……どういう意味だ?」
ジル怖い。そのままの意味なんだけど。
「死神がいるの。ちょっとやり過ぎちゃったから、あたしは罰を受けるかもしれない。でも、多分殺される程じゃないから安心して」
あたしの両親が生まれた東の国には、死神と呼ばれる法の番人兼守護者がいる。彼らは国内外で罪を犯した者を裁く権利と、自国民を守る義務を持つ。必要があれば……人を殺す権限も。
彼らの最大の使命は、自国の秘密を守る事だ。大き過ぎる力は害になる。力ある文字も、国民全てに魔力がある事も、始祖の遺志を受け継いで三百年もの間秘密とされてきた。
決して大陸全土を巻き込む戦争だけは起こさないようにと。
「あの国に秘密の力がある事だけは、絶対にバレたら駄目なの。誰かに知られたら、死神がその人を殺してしまうよって、ちっちゃな頃からずっと言われてきた」
あたしの魔力は生まれてすぐにかけられた厳重な封印で、ゼロに近い量に抑えられていた。国外で生活する者は、極一部の例外を除いて魔力を封印される。自国以外で魔法を使う事は禁じられているからだ。
あたしの両親もその措置は受けてから国外に出ていた。じゃないと大罪人として問答無用で死神に連れ戻される。あたしが生まれた時にはきちんと手紙で魔力封印の為に死神の派遣を要請していた。駆け落ちは死神の関与しない軽微な罪だ。
でも、血筋のせいか徐々にあたしの魔力が抑えきれなくなったのもあって、両親は帰郷を決意した。どのみちあたしには一度あの国に行く義務があったわけだし。
だから死神が見つけやすいように、あたしはこの国で進んで女神のふりをした。あたしたち家族の帰国は伝えてある。それがいつまでも到着しなければ誰かが、おそらくは死神が調査に来るのはわかっていた。
ジル達の力になりたいと思ってしまったのは、誤算。最初は最低限の協力で終わらせるつもりだったのにね。
「だから、ジルは何一つあたしの秘密を知らないでいて。死神はあたしを助けに来たの。秘密を守り、国に連れ帰る為に」
「その死神はリュミエを守ってくれるのか? 重い罰を与えられはしないのか?」
心配してくれるのは嬉しいけど、あたしの事は今はどうでもいいんだけど。命の危険があるのはあたしじゃなくてジルだよ?
「ジルに秘密を漏らした事がバレなければ、きっと大丈夫。十六になったら詳しく教わるはずだったんだけど、その前に両親が死んじゃったからよくわからなくて」
「そうか。悪い、無理を言った」
ジルは大きく息を吐いてソファーに身を沈めた。
「最初から、リュミエはここから逃げ出す手段を持っていたんだな」
「……ごめん」
「いや、いい。秘密を守る為には話せなかっただろう。最初から、不思議と理解していた。お前はこの国に留まる事は決して無いだろうと」
ジル、勘がいいもんなぁ。魔力の多い人は勘が良いって聞いた事があるけど……迷信か。アンセルムもそれなりの魔力があるはずだ。
「うん……あたしは全く混血してなくて魔力が多いから、きちんと力の制御を学ばないといけないの」
「待て。外の血を入れているのか?」
ジルが驚く。そうか、普通はこういう秘密って自国の優位性を保つ為のものだよね。争いの火種になりたくないから力を弱くしたいなんて、この国では理解出来ないだろうな。
「力を薄める為にね。中々上手くいかないみたいだけど。伴侶にだけは秘密を話して良い事になってる」
「……俺は条件を満たしていると思うが」
そうだね。あたしもそう思いたかったよ。でも無理。ジルはこの国の王子様。そして、もうすぐ王様になる。
「外の者との婚姻の条件は、国内に戻って十年間……だったかな? 決して国外へ出ない事。ジルには無理でしょ?」
国王が十年不在の国って、意味がわからない。婚姻の条件を知らなかったと言えば、あたしは罪に問われないかもしれないけど、ジルがどうなるか。最高権力者に秘密を知られるって、悪夢のような出来事だよね。
「ジルに権力者としての義務があるように、あたしにも力を持つ者としてそれを制御する義務がある」
帰国して、力の制御を学ぶ事はあたしの義務だ。この国に着いた頃から、どんどん封印が緩んでいってるのを感じる。ジルに魔法を教わって魔力の流れを追いはじめてから、少しだけ抑え込む感覚が身に付いてなんとかなったけど、感情が爆発したら暴走しそうで怖い。
あたしは行かなくちゃいけない。それに、ジルとあたしは最初から夫婦じゃない。そうなるように、仕向けたから。
「結婚したのは、女神様と第4王子だったんだよ」
あたしは、あたしの名で誓っていない。あたしの本当の名をジルは知らない。その事を思い出したんだろう。リュミエ、と呼びかけてジルの顔が歪む。
ごめんねジル。あたしはあなたを傷つける。良い思い出なんかにしないでね。いつまでも取れない棘のように、時々あたしを思い出して。
そのかわり、どんな手を使っても守るから。あたしがいつか幸せを手に入れるように、あなたの幸せも祈るから。いつもじゃなくていい。ふとした時に思い出して痛みを感じてよ。
「あたしとジルは、名前も知らないような他人。でも絶対に生き残って、お互い幸せになろうね」
リュミエールと名付けてもらって嬉しかった。リュミエという、ジルだけの使う愛称が愛しい。両親の付けてくれた本当の名前以上に、愛しく思っている事は秘密。
あたしはこの名前があれば、きっと耐えられる。あと、できればカメオのペンダントも持って行けたら嬉しいな。
「リュミエールって名前、好きだよ。ありがとう」
本当は、あたしのいない場所で幸せになんてなって欲しくないけれど。
「ジルの幸せを願うよ。だから、誰にも絶対話さないでね」
無理矢理作った笑顔はやっぱり無理がありすぎて、無言でジルにきつく抱きしめられた。
震える指でジルのシャツを握り締めて、あたしは小さな声で繰り返した。
――はなさないで
抱きしめる腕の力が、少しだけ強くなった気がした。




