第9話 愛着、羨望、あるいは憎悪 -2
私はベッドに横たわり、今日を振り返る。
フレッドが生きていた。そのことに安堵して、童心に返り過ぎてしまった気がする。彼が来てからさっきまでの自分の言動は幼くて、なんだか少し恥ずかしい。
(彼が幼いのが悪いんだわ。二十歳も過ぎて、大尉なのに、言うことが子供の頃のままだから)
今日の私が少しおかしいのは、全てフレッドのせい。内心でそう言い訳をしたところで、かちゃりとドアが開く音がした。
枕を持ったソキウスが、後ろ手にドアを閉めてこちらへ微笑む。
「ソキウス、ノックを忘れているわよ」
彼はそろそろと歩いてこちらへ。
「忘れていません。しなかっただけです」
「? 何かあった?」
ソキウスがベッドの横に立ち、貼り付けたような微笑みのままこちらを見下ろす。
「あなたと一緒に寝ようと思って来ました」
「もう春よ。寒くないから、一緒に寝る必要はないわ」
「では、僕はオバケが怖くて仕方がないので、一緒に寝てください」
「ソキウス……どうしたの?」
尋ねると、彼は微笑みに固定した口元をぴくりと動かし、
「オバケが怖いだけです」
私の横に枕を置いて、片膝をベッドに乗せた。
「ソキウス、自分の寝室に戻ってちょうだい」
「なぜ?」
「何度も言っているでしょう? 家の中でまで夫役をやる必要はないわ。それに、今はフレッドがいるのだから。兄の弟子と私が一緒のベッドで寝ていたら変よ」
「明け方、彼が目覚める前に戻ります」
「危険よ。フレッドは眠りが浅いタイプだから——」
ボフッと、耳元で音。ソキウスが私の頭の横に片手をつき、覆い被さってくる。普段の物静かな彼と比べると、少し荒い動作。
「『眠りが浅い』なんて、どうして知っているんです?」
「それは、昔よく一緒に寝たから——」
「彼が良くて、僕がダメなのはなぜですか?」
「え?」
「彼はあなたの夫でも、お気に入りの毛布でもないでしょう? そこの棚とも、椅子とも、ペン立てとも違う。彼は人間です。あなたの嫌いな、人間の男です」
「フレッドは幼馴染だし、一緒に寝ていたのは子供の頃の話よ」
「子供でも大人でも、あなたはあなたです。あなたは自ら望んで彼の隣に横たわった。だったら、僕があなたの隣で寝るのも何ら問題ないはずでしょう?」
ソキウスがもう片方の膝をベッドに乗せて、「彼より僕の方が望ましいはずです」と続ける。
「彼はランダムな有性生殖によって生み出された、容姿や性格の全てが偶然の産物。一方で、僕はあなたに作られた。あなたが、あなたのために生み出した」
微笑みを湛えているものの、ピーグリーンの瞳には仄暗い陰が落ちている。私は起き上がろうとするが、彼に肩を掴まれ、押し戻される。
「ソキウス、離してちょうだい」
「幼馴染ってなんですか? 子供の頃に出会ったというだけで、どうして彼は許されるんですか? あなたがあんなふうにはしゃぐのを、僕は今日、初めて見ました」
「離して」
「おかしいです。あなたが僕の部屋を訪れたことなど一度もない。一緒に寝たいと言うのはいつも僕で、あなたはもう寒くないと言って、僕はここ数週間ずっと我慢していました」
「だから、フレッドと寝たのは子供の——」
「その表現は不適切です。違う意味に聞こえます。不快です。訂正してください。あなたは僕の妻でしょう?」
「違うわ。私は——」
「そして僕はあなたの夫です。幼馴染より夫の方が上です。だから、彼が許されることは僕にも許されなければおかしい」
ソキウスがつらつらと話しながら私の体に跨る。
「さらに言えば、夫にしか許されないことがあるべきです」
私は逃げようと身を捩るが、肩を掴まれて戻される。彼の右手の指先が肩に食い込んで、微かな痛み。
(『夫』……『夫役』ですらない)
ソキウスが空いた方の手で、私の腹をそっと撫でる。
「彼に許してないことはなんですか?」
それから指先を這わせ、脇腹から臍の横、その下へ。
「ソキウス、今すぐ離れなさい」
「嫌です。僕はあなたのものです」
「だから言っているの。離れなさい」
「どうして? 僕はこんなにあなたを愛しているのに」
「離れなさい」
「フレッドがあなたとしていないことを教えてください」
こちらの言葉に聞く耳を持たない。完全に私のコントロールを外れている。
(……ダメね。仕方がない)
私は内心でため息をつき、
「コード入力。『止まれ』」
瞬間、ソキウスの体がスイッチを切ったように脱力し、私の上に突っ伏した。——『スイッチを切ったよう』という表現は白々しい。実際、私は彼のスイッチを切った。
(お父様に言われたパーティーは来月。……この強制停止で、ソキウスが怒ったら……)
そんなことを考えながら、彼の下から這い出そうとしたところで、
「リ、アナ……」
ソキウスの声。おかしい。彼は完全に停止したはずで——
「酷、い……で……」
彼がのそっと体を擡げて私の腕を掴む。振り払おうとする私の腕力は明らかに足りず、彼の下に引きずり戻された。
「あなた、なんで……」
仄暗いピーグリーンの瞳が、じっとこちらを見つめる。
「どうして、こんな酷いこと、を、するんですか」
「なんであなた、動けるの? 私は強制停止のコードを——」
「そんなものを、なぜ、僕に……?」
彼の指先が腕の肉に食い込む。彼が「酷い」と何度も繰り返す。私を責める彼の姿に、私は下腹部を這う指先の感触を思い出す。
「……酷いのはあなたよ」
ソキウスがぴたりと言葉を切った。
「あなたは、私があなたを作った理由を知っているでしょう? 私が何が嫌で、どう扱われたら悲しくなるか知っているでしょう? それなのに、あなたは今、何をしているの?」
「でも、僕は……」
「あなたさっき、何をしようとした?」
「ち、違うんです。僕はただ——」
「早く離れて」
「リアナ、聞いてくださ——」
「離れてって言っているの!」
私が声を荒げると、ソキウスが「どうして」と呟いた。
「どうして、そんな目で見るんですか?」
恐れ、驚愕する声。私の腕を掴む手が震える。
「僕は……うまく、やってきたはずです。さっきは少し行き過ぎましたが」恐れているのは、私の視線。「僕は、怪物ではない」
弱々しい断言は、しかし祈りのようであり、切望の吐露。図らずも私は、彼がフランケンシュタインを愛読する理由を知る。
「怪物ではない。怪物になどならない。……僕は、怪物じゃない、ですよね?」
最初の人造人間。名前さえ与えられなかったツギハギの怪物。ソキウスはそれを、自己の反面教師としている。不完全な創造主の手による被創造物たる自分が、怪物に成り下がることのないように。
かの怪物は、愛を求める旅路の最後、何も得られないまま北極海の果てに消えた。
「嫌だ……怖がらないでください。ごめんなさい。もう何もしません。全てあなたの言葉に従います。だから——」
私に覆い被さって、縋るように言葉を並べる彼は、泣き出しそうな顔をしているけれど決して涙を流さない。
私は彼に涙腺をつけなかった。心を持たない人造人間に、感情を表する機能は不要だろう、と。
(つけるべきだったわ)
考えたところで、バタバタと騒がしい足音が近づいてきた。勢いよくドアが開き、「リアナ、どうした!?」とフレッドが焦った様子で入ってくる。
「何を騒いで——」
こちらを認めたフレッドは、当然のごとくソキウスを殴った。その身のこなしは『さすが軍人』の一言に尽きるもので、私が止めるのに苦労したことは言うまでもない。
*
殴られたソキウスの頬が鬱血のように赤黒くなったのは、衝撃で凝集したエーテルに切れたポリマーが溶解した結果。近くで目を凝らせば、鬱血でないことがすぐにわかる。
職業柄、怪我を見慣れているからか。フレッドはすぐに気づいた。
「リアナ、説明しろ」
私をベッドに座らせて、ソキウスをドアの横に立たせる。それからこちらへ戻ってきて、壁に寄りかかって腕組みをする。視界の端にはソキウスを捉えているだろう。
私は事の委細を説明した。縁談やパーティーのこと、ソキウスを作ってから今日に至るまでを、余す事なく。
フレッドは終始難しい顔で聞いていて、
「どうして最初に言わなかったんだ」
私が話し終わった後、開口一番に尋ねた。
「あなたが……これを聞いたら、バカにすると思って」
「危険より見栄を優先したってか?」
「停止コードがあるから大丈夫だと思ったのよ」
「でもそれは効かなかったんだろ? お前はちゃんと言うべきだった」
「……それは、結果論だわ」
フレッドが「そうだけどよ」と言いながらガシガシと後ろ頭を掻く。それからソキウスを一瞥し、
「あの外装は、お前が作った素材か?」
「ええ」
「頬の赤みがさっきより薄くなってる」
「有機ポリマーに、自己再性能をつけたの」
「お前は優秀だな」フレッドは呆れたように呟いて、「人間じゃないなんて、全然気づかなかった」大きなため息をついた。
「けどお前、流体記録素子型の情報処理コアの問題、知らないだろ」
そして話し出したのは、軍の人造兵士計画が凍結された本当の理由。自律判断機能の不足——その裏にあったもう一つの問題。
「簡単な計算処理なんかに使われるコアと比べて、人間レベルの情報処理を目的としたコアは、初期入力情報の量が桁違いだ」
その膨大な情報を書き込まれたコアは、半年と経たずに、初期設定を大きく逸脱する。
「簡単に言うと、制御不能になる。製造当初は指揮官の言うことを聞いて動いてた機体が、半年も経つと命令に従わなくなる」
判断機能以前の問題。予測不能な機械など、何の役にも立たない。科学のコントロール下を逸脱した試作機の有り様は、科学の限界を如実に示した。
人を造る——それは神のみに許された所業。未熟な被創造物には手の届かないもの。それを認めたくない軍上層部は、あくまで運用面の問題として計画を凍結した。
「ソキウスが起動して一年が過ぎたんだろ? 軍の試作機だったら使い物にならなくなってる頃だ」
フレッドは淡々と言って、「破棄した方がいい」と付け足した。ソキウスがハッとした顔で彼を見るも、何を言うでもなく、そろそろと俯く。
「でも……そうしたら、私は、二回りも年上の資産家と結婚することになるわ」
「断ればいいだろ」
「あなたがそう言えるのは男性だからよ。私に拒否権なんかない。この二年の猶予だって、交渉を重ねてどうにか手に入れたものなのだから」
「逃げるとかは?」
「無理よ。あなただって知っているでしょう? お父様は、気に入らないものをどこまでも追いかけて突き落とす人よ」
「それは、まあ……確かに……」
フレッドが腕を組み、顔にグッと力を入れて天井を仰ぐ。「うーん」と唸り続けること、体感で十数秒。
「いっそのこと、俺と結婚するか?」
突然飛び出した問いに、私は思わず「はえ?」と変な声を出してしまった。
「えっ……あ、あなたと、結婚?」
「ああ。要はあれだろ。親父さんは、娘がいつまでも結婚せずに学問やってんのが嫌なんだろ? 周りから『育て方を間違った』とか言われるし、シンプルに世間体が悪いから」
「え、ええ」
「つまり、お前が結婚して家を出れば文句はない。だからお前は夫を捏造しようとした、と」
「そうだけど」
「だったら別に、俺でもいいだろ。俺は仕事でほとんど家にいないから、お前の一人の時間を確保できるし、お前が何をやってても文句なんか言わない」
横目にソキウスを一瞥し、「危険がない限り」と付け加える。
「いつ暴走するかわからん人造人間よりマシだと思うが」
「でも、そうしたら、今度はあなたの世間体が悪くなるわ。『あの家の奥さんは研究ばかりやっている』とか、『料理もろくにできない』とか言われるわよ」
「料理できない自覚あんのかよ……」
「それに、私なんかと結婚したら、あなたが結婚できなくなるわ」
フレッドが疑問符を浮かべる。私が「ちゃんとした結婚を」と付け足すと、何かを納得した様子でため息をついた。
「それもあって、お前は夫を自作したのか」
誰もが当たり前に結婚をする社会において、結婚はその人の価値を示す一つのパラメーターであり、社会的信用に大きく関わる。
結婚せずに一人でいるのは、何か欠陥を抱えているから。変な人と結婚した人は、変な人としか結婚できない負け組。素晴らしい女性を妻にもつ夫は素晴らしい人。
世界中を探し回れば、ありのままの私を受け入れてくれる人はいるだろう。私はその人を素晴らしい人だと思う。だからこそ、私などと結婚して人生を棒に振って欲しくない。
「とりあえず、この話は一旦保留にしよう」フレッドがソキウスの方を向く。「そんでもってリアナ、お前はあいつを破棄——」
「ま、待って!」
私は勢いよく立ち上がった。フレッドが怪訝そうな顔で振り返る。
「なんだよ。言っとくが、これは保留にできないぞ。あいつが危険なのは確定だし、俺は仕事があるから明日の朝にはここを出なきゃならない。あいつを見張れない」
「だ、大丈夫よ。停止コードを複数設定して、迂回経路を作って、分散発現と重複指示で効果を強めるわ」
「……ど、どういうことだ?」
「もっと強い、絶対に効く停止コードをつけるから、彼は危なくないということよ」
「? 情報処理コアって、一度閉じたら開けないんじゃなかったか? 流体記録素子のエントロピーがどうこうって」
「古代文字を外装に記述することで設定できるコードを開発したの」
フレッドは難しい顔で私の話を聞いた後、深く長いため息をついた。
「お前が女じゃなかったら、きっと、研究の第一線で活躍できたんだろうな」
◇ ◇ ◇
翌朝、フレッド・ロスはリアナに「何かあったらすぐ連絡しろよ」と二十七回言い、玄関へ向かう途中で九回足を止め、玄関を出た後に六回ドアを閉めるのを躊躇った後、帰って行った。
「リアナ、実験室へ行きますか?」
僕はすぐに『絶対に効く停止コード』を付加されるものと思って尋ねたが、
「あれは嘘よ。コードはあるけど、書かない」
リアナはこちらを見ないまま、気まずそうに微笑むだけだった。




