第8話 愛着、羨望、あるいは憎悪 -1
「いやー、せっかく二階級特進で中佐になったってのによぉ、元に戻ってまた大尉だ」
「フレッド」
「驚いたぜ。どうにかこうにか帰ったら幽霊扱いされてよ。何かと思ったらとっくの昔に俺の葬式が終わってて、墓まであって」
「ねえ、フレッド」
「そういやお前、俺の墓の墓碑銘見たか? 笑っちまうよなぁ。あんなお上品な詩、俺には合わないっつう——」
「フレッド!」
フレッドは私の姿を認めるや否や、ヘラヘラと笑いながら話し始めた。私が声を張り上げると、ようやく「ん?」と言葉を切る。
「とりあえず、中で話しましょう」
私は言いながら踵を返そうとするが、
「リアナお前、もしかしてあれか。死んだと思った俺が生きてて、嬉しくて泣きそうなのか」
茶化す気満々の彼の言葉に、引きかけた右足を止める。
「そんなわけないでしょ」
「あれ? なんか目元赤くないか?」
「言いがかりはやめてちょうだい」
「てかお前、少し太ったか? まさか俺が死んだ悲しみから暴飲暴食を——」
「太ってないわよ!」
「そうか?」フレッドが軽薄な調子で言い、「顎とかちょっと丸く——」私の顔へ手を伸ばす。
ソキウスがそれを掴んで止めた。
「リアナ、これは誰ですか?」
淡々と尋ねる彼を見たフレッドが、
「そういうや、こいつ誰だ?」
ソキウスを親指で指す。
「……ここで騒いだらご近所迷惑だわ。早く入るわよ」
死んだはずの幼馴染との再会。——そんな劇的な場面に感動する暇も与えない。それがフレッド・ロスという男だ。
*
なぜ、フレッドは死んだことになったのか。彼は約二年間、一体どこで何をしていたのか。その問いの答えは実に破天荒で、どこまでも彼らしいものだった。
タイトルをつけるなら、『ロス大尉の大冒険』がピッタリだろう。
陸軍航空隊に属する彼は、ある日、偵察に向かった先で機体不良による墜落(本人の主張では『不時着』)の憂き目に遭った。
「で、着いた先はどこだったと思う?」
「そのクイズ形式やめてちょうだい。話が進まないわ」
「なんとマムラカの山奥だ」
「…………」
「しかも、リガ族の集落の近く」
リガ族は、マムラカ王国ができるより昔からその地で暮らしてきた民族で、マムラカ王室曰く『魔術を使用する異教徒の民』だ。魔法を神聖と信じるマムラカ人と、魔術を使うリガ族は、長い歴史の中で小競り合いを続けてきた。
さておき、そんな場所に墜落したフレッドはどうしたかというと、
「リガ語は昔少し齧ったことがあってな。それで『俺は太陽の化身だ』って言ったら、なんか歓迎された」
「……は?」
「笑えるだろ? 俺もヤケクソというか、信じてもらえないだろうと思って言ったんだが、なんでか奴らは信じてな」
「…………」
「カタコトだったのが良かったか、俺の演技が天才的だったのか……あとあれか、怪我して血まみれだったのも良かったかもしれない。奴らは血を神聖視するって聞いたことがある」
——そうして、彼は『太陽の神』としてリガ族に受け入れられ、集落で手厚い介抱を受けた。
「本当は、傷が塞がった時点で、どうにか帰る算段をつけようと思ったんだが……」
彼は応接室のソファーに凭れ、さっきから何度も左大腿をさすっている。玄関からここに来るまで、歩く姿に変わった様子はなかったが、足音が左右で少し違った。
「……まあ、色々あってな。やっと帰って手続きだの諸々済ませて、さてお前のところに顔を出そうと思ったら今日になったってわけだ」
幼い頃のフレッドは、ヤンチャが祟って怪我をするたび、私にその委細を武勇伝のように語った。軍に入ってからは、怪我をした事実さえ、必要に迫られなければ話さない。
「そしたら首都にいないんだもんなぁ。お前んち行ったら、親父さんにすげー目で見られたぞ。あの人、いつも黙って睨んでくるよな。言いたいことあるなら言えっての」
「この場所は、どうやって?」
「使用人のマリーから聞いた。理由はなんでか教えてくれなくて——」
フレッドは大腿をさすりながら、私の隣に座るソキウスを一瞥し、
「駆け落ちか?」
少し茶化すように言って首を傾げるのは、私の縁談騒動を知らないからだろう。
「そういえば、彼の紹介がまだだったわね」
ソキウスが口を開く。自己紹介をするつもりだろう。私はそれを遮って、
「彼はソキウス……ハロルシュタイン。デュアン兄さんの研究のお弟子さんよ」
ソキウスが疑問符を浮かべるのに気づかないフリをして、
「ここに下宿して兄さんの研究を手伝っていたのだけど、兄さんが亡くなって、行くところがないからここで暮らし続けているの。今は私の手伝いをしてくれているわ」
即興の嘘を並べるのは、フレッドが幼馴染だから。結婚相手を自分で作ったことなど知られたくない。知ったらきっと、小馬鹿にされる。
私の説明に、フレッドは「暮らすって、お前と二人で?」と怪訝そうな顔をした。
「大丈夫なのか? 『ソキウス』なんて名前、デュアンから聞いたことないぞ」
「あなた、兄さんが研究のことを話そうとしても、『小難しい話は嫌いだ!』とか言っていつも逃げていたじゃない」
「あいつ、話し出すと長かったからな」
「だから知らなくて当然よ」
「まあ、そりゃそうか」
フレッドがこちらへ身を乗り出し、「よろしく」とソキウスに右手を差し出す。
「じゃじゃ馬娘に振り回される物同士、仲良くやろうぜ」
「ちょっと待ってフレッド。『じゃじゃ馬娘』って、私のこと?」
「お前以外に誰がいるんだよ」
フレッドはすました顔で言うと、「『ソキウス』って呼んでいいか?」とソキウスを見た。僅かな沈黙が流れ、
「もちろん」
握手をするソキウスは、いやにお手本じみた微笑みを浮かべていた。
*
日没後、キッチンにて。
「やめろって。お前、自分が今までどんな劇物爆誕させてきたか忘れたのか?」
私がフライパンを取った瞬間、フレッドがコンロの前に立ちはだかった。
「劇物なんて作った覚えがないわ」
「お前に覚えがなくてもなぁ、こっちは酷いもん食われた記憶ありまくりなんだよ」
「酷いって何よ。私の料理のこと?」
「頼むからお前は向こうで座っててくれ。その肉は俺が焼くから」
「手料理を劇物扱いするなんて失礼よ」
「俺は礼儀より自分の胃袋を大切にしたい!」
フレッドがフライパンを奪おうとして、私は取手を両手で掴んで耐える。ふと作業台に置いた肉を見ると、彼がハッとした様子でそれを掴んで体の後ろに隠した。
「何をしているの。あなたちゃんと手洗った?」
「フライパン諦めて肉に行こうとしただろ」
「フレッド、そのお肉を置いて、フライパンから手を離しなさい」
「お前が料理をしないって誓うなら応じる」
「それじゃあ、夕食が食べられないじゃない」
「いっそ食べない方がいい夕食ってのもこの世にはある!」
ソキウスを兄の弟子とした今、彼に夕食の支度をさせるのはおかしい。そもそも、男性がキッチンに立つこと自体がイレギュラーなのだから。
と、考え、私はキッチンに立ったわけだが。トイレに行っていたフレッドが戻るや否や奇声を上げて、それからずっとこの応酬が続いている。
「ここは私の家よ。家主の指示に従いなさい」
「ここは戦場じゃないんだ。死ぬとわかってる命令なんか聞けるか!」
「何よ、死ぬって。あなた、今まで何度も私の手料理を食べているけど、生きているじゃない」
「その毎回で、俺の腹とケツの穴は瀕死の重傷を負ってたんだ!」
「ちょっ、下品なこと言わないで!」
戦いは平行線。私は打開策を考える。それはフレッドも同じらしく、キョロキョロと周囲を見回している。
「僕が作りますよ」
ふと、傍らにソキウスの声。いつの間にか横に立っていた彼が、フライパンに手を置いた。
「お二人はそこで休んでいてください」
向こうのテーブルを指す彼の介入はベストタイミング。
(これなら、『私たちを見兼ねて仕方なく』という説明が立つわね)
私はほっとしてフライパンから手を離す。少し遅れて離したフレッドは、
「実はお前も料理が下手くそ、ってオチはないよな?」
縋るような、祈るような声色で尋ねた。
*
夕食を済ませて食休みをしていると、フレッドが握った両手を顎に寄せ、
「終列車なくなっちゃった」
裏声で——おそらく、可愛らしい女性を演じて言った。
「……何、『終列車』って」
「知らないのか? 最近首都の女たちの間で流行ってるやつだ」
「?」
「まあ、お前はそういうの一切興味ないから知らないか」
ため息混じりに言い、呆れ顔でヒラヒラと手を振って見せる。
「何よ、バカにしているの?」
「いいや。これは『帰りの足がなくなったから泊めてくれ』って意味だ」
「……ああ。最終列車が出てしまったということね」
「そういうこと」
「あなた、元々ここに泊まる気でいたの?」
「まあな。朝イチで軍に顔出して、お前んち行って、列車に飛び乗って来た。もうクタクタだし、ここは首都から遠すぎだ」
そういう彼は確かに、表情に疲労の色が滲んでいる。彼は昔から底なしの体力があるかのように活発だが、何事にも限界はあるということ。
「じゃあ、客間の用意をしなきゃ」
私が立ち上がると、フレッドが「そんなんいいぞ」とこちらを見上げる。
「戦場では冷たい地面で雑魚寝してんだ。ソファーで十分」
「ダメよ。あなたは一応、お客様なのだから」
「おい、なんで『一応』を強調した?」
「一応のお客様のために、ベッドを整えてくるわ」
「だからなんで『一応』?」
歩き出す私の後ろを、フレッドが「俺もやる」と言ってついてくる。
「昔みたいに一緒に寝るか?」
「昔っていつよ。そんな記憶ないわ」
「? お前よく、オバケ怖がって俺の寝室来ただろ。枕抱えて勝手に入って、『オバケが出たら退治して』ってベッドに潜り込んだ」
「っ! ……き、記憶違いよ」
「顔に『あの時のことか!』って書いてあるぞ」
フレッドが隣に並んだ。言い返そうと彼を見上げた視界の端に、少し離れたところを歩くソキウスの姿。
「ソキウス。今、フレッドは架空の記憶を語っているわ。信じてはダメよ」
言うと、彼は俯けていた視線を上げて「はい」と微笑んだ。
それから、半ば物置と化した客間の片付けをして、
「なあソキウス、知ってるか?」
フレッドがシーツを広げながらソキウスを振り返り、
「リアナは科学をやってるくせに、オバケとゾンビを大真面目に怖がるだぜ」
あろうことか楽しげに、私の不名誉な事実を語り始めた。ソキウスが「ゾンビ?」と首を傾げながら、持っていた箱を部屋の端に置く。
「正しく葬られなかった人間の死体が墓から這い出すっていう、オカルトの怪物だ」
「そうですか。では、怖がるのは正しいことですね」
「へ?」
「人間が生活圏の外側に死者を葬るのは、腐敗した死体が不衛生だからです」
「…………」
「死体を養分に増殖した細菌は、感染症の原因になり得ますからね。身を守る上で、リアナの恐怖は正しく必然です」
淡々と述べるソキウスに、フレッドが「いやー……」と苦笑いをする。
「俺は、そういう話をしたいんじゃなくて……あり得ないとわかってるもんを怖がるリアナが面白いっていう……」
「世界には、人間が知らないことがたくさんあります。あり得る、あり得ないの判断は既存の知識を元に行われるもので、その知識は完璧ではありません」
「……つ、つまり?」
「安易に『あり得ない』と片付けずに有害なものを警戒するリアナは、生物として正しい自己保存の努力をしているということです」
「……お前、こいつになんか弱みでも握られてんのか?」
ソキウスが作業に戻り、フレッドは怪訝そうに片眉を上げる。——彼は私をネタにソキウスとバカ話をしようとしたが、残念。不発に終わった。
「フレッド、ソキウスに変なことを吹き込まないでちょうだい」
私が枕を置いて言うと、フレッドが呆れた様子で「リアナ……」とため息をついた。
「その言い方はないぜ」
「何?」
「さっきからずっと思ってたが、お前、ソキウスのこと子供扱いしてるだろ」
「? そんなことしてないわよ」
「そうか? 今のもなんか、『うちの子に変なことを吹き込まないでほしいザマス!』って感じだぞ」
「何、『ザマス』って」
「見た感じこいつの方が年上だろ? その辺の『じゃじゃ馬』は控えてやれ」
フレッドがやれやれと首を振り、「なあ?」とソキウスを振り返る。ソキウスは一瞬の間を置いて「そうですね」と笑みを浮かべ、
「『子供』は、嫌です」
フレッドではなく、私をまっすぐに見据えて言った。




