第7話 幼馴染
何となくつけたラジオから、いやに騒がしい音楽と興奮したアナウンサーの声が響く。
『——この新たな戦力投入は、膠着した北部戦線で勝利の一撃となるでしょう。魔法を組み込んだ新兵器の開発は、リー&トンプソン社の協力により——』
男の割れた声の後ろで、軽快なラッパと太鼓の音が鳴っている。首都の軍事パレードの中継だ。
(魔法は科学の不可能を補填する。……魔法を組み込んだ兵器が、純粋な科学の兵器を凌駕するのは当然のことだわ)
父の顔が脳裏に過ぎる。科学の時代を声高に叫んで鉄と火薬にこだわる父は、今、魔法を併用する競合企業の躍進をどう思っているだろう。
(……なんてね。お父様も会社も、私には関係ないわ)
内心でため息を一つ。耳障りなラジオのスイッチを切る。
「リアナ、お茶が入りましたよ」
ソキウスの声に振り返ると、彼がテーブルに紅茶のカップを置くところだ。真四角のテーブルに向かい合って置かれた、私の椅子と、彼の椅子。両方の前へ。
「ありがとう」
私は応えてテーブルへ向かう。ふと、彼が用意する食事や紅茶を当たり前のように受け入れている自分に気づいた。
(この国の女は、夫や誰かの力なしに生きていけない。……私はそんな自分が嫌。だから自分のことは全て自分でやる。そう思っていた、はずなのに)
私が私の椅子に座ると、ソキウスが目の前にマドレーヌの乗った皿を置いた。「さっき焼いていたやつ?」と尋ねると、「ええ」と答え、彼は彼の椅子に座る。
「前回より、レモンを少し多めに入れました」
彼がそう言うのは、前に私が「もう少しレモンが多い方が好きかも」と呟いたのを覚えていてのことだろう。
「いただくわ」
私はマドレーヌをつまんで口へ。視界の端に、こちらをじっと見つめるソキウスの姿がある。唇がむずむずするから、おそらく、彼は私の口を見ている。
「美味しいわ」
言うと、彼はホッとした様子で肩の力を抜き、「よかったです」と微笑んだ。
「さっき難しい顔をしていましたが、ラジオの放送が何か?」
それからどこか心配そうに尋ねてくるのは、彼の情報処理コアが『難しい顔』と『ラジオ放送』を結びつけ、『問題発生』を導き出したから。
つまり、彼は『心配』しているわけではない——と、私は考えながら、彼が私を心配していると仮定して答える。
「父のことを思い出したの」
それに対して、ソキウスはハッとした顔をしてから「嫌な、ことを?」と恐る恐る尋ねた。心を持たない人造人間相手に『恐る恐る』という表現は不適当だが、私は彼の様子が『恐る恐る』であると見る。
「そういうのではないわ。ただ、これから会社はどうなるのだろう、と思って」
「?」
「ええっと……うちの会社が、六十年前の革命運動で使われた銃器の製造元だというのは話したかしら?」
「はい。その後続いた戦争で会社を大きくしていったことも」
「そうよ。当時、うちが同業他社より優位に立てたのは、銃器製造の完全工業化に成功したからなの」
それ以前、銃や大砲の類は、科学で打った鉄に魔法のエネルギーを込めて作るものだった。鉛弾のような弾切れを起こさない代わりに、製造スピードには明確な天井があった。
古代文字を使う現代の魔法は、かつて魔法使いが扱ったそれより属人性が低い。それでも、扱える人間は限られていて、生来の素養——才能に左右される。
文明の発展に伴う戦争規模の拡大は、投入可能な武器の数によって頭打ちになっていた。そこに一石を投じたのが、武器製造の完全な工業化だ。
「手作業で古代文字を記入できる数は限られているわ。魔法を使える人間は計画的に増やせないし、人間には食事も睡眠も必要だから。でも、機械は増やせるし、休まず稼働できる」
「つまり、ご実家の会社は、数の利を背景に拡大したということですか?」
「ええ」
「それでは、なぜ今、リー&トンプソンに押されているんです?」
ソキウスが首を傾げる。私は紅茶を一口。
「兵器製造に魔法を組み込む……一見すると時代を逆行しているようだけれど、彼らがやっているのは、鉛弾の次の兵器の開発よ」
国家防衛に関わる情報。ゆえに私は大したことを知らないけれど、父から聞いた、確かなことは、
「剣、弓、槍、銃……武器の形は変わっても、人類はずっと鉄や鉛などの金属で戦ってきた。その歴史が終わろうとしている」
兄が研究していた大統一理論は、科学と魔法を同等のものとして、共通理論による統合を図るもの。父はそれを嘲笑っていた。魔法が科学に劣るのは歴然、それを同等などバカらしい、と。
(お父様は今、ライバル企業の躍進をどう見ているかしら)
ソキウスが、横に置いていたティーポットのカバーを外した。いつの間にか空になった私のカップへ、琥珀色の液体を注いでいく。
「マドレーヌの追加はどうしますか?」
「うーん……ひとつだけお願い」
「わかりました」
それから私の側の皿を取り、キッチン横に置いたマドレーヌのカゴの方へ。三つ乗せて戻ってくる。
「? 私、ひとつと言ったと思ったのだけど」
「ええ、言いました。発した言葉と思考が乖離していたということはありません」
「じゃあ、どうして?」
「本当はもっと食べたいところを、我慢して『ひとつ』と言ったでしょう?」
「!」
「たくさん焼きましたから、たくさん食べてください」
「違うのよ、ソキウス。遠慮しているわけじゃなくて、最近少し太ったから……」
私が腹を押さえて言うと、ソキウスがニヤッと笑ってマドレーヌの皿を置いた。
「僕の料理が美味しいからですか?」
——なんとなく、これに肯定を返したら私の負けのような気がする。とは言え、嘘をついても仕方がないので、
「そうよ。美味しいからついつい食べ過ぎてしまうの」
正直に答えると、ソキウスが私の横に来た。すっと膝を折って床につき、
「触ってもいいですか?」
なぜか瞳をキラキラと輝かせ、私の腹を真っ直ぐに見つめる。
「さわっ……えっ、お腹を?」
「はい。『太った』ということは、ぷにぷにしているということですよね?」
「……ソキウス、そういうことを女性に向かって——」
「わかっています」
「だったら言わないでちょうだい」
「でも」堪らずといった様子で、彼がそろそろと手を伸ばす。「僕の料理でできた、ぷにぷにです」
近づく手を私が掴んで止めると、「リアナ」と彼がこちらを見上げる。
(彼には感情のようなものがある。だから設計外の言動を取る。それにはもう慣れたけど、どこで何のスイッチが入るのか全く予測がつかないわ)
ソキウスが手に少しだけ力を入れて私の腹を目指す。力ずくで触ろうとしないのも、だからといって諦めないのも、彼らしいと言えば彼らしいが、
(どうしてこんなに触りたがるの!?)
ソキウスが右手で私の腹に触れようとして、私はそれを両手で押さえる。彼が中腰になり、左手を椅子の背もたれについた。私の耳元に顔を寄せ、
「リアナ、僕のせいでぷにぷにになったお腹を触らせてください」
嬉しそうに囁く彼は、一体何のスイッチが入ったのか。私を揶揄っている様子も、小馬鹿にしている様子もない。純粋に『ぷにぷに』を喜んでいる。
——なぜ、『ぷにぷに』を?
(これは……なんとしても触るまで諦めないパターンだわ)
内心でため息をつき、逡巡し、私は彼の手から両手を離す。最終的に折れてしまう私は、最近彼に毒されてきている気がする。
*
ソキウスは私の腹に指先でそっと触れると、恍惚とした顔で「ほぅ」とため息をついた。形を確かめるように手のひら全体で撫で、軽く掴むように指を曲げる。
それから顔を近づけて、頬擦りをして、頬をくっつけたまま動きを止めた。
(なんだか、妊婦の腹の中の胎児を確かめるような……)
と、考える私の頭の中に、二つの問いが同時に浮かんだ。『彼は何をどう間違えてこの行動に至っているのか』と、『自分はそんなに太ったのか』。
(いや、皮下脂肪がぷにっとしてきたけど、別にお腹が出ているわけでは——)
不意に、ソキウスが私の腹にガバッと抱きついた。
「! ちょっ、ソキウス!?」
驚く私をよそに、腹に額をぐりぐりと押し付けて満足そうに顔を上げる。
「ぷにぷにですね」
「ちょっと、離してちょうだい! 『触れる』は許可したけど、『抱きつく』は許してないわ!」
「『抱きつく』は『触れる』に含まれるのでは? どちらも触れていますから」
「とぼけても無駄よ! あなたの言語判断能力はよく知っているのだから!」
「もう少しだけこのままで。ねえ、リアナ、いいでしょう?」
「ダメ! 離して!」
そんなやりとりの末に、私たちはティータイムに戻った。私が黙って三個目のマドレーヌを齧ったところで、「リアナ」とソキウスが呼ぶ。
「そういえば、話が途中になっていましたね」
どこか躊躇うように言う彼は、私の機嫌を窺っているよう。——やり過ぎた、という自覚はあるということか。
(話……そうだわ。お父様の会社の話)
私は考えながらマドレーヌを飲み込み、
「……そんな形で、父の会社は時代遅れになろうとしているわけよ」
言うと、ソキウスがホッとした様子で微笑んだ。
「家業の行方が心配ですか?」
「いいえ。あんな会社、さっさと潰れてしまえばいいのよ。武器なんか大嫌いだわ」
「人殺しの道具だから?」
「ええ」
「ですが、大切なものを守る力でもあります」
「その『守る』も、誰かを殺すということよ」
ソキウスがはたと口を噤む。きっと、私が兄のことを言っていると思ったのだろう。
違う。今、私の頭にあるのは、
(戦争は武器がないと成立しない。……フレッドは、何に殺されたのか。死体も帰って来ていないから、わからない)
——ふと、ジーッとドアベルの音。
「あら、誰かしら」
私は紅茶のカップを置いて立ち上がった。その間に再びドアベルが鳴り、廊下へ踏み出そうとしたところでまた。
(せっかちな人? でも、こんな行儀の悪いことをする人は——)
廊下を曲がり、向こうに玄関ドアが見えたところで、不意に後ろから腕を引かれる。
「ソキウス?」
「来客の予定はないですよね?」
「ええ」
「では、僕が出ます。あなたはそこの角に隠れていてください」
「どうして?」
ここに至るまで、ドアベルはひっきりなしになり続けている。
「こんな子供じみたことをする人間、あなたの周りにいないでしょう? 本当に子供ならいいですが、押し込み強盗の可能性もあります」
ソキウスは私の肩を掴んで廊下の角まで戻すと、「この家は、この辺りで一番立派ですから」と付け加えて玄関へ向かう。私は角から少しだけ顔を出して、離れていく彼の背中を見る。
(『子供じみたこと』……そうね。お父様が用意した世界には、おすまし顔のお上品な人しかいなかった)
こんなふうにドアベルを連打したりしない人。そもそも自分の手でドアベルを押さない者。——しかし、昔は一人だけいた。
(フレッド……彼が軍に入ってからは、滅多に会わなくなっていたけれど……時折忘れた頃に現れて、子供の頃みたいにドアベルを何度も押して——)
最後に会ったのは三年前か。家のドアベルが何度も鳴り、使用人が呆れ顔で玄関へ向かうのに私はついて行った。ドアが開いた時の彼の決まり文句は、
「よお、リアナ!」
そう。こんなふうに——
「えっ?」
私は思わず呆けた声を出し、壁の陰を飛び出した。玄関を望む。
ソキウスの後ろ姿。「どちら様です?」と少し棘のある彼の声。その向こうにもう一つ人影がある。彼より少し背の高い黒髪。
「あれ? ここ、リアナの家になったって聞いたんだが」
聞き覚えがあり過ぎる、やや荒っぽい男の声。
「お前誰だ?」
私はそちらへ駆け出した。ソキウスが苛立たしげに「どちら様です?」と繰り返す。男の声が「俺は——」と言いかけて、
「フレッド!?」
私がソキウスの脇から顔を出すと、男——フレッド・ロスは「おう、いたいた」とニヤリと笑い、
「フレッド・ロス大尉、只今地獄より帰還いたしました」
おちゃらけた口調で言って、やけに演技じみた所作で敬礼をした。




