第4話 自己保存と献身
朝食後、私は紅茶を飲みながら新聞を開く。
紙面は戦争関連の情報で埋め尽くされている。戦線状況から軍上層部の人事、新兵器開発の報や首都で増加している戦争孤児について。ここ数年ずっとこう。
(『北部戦線で大躍進』……いつも『躍進』しているわね。そろそろ地球の裏側に着く頃かしら)
空っぽの見出し文字に、こんなことも考えたくなる。
然りとて、戦争が終わったら困る人もいるのだろう。父などまさにその部類。革命以降断続的に繰り返されてきた戦争があったから、会社は今の規模まで成長できた。
例えば、あらゆる争いが一掃され、恒常的平和が訪れたとして。父は今のまま威張り散らしていられるか。私は大企業の令嬢のままでいるのか。——答えは否。
終わりの見えない争いも、いつか必ず終わる。極論を言えば、戦場に立てる人間がいなくなれば、争いを継続することはできないのだから。
だから、というのもある。エヴァンス特許武装の名がついて回る現状から、さっさと足を洗いたい。
(科学も魔法も、人を幸せにするために使うべきだわ)
考えながら新聞をめくり、ふと訃報欄が目に留まった。思い出すのは、『フレッド・ロス大尉』の名がここに載った時のこと。
ロス家は古くからの軍人の家系で、エヴァンス家のご近所さん。歳の近いフレッドは私の幼馴染。少し粗暴でやんちゃな、さっぱりとした性格の男だった。
一昨年。彼の戦死の報を耳にした父は、少し呆れたような、残念そうな顔でため息をついた。
『いざとなったら、彼にお前を引き取らせようと思っていたのに』
父は、不出来な娘の在庫処分のついでに、軍上層部とのコネクションを作ろうとしていた。その計画の破綻を嘆く彼に、知人の死を悲しむ素振りはなかった。
昔からそういう人だ。他者を道具としか思っていない。父には、自社の工場で組み上がる拳銃も、家族も、似たようなものに見えているのだろう。
(そういえば、そろそろフレッドの命日だわ。お墓参りに——)
考えながら視線を上げると、向かいに座るソキウスと目が合った。両手で頬杖をついて、じっとこちらを見つめている。
一体いつからこうしていたのか。ついさっきまで、朝食の後片付けをしていたはずなのに。
「女が新聞を読むのはおかしい?」
私は言いながら新聞をめくる。「まさか」とソキウスが微笑んだ。
「知的な女性は魅力的です」
「……ソキウス」
「そうですね。この価値観は一般的ではありません」
「…………」
「難しい顔で新聞を読むあなたが美しくて、つい見入ってしまいました」
——最近、気づいたことがある。
ソキウスは私が作り、その流体記録素子に入力する情報群は私が選別した。つまり状況的に、彼のこの言動は私が設計したことになる。
自分を『美しい』と称える人造人間の制作——傍目に、私はかなり常軌を逸した行動を取っているように見えるだろう。
「……そういう言動は控えてちょうだい」
「なぜですか? 美しいものを『美しい』と言って愛でることは、人間として当然の行動です。僕が人間らしく振る舞うために必要なことです」
「今ここで人間らしさを証明する必要はないわ」
「では、外に出た時にあなたをたくさん賞賛することにしましょう」
「…………」
「その時のために気持ちを貯めておくことにします」
「いや……それもやめて」
言うと、ソキウスは不思議そうな顔をした後、はたと何かに気づいた様子で、
「リアナは恥ずかしがり屋さんなんですね」
「全然、違うわ」
「僕は最近気づきました。あなたには素直ではないところがあります」
「悪かったわね、捻くれていて」
「捻くれではありません。決して悪くもありません。本当のことを言わずに強がるあなたは、いじらしく可愛らしいです」
——本当に、全くもって、何の懸念点もなく、私は彼をこんなふうに設計していない。
(流体記録素子に入力したのは、人間社会に関する基礎知識と一般論理体系。それがこんなものを出力するはずはない。ともすると、力場を形成する魔法の側に問題があったのかしら)
私は黙って新聞をめくる。
(今度ジェレミーが来た時に聞いてみましょう)
そんなことを考えながら活字に目を通すこと、しばらく。ふと、新聞の端を男の指が摘んだ。
「ソキウス……今度は何?」
テーブルにだらっと凭れたソキウスが、上目遣いにこちらを見ている。そうして新聞の端をいじる様は、構ってほしい子供のよう。
「思い出したんです。先日、アンナが僕を『イケメン』と形容しました」
「そう、ね……?」
「あなたが『イケメン』の語を知らないことに驚きました。僕の流体記録素子には、その情報があったので」
「人工知能への入力情報は、系統ごとのパッケージでまとまっているのよ。中身の詳細までは確認しないわ。件数が膨大だから」
「そうなんですね。でも、人間であるあなたは、『イケメン』を含む情報パッケージを持っていなくても、好みの男性とそうでないものを区別できるでしょう?」
「?」
ソキウスがコテっと頭を傾けて、新聞をつまむ指先を擦り合わせる。
「僕の外装は、あなたにとって『イケメン』ですか?」
——この手の話は苦手だ。無視したいが、そうもいかないか。
「……あなたの姿は、大陸北部諸国の男性の平均を取ったものよ」
「僕とあなたの身長差は、ハグをするのにちょうどいいと思うんです」
「私が意図したのは、どの国の人間の特徴も持たず、しかしどの国にもいそうな姿にすることくらいよ。容姿から素性を邪推されたら面倒だから」
「この色は?」
ソキウスが新聞から手を離し、自分の髪をつまむ。
「あなたが愛用しているカバンも、これと同じ赤みがかった茶色ですよね」
「目に優しい色にしただけよ」
「瞳は? あなたがよく付けている髪留めと同じ色です」
「あなたの髪に合う色を適当に選んだだけ」
彼の中の私は本心を口にしないことになっているらしいが、事実、私が話しているのは真実で、これ以上の説明はない。しかし彼は「ふふっ」と笑い、
「では、あなたが適当に作ったこの姿は、あなたの目にどう映っていますか?」
『イケメン』と言われる確信が半分、願望が半分。そんな顔で尋ねてくる。
(……面倒だわ)
私は彼を、恋人ごっこをするために作ったのではない。全ては父の目を欺いて、望まない結婚を避けるため。
「平均を取ったのだから、普通よ」
「本当に?」
「あなた、私に何を言わせようとしているの?」
「『言わせよう』ではなく、『言ってくれたらいいな』です。僕があなたの好みの男であると」
私はこれに応えず、新聞に視線を戻した。視界の端に映るのは、じっとこちらを見つめるソキウスの顔。
「暇なら本でも読んでいてちょうだい」
「読みました」
「この家にある全ての本を、ではないでしょう? あなたに入力した情報パッケージと違って、本の情報は著者の思考を含むわ。人間らしい論理体系よ」
「それを読んで、僕に人間らしさを身につけろと?」
「ええ」
「僕が今よりもっと人間らしくなったら、あなたは嬉しいですか?」
ピーグリーンの瞳の表面にある輝きは、期待。——正確には、『期待』に見える情報の出力。
「ええ。嬉しいわ」
言うと、ソキウスは「では、本を持ってきます」と立ち上がった。
「あなたが嬉しいと、僕も嬉しい」
部屋を出ていく彼の軽い歩調に、私は考える。
(今の『嬉しい』は、私の言葉を統計的に処理して、この場合の自分は『嬉しい』と感じるべきだと結論して発したもの。本当に喜んでいるわけではない)
始まりの人造人間——フランケンシュタインの怪物は死者の肉体で作られていたが、アフトクラトリアでは伝統的に、金属筐体の人造人間開発が盛んに行われている。
傍目に『人造』と明らかな人形。特にここ十数年、軍はこの研究に力を入れてきた。目的は『工場で生産できる兵士』を生み出すこと。
そのプロジェクトは現在凍結状態にある。理由は単純。工場で兵士は作れないとわかったからだ。
戦場では常に、自己保存と献身の選択を迫られる。今は身を挺して戦うべき場面か。危険から離脱して次の戦闘に備えるべきか。——それを判断しなければならない。
つまり大局と自己を天秤にかけるということだが、人工知能にはそれができない。自我を持たない、唯一無二の自己を認識できない知性は、自らの重さを知らないからだ。
言われたことしかできない道具を通常兵士と同様に運用する術を、現代の現場指揮官たちは持たない。
(ソキウスは言われていないことばかりする。……これはこれで、運用が難しいわね)
私が嬉しいと思うのが嬉しいと言った彼には、『献身』のコードを記述していない。
(損傷したらすぐに人間ではないとバレてしまうから、『自己保存』を最優先にコードしたのに……というのはまあ、読書は損傷に繋がらないから、ということかしら)
そうだとしても、彼の言動は『自己保存』の対岸に寄り過ぎているように見える。
(一体どういう論理で——)
考えていたらソキウスが戻ってきた。手にした本のタイトルは『フランケンシュタイン:あるいは現代のプロメテウス』——ガルモーニャ共和国の魔法工学博士、メアリー・シェリーが書いた、ヴィクター・フランケンシュタインの怪物の考察本だ。
「それ、前にも読んでいなかった?」
「ええ。読むのはこれで五十七回目です」
「…………」
「この本は素晴らしいです。読むたびに、被創造物に関する示唆を与えてくれます」
「示唆?」
ソキウスが「はい」と言いながら向かいに座る。
「最初の人造人間が犯した過ち。怪物が愛を得るには何が必要だったのか。人間とは何か。人間と非人間知性の境界はどこにあるのか。……そんなものを考えさせてくれます」
つらつらと語り、本を開く。何食わぬ顔で読み始めるが、その言動は何かを食っている。
(フランケンシュタインの怪物と自分を重ねて、人間になる方法を探している?)
自らを変えようとするのは、その『自ら』を唯一無二の自己と認識しているから。根底にあるのは自我であり、心の存在であり、現状に満足できない感情——どれも、彼が持ち得ないはずのもの。
(私は……何を生み出したのかしら)
彼は『モノ』。人間のフリをした機械。その言動の全ては入力情報を統計的に処理した結果の出力で、根本的には、電話が受電すると音を鳴らすのと変わらない。
変わらない、はずなのに。決定的に何かが異なる。




