第2話 リアナ・エヴァンスについて -1
髪は父譲りの金髪、瞳は母譲りの青。二十歳になっても凹凸皆無の、ひょろっとした体型は母の家系から。同年代女性平均よりやや高い身長は父の家系から。
現在住んでいる家は、アフトクラトリア北部の地方都市・ヴォラスの端にある、一番上の兄が研究用にしていた別宅。死んだ兄の遺言によって私の手に渡った。
生活費は、父のお情けの仕送りで賄っている。仕事はない。行きつけのサロンもない。
それが私、リアナ・エヴァンス。私は私ではない『誰か』を繋ぎ合わせてできていて、『誰か』なしに生きられない。
(一度やってみてダメだったなら納得できる。でも、最初から『無理だ』と言われて挑戦さえさせてもらえないなんて、納得できないわ)
兄のデュアンが書斎として使っていた、北向きの日当たりの悪い部屋。その隅の机で行動制御魔法の記述に関する論文を読んでいたら、コンコン、とドアがノックされた。
「リアナ、研究中にすみません」
ソキウスが申し訳なさそうな顔で入ってくる。
「大丈夫よ。どうしたの?」
「牛乳がなくなってしまったので、買い出しが必要だと伝えに」
私は壁時計を見上げる。現在時刻は午後三時を過ぎたところ。——これを伝えに来た彼は、結局今日に至るまで、毎日キッチンに立ち続けている。
「夕食に使うの?」
「いいえ。明日の朝のパンケーキに使います」
「それなら、水で代用できるわ」
「ですが、それだとパサパサになりますし、味の深みが出ません」
「? 私、あなたをグルメにした覚えはないけど」
「ええ。僕は料理の味を気にしません。ですがリアナ、あなたに不味い食事を出すことは憚ります」
「私も味なんて気にしないわ。食事は栄養を取るためのものですもの」
「あなたが気にしなくても、僕が気になるんです」
私は手元の論文に視線を落とす。
「今日はこれを読んでしまいたいの。それに、牛乳ひとつのために買い物に出るのは億劫だわ」
「わかっています。あなたはインドア派で、他人との交流を避ける傾向にあります」
「?」
「ですので、僕が買い出しに行く許可をください」
ソキウスは穏やかな笑みを浮かべて、私が不可の返答に口を開く前に続ける。
「父君に出席を指示された会社のパーティー、それまで残り半年を切りました。そろそろあなた以外の人間とのコミュニケーションを練習しなければなりませんし、あなたの隣にいるところを周囲に見せておくべきかと」
それからダメ押しとばかりに、
「買い出し作業は全て僕がやります。あなたは僕の隣にいてください。何もせず、ただ一緒に歩くだけです」
笑みを崩さず「ね?」と少しだけ首を傾ける彼は、絶対に主張を曲げない腹づもりだろう。私はため息をついて論文を置く。
「ソキウス——」
私の言葉を、ソキウスが「わかっています」と遮る。——最近、彼はこればかり。
「アフトクラトリアは、工業で魔法を凌駕し、大陸に科学の時代をもたらした覇権国家です」
「……そうね」
「未だ北部で続く戦争は、魔法を信仰するマムラカ王国を科学で屈服させ、飲み込むため。万人が等しく享受できる科学こそが正しく、発動が本人の素養に左右される魔法は『野蛮で古い科学』であると証明するため」
「そ、そう、ね……?」
「そのため、この国における魔法は、あくまで科学を押し進めるための補助装置。科学転用のために魔法の原理を解明する魔法工学は推奨されていますが、魔法そのものの使用は法律で制限されていないものの、忌避されています」
「ソキウス、この話は一体——」
「だから外では魔法のことを話してはならない。使用を仄めかす話題などもってのほか。わかっています。あなたの言葉は全て覚えていますから」
ソキウスが得意げな顔で胸を叩いた。
(そこに、繋がるのね……)
彼は時々こういう話し方をする。自らの知識をひけらかすようなその実態は、『自分はリアナの言葉を一言一句覚えている』の証明なのだろう。
(それはまあ、望ましいけれど……知識を得ること自体は目的ではないわ)
私は内心で溜息をひとつ。立ち上がると、こちらを向くピーグリーンの瞳が期待にキラキラと輝いた。
*
アフトクラトリア北部に位置するヴォラスの街は、マムラカ王国との戦場から距離こそ離れているものの、長く続く戦争の影響で人口流出が進み、寂れている。
それでも中央区の商業エリアはそれなりの賑わいを保っていて、人目が多い。さらに言うと、国有数の軍需企業・エヴァンス特許武装の訳あり令嬢を知る者が多い。
「あら、リアナ。まさかその人、あんたの彼氏?」
商業エリアを歩き出して早々、パン屋のアンナに声をかけられた。恰幅のいい『ザ・女店主』の肩書きがピッタリな中年女性の彼女は、夫が切り盛りする店の手伝いのポジションにある。
実際、彼女のパン作りの腕は一人で仕事を回して余りある。しかし夫の陰から出ることはできない。女手ひとつで切り盛りされているパン屋は、それだけで『信用できない』と客足が遠のくから。
ここはそういう社会だ。
「彼氏……」
私は独りごち、すぐに自らの失態に気がついた。隣を歩くソキウスを周囲に何と説明するか考えていない。
「ええっと……」
言い淀む私に、アンナが不思議そうな顔をする。早く何かを言わなければ、と口を開きかけたところで、
「初めまして、僕はソキウス・ハロルシュタインといいます」
ソキウスが人の良さそうな笑みを浮かべ、胸に手を当てて自己紹介をした。——この姓は彼が今考えたものだろう。
アンナが首を傾げる。
「ハロルシュタイン……変わった名字だね」
「ガルモーニャ系の姓なので、アフトクラトリアの方々には聞き馴染みがないかと」
「あんた、ガルモーニャ人?」
「ええ。家族は今も共和国に。僕一人でこちらに来て仕事をしていたんですが……まさか共和国がアフトクラトリアに宣戦布告するとは」
「それで帰れなくなったのかい」
「はい。驚きました。祖国がかつての同盟国を裏切るとは」
アンナが「急だったからね」と溜息をつく。——ソキウスがつらつらと話すこの架空のバックグラウンドは、一体いつ考えたものなのか。
「首都の方じゃ、あんたみたいな人がたくさんいるって聞くよ」
「そうですね。スパイ容疑を掛けられることもあるとか」
「あんたはスパイじゃない?」
「ええ、もちろん」
不意にソキウスが肩を組んできた。驚く私をよそに体を寄せてくる。
「清廉潔白だから、彼女と一緒にいられます」
妙に甘ったるい声で彼が言った。当然、恋愛系のゴシップを好むアンナは「あらー」とニヤケ顔。
「リアナあんた、こんなイケメンどこで見つけて来たんだい?」
「イケメン?」
「どこをどう見てもイケメンだろう。背が高いし、すらっとしてるけど骨格しっかりしてるし、品のいい顔立ちで、物腰穏やか」
「イケメン……『メン』は、『メンズ』の『メン』?」
聞き慣れない言葉に困惑していたら、アンナがあんぐりと口を開いた。
「えっ……わかんないのそこ?」
「?」
「『イケてるメンズ』で『イケメン』だよ! あんたそんなことも知らないのかい!?」
「まあ、そもそもメンズに興味、うぶっ!」
突然ソキウスに頬を掴まれて変な声が出た。抗議をしようと彼を見上げたところで、
「彼女のこういう抜けているところ、本当に可愛いですよね」
彼は茶化すように言って、私の頭に頬を寄せる。アンナが「お熱いねぇ!」と笑い、「おっと、仕事中だった」と独りごちる。
「じゃあね、リアナ。また店に来とくれ」
そして踵を返し、さっさと歩き出してしまった。彼女とは昔からの顔馴染みで、出会った頃からこのように唐突なところがある。
「離して」
私は頬を掴む手を押し除けた。ソキウスが屈み、耳元に顔を寄せて囁く。
「『男に興味がない』などと言ったら、ではなぜ僕と一緒にいるのか、という話になってしまいますよ」
私ははたと気づき、横目に彼を見やる。
「あなたにそんな機転を記述した覚えはないわ」
「自己学習の賜物です」
「さっきのバックグラウンドは?」
「あなたは考えていないだろうと思い、練っておきました」
「…………」
ソキウスがフッと怪しげな笑みを浮かべ、私の肩を掴む手に力を込める。
「パーティーであなたの隣にいる以外でも、僕は役に立つと思います」
一体それはどういう意味なのか。私は尋ねようとしたが、不意に聞こえてきた声に口を閉じた。
「おい、見ろよ。エヴァンスの頭でっかち女が男と一緒にいるぞ」
向こうで壮年の男がニヤリと笑い、隣にいる友人らしき男たちに言う。私は彼らを知らないが、彼らは私を知っている様子。
しかも、その立場の詳細に至るまでの一切を。
「女のくせに学問なんかやる変人と、よく一緒にいられるなぁ」
「あの女、下手に学があるから、小うるさいし偉そうだって話だ」
「女は少しバカな方が可愛げがあるってのに」
「いくら大企業の令嬢だからって、あんなのと一緒にいてメリットあるかね」
「噂じゃ、最近、エヴァンスの勢いは下火だってよ。新興のリー&トンプソンが市場を掻っ攫ってるって話だ」
一人がヘラっと笑い、
「だが、顔はまあまあいいよな。痩せてるように見えて、脱いだらすごいとかじゃね?」
それを聞いた男たちが、「あり得る」などと言いながらゲラゲラと笑う。その下卑た言動に私はため息をつき、ふと、傍らのピリッとした空気に気づいた。
ピーグリーンの瞳が、じっと男たちを見つめている。
「ソキウス?」
呼ぶと、彼はパッと背筋を伸ばした。私の肩を抱いたまま踵を返し、来た道を戻る。
「帰りましょう」
「えっ? でも、牛乳は——」
「僕が後で一人で買いに行きます」
「いや、それは流石に——」
「心配ですか? 大丈夫ですよ。さっきのやりとりを見たでしょう? あれ以上に複雑な会話、牛乳の購入過程には想定されません」
いつもより早口で話し、いつもより早足で家路を行く。彼の言動は、私をこの場から遠ざけるために見える。心無い言葉を投げかけられた私を慮っているよう。
しかし実際は違う。流体記録素子に入力した情報群の系統を鑑みるに、『弱い者は守る』と『不快なものからは距離を取る』を実践していると考えるのが妥当だ。
つまり、彼は私を思っているわけでも、憐れんでいるわけでもない。自我を持たない情報処理の主体たる彼に、人間である私の心境など理解できるはずがないのだから。




