第1話 彼は科学と魔法でできている
一九一八年、十一月。
朝、目覚めた瞬間耳にするのは、壁の向こうの微かな物音。物が落ちたとか、そういう一時的な音ではない。誰かが何かをしている音。
この家に住んでいるのは私一人。昨夜誰かを泊めたわけではない。つまり物音がするのは変な話だけれど、私はこれを驚かない。
昨日もそうだった。一昨日も、その前も。彼の基礎学習が完了した半年前から、私が一日の最初に聞く音は、キッチンで朝食を作る音になった。
(『家事はあなたの仕事』なんて情報、入力してないのに)
私は毎日、同じことを疑問に思いながらベッドを降りる。パジャマから部屋着へ着替え、適当に寝癖を撫でながら寝室を出る。
(一度情報処理コアを開けて確かめたいけど……また最初から流体記録素子を組み直すとなると、パーティーの日に間に合わないわ)
廊下を抜けて、リビングへ続くドアを開ける。少し進んだところで、奥のキッチンに立つ人影が振り返った。
「おはようございます、リアナ」
緩い癖のかかった煉瓦色の髪の、すらっとした長身の男。ピーグリーン目をニコリと細め、「卵は目玉焼きとスクランブルエッグ、どちらにしますか?」と尋ねる。
「……おはよう、ソキウス」
「! ああ、すみません。挨拶の返事を待つのが抜けていました」
「それはいいのだけど、ねえ、私が昨日言ったことは忘れてしまった?」
「覚えていますよ。あなたの言葉は全て覚えています」
男——ソキウスが指折り話し出す。
「目玉焼きは両面をこんがり焼いたものが好き。スクランブルエッグは牛乳を多めに入れて柔らかく仕上げたものに、ケチャップを——」
「違うわ、ソキウス」
「?」
「私が尋ねているのは、『朝食を作る必要はない』と伝えたことを忘れてしまったのか、ということよ」
ソキウスが「ああ」と言いながら手を下ろし、「もちろん、覚えていますよ」と微笑む。
「それならどうして、あなたは今そこに立っているの?」
「僕たちの朝食を作るためです」
ソキウスは卵を置くと、「僕たちの」と繰り返しながらこちらへ歩いてくる。
「あなたが昨日僕に言ったのは、正確には、『私の朝食を作る必要はない』です」
その言葉に、私は内心でため息を一つ。言語系における彼の学習段階は、こんなことを言い出すレベルをとうに過ぎているはずなのに、なぜ。
「じゃあ、正確に言うわ。ソキウス、今後、私の生活に関わることをあなたが——」
私の言葉を、ソキウスの手が口元を覆って遮った。
「言わないでください」
ソキウスが少し困った様子でこちらを見下ろす。
「その言葉は、僕の『やりたいこと』の全てを禁止します。そんな酷いことをしないでください。僕はあなたのために卵を焼きたい」
この情に訴える物言いの背景に、彼の感情は存在しない。
ソキウスは私が作った人造人間。その脳は、流体記録素子を金属ボックスで密封した無機物。思考は、素子に記述した膨大な情報を、魔法による擬似力場に流すことで形成されている。
つまり彼に意思はない。科学と魔法が、意思ある者を偽装しているだけ。
「ねえ、リアナ。後生ですから」
しかし彼は、設計上あり得ない言動を繰り返す。ここ一ヶ月ほどで、その頻度は指数関数的に増大した。
(やっぱり、何かバグが……)
ソキウスが私の口元から手を離した。「卵はどうします?」と尋ねてくる。
「……スクランブルエッグで」
私が答えると、彼は心底安堵した様子で微笑んだ。それから「わかりました」と嬉しそうに言う声は、成人男性の音程でありながら、どこか未熟な少年を彷彿とさせる。
見た目の歳の頃は二十代半ば。実際の彼の年齢は『誕生』の捉え方による。
体の完成時点を誕生とするなら一歳。|流体記録素子への基礎情報の入力《基礎学習》が完成した時点——つまり意識類似機能の発現を誕生とするなら、生後六ヶ月。
「そういえば、牛乳がもう少しでなくなります」
ソキウスは言いながらキッチンへ。横の棚からボウルを取り出す。
「僕はもう人間らしく振る舞えるようになったと思うんですが、リアナの目から見てどうですか?」
「動きは完全に人間のそれだわ」
「言葉は違う?」
「流体記録素子特有の、解釈の固定化が見られるわ。さっきの『私の』の話のような」
「それは『人間らしさ』ですよ」
「?」
「自分の要望を通したくて、あなたの揚げ足を取りました」
軽くこちらを振り返り、イタズラっ子のように微笑んでボウルを置く。
「なので、そろそろ外に出ても大丈夫だと思うんですが——」
ぐしゃっと卵の潰れる音。卵を握り潰したソキウスは、本当は卵をボウルの端にコツンと打ち付けるはずだった。
そろそろと、気まずそうな顔で振り返る。
「右手の動作が、少し覚束ないようです」
困ったように笑う彼の姿は、本人の主張通り人間らしい。街ですれ違う人々は、彼が人造人間であるなど思いもしないだろう。
今の彼なら、私の夫としてパーティーに出ても何ら違和感がない。その点において、私は心底安堵している。
一方で、彼が設計上あり得ない言動を取ること——まるで私を想っているかのような振る舞いに関しては、手をこまねいている状況だ。
「朝食を済ませたら、腕の記述を見てみましょう」
設計上、ソキウスはこの言葉に「はい」とだけ返すはず。
「すみません、手間をかけさせてしまって」
しかし彼は申し訳なさそうに眉尻を下げ、「朝食、もうすぐできますよ」とキッチンを向く。
(彼を作ったのは私。その手が正常に機能しないのは、私が書いた古代文字に何らかの不備があったから。だからそれを確認するのは当然のことで、当然と思うように、私は彼を設計した)
ソキウスは人間らしい。——人造人間にあるまじきほど。
*
『人造の人間』の概念の発生は、神話時代まで遡る。島を守る青銅の巨人や、祭司に首を垂れた泥人形。
今に続く人造人間研究の始まりはおよそ百年前。ヴィクター・フランケンシュタインが生み出したツギハギの怪物を起源とする。
ヴィクターは複数の死体を繋ぎ合わせて、動いて話す人形を生み出した。現在のような有機合成技術があったなら、彼は墓荒らしをせずに済んだだろう。
記録には、ヴィクターが生み出した怪物は詩を嗜み、自らの心の存在を語り、愛を求めたという。当時『自我』として扱われたそれら言動は、今で言うところの『情報の再構築』に過ぎない。
『モノ』を組み合わせて作られた彼らは、有機的な自我を持たない。言動は入力に対する出力に過ぎず、そこに感情は存在しない。
それが、現在における通説だ。
朝食を済ませた私は、ソキウスと共に実験室へ向かった。西向きの日当たりが良い部屋で、人造人間研究周りの様々な機材が所狭しと並んでいる。
私が奥の棚へ向かうと、ソキウスは黙って入り口近くの椅子に座った。彼の四肢を調整する際は、いつもその椅子を使っている。
私は棚からステンレスバットを取り、メスと開創器、ピンセット、脱脂綿、それから魔法の記述に使う水銀ペンを入れて彼の方へ。
ソキウスが横のテーブルを手繰り寄せ、その上に右腕を置いた。私はテーブルを挟んだ向かいに座ってバットを置く。メスを取り、彼の肘の内側に当てる。
「あなたは、僕を作る前は医者をしていたんですか?」
右前腕の内側、肘から手首へまっすぐ刃を滑らせる。
「どうして?」
「ここの器材の扱いに慣れているようですし、僕の体を切るのに躊躇いがないから」
「それは、あなたが人間ではないからよ」
「ですが、傷の造形は人間のそれに酷似しています」
「私には、赤いエーテルが染みた、ただの半自己再生型有機ポリマーに見えるわ」
切れ込みに開創器の先を捩じ込んで開く。「持っていてちょうだい」と言うと、ソキウスが私の手から開創器の持ち手を取る。指先が僅かに、私の手のひらを撫でた。
偶然の接触ではない。意図的なものだ。彼の運動制御系は、『触れる』と『触れない』を完全に使い分ける。
「デュアン……一番上の兄が、ここで大統一理論の研究をしていたの」
「大統一理論は……科学と魔法を一つの理論に統合し、個々で実現できない奇跡を成そうとする研究体系?」
「そう。兄はハーマン仮説を発展させて、死者蘇生をベースに科学と魔法の統合を目指していたわ」
私は話しながら、金属骨格の表面に残った赤いポリマーをピンセットで除いていく。
「ここはその兄の実験室。私は小さい頃からここに出入りしていて、兄の研究を手伝っていたわ。だから慣れているだけ」
「では、あなたは医者ではなく、魔法工学の学者?」
金属骨格についたエーテルを脱脂綿で拭っているところに、ソキウスの世間知らずのような問い。
「……ソキウス、それは真面目に聞いているの?」
視線を上げて尋ねると、ピーグリーンの瞳が嬉しそうに細められる。
「すみません、こちらを見て欲しくて言いました」
——また、人造人間らしからぬ言動。
「わかっています。この国……アフトクラトリアでは、女性がその手の主たる職業に就くことはできない」
「正解」
「女性の身の振り方は、結婚して主婦として生きていくか、配偶者の事業の手伝いなどの補佐的な職を得るかに限られます」
「そうね。だから外で今のような問いを発すれば、奇異の目を向けられることになるわ」
「人間らしくない言動でしたね。以後、気をつけます」
縦にパックリと開いた前腕。血肉を偽装するポリマーの間に、鈍色の金属骨格が覗いている。
熱耐性軽合金の骨格で、半自己再生型有機ポリマーの外装を支える——それが彼の体構造。細かい運動制御は、骨格表面に書いた古代文字による魔法が担っている。
私は水銀ペンを取り、骨に記された細かい文字に目を凝らす。端に論理の断絶を認め、僅かな隙間に文字を書き足していく。
「若く聡明なあなたが、『これが普通だから』などという理由で可能性の芽を摘まれてしまうのは、やるせないものですね」
「ソキウス、社会における『普通』は、みんながそうあるべきだと思っていることよ。その社会に属する人間の思考として、今の発言は不適切だわ」
「ですが、愛する女性の未来を思う一人の男の発言としては、正しいかと」
「……ソキウス」
私が叱責の声色で呼ぶと、ソキウスは「はい」と微笑み、
「これもわかっています。あなたは誰かに愛して欲しくて僕を作ったわけではない。僕の役目は、ご実家の会社の創立六十周年パーティーで、あなたの夫のフリをすることです」
「そうよ。お父様を納得させて、以降、縁談を持って来させないため」
「ですが、夫は妻を愛するものです」
「全ての夫婦が愛し合っているわけではないわ」
私は追加の古代文字を書き終え、水銀ペンを置く。ソキウスが開創器を抜いてバットに置いた。
「では、僕たちは愛し合う夫婦になる、というのはどうですか?」
半自己再生型有機ポリマーは、名前の通り、非生体物質でありながら自己再生能を有する。
これは私がここで開発したもので、技術を公にすれば医療分野などで役立つだろう。しかし私はこれを秘匿する。技術が明るみになれば、人間と見分けのつかない人造人間が存在し得る社会になってしまう。
ソキウスは、一点ものの人造人間であり続けなければならない。
「愛し合う夫婦に見せかけることは必要だわ」
ソキウスの腕の切開部が塞がっていく。
「でも、誰も見ていないところで愛を演じる必要はない。私は恋愛ごっこをしたくてあなたを作ったわけではないから」
「僕はあなたを愛しています」
「その言葉は、私からの入力に対して、あなたの情報処理コアが言語的最適解を出力したに過ぎない。あなたは私を愛していないわ」
「僕には心があります」
「ないわよ。あなたが心と錯覚しているそれは、魔法による流体記録素子の運動よ」
「でも、僕は確かに、自分はあなたを愛していると思うんです」
ソキウスが左手を胸に当てて訴える。——そこに心臓はない。代わりに、状態維持魔法の古代文字が記された金属塊が埋まっている。
半年前——基礎学習完了当時の彼はこんなではなかった。私の言葉には必ず「はい」と答え、指示しなければ口を開かず、動かず、自己主張などしなかった。
私はこうなるように彼を作っていない。——一体何が、彼に恋愛ごっこをさせているのか。
「古代文字を骨格に書かなければならないのは面倒ね。この国が科学の国でなかったら、体表に書いて済ませられるのに」
私が話題を逸らすと、ソキウスはハッとした顔をして、それから少し寂しそうに微笑んだ。
「……あなたが暮らすには、北西のガルモーニャ共和国の方が合っているかもしれませんね。彼の国は科学と魔法で発展してきた国で、個人の実力がものを言う社会ですから」
私は彼の表情を『寂しそう』と知覚するけれど、それはあくまで造形の話。
実際、彼は寂しがっていない。『主張を無視される』という入力に対して『寂しい』を出力しているだけ。
「いずれは移住したいけど、戦争が終わらないことにはどうにもならないわね」
「戦争が始まってから四年でしたか。長く続きましたから、明日には終わるかもしれませんよ」
「仮にそうなったとして、すぐに移住は無理だわ。おいそれとかつての敵国の人間が近づこうものなら、銃殺されて終わりだもの」
ソキウスの腕の切開部が完全に閉じた。彼は傷があった部分をそっと撫でると、やけに緩慢な動きでまくった袖を戻していく。
「では、僕が弾除けになりますよ。なのでその時は、一緒に連れて行ってください」
私は彼の流体記録素子に『愛』などという曖昧なものを入力していない。それなのに今日も、彼は『愛』を出力している。




