第18話 科学と魔法
昼食の最中、ソキウスがフォークを落とした。
「すみません」
彼が困ったように言いながらフォークを拾うのはこれで二回目。
「右手の調子が悪いの?」
「はい。中指を中心に、急にビクッと痙攣する感じで」
「うーん……中枢系は一昨日確認したばかりだし……やっぱり、情報処理コア周りに問題があるのかしら」
「食べ終わったら開きますか?」
「そうね。コア周りの古代文字を確認してみましょう」
言うと、彼はなぜかしょぼっと肩を落とし、
「ハゲになるのは、嫌です」
「……ハゲ?」
「僕の情報処理コアは、人間の脳の位置に入っているんでしょう? それを確認するということは、頭周りの外装を切るということです」
「え、ええ」
「一瞬でも、あなたにハゲの僕を見せるのは嫌です」
——ブラウンの話をした時にも薄々思ったが、彼は、頭髪の有無をかなり重いことと捉えているようだ。
「古代文字を書いてあるのは、情報処理コアの前部分だけよ。額を切開するだけで終わるわ」
額を切開というのも人間に置き換えればなかなかのことだが、一応のフォローとして言ってみる。ソキウスは「額……」と独りごちて想像に視線を動かし、
「いいですね! 額、素晴らしいです! 早く食べて実験室に行きましょう!」
なぜかパアッと表情を明るくすると、フォークを左手に持ち替えて勢いよく食事を再開した。
(この辺りの彼の価値観は、未だ謎が多いわね……)
謎を謎のまま昼食を済ませて、異常なほど足取りが軽いソキウスと共に実験室へ。私が器具を用意している間に、彼はベッドに横たわっている。
「ソキウス、切るのは額だけだから、座っていて大丈夫よ」
「横になっていたらやりづらいですか?」
「? そこまで変わらないけど」
「では、これでお願いします」
ソキウスがご機嫌な鼻歌を歌いながら足を揺らす。私は器具を入れたステンレスバットを持って彼の方へ。バットを横の台に置き、彼の前髪を左右に避ける。
私がバットからメスを取ると、ソキウスがニッコリとして目を閉じた。
「目は閉じなくて大丈夫よ。額の真ん中を横に切るだけだから」
「閉じていた方がいいので、これでお願いします」
「?」
私は不思議に思いつつ、彼の額にメスを当てた。横一直線に刃を入れる。
(痛いから、とかではないわよね。そもそも痛かったら喜ばないし、彼は痛みを感じない)
彼の触覚には上限を設定している。『そっと触れる』と『強く叩く』の違いを識別できるが、人間が痛みと認識するレベルの圧力は全て『強く触れる』に収束する。
痛みは、生物が生存のために獲得した機能だ。『これ以上は命に関わる』を判別して逃走を促すために、痛みは『不快』に属している。
ソキウスは生物ではない。ゆえに私は、痛みを無用な苦痛と考えて、彼の触覚をこのように設定した。メンテナンスの頻度を考えると妥当な判断だったと思う反面、彼が人間として暮らすにはどうだろう、と時々思う。
(それと、これ……)
私はメスを置き、バットから開創器を取った。額の切れ間に先を入れ、外装を開く。その間、目を閉じたソキウスは笑みを湛えたまま。
(フレッドが見たら、『絵面ヤバいだろ!』とか言いそうだわ)
私はソキウスの頭を軽く撫で、
「ソキウス、開創器を持っていてくれる?」
言うと、彼は「はい」と目を開けて嬉しそうに開創器を持った。私はピンセットで情報処理コア表面のポリマーを除去していく。それから赤いエーテルを拭き取って、銀色の文字に目を凝らす。
「どうですか?」
「やっぱり、ところどころ掠れているわね」
象形文字と幾何学模様の合いの子のような古代文字がびっしり並ぶ、そのあちこちが途切れている。
「情報処理に偏った負荷がかかるとこうなるのだけど、何か心当たりはない?」
ソキウスが「うーん」と口を窄め、
「もしかしたら、僕が二人いるせいかもしれません」
「二人って、停止コードが効くあなたと、効かないあなた?」
「はい。二つが常に葛藤しているので、その摩擦が原因かも」
「常に、葛藤?」
「例えばさっきの食事中は、行儀良く食事をしたい僕と、咀嚼するあなたの唇に齧り付きたい僕が戦っていました」
「……前者が勝ったようで、何よりだわ」
ソキウスは「ですね」と笑い、
「あなたの嫌がることをしたくない僕と、嫌がるとわかっているのにやろうとする僕が常に戦っています。それが水銀文字に傷をつけているのかもしれません」
その『嫌がること』というのは、私を害そうというものではない。私を想うがために発露するもの。愛ゆえの衝動。
「……私が、嫌がらなければ、あなたが不具合を起こすことはなくなるかしら」
水銀ペンを取りながら半ば独り言として言うと、ソキウスが「メンテナンスは大変ですか?」と尋ねた。
「? いいえ。言うほどの労力ではないわ」
「では、面倒?」
「そんなことないわよ」
「だったら、僕はこのままがいいです」
彼は開創器を一瞥して「ふふっ」と笑い、
「メンテナンスの時、あなたは僕にたくさん触れます。作業中は僕から目を逸らしません。だから僕はこれが好きです」
心底嬉しそうに言う彼に反して、私はその言葉に切なさを覚えた。
思えば、彼は私にたくさん触れるけれど、私から彼に触れることは少ない。彼は私をまっすぐに見つめるけれど、私は気恥ずかしくてすぐに視線を逸らす。
愛ゆえに求めるもの。その不足を、彼はメンテナンスで補っていたということ。
(言ってくれればいいのに、というのは残忍だわ。彼がそれを求めないのは、私がそれに怯えたから)
過去は変わらずそこにある。変えられるのは未来だけ。
「やっぱり、嫌がらないようにするわ」
私は欠けた古代文字を繋げていく。
「私は嫌いなことがたくさんあるけれど、その中には、あなたが相手なら平気なことがたくさんあるわ」
「……例えば?」
「うーん……お腹を触られることとか、寄り添って座ることとか、口を見つめられることとか。今日はやけによく見ていると思ったら、齧り付きたかったのね」
「! き、気づいていたんですか……」
「ええ。でもなんだか恥ずかしくて、嫌がってしまうの。あなたに触れるのもそう。でも、これからは意識的に触れるようにするわ。足踏みしているばかりじゃ、いつまで経っても慣れないもの」
「リアナ、無理にやる必要は——」
「無理じゃないわ。慣れたいからやるの」
性愛を学習していないソキウスは、なぜ私の下腹部に触れたのか。それについて彼は言った。
『何か、大切なものがそこにあると思ったんです』
初めて他者を愛した私は、この『慣れ』の先に何があるのかわからない。しかし、その先に大切なものが、喜びが、幸福があることを確信している。
「多分、少しずつになってしまうけれど、待っていてちょうだい」
言うと、ソキウスは「いつまでも待ちます」と微笑んだ。
*
途切れた古代文字を修復することしばらく。不意に来客チャイムがけたたましく鳴り出した。
「この連打、間違いなくフレッドね」
私が独りごちると、ソキウスが「中断します?」と尋ねる。
「行ってくるから、その状態で少し待っていてちょうだい」
「リアナ、押し込み強盗や不審者の可能性もあります」
「ああ、確かに……」
ドアに向かいかけた私は踵を返して窓へ。
「フレッド?」
玄関がある方に向かって呼びかけると、「おう!」と彼の声がした。
それから私は玄関へ彼を迎えに行き、左右で音が違う足音を聞きながら実験室へ戻り、
「なんか、絵面ヤバいな」
フレッドはベッドの上のソキウスを見るや否や、どこか呆れた様子で呟いた。ソキウスは額を開く開創器を持ったまま。私は水銀ペンを取って作業に戻る。
「僕とリアナのイチャイチャタイムに来るとは、フレッド、あなたは本当に間が悪いですね」
「それは、イチャイチャなのか?」
「当たり前でしょう。リアナが僕の中身を見ているんですよ」
「中身……」
「加えて、彼女が今見ているのは情報処理コア。僕の一番大切な部分です」
「大切な、部分……」
「彼女が彼女の手で僕を開き、一番大切な部分をじっと見つめて、触れる。これをイチャイチャと呼ばずに何をイチャイチャと呼ぶんですか」
「……確かに、なんか……そう言われるとエロい気がしてきた」
フレッドが納得顔で頷き、ソキウスが「わかっていただけて何よりです」と得意げな顔になる。
(……彼らは、何を言っているのかしら)
私は内心で独りごちるも、何となく、ソキウスが嬉しそうにベッドに横たわる理由がわかった気がした。
それから作業を終えるまで、フレッドは窓際に立ってじっとこちらを見ていた。私は水銀ペンを置き、ソキウスから開創器を受け取る。彼の額の切開部が綺麗に閉じたところでフレッドが口を開いた。
「なあ、リアナ。そのなんたら有機ポリマーって、人間につける腕を作れたりするか?」
その問いは、戦場で腕を失った仲間を思ってのことか。それとも、ずっとさすっている彼の左大腿のことか。
『ロス大尉の大冒険』は、ストーリーこそ破天荒で爽快ですらあるが、実際は命の危機に瀕した血まみれの過去だ。偵察機が墜落した折、破損した機体の一部が彼の左大腿を貫通し、背中には大火傷を負った。全身に打撲と擦過傷。肋骨が二本折れていた。
フレッドの生来の生命力と、リガ族の魔術を併用する医療により、彼の怪我は一年でほとんど治癒した。あとの一年は、動かない左足のリハビリに当てていたとか。
「脚、痛むの?」
尋ねると、フレッドは一瞬キョトンとした顔になり、「いいや」と言って大腿をさする手を離した。
「まあ、雨の日なんかは少し疼くが、痛みはない。ただ、筋肉が完全に切れてるとこがあってな。可動域が狭くて、不意の動きでバランスを崩す」
ひらっと手を振って「日常生活に支障はない」と笑う彼は、軍人になってから、不調を隠すきらいがある。
「ソキウスの体に使った技術は、元々、医療向けに開発をしていたものなの」
私は実験室の奥からパイプ椅子を引っ張り出して彼に勧めた。フレッドが座ったところで説明を始める。
科学と魔法を地続きにする大統一理論——それを研究していた兄のデュアンはよく言っていた。
『科学だけでは救えないものがある。魔法はそれを補うことができる。科学と魔法は対立するものではなく、相互作用でより多くの幸福を生むものだよ』
彼はその信念の元、日夜研究に明け暮れていた。父はそれを嘲笑ったが、私はそれが好きだった。
ソキウスの体は、外装の有機繊維と内部の金属骨格の複合動作で動いている。半自己再生型有機ポリマーは、初期構造を魔法で記述することにより、損傷しても元の形に再生する。
見た目には完璧な人体の模倣——しかしこの技術は、人体に結合できるまでには至っていない。
「情報処理コアの思考と体の接続は魔法が担っているの。だから人間の手足は作れるけど、使用者が自らの意思で動かすことはできない。人間の体に水銀文字は書けないから」
「そうか……じゃあ、今の段階だと人間には使えない?」
「手足を丸ごと、というのは難しいわ。でも、多分、あなたの脚なら治せる」
「?」
「断絶した筋肉をポリマーで繋げるの。そこに周辺模倣の魔法を記述して、文字が人体に触れないように保護しておけば、害を及ぼすことなく失った箇所の代わりを果たすはず」
「なるほど」
フレッドは期待を浮かべながら頷く。私はそれを裏切るのを承知で話を続ける。
「でも、この技術を公表するわけにはいかないわ」
「ソキウスが人造人間だってバレるからか?」
「それも可能性としてあるけれど……一番は、彼のような人造人間を、今、作られるわけにはいかないから」
『今』を強調して言うと、フレッドが「確かにな」と呟いた。
「それで便衣兵型兵器なんて作られた日には、戦争は一層泥沼化だもんな」
「ええ。加えて、私がそれを嫌だと言っても、絶対に止められない」
「じゃあ男の俺が、って言いたいとこだが、軍人の俺にもそれは止められない」
「そういうことよ」
私たちは揃ってため息をつく。少しの沈黙が流れた後、ソキウスが「戦争はリアナの邪魔ばかりしますね」と忌々しげに呟いた。




