第15話 好都合な醜聞
エヴァンス特許武装の創立六十周年記念パーティーは、本社併設の大講堂で行われる。招待客は取引先や競合企業の役人を始め、軍需企業ということから、政府や軍の関係者が多い。
狭い業界だ。私の顔を知っている者も多い。
「ソキウス、私が何を言われても反論してはダメよ。平然としていて」
「なぜですか?」
「パーティー参加者の中には、私とお父様のいざこざをずっと前から見てきた人がたくさんいるわ。二年前に私が縁談を拒絶したことを知っている人も」
「はい」
「ずっと誰にも相手にされなかった女が、このタイミングで突然自分を溺愛する結婚相手を見つけたとなったら、絶対に怪しまれるわ。余計な詮索をされてしまう」
「! リアナ、僕の中にあるあなたへの愛の大きさに、ようやく気づいてくれたんですね」
「その話は後にしてちょうだい」
「ふふっ、照れくさいんですか?」
「……ソキウス」
「わかりました。少しだけあなたを愛している夫を演じます」
そんな打ち合わせをして、入場。
パーティーは立食形式。広い会場に点在するテーブルの近くで、客たちが思い思いに談笑している。すでにほとんどが会場入りしていて、私たちは最後だろう。
奥の壇上に父の姿はない。袖の方に父の秘書のギリアムが立っている。
(ベストタイミングね。お父様に何か言われる前に、夫の存在を広められる)
ここから考え得る最悪のシナリオは、父がソキウスの存在を握り潰すこと。それを避けるため、父が来る前に私たちの姿を皆に見せつけておく必要がある。
幸いにも、それはすぐに叶った。
「あれ? リアナさん?」
向こうで談笑していた四十歳くらいの男が、ワイングラスを片手に近づいてきた。
「あれ? あれあれー? まさかその人、あなたのお相手?」
——まだパーティーは始まっていないというのに、すでにかなり出来上がっている。
(お酒で酔っているから馴れ馴れしいのか、元々そういう人なのか……面識はないはずだけれど)
人間は成功者の醜聞を楽しむもの。国内有数の軍需企業の令嬢が、男に相手にされない頭でっかちの変人という話は、あちらこちらで吹聴されている。向こうは私を知っているが、私はその人を知らないことが多い。
「結婚? 結婚したんですか?」
男がグラスを煽り、「あなたがこんなイケメンと!?」と付け足す。
「諸事情あって手続きはまだですが、一緒に暮らしています」
私が答えると、男は「えーっ!」と叫んで身を退け反らせた。——酔っ払いのオーバーリアクション。目障りと言わざるを得ないが、今は好都合。
男の声を聞いて、周囲の人間が「なんだなんだ?」と集まってきた。
「リアナさんが結婚?」
「嘘だろ。俺、今日彼女が一人で来る方に賭けちまったよ」
「逆に、結婚相手連れて来る方に賭けてた奴いたか?」
「ポールだけだ」
「くっそ、あいつの全取りかよ」
——本人の前で賭けの話をして、額に手を当てて悔しがる。「その結婚なしにしてくれませんか」などと笑いながらこちらに言い、返事も待たずにお仲間と笑い合う。
これが、父が私に用意したお上品な世界。
「それにしても、頭でっかち偏屈女がこんなイケメン捕まえるとは」
「世界四大七不思議だな」
「四なのか七なのかどっちだよ。お前は飲み過ぎだ」
「でもラブラブって感じじゃないな」
「当たり前だろ。どうせ頼み込んでやっと手に入れた旦那だ」
実に不愉快な会話だが、これはこれでよしとする。この方が噂話として広がりやすい。
(そろそろいいかしら)
ソキウスが立つ左側から、ずっとピリピリとした空気を感じている。楽しげに話し続けるパーティー客たちはこれに気づいていないのか、気づく能力がないのか。
あとは父と話して終わり。ここは彼らの噂話能力に任せよう、と踵を返そうとしたところで、
「リアナ・エヴァンス」
聞き覚えのある声。振り向くと、私より二回年上の少し禿げた資産家が、大股でこちらへ近づいてくるところ。
ソキウスもそれに気づいたのだろう。スッと身を屈めて私の耳元に顔を寄せ、
「あれが、あなたと結婚しようとしていた身の程知らずのハゲ男ですか?」
囁く声は、これまで聞いた中で最も鋭利で冷たい。横目に確認すると、ソキウスが真っ直ぐに対象を見据えて、剣呑な笑みを浮かべている。
「ハゲではなく、生え際が後退した少しハゲのブラウンさんよ」
私はソキウスの手を引いて歩き出した。これは接触しないが吉。
「おい、待て!」
ブラウンの声と、荒々しい足音が追いかけてくる。
「なんだその若造は! 私への当てつけか!?」
彼がここにいるなど予想外。消滅した縁談の相手に招待状を送る父も、のこのこやって来るブラウンも、一体どういう神経をしているのか。
(彼はただの投資家。軍需業界に繋がりはないはず。それなのになぜ……繋がりを得るために、ここに来た?)
各地戦線の状況と世論を鑑みるに、このタイミングでの投資には何も旨味がないように思えるが——父や彼がアクセスできる情報のレイヤーでは、金儲けの算段がつくのか。
(いや、そんなこと、今はどうでもいいわ。とにかくここを離れて——)
早足で向かう先にオリーブドラブの軍服の人影。避けて通ろうと思ったら、
「リアナさん、久しぶりだな」
人影が声をかけてきた。父と同年代か少し上。肩の階級章は大佐か。私が足を止めると、「私のこと、覚えてるか?」と尋ねてくる。
「ええっと……すみません」
「いやいや。最後に会ったのはもう……十年も前になるか。私はジョン・スミス陸軍大佐」
突如現れた陸軍大佐——スミスはにこりと笑い、
「君とフレッドが遊んでる時、たまに彼の背景を担当してたんだが……まあ、覚えてないし、そもそもわからないか。あの頃よりだいぶ老けたからなぁ」
それから私の背後に視線を向け、これみよがしに「おや?」と疑問符を浮かべる。
「どなたかな? 年齢的にリアナさんの友人ではなさそうだが」
問われたブラウンが「えっ……」と足を止め、スミスの肩に目を凝らす。
「……いやぁ、どうやら人違いだったようで」
ヘラっと笑って視線を宙に泳がすと、「失礼」と去って行った。彼の後ろ姿を睨め付けていたスミスが、ため息をついて顔の力を抜く。
「縁談の話はフレッドから聞いてる。あれじゃあなぁ、どこのご婦人だって断るだろうよ」
呆れ顔で言って、こちらへウインクを一つ。「彼がソキウス?」とソキウスを指す。私が首肯すると「ははーん」と顎をさすり、
「フレッドの奴、さてはリアナさんを取られたからって拗ねてたな。聞いたのより三割り増しイケメンだ」
——彼の顔には全く覚えがない。しかし、フレッドの知人というのは、なぜかとても納得できる。
「助けてくださり、ありがとうございます」
私が礼を言うと、スミスは驚いた様子で、
「フレッドに、君の爪の垢を煎じて飲ませたいな」
「? それは……何かの、嫌がらせ?」
「いいや。東洋の言い回しで、君を見習わせたいという意味だ」
「そうなのですね。私の浅学で説明の手間をおかけして、申し訳ありません」
「ちょっとちょっと、やめてくれ。そんな畏まられると困る」
「ここにいるということは、あなたは軍の兵器開発周りの方なのでしょう? 失礼があっては、会社の今後に関わります」
「いや……私としては、君は甥っ子の幼馴染のような感じで……」
「? フレッドの叔父様でしたか。それは存じ上げず、申し訳——」
「だからそういうのいいから! あと私は叔父ではない。彼の父親の旧友だ」
スミスは居心地が悪そうに後ろ頭を掻くと、「一方的なあれであれだが」とほとんど『あれ』の前置きをして、
「フレッドからよく話を聞いているから、君のことは、こう……姪っ子のように思ってるんだ。だから、そう畏まられると寂しい」
そのストレートな物言いはフレッドによく似ていて、私の肩の緊張をほぐすには十分だった。
「ありがとうございます、スミス大佐」
言うと、スミスは鳩が豆鉄砲でもくらったような顔をして、「フレッドの奴、デカい魚を逃したな」と独りごちた。
「君の研究の話は聞いてる。デュアン氏の流れを汲む大統一理論関係で、それが理由で父君と揉めていることも」
「そう、ですか……」
「その辺り、彼は理解してくれてるのか?」
「え?」
スミスはソキウスを視線で指し、「研究は続けられそうか?」と問いを重ねた。つまり、彼は私の研究の概要部分は知っているが、ソキウスを作ったことまでは知らないということ。
(まあ、そうね。彼の存在が軍に知れたら取り上げられかねない。フレッドがそれに気づかずおいそれと話すはずないわ)
私が「ええ」と答えると、スミスは「よかった」と微笑んだ。
「多くの人間が、君の研究を男の真似事のお遊びと捉えているようだ。辛いだろうが……君がめげずに、やりたいことを続けていけることを願っているよ」
それから向こうに視線をやると、「じゃあ」と手を振って歩き出した。軍服を着た数人の男が、彼へ向かって手招きをしている。
「フレッドのおかげで命拾いをしたわ」
私は言いながら、隣に立つソキウスを見上げる。スミスを見ていた彼が「僕だって」とこちらを向いた。
「……僕だって、ハゲを倒すことくらいできます」
「そう?」
「リアナ、忘れたんですか? 僕の筋力は見た目そのままですが、反射神経と俊敏性は通常の人間を上回ります。怪我をして正体がバレないよう、あなたがそうしました」
「覚えているわよ。それで、どうやってブラウンさんを倒すの?」
「普通に、たくさんの拳を繰り出します」
「……暴力は、ダメよ」
そんな話をして気が緩んだ時だった。
「リアナ」
向こうから、父が歩いてきた。




