第14話 誰もが平和を望んでいる
私たちが暮らす東部の街・ヴォラスから首都までは、汽車で片道四時間かかる。
朝食後、私たちは軽く身支度をして家を出た。座り心地の悪い椅子に座って、首都に着いたのは昼頃。
およそ二年ぶりに見る首都の景色はほとんど変わっていないが、道ゆく人々の顔は違っていた。どこか暗く憂鬱で、生気がない。四年間の戦争が多くのものを奪った結果だ。
鉄道駅を降りた後、私たちはトラムに乗り、屋敷がある西区へ向かった。パーティー会場であるエヴァンス特許武装本社もここにある。
昼食にはやや遅い時間帯。私たちは目についたビストロに入って昼食を摂る。
「これを食べたら屋敷に行って身支度をするわ。父がいるかもしれないから、気づかれないよう静かにね」
「わかりました」
「その後は、パーティー開始ギリギリを狙って会場に行くわ。そこであなたをみんなに見せてから父に紹介する。『設定』は大丈夫そう?」
「もちろんです。僕はガルモーニャの商家の次男。商談でアフトクラトリアに来ていたところ、ガルモーニャが突如宣戦布告をしたことで帰れなくなった。結婚に必要な書類の類は向こうにあるため、今、あなたとは事実婚の状態」
「完璧ね。多分、父はあなたの実家の会社について尋ねてくるわ。下手に答えるとボロが出るから、その時は『無能な次男坊』を演じてちょうだい」
「頼りない男と娘を結婚させるわけにはいかない、となりませんか?」
「ならないわよ。そういうのは、娘を愛している親が言うことだわ」
ソキウスがパンをちぎって口へ運ぶ。私はスープを一口。
「適当に話をして、区切りのいいところで会場を出ましょう。それから屋敷に戻って着替えて、汽車に乗ってしまえば終わりよ」
ソキウスが「わかりました」と微笑み、横のカゴからパンを一つ私の皿へ。私はスプーンを置こうとしたところで、ふと、近くの会話に意識が向く。
「また大量の棺が帰って来たってよ。この戦争で、軍は一体どれだけの死体を積み上げる気やら」
「これだけ続けて領土の一つも取れないんだ。無能の集まりとしか言いようがない」
「こんな状況で、政府はなんで停戦交渉に出ないんだろうな」
「なんか、新兵器がどうのって話を聞いたことがあるぞ」
「リー&トンプソンが絡んでるやつだろ? 兵器があったって、それを使う兵士がいなきゃただのガラクタだ」
新聞の論調からも思っていたが、やはり世論は停戦に傾きつつあるよう。これに押された政府が停戦交渉に出てくれればいいが、以前フレッドが言っていた人造兵士開発の件が気になる。
(この国にいる以上、私もソキウスも働き口を見つけるのはほとんど不可能。完全にお父様の影響下を脱するには終戦が必須だけれど……今は、目の前の問題に集中しましょう)
そうして昼食を済ませた私たちは、エヴァンス家の屋敷へ向かった。出迎えてくれたのはマリー一人。
「お嬢様! まさかいらっしゃらないのかと……あれ? なんか少し太っ……ふ、ふわっと、されました?」
癖のある赤毛を顎の高さで切り揃えた、活発な雰囲気の女性。使用人だが、私とは友人のような関係だ。
「最近ご飯が美味しくて——」
私は普通に答えようとして、途中まで言ったところではたと気づいて言葉を切った。これは絶対にソキウスが食いついてくる話題。しかし今、いつものような不思議発言をされるわけにはいかない。
(変な人だと思われたらマズいし、なるべく話さないためにも、無口でとっつきにくい雰囲気を出していてもらわなきゃ——)
私は隣を見上げた。意外にも、そこにあるのは無表情のソキウスの横顔。じっとマリーを見つめている。それに気づいたマリーが、居心地の悪そうな顔でこちらを見た。
「ええっと……この方が、お嬢様の……?」
「そうよ。ソキウス・ハロルシュタインさん」
マリーは「そ、そうですか」と顔を引き攣らせると、「ご案内いたします」と踵を返した。
*
ソキウスは客間へ。私は自分の部屋へ。奥のクローゼットからドレスを持って来たマリーが、「大丈夫なんですか、あの人」と顔を顰めた。
「顔は整っていますが、なんかこう、血も涙もない冷血男の感じがしました」
「さ、さっきの一瞬で?」
「あたしのこういう感覚は当たるんです。お嬢様、あの男に酷いことされてません?」
「大丈夫よ。……ふ、二人の時は、よく笑うのよ、あの人」
「全然そんなふうに見えないんですけど」
——ひとまず、ソキウスがあの雰囲気を崩さなければ、やたらと話しかけられることはなさそうだと判明。
「見た目も年齢も、あのクソハゲやろ……ブラウン氏よりずっとお嬢様に合ってますけど、あたしが見てきた範囲では、見た目のいい男は冷血クソ野郎率が高いです。女のことをトロフィーか何かと勘違いしてる」
——忌々しげに話す彼女は、過去に『イケメン』と何かあったのだろうか。
「本当に大丈夫よ。あの人、とても優しいから」
「お嬢様が優しいので、あたしは心配です。騙されてません?」
「そんなことないわ。彼は私の嫌がることをしないし、いつも体調とか気にかけてくれるし、美味しい食事を作ってくれるし」
「男なのにキッチンに立つんです?」
「ええ。彼の料理はとても美味しいのよ。それでちょっと……太ってしまって」
マリーがテーブルに服をかけていく。「じゃあ、よかったです」と言う彼女は未だ完全に納得したわけではないようだが、とりあえずこの話は終わりというところ。
私は並べられた服を一瞥して、小さく嘆息した。
精巧なレースがあしらわれたドレス、ゆったりとしたドレープのタブリエ、腰を細くするコルセット、窮屈な革靴。
私は服を脱ぎながら、思わず内心で独りごちる。
(早く帰りたい)
コルセットをつけて、マリーが後ろから紐を引っ張る。
「先日、お嬢様が旦那様へ送られた手紙。あれ、ハロルシュタインさんのことを書いたやつですよね?」
「どうして知っているの?」
「あれを受け取ってから半月くらい、旦那様の機嫌がめちゃくちゃ悪かったので」
「ああ……あなたたちに、苦労をかけてしまったわね」
「旦那様の不機嫌なんていつものことなんで、あたしたちはなんとも。ただ……あの感じ、お嬢様が結婚相手を自分で見つけたこと、絶対気に入らないんですよ」
「まあ、お父様としては、誰にも相手にされず今日を迎えた私を嘲笑いたかったでしょうから」
「ほんと何なんですかね、あの性格の悪さ!」
「マリー、あんまり大きな声で話して、お父様に聞かれたら大変よ」
「大丈夫です。旦那様はとっくに屋敷を出られたので」
服を着たらドレッサーの前に座る。マリーが私の髪を結い、私は適当に化粧をする。
「お父様はどこに? 会場に向かうにはまだ早いわよね?」
「陸軍のスミス大佐に会うとかって聞きました」
ジョン・スミス大佐は、確か、以前凍結された人造兵士計画の責任者だ。
(うちが再開した計画に加わろうとしているというのは本当のようね)
マリーが「アクセサリーはどうします?」と尋ねる。私が「適当にお願い」と答えると、
「本当に、あたしが『適当』にやっていいんですねー?」
宝石箱を開きながらニヤリと笑った。
「え、ええ」
「この際、ここからお化粧もやらせていただけませんか?」
「いいけど……何、どうしたの?」
「いやー、前からずっと考えてたんですけど、お嬢様、ギラギラに飾ったら絶対美人だと思うんですよ」
——と、いうことで。私はギラギラに飾られた。
「お嬢様、素敵です!」
部屋の真ん中に立った私の周りを、マリーが感嘆を上げながらクルクル回る。私の脳裏をよぎるのは、兄が昔飼っていた小型犬の姿。
何が一体どうなったのかというと——髪は編み込みのハーフアップで、小さな髪飾りがあちこちにくっついている。化粧は目元がキラキラで唇がプルプル。顔周りのアクセサリーはピアスとネックレスと——要するに、『ギラギラ』だ。
(なんだか、全身が重いわ。早く帰って部屋着に着替え——)
考えていたら、ドアがコンコンとノックされた。少しの間を置き、「リアナ、着替えは終わりましたか?」とソキウスの声。いつもより落ち着いた、少し冷たい印象の声だ。
(しっかり役に入っているわね。さすがだわ)
私が「今終わったところよ」と答えると、「入ってもいいですか?」と尋ねる。「ええ」と答えたらドアが開き、
「…………」
彼は無表情で私を見つめると、視線を逸らさないまま入室し、後ろ手に静かにドアを閉めた。
「エヴァンス氏はどちらに?」
淡々とした問いはマリーに向けられている。「今はお屋敷におりません」と答えるマリーもまた冷たい声だ。さっきの会話を鑑みるに、ソキウスを敵と捉えているよう。
私はふと、ソキウスにマリーを紹介していないことに気づき、
「ソキウス、彼女が以前話した使用人のマリーよ」
彼は私から視線を逸らさないまま「そうですか」と答える。
「では、あなたの味方ですか?」
「ええ」
「父君は外出中で、他に、この屋敷にあなたの敵は?」
「? いないわ。母は実家に帰っているし、使用人はみんな私の理解者だから」
ソキウスは静かに「なるほど」と言って目を閉じ、ゆっくりと開き、
「リアナーっ!」
突然走ってこちらに来たと思ったら、私の周りをぐるぐると回り始めた。屈んだり伸びたり、また屈んだり。私を全方位、全角度から見る。
「素敵です! 驚きました! 美しいです!」
「ソ、ソキウス?」
「一瞬、天使が舞い降りたのかと思いました。いや、これは確かに天使ですね。僕の天使!」
「何を急に……そういうこと言わないでちょうだい。恥ずかしいわ」
「おしゃれのセンスはないというのは嘘だったんですね。スカートとダブリエの色の合わせが見事です!」
「これは私じゃないわ。マリーが選んでくれたの」
「マリーさんグッジョブです!」
話す間も、彼は私の周りを回り続ける。——私の脳裏をよぎるのは、フレッドの家で昔飼われていた大型犬の姿。
「化粧とアクセサリーも素敵です。これもマリーさんが?」
「そうよ」
「マリーさんグッジョブです!」
「ソキウス、一旦止まってちょうだい」
「ああ、リアナ、勘違いしないでくださいね。普段のあなたももちろん魅力的です。普段の美しさが上限いっぱいで、今はそれをぶち破った形です」
「わかったから、止まって」
「だから僕は止まれません!」
「どういうこと……?」
ソキウスはひとしきり私の周りで軽快なステップを踏んだ後、「ああ、でも」と私の前で立ち止まった。腰をそっと撫でて手を掴んでくる。
「お腹が窮屈そうですね。これではパーティーの食事が喉を通らないでしょう」
「呑気に食事を摂るつもりはないわ。やることを済ませてさっさと帰るのよ」
「では、パーティーが終わったら急いで帰って、家でパジャマパーティーをするというのはどうですか?」
「パジャマパーティー?」
「ええ。たくさん夜食を作りますよ。それで朝まで騒ぎましょう」
「? 誰か呼ぶの?」
「いいえ。当然、僕とあなたの二人きりで」
ソキウスが掴んだ手をギュッと握り、「ね、いいでしょ?」と顔を覗き込んでくる。
「ずっとあなたとパジャマパーティーをやってみたいと思っていたんです」
「それはわかったけど、今日じゃないとダメ?」
「僕たちの障壁を打ち倒した後のパーティーです。きっと楽しいですよ」
「それは、確かに……?」
「それに、帰って寝るだけではあなたが痩せてしまいます」
「最近太ったから、それは歓迎よ」
「僕は嫌です」
ソキウスが「ね? いいでしょう? ね?」と繰り返す。私が「わかったわ」とため息をつくと、心底嬉しそうに破顔した。
そこでふと、私はマリーが腕組みをしてこちらを見ていることに気づく。
「あっ、マリー……これは、その……」
彼女は「ふんっ」と鼻を鳴らして腕を解き、ツカツカと歩き出してソキウスの隣に立った。
「ハロルシュタイン氏……いいえ、ソキウスさん。あたしはあなたを誤解してたようです」
それから顔の力を抜くと、ふっと笑って右手を差し出す。
「あたしも、お嬢様はもう少し太った方が可愛いと思っていたんですよ」
ソキウスは彼女をじっと見つめると、「気が合いますね」と言って彼女と強く握手を交わした。




