第13話 『役』
ソキウスがパーティーで着るテイルコートや諸々を注文した帰り道。隣を歩く彼が、ふと通りの向こうへ目を向けた。
腰を細く絞った華やかなドレス姿の女が、日傘を差して歩いている。
「リアナは、ああいう服を着ないんですか?」
言いながら彼が見下ろす傍らには、地味なショートスカートを着た私。ここで暮らし始めてからは、ほとんどこの格好で過ごしている。
実家にいた頃は父によくどやされた。『貧相な体型がより一層貧相に見える』『見窄らしい』『私に恥をかかせるな』と。
「着ないわ。あんな長いスカート、動きづらいもの」
身分相応の身だしなみを心がけるべき。——それは理解できる。
綺麗な場所では綺麗な服を着るべき。——これも、理解できる。
『綺麗』は、床につく長さの動きづらいスカートと、コルセットで締め上げられた細い腰のことを指す。——これは全く理解できない。
「あなたも、ああいうのを着るべきだと思う?」
尋ねると、ソキウスは「うーん」と唸りながら向こうの女を見て、
「あなたがあれを着たくて、でも着られない事情があるなら、着られるようになって欲しいと思います」
それから私の腰を見下ろして、
「僕の個人的な意見としては、スカートの長さはさておき、あの腰を締め付ける感じは好ましくないです」
「どうして? みんなあれを美しいと思ってやっているし、あなたもそれは知っているでしょう?」
「はい。ですが、あれではろくに食事が入らないでしょう。僕はあなたが嬉しそうにたくさん食べるところを見るのが好きなので、あれは困ります」
「……あなたが食事を作るようになってから、私、体重が四ポンド増えたわ」
「ダイエットのためにあの服を着るのはナシですよ」
そんなことを話しながら帰宅した後。私が実験室の準備をしていると、ソキウスがドアの端からひょこっと顔を覗かせた。
「リアナ、またどこか開くんですか?」
軽い足取りで入ってくる彼は嬉しそう。前からそうで、前から謎だが、彼は私に体を切開されるのを楽しみにしている節がある。まるでスキンシップの一環であるかのように。
「目頭を少し切るわ」
「目頭?」
「ええ。涙腺を作るのよ」
いそいそと折りたたみベッドを出そうとしていたソキウスが「えっ……」と固まり、カクカクした動きでこちらを向く。
「どうして、そんなことを?」
愕然とした様子で尋ねるのは、涙腺をつけたくないということだろうか。
「? あなたが泣けるようにしようと思って」
「それは、わかります。僕が知りたいのは、どうして僕は泣かなければならないのかという……」
「嫌なの?」
視線を斜め下でキョロキョロと動かしていたソキウスが、弾かれたように顔を上げた。なぜか恥ずかしそうに、困ったように、モゾモゾと肩を揺らす。
「あっ、あなたが……僕が泣くのを見たいと言うなら、あなたの前で泣くのも、やぶさかではないんですが……」
——彼は大きな勘違いをしているらしい。
「ソキウス、違うわ」
「リアナは『イケメン』が泣くのを見るのが好きなんですか?」
「ちょっと待って。私にそんな趣味はないし、自分のことをイケメンと言うのは変よ」
「ではどうして、僕に涙腺を?」
きっかけは、彼の停止コードを使った夜。涙を流せないことを悲しいことだと思うのは、自分が泣いた時の記憶から。
「……お父様が資産家との縁談を持ってきた日の夜にね、私、ショックで泣いてしまったの」
当時私は十八歳。四十を過ぎたお相手は、終始私の体を舐め回すように見ていた。
「自室にこもって泣いていたら、使用人のマリーがホットミルクを持って来たの。彼女は私の二つ年上で、十六歳の頃からうちで下働きをしていて……」
あの時飲んだホットミルクの温かさは、今も胸の奥に残っている。
「私の涙を拭って、その夜はずっと、私が寝るまで一緒にいてくれたわ。それで何かが解決したわけではないけど、私はそれに救われた。言葉で『辛い』『悲しい』と伝えるより、もっと深い部分で自分の気持ちを受け止めてもらえた心地がしたわ」
私が「だから涙腺が必要だと思ったの」と話を結ぶと、ソキウスがギュッと口を引き結び、私の方へ歩いてきた。正面に立ち、私の右手を両手で掬う。
「小説によく、男性が女性の涙を拭うシーンがあります。それは往々にして重要な場面で、その後二人は硬い絆で結ばれる」
指を握ったり、手のひらを合わせたり、甲の血管を撫でたり。
「いいな、と思いました。あなたにも泣いて欲しいという意味ではなく、涙を拭われる側の女性を」
「あなたも拭って欲しいということ?」
「多分、そうです。でも、あなたの前で泣くのは恥ずかしい。僕は、男性なので……」
女性は弱く、守られなければ生きていけないもの。その常識の裏には、『男性は強くなければならない』という強制がある。
女性が弱いから男性が強くなければならないのか。男性が強くあるために女性が弱くあるのか。始まりはもう、誰にもわからない。
「確かに、私は『男性』を作ったわ。でも、今ここにいるのは『ソキウス』よ」
ソキウスが、手元に落としていた視線を擡げる。
「男性は強くなければならないとか、涙を流すのは男らしくないとか……多くの人がそう思っているのを知ることは必要だけど、あなたがその通りにしなければならないわけではないわ」
「でも、僕は男性で、あなたの夫として相応しい振る舞いをしなくてはなりません」
「泣いた瞬間に夫失格、となるものでもないわ」
私は彼の手をそっと握り、
「あなたのことなのに、私が決めるのはおかしなことだったわね。そういうことで、私は涙を流せる方がいいと思ったのだけど、あなたはどう思う?」
尋ねると、ソキウスが手を握り返してくる。
「あなたは、涙を流す男性をどう思いますか?」
「どうというほどのことはないわ。泣いてしまうほど悲しいことがあったなら、早くそれが解決すればいいなと思うくらい」
「みっともないと思わない?」
「思わないわよ。涙腺の有無に性差がないということは、泣くことに性別など関係ないということだわ」
「僕が泣いたら、あなたはどうしますか?」
「涙を拭って、ホットミルクを淹れるわ」
私の断言に、ソキウスがふわっと破顔する。
「涙腺、欲しいです」
それから勢いよく踵を返すと、壁際から折りたたみベッドを引きずってきて広げ、飛び乗るように横たわった。
「さあリアナ、早く切ってください!」
——彼がメンテナンスの度にベッドに横たわるようになったのは、ジェレミーが来た日に胸の金属塊を確認してから。何らかの望ましい要素を見出してのことらしいが、私にはさっぱりわからない。
彼が喜ぶならそれでいいと思うが、『切ってください』は、少し違う気がする。
*
一九一九年、五月。
夜。明日の首都行きに備え、私はソキウスと一緒に荷物の用意をしている。
ソキウスが昼間仕立て屋で受け取ってきたテイルコートを広げて破顔した。「気に入ったの?」と尋ねると、「あなたが選んでくれたので」と一層嬉しそうに笑う。
「あなたが今着ている服も、あなたを作る前に私が買ってきたものだけど」
「はい。この服ももちろん気に入っていますが、こっちは特別です」
「高価だから?」
「あなたが生地を何度も僕に当てて悩んでいたから」
こんな小さなことで喜ぶなら、もっと一緒に買い物に行けばよかったと思う。それから、今後はもっと一緒に買い物に行こうと思う。
「ついに決戦の時ですね」
「『決戦』?」
「あなたと結婚しようとしていた身の程知らずのハゲ男は、なんという名前ですか?」
「身の程……ジョージ・ブラウンよ」
「ありきたりな名前ですね。ハゲとセットで警戒に当たることにします」
「彼は『ハゲ』ではなく『少しハゲ』よ。生え際が後退しているだけ」
「わかりました」
ソキウスが気合いを入れた表情でカバンを閉じる。私は『ありきたりな名前』に思い当たることが一つ。
「ねえ、ソキウス」
彼は閉じたカバンを持って壁際へ。私がソファーに腰掛けて隣を叩くと、早足でこちらへ来て座った。
「あなたの名前ね、古代語の『隣人』という意味の単語なの」
ソキウスが「そうなんですね」と微笑む。
「それがどうかしましたか?」
「うん……あなたの名前を考えた時ね、私はあなたのことを、パーティーをやり過ごすまでの道具だと思っていたの。だから、こんな適当な名前をつけてしまったわ」
「僕はこの名前を気に入っていますよ。『隣人』とはつまり、あなたの隣にいる人だということです」
「でも、名前はとても大切なものよ。その人を表す、世界でたった一つの言葉ですもの」
だからちゃんとした名前をつけるべき、と思ったのだが、
「新しい名前を、つけるんですか?」
尋ねるソキウスはどこか寂しげ。
「……あなたは、今の名前がいいの?」
「はい」彼は小さく頷くと、困ったように微笑んだ。「あなたが何度も呼んでくれた名前ですから」
愚かにも私は、この瞬間にようやく気づいた。彼の情報処理コアを起動してから——彼が目覚めてから経過した時間は、約一年半。私にとっては短い時間だが、彼にとってはこれまでの全て。
(私がこの自分をたった一つの自分と思うのと同じように、彼にとってこの名前は、世界でたった一つのものなんだわ)
私が「『ソキウス』のままでいいの?」と尋ねると、彼は何かを考えるように視線を動かし、
「もしも、パーティーの翌日以降、あなたの人生に『ソキウス』の役が必要ないなら、他の役の名前が欲しいです」
どこか縋るように言う彼に、私はパーティーの後のことを話していない。
「それなら、名前は関係ないわ」
思えば、彼と性欲の話をした時も。私は考えるばかりでアウトプットが足りなかった。何でも一人で考えていた過去と違い、今は彼がいるのだから、ちゃんと思考を言葉にしなければ。
「パーティーが終わって、結婚の話が消えて落ち着いたら、折を見て南方のノトスに引っ越そうと思っているの」
「ノトス……畑ばかりの、何もない田舎だと記憶していますが」
「そうよ。そこならお父様の目が届かないし、首都からのアクセスが悪いから情報もなかなか入って来ないわ。私を知っている人がいない。静かに暮らせる」
「退屈じゃないですか?」
「小さい家を買って、そこで研究をしながら、家庭菜園なんかをやって暮らすの。きっと楽しいわ」
ソキウスが斜め上へ視線を動かし、「確かに、あなたに合っていそうです」と微笑む。ノトスで暮らす私を想像したのだろう。
「それから、戦争が終わって周辺諸国との国交が正常化したら、ガルモーニャに移住するわ。そこで魔法工学関係の職を探して、自分で稼いで生きていくの」
「いいですね」
「あなたはそれでいい?」
尋ねると、ソキウスが「僕?」と首を傾げた。
「今のは、あなたの話では?」
「そうよ。それで、私の予定ではあなたが一緒にいる」
ソキウスがハッと目を見張る。
「あなたは家事が上手だけれど、家庭菜園はどうかしらね。そつなくこなすあなたと、上手くいかなくて右往左往するあなた。どっちも想像できるわ」
どちらでも、私はそれを愛おしく思うだろう。
「ガルモーニャに行ったら、あなたも仕事ができるわ。能力主義の国だから、必要な能力を持っていれば、誰でもどんな仕事にも就くことができる。あなたには何が合うかしらね」
彼は要領がいいから、きっと、たくさんの可能性が広がっている。
「……って、思うのだけど、あなたはどう?」
尋ねると、ソキウスがふわっと微笑んだ。私の肩にコテっと頭を乗せて、上目遣いにこちらを見る。
「とてもいいと思います」
ピーグリーンの瞳は今の季節の草木のよう。芽生え。誕生。始まり。
「これ以上ないほど、素敵です」
私は罪を背負っている。安易な創造。考えなしの命名。
ゆえに私には義務がある。責任がある。この手で生み出した彼を幸せにしなくてはならない。
これが罰だと言うのなら、神は愚かだと言わざるを得ない。罪人である私を喜ばせようとしているのだから。




