第12話 神に引き裂かれた半身を探して
新しいベッドはソキウスと並んで寝ても十分な余裕のあるサイズで、彼の部屋の斜め向かいにある南向きの部屋に置いた。彼の寝室でも私の寝室でもない、二人の寝室。
そうして迎えた最初の夜。ソキウスはベッドの端で、私に背を向けて丸まった。
「どうしてそんなところにいるの?」
「なんだか、こう……僕にも、よくわかりません」
「?」
「今夜はどうしてか、あなたの顔が見れなくて……」
私たちは揃って疑問符を浮かべ、その日はいつの間にか眠っていた。
それから日を重ねるごとにソキウスの丸まりレベルが下がり、こちらを向き、距離が近づいて、
「ソキウス、寝返りを打ちたいから少し腕を緩めてちょうだい」
今、仰向けに横たわる私の頭の下には彼の左腕があり、右腕が肩を抱いていて、体の右側面に彼の体がピッタリとくっついている。
「僕の方を向きますか?」
「……ええ」
答えると、肩を抱く手が少し緩んだ。私は右に寝返りを打ち、彼と向かい合う形になる。
ここ数日、夜はずっとこの調子だ。当初私に背中を向けていたソキウスはしかし、私が彼に背を向けることを酷く嫌う。
私と彼の顔の距離は、拳ひとつ分あるかないか。経験がないため確かなことは不明だが、おそらく、この距離まで他人と接近したら羞恥心や何かを覚えるものだと思う。
しかし、私の心臓は平時のまま。理由として考えられるのは、私の感覚が一般的なそれと異なること。あるいは、私が彼を『モノ』と捉えていること。
体感としては、どちらも違う。
「明日は何をしますか?」
「仕立て屋に行くわ。あなたのパーティー用の服を用意しなきゃ」
「あなたが見繕ってください」
「? 服に関する知識はあるわよね?」
「ええ。僕が『僕』を自覚した瞬間から、良い生地の条件も色の合わせ方も知っています。でも、あなたの好みで選んだものを着たいです」
「私、おしゃれのセンスはあまりないわよ」
「僕はおしゃれになりたいのではなく、あなたが好むものになりたい」
ソキウスは相変わらず、こんな歯の浮くようなセリフをサラッと言う。私にくっつきたがるのも相変わらずで、私の頭を撫でたり、指先で髪を梳いたり、頬を擦り寄せたりする。
一方で、『時々腹を触らせて欲しい』と言った彼はしかし、私の腹に触れずにいる。それに関する言及もなし。
(停止コードを使った日、私が怒ったからかしら)
考えていたら、ふと、自分が謎をひとつ放置していることに気がついた。
私は偽物の夫を作った。社会が要請する『女が共にいるべき相手』。それは周囲に見せるためのもの。ゆえに私は、彼に性交関係の情報を記述していない。
頭と腹では、同じ『撫でる』でも意味が異なる。彼はその判別ができないはず。
「ねえ、ソキウス」
骨ばった指先が私の目元にかかる前髪を避け、ソキウスが「はい」と言う。
「私が停止コードを使った夜のことなのだけど——」
私が話し出すや否や、彼はハッとした様子で「ごめんなさい!」と声を上げた。
「やはり新しい停止コードをつけますか?」
「いいえ。コードは要らないわ」
「今、離れた方がいいですか?」
「そういう話をしたいわけではないわ。少し気になることがあって、確認をしたいの」
「?」
「どうしてあの時、私の下腹部を触ったの?」
下腹部に触れる指先に、私は性的な意図を認識した。しかし、冷静に考えてみるとおかしい。ソキウスは、自分が触れた腹の中にあるものを知らないのだから。
「……わかりません」
ソキウスが私の肩から右手を離し、自分の服の胸元を握り締める。
「論拠はないんですが……何か、大切なものがそこにあると思ったんです。フレッドはそれに触れていない。だから僕だけのものにしてしまいたい、と」
「どんなものがあると思ったの?」
「……言語化が、難しいです。温かくて、柔らかくて、触れたら安心する……僕はそれを知らないけど、ずっと前から探していたような……」
モゴモゴと口を動かして言葉を選ぶ彼に、私は考える。
遠い昔の哲学者の論によれば、人間は元々、二人が背中合わせに繋がった二体一身の姿をしていたという。
神がそれを二つに引き裂いたため、人間は半身を欠いた状態で生まれるようになった。ゆえに、人間は根源的に他者を求める。臍は、失った半身の痕跡。
(ソキウスの動機がそこにあるなら、彼は、『女』としての私ではなく、自分の半身に触れようとしていたことになる)
ソキウスの骨格は鍛冶屋で作ってもらった。外装のポリマーは実験室で合成した。彼は胎から生まれていない。私とは異なる起源をもつ存在。
しかし、どうだろう。神話に近い哲学者の論が言及する『誕生』は、胎から生まれることを必須とするのだろうか。
(私は彼に好かれるようなことをしていないから、彼が愛を口にするたびに、どうして、と思っていたけど……)
『存在』が自己の知覚や肉体の誕生より前に始まっていると仮定するなら、二人が惹かれ合う理由に、ロマンス小説のような劇的な出来事は必要ない。
私たちは、生まれながらに半身を欠いている。——そう考えれば、およそ全ての説明がつく。彼が愛を主張する理由も、私が彼を捨てられない理由も。
「今もそれが欲しい?」
尋ねると、ソキウスは少し目を伏せて、「……欲しいです」と申し訳なさそうに囁いた。
「でも、多分それは、僕が力任せに手に入れたら、冷たく悲しいものになってしまう」
それからチラリとこちらを見て、
「だから、あなたがくれるのを待ちます。もらえないとしても、ずっと」
私が彼の流体記録素子に記述した情報は、社会一般的な『男性』を実行するための最低限。妻をもつ男性の『普通』を演じるために必要なもの。
そこには家事のやり方も、妻を一人の人間として尊ぶ価値観も、女性への献身の発想もない。
しかし彼は今日も私の食事を作り、私の嫌がることはしたくないと言い、私の意思を尋ねる。誰に教わったわけでもなく。
「私も……一通りのことは昔、諸々のマナーを叩き込まれた時に教わったのだけど、詳しいやり方は知らないのよ」
私はゴロッと仰向けになる。ソキウスが「『やり方』?」と首を傾げた。
「僕の欲しいものは、『行動』なんですか?」
「多分ね」
「? 僕の感覚としては、もっとこう……何かを手に入れる感じです。自分の中に何かが満ちるような」
「満ちる……どちらかと言うと、それは私の側の感覚だと思うけど」
「?? よく、わかりません。あなたが知っている『やり方』を教えてください」
「それはちょっと……今は無理だわ。恥ずかしいから」
「僕は、恥ずかしいことを、したい……?」
終始疑問符を飛ばす様子を見るに、やはり彼は、知らないはずのことを知ったわけではないらしい。それは外部入力ではなく、彼自身の内側から生まれた。
しかし——
「あら? でも、やっぱりおかしいわ」
「? 何がです?」
「流石に、『ピロートーク』なんて言葉が突然生まれるわけないもの」
「あの、リアナ、何の話ですか?」
「ソキウス、あなたどうして『ピロートーク』を知っているの?」
私の問いに、ソキウスは疑問符を浮かべながら答える。
「あなたが一人で書斎に籠っている間なんかに、窓を開けて外の声を聞いているんです。その時に聞こえてきました」
「どうしてそんなことを?」
「この家にある本はほとんど読んでしまったので、他に何か役立つ知識が得られたらと」
「……それで得た知識が、『ピロートーク』?」
「はい」ソキウスは小さく頷いて、「でも、不思議です」考え顔で続ける。
「ベッドの上で触れ合った後の会話を『ピロートーク』と言うなら、ソファーに座って触れ合った後の会話を『ソファートーク』と言いそうですが。なぜピローしかないんでしょうね」
その問いに私は、彼が初めて『ピロートーク』の語を使った時を思い出す。
『これはピロートークというものです』
私は、彼がその語の正確な意味を知らないものと思い、
『確かにここには枕があって、あなたは私と話そうとしているけれど、その言葉はそういう意味じゃないわ』
言うと、彼は『はい。わかっています』と答えた。ゆえに私は、その後の会話を性的な意味を含むものと解釈していたが、
(あの時ソキウスがわかっていると言ったのは、枕がある場所で触れ合った後の会話だ、ということ……?)
加えて、その『触れ合う』は、性的な意味を含んでいない。
(本当に純粋に、『話す』か『触れる』をしたかっただけということ……)
気づいたらなんだか恥ずかしくなってきた。ソキウスは単純に私と親しくしたかっただけなのに、私ばかり性的なことを考えて、勝手に彼を警戒していた。
それから、
「やっぱり私、女性としての魅力がないのね」
思わず独りごちると、ソキウスが「えっ!?」と目を見張る。
「リアナ……あなたはさっきから、何を言っているんです?」
「あなたは私と話したかっただけということでしょう?」
「ちょっ、と、待ってください。もう少し思考を言語化してください」
「私はあなたの設計に性欲を入れていない。そのことを前提に考えるべきだったわ」
「だから一体何を考えて!?」
ソキウスが私の肩をガシッと掴んで、「あなたは魅力的ですよ!」と叫んだ。
「僕が日頃どれだけ我慢していると思っているんですか!」
「? 書斎にいる時も話しかけてくれて大丈夫よ。本当に無理な時はちゃんと言うわ」
「そうではなく、あなたを、その……女性として見た時の……せ、性的な意味での話です!」
「あなたそれ、多分言葉の使い方を間違っているわ」
「合っています!」
私が疑問符を浮かべると、ソキウスがグッと口を引き結んだ。肩からゆっくりと手を離し、親指の腹でそっと私の唇をなぞる。
「確かにあなたは、僕に性欲を記述しなかった。でも僕は、人間が有性生殖をすることを知っています。男女の差異も、あなたが女性で、自分が男性であることも」
それから「はぁ」とため息をつき、手を離し、ゴロッと仰向けになって脱力する。
「でも、人間の生殖における具体的手順は知りません。あなたはその情報を僕のコアに入れなかったし、この家のどこにも、それを記述した本はありませんでしたから」
「『どこにも』って……探したの?」
「ええ」
「どうして?」
「なんとなく、それが愛を伝える方法の一つだと思ったから」
ピーグリーンの瞳が、横目にこちらを見つめる。
「僕はあなたに触れたい。頭や肩だけでなく、胸も腹も、あますことなく全て。同じように、あなたにも僕に触れてほしい。あなたに噛まれたいし、あなたを噛みたい」
腹の上で両手を組んでいるのは、それを実行しないための枷代わりだったりするのだろうか。
「これは、持ち得る知識と思考から生まれた性欲だと思うんです。僕はあなたに、性的な意味でも惹かれている……違いますか?」
人間は、多くのことを他者から教わる。食べられるものとそうでないもの違い、腐った食べものの見分け方、山でクマと出会ったら逃げなければならないこと、嵐の海に入ったら死んでしまうこと。
それら知識を最初に語った人間は、天啓を受けたわけではない。
ソキウスは性愛を教わっていない。言葉だけを知っていて、自らの内から湧き上がるものを丁寧に分類して当てはめた。分類は、全ての基準を私に置いて。
彼の言う『性欲』は、確かにその語で表されるものだが、私が今まで知って嫌悪したものとは完全に異なる。
(縁談で出産の話をされた時はすごく気持ち悪くて嫌だったのに……どうしてかしら。今は嫌ではないわ)
むしろ——
「触っていいわよ」
私はソキウスの手に自分のそれを乗せた。骨ばった指がピクッと動き、彼は組んだ手を解くと、私の手をそっと掴む。
「……今は、やめておきます」
自分の胸に押し当てて、そっと目を閉じる。
「僕はあなたに触れると嬉しくなります。だから、あなたが嬉しいと思う触り方をしたい。……でも、今触れたら、あなたを怒らせる触り方になってしまう気がします」
彼は人造人間。『人間』を語る上の論拠たり得る、人間である自己を持たない。
しかし、彼はその辺の人間より、よほど『人間』を知っているように思う。




