<こぼれ話>クラウスのひとりごと②◆◇◆マフラー◆◇◆
無事、王都での演習を終え、家路についた。
玄関を開けると、甘い匂いがした。俺の帰宅に合わせ、コレットが菓子を焼いてくれたのか。
「ただいま」
家の奥に、声をかける。すると、ぱたぱたと小走りに出てきたコレットが、開口一番こう言った。
「クラウス様! マフラー、置いていかれたでしょう!」
「……うっ」
「もうっ
持っていくのを忘れていかれたようだって、分隊の方がわざわざ届けてくださったんですよ! 演習の後は城には寄らないだろうからお持ちしましたって」
腰に手を当ててぷんぷんと怒る姿は、メリルを彷彿とさせて、あまり嬉しくない。そんな余計なことをしたのは誰だと思いつつ、俺はコレットの菓子にありつくために、いかにこの場を乗り切るかと思考をめぐらせた。
演習に出かける前、王都はティル・ナ・ノーグよりも寒いから、とコレットがマフラーなるものを編んでくれた。繊細な毛糸でていねいに編まれたそれは、薄い水色で、軽くて暖かかった。
「へぇ、それ、コレットさんの手作りですか?」
師団長室で演習の荷造りをしていると、最も知られたくない相手に見つかってしまった。
「……エメリッヒ。何の用だ」
「何の用だじゃないですよ。演習参加者の名簿を持ってこいって言ったのは師団長でしょう」
戸口に立つエメリッヒは、書類の束をこれ見よがしに叩いて見せる。
「そうだったな。すまん。そこに置いておいてくれ」
今回の演習には、各分隊から一~二名ずつ代表者が参加することになっていた。十八分隊からは、エメリッヒとエメリッヒの補佐官となったバーナードが参加する。
「まぁ、そう邪険にしないでくださいよ。報告しておきたい件も少々ありますから。
あ、手伝いましょうか?」
エメリッヒが、わざとらしくマフラーに手を伸ばそうとする。俺がそれをひったくると、腹を抱えて笑った。
「くっ、くくく。触られるのすら嫌なら、演習になんて持っていくのはやめたほうがいいですよ。王都の訓練は厳しいって聞きますし、途中で失くしでもしたら困るでしょう?」
それもそうか。
さすがに失くしはしないと思うが、汚れたら嫌だ。かといって持っていかないというのも、せっかく作ってくれたコレットに申し訳ない。
「いいじゃないですか。王都とはいっても、そこまで寒くはないと思います。持って行ったけれど使わなかったと言って、ここに置いていけばいいんです」
エメリッヒが、机の上を顎で示す。俺はどうしようかと一瞬迷ったが、エメリッヒの言う通り、置いていくことにした。
「それにしても、相変わらず仲のよろしいことで。あぁ、そう目くじら立てないでくださいよ。うらやましがってるだけですから。
コレットさんへのお土産はどうするんですか? 王都ならなんでもありますからね」
土産、か。そうだ。しばらく留守にするのだから、何か買っていくのがいい。しかし、女性への贈り物などしたことがないので、何がいいのかさっぱりわからない。
俺が腕を組んで考え込むと、エメリッヒがすらすらといくつかの土産物を挙げた。
「エッカルトのダイヤとかオグルブーシュの織物とか、いろいろありますよ。
あぁ、リュシオルヴィル産の真珠なんてどうですか。あそこの湖で採れる真珠は、稀に暗闇で発光するものがあるとか。確か、王都にも卸しているはずです」
さすがは天馬騎士団一の情報通というべきか。
エメリッヒの助言を受けて、コレットへの土産は決まった。演習の合間に買い物にも付き合ってもらい、喜ぶ顔を思い浮かべながら、帰宅の途に着いた――のだが。
「聞けば、演習中、雪の降る日もあったとか。確かにお荷物に入れたはずなのに、どうして置いていかれたんですか?」
雪というか、風花の舞った日があった。あれは大層美しかったのだが、その話をしている場合ではなさそうだ。
「もしかして、ご迷惑でしたか?」
怒っていたのが一転して、悲しそうな表情になる。この顔には弱い。ならば、怒っていたほうがまだいいのだが、どうしたらいいのだろう。
「その、城までは持って行ったんだ。しかしエメリッヒが」
「エメリッヒさん?」
コレットが小首を傾げる。
「あまり寒くないだろうと言うから」
「でも、雪が降ったんですよね? 風花ですか? それでも、それなりに寒くないと見られないものですよね?」
「……」
王都北部の山岳地帯から、風に乗って花びらのように舞い落ちてくる雪は、寒くなくては途中で解けて消えてしまう。そうして舞う雪のことを風花と言うのだと俺は今回初めて知ったのだが、四季のあるヴィルヘルミーナを故郷とするコレットは、既知のことだったようだ。
「し、支給品の外套があったんだ」
「へぇ……」
コレットのまとう気配が、王都の北風よりも冷たくなる。これはだめだと思った俺は、“降参”と両手を挙げて、正直に理由を話した。
「そんな……汚れたって失くしたって、また作ります。クラウス様がお風邪を召されるほうが、よほど大変です」
「すまない」
ここはもう、正直に謝るしかない。他の奴に触らせるのが嫌だったということだけは黙っておいて、俺はひたすら謝った。
「そんなに謝らなくてもいいんですけど、心配していたことだけはわかっていただけると嬉しいです」
「あぁ。十分にわかった。今後は気を付ける」
「はい」
うなずいたコレットが、ふわりと微笑む。そして、俺の背中に手を回すと、身を寄せて小さな声でつぶやいた。
「おかえりなさいませ。クラウス様がいらっしゃらなくて、寂しかったです」
それは、俺も同じ思いだった。俺は、コレットを抱きしめ返すと、柔らかな髪に口づけを落とした。
コレットが用意してくれていたのは、黄金林檎のパイだった。焼きたての生地はさくさくで、ほどよい酸味の黄金林檎の蜜煮に、シナモンが利いていた。花茶の香りが居間に広がり、疲れた心身が癒されて行く。
「これは、君に」
一通り演習の話を終え、詫びの品のようになってしまった土産を取り出す。
「まぁ」
小さな皮の袋から転がり出たのは、リュシオルヴィル産の一粒真珠のネックレスだ。淡紅色の真珠は淡い光を放ち、金の細いチェーンの先端で輝いている。はじめは、指輪にしようかと思ったのだが、菓子を作るときに邪魔になってはいけないと、ネックレスにした。
「きれい……。
つけていただけますか?」
コレットに手渡され、後ろに回って留め金をはめる。華奢なネックレスは、コレットの細い首によく似合った。
「いかがですか?」
「とてもいい」
俺がうなずくと、コレットは頬を染めて嬉しそうに微笑んだ。
「ありがとうございます」
コレットは、一度真珠に触れてから、首の後ろに手を回した。どうやら袋にしまうつもりのようだ。
「はずすのか?」
「だって、失くしたら大変……あっ」
コレットは、何かに気付いたように声をあげ、ネックレスを手の平に乗せてうつむいた。
「えっと、その」
「失くしたら、また代わりのものを贈ろう。
気にせずに、ずっとしていてくれると嬉しい」
「……」
土産を装飾品にしたのは、いつも身に付けていられて、誰の目にも留まるからだった。エメリッヒには、『独占欲丸出しですよ』などとからかわれた。
「……クラウス様。あの、お帰りになったとき、いきなり怒ってすみませんでした」
「かまわない」
俺は、落ち込んだ様子のコレットの頭を、ぽんと撫でる。そしてはずされたネックレスを留め直し、後ろから抱きしめた。
「これ、大切にします」
微笑んで見上げてくる彼女に口づける。
コレットの胸元で、俺が贈ったネックレスがきらりと光った。
「マフラーじゃなくて、ハンカチになったんですね」
その日、演習の報告書を持ってきたエメリッヒが、机上に置いておいたハンカチを目ざとく見つけた。角には、俺の名前が刺繍してある。
「ティル・ナ・ノーグではマフラーは必要ないからな」
「ははっ、ここに置いていったの、ばれちゃったんですって? ちゃんとしまっていかないからですよ」
「うるさい」
「気付いたのは留守番をしていたローシャらしいですけどね。男が触らなくてよかったですね」
余計なことをしたのは彼女だったのか。
先日はコレットの機嫌をとるのに忙しく、誰が届けたのかまでは聞かなかった。
「帰って喧嘩になっちゃいました?」
「土産のおかげで、回避できた」
「くくっ、そうですか。それはよかった」
エメリッヒは、可笑しそうに笑う。こいつにまた借りができてしまったと思うと、俺は眉間にしわが寄るのを止められなかった。いや、元はといえば、こいつのせいじゃないのか?
「何を言うんですか。提案はしましたけどね、置いていくことにしたのは師団長でしょう。他人のせいにしないでください」
エメリッヒは、ハンカチを持ち上げると、応接用に置いてあるソファにどかりと座る。エメリッヒは、他の者がいれば俺を師団長として立てるが、二人でいると分隊の頃のように気安い態度になる。
「器用なもんですねぇ。
淡水真珠は“清らかな愛”って意味があるらしいですよ。コレットさんにぴったりですね。それに比べて、まぁ、あなたのほうは焼きもち妬きで。あ、これは触るなって言わないんですか?」
「おまえ、用がないなら帰れ」
「ありますって。そこに署名ください。ほら、演習の報告書のあとに、十八分隊の上期の収支報告書があるでしょう」
「ずいぶん早いな。
……最後のこれはなんだ。布代?」
「これと同じハンカチを、俺らの分も作ってくれるんですって。名前全部は大変だから、頭文字でいいって言ったんですけど、コレットさんのことだから、ちゃんとフルネームで作ってくれそうですよね」
「なぜコレットがおまえたちに作るんだ?」
「俺が、演習土産に王都で流行りの焼き菓子の型をあげたから、そのお礼だそうです。届けに行ったときに丁度これを作っていて、俺の分もって言ったら分隊のみんなの分も作ってくれるって。
金銭の負担をかけてはいけないと思い、分隊の予算にしました」
「あのな……」
エメリッヒは、ひらひらとハンカチを振る。俺はどこから指摘をしたらいいのか悩み、頭を抱えた。
「みんなの士気向上のための装備品ですよ。配偶者や恋人がいる奴ばかりじゃないですからね。土産は店に渡しに行ったんですよ。師団長の留守におうちにお邪魔したわけじゃありませんから、安心してください」
「おまえなら、勝手に上がって茶を飲んでても驚かん」
「そうですか? じゃぁ、今度はそうします」
「やめろ」
「やっぱりだめなんじゃないですか。でも、ハンカチ代は経費でいいですよね。硬いことは言いっこなしです。武具の手入れ用に布買うじゃないですか。あれと同じですよ。ほら、署名して。はい、どうも」
何かうまく言いくるめられたような気がするが、すでに署名はしてしまった。後で同額の消耗品でも入れておくことにしようと、エメリッヒが出て行った扉に溜息をついた。
コレットが刺繍をしてくれたハンカチは、きちんとたたまれて、ソファの肘掛けの上に置いてある。何も、十八分隊全員分など作ってやらなくてもいいのに、と思って、これも悋気かと再び溜息をついた。
所有の証などより、エメリッヒのように菓子にまつわるものを贈ったほうが、彼女は喜んだかもしれない。
「そつのない奴め……」
元々性に合わない事務仕事に飽いた俺は、立ち上がって伸びをする。関節がごきごきと音を立て、運動不足を嘆いた。
窓の外を見れば、すでに日は傾き、夕陽が街を照らしている。
今日はもう帰ろう。
俺は鍵のかかる引き出しにハンカチをしまうと、師団長室をあとにした。
家に帰ると、コレットがせっせと刺繍をしていた。
「あと何枚あるんだ?」
「エメリッヒさんので最後です」
「早いな」
「苗字は頭文字だけにさせていただいているので。お名前は全部入れています」
「あいつのはなくてもいいくらいだ」
「? もう途中までできていますから。週末にお店に取りに来ていただく予定なんです」
「俺が届ける」
「でもお忙しいのでは」
「たまには分隊にも顔を出さないとな」
それは言い訳で、下手にエメリッヒに会わせると、あいつが勝手に何をしゃべるかわからないからだ。
「そうですか。わかりました。よろしくお願いします」
俺の心中など知らぬコレットは、にこりと微笑む。
……心というのは難しいものだな。
きれいにリボンがかけられたハンカチの束を手に、俺はひっそりと溜息をついた。
挿し絵はししゃも様にいただきました^^
これですべて終わりです。
ご愛読ありがとうございました!
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