33.ニーヴに捧げる永遠(とわ)の唄5
宿舎の一室で、蝋燭の明かりがちろちろと揺れている。
机に向かうクラウスの横で、エメリッヒはお茶をすすっていた。
「下町のお菓子大会に飛び入り参加するとは、さすがノイシュ様ですね」
「……あぁ」
「俺らが見回り当番の日じゃなくて、よかったですよね。
今日は十四分隊の日でしたっけ。あそこの分隊長、今頃絶対団長にこってりしぼられてますよ」
「……あぁ」
「まぁ、あなたには関係ないですよね。なんたって師団長ですから」
「……あぁ。……あ? 何を言っている。まだ引き受けたわけではない」
「あれ、聞いてました? ははっ、まだってことは、あの話、受けるんですね」
エメリッヒに問われたクラウスは、眉根を寄せて、報告書を書こうと手にしていたペンを置いた。
「……迷っている」
「なんで迷うんですか。師団長になれば給料も増えるし、一軒家がもらえるし、分隊長に指示出していばってれば肉体労働はないし、楽じゃないですか」
「おまえな……。師団長をなんだと思っている」
「中間管理職的な分隊長に比べれば、相当楽な役職じゃないかと」
「阿呆」
ティル・ナ・ノーグ公爵家お抱えの騎士団である、ティル・ナ・ノーグ天馬騎士団は、アーガトラム王国内最大級の規模を誇る常備軍である。兵の数は二千人ほどで、十の師団とその下にある二十の分隊から成っている。騎士団といっても、アーガトラム王国は周辺の国々との折り合いもよく、長い間他国との戦争は起きていないため、騎士たちの役割はもっぱら街の治安を守ることと、貴族の警護である。
現在騎士団長を務めているのは、”銀狼の騎士”と呼ばれる、ジークヴァルト・アンスヘルム子爵で、副団長は”破壊の女騎士”ペルセフォネ・ガーラントである。
クラウスが所属する第六師団の師団長はそれなりに高齢であり、そろそろ引退がささやかれていた。しかし、まさか後任に自分が推されるとは思ってもみなかった。
「訓練に参加できないのが嫌なんですか?
それとも偉くなると必然的に増える会議が面倒?
なんて、やっぱりコレットさんの店に自由に行けなくなるのが嫌なんでしょう」
「そういうわけでは」
「ないとでも? 本当ですか?
だって師団長になったら、ほとんど一日城の中ですよ。今まで毎日とはいかないまでも、週に何度かコレットさんの店に立ち寄ってたのに、行けなくなるんですもんね。
コレットさん、寂しがるでしょうねぇ。あ、夜行けばいいのか。
でも夜も結構会議とか夜会とかあるんですよねぇ」
「夜会か。そういえばそんなものもあったな」
「くっくっ。分隊長、ダンスできるんですか。貴族連中との顔つなぎに、踊らなきゃいけないって聞いてますよ。
お茶、おかわりいります? はい、どうぞ」
勝手知ったるクラウスの部屋で、エメリッヒは二人分のおかわりを淹れる。そのお茶を一口飲んだクラウスが渋い顔をしたのは、お茶が濃すぎたせいではないだろう。
「ダンスの練習相手くらいなら、いつでもつきあいますがね。いっそのこと、結婚しちゃえばいんじゃないですか。そうしたら毎日会えますよ」
「!」
エメリッヒの言葉に、ごほっとクラウスがむせた。
「……ぐっ、何を言い出す……」
「だって、もう一年ですよ。いい頃合いじゃないですか」
「ごほごほっ
彼女の、気持ちもあるだろう」
「大丈夫ですよ。なんなら、お膳立てしましょうか」
「余計なお世話だ。やめろ」
なんとか落ち着きを取り戻したクラウスは、それだけははっきり言った。自分とコレットのことを、外野におもしろおかしく遊ばれたのではかなわない。
「そうですか。残念です。ところで、報告書、全然進んでませんよ。
ほんと、事務仕事苦手ですよねぇ。師団長は向いてないかもしれませんね」
「……」
書けないのはおまえが邪魔するからだろう、と言いたいのを、クラウスはぐっと我慢する。安易にエメリッヒに言い返すと、何倍にもなって返ってくるからだ。
「俺、書きましょうか?」
「いい。あとで書くから、おまえはとっとと自分の部屋へ帰れ」
「はいはい、わかりました。明日の午後提出ですから、それまでにお願いします。それから、結婚の申し込みをする気になったら、教えてくださいね。分隊員たちが邪魔しないように、よぉく見張っておきますからっ……と!」
宙を舞った教本を、エメリッヒは扉を閉めることで避ける。
クラウスは思わず投げてしまった教本を拾い、エメリッヒが戻ってこられないように鍵をかけると、ため息をついて机に向かった。
「師団長、か」
引き出しの中から、先日届いた書類を取り出す。最下部には団長であるジークヴァルトの署名が入っており、意向伺いという形をとってはいても、ほぼ団長命令に近いものだった。それを断るというならば、相応の理由がなければならない。
クラウスは、書類を手にして一人ため息をつく。
何を評価されての師団長昇格かわからないが、クラウス自身は、あまり出世をするつもりはなかった。農家の次男坊として生まれた彼は、自分の体格を生かせて、食うに困らないだけの給料をもらい、人の役に立てる仕事ができればそれでよかった。
そして、エメリッヒに言われた事柄。
『いっそのこと、結婚しちゃえばいんじゃないですか。そうしたら毎日会えますよ』
「……っ」
ばんっと書類を机に置き、右手で口元を押さえる。
コレットに会いにくくなることは、確かにひっかかっていた。それを、一足飛びに”結婚”などと……!
空いた左手で、書類をぐしゃりと丸めそうになる。クラウスは、いけない、これは大事なものだったとなんとか思いとどまり、机から離れて寝台に体を投げ出した。
天井を見つめ、呼吸を整える。
明日が提出期限の報告書は、なかなか仕上がりそうになかった。
”林檎を使った菓子大会”が終わって数日後、商店街は、多くの人でにぎわっていた。
コレットの店も例外ではなく、夕方にはほとんどの品物が売り切れていた。
そろそろ店じまいの看板を出した方がいいだろうか。
コレットがそう考えてカウンターから一歩出たとき、ドアベルが軽やかに鳴った。
「いらっしゃいませ。すみません、もう品物があまりないのですが……」
「ん、いいよ。僕、買いに来たんじゃないから」
「え?」
やってきたのは、青みがかった金髪の、細身の若い男性だった。体にぴったりと沿った動きやすそうな服や、手足を保護する装備品から、傭兵か冒険者のように見える。しかし、くるくるとよく動く茶色い瞳には愛嬌があり、人なつっこい笑顔を浮かべて飾り棚の上に肘をつく姿からは、怖い印象は受けなかった。
「ね、ここって誕生日のケーキとか作ってくれるんでしょ?」
「はい。承っております」
「すごくおっきいケーキも作れる?」
「と、いいますと」
「今度、友だちの結婚式があるんだよ。
ウェディングケーキを注文したいんだ」
「まぁ、おめでとうございます! はい、喜んで作らせていただきます」
「よかった!」
男はにかっと笑うと、ポケットに手を入れて一枚の紙を取り出した。
「えーっとね、ごめん、僕もおつかいだからよくわかってないんだけどさ、こういう風にしてほしいんだ。
ケーキを大きい順に五つ重ねて、塔みたいにするんだ。周りはクリームとか花とかで飾って、華やかな感じに。
あと、一番上には新郎と新婦の人形。これ、食べられるもので作れる?」
男が手にした紙には、段になったケーキの絵と、細かなメモが書かれていた。
「人形ですか。お砂糖で作れると思います。服装や髪・目の色はどうしますか?」
「格好は、新郎は騎士の正装で金髪碧眼、新婦はドレスでベールをかぶせてって書いてある。
予算はこれくらいで、来月の七日の朝、サン・クール寺院に届けてほしいんだって」
「わかりました。お客様のお名前とご連絡先を教えていただけますか?」
「ニコラス・セルベセリア。
港の海竜亭の三軒隣に、同じ名前の料理屋があるんだ。何かのときにはそこに連絡をくれる?」
「わかりました。よいお式のお手伝いができますように、心を込めて作らせていただきます」
ニコラスの連絡先を控えたコレットは、メモを預かってていねいに頭を下げる。そして閉店の看板を出すと、さっそくノートを持ってきてウェディングケーキのデザインにとりかかった。
「どんなケーキがいいかしら。うわぁ、楽しみっ」
ウェディングケーキは、両親が故郷で営む菓子店で作っているのを見たことはあったが、自分で手がけるのは初めてだった。
凝った形に絞ったクリームや、砂糖菓子の花やリボン。人々の祝福の中心に立つ新郎新婦に華をそえるウェディングケーキは、いつかは作ってみたいものだった。
ニコラスを使いとして寄越した注文主はかなり裕福なようで、予算はたっぷりある。これなら、かなり豪華なケーキが作れそうだ。
コレットは、夢中になってペンを走らせる。
その日、”コレットの菓子工房”の明かりは、夜遅くまで消えることはなかった。
翌朝、厨房の机につっぷして眠ってしまっていたコレットは、目覚めた瞬間、昨夜行き詰まっていた事柄を思い出した。
「やっぱり、実際に作ってみないとわからないわ……」
机の上には、ウェディングケーキのデザイン画が何枚も広がっている。
全体像はもちろん細かな装飾まで考えたのはいいが、それが本当にできるのだろうかと考えて止まってしまった。
一つ一つのケーキはいい。ただ、もしそれを五つ重ねたときに、一番下がつぶれるということはないのだろうかとか、どの程度の大きさの飾りが一番映えるのかとか、持ち運びはできるか、できないとしたら、サン・クール寺院についてから、手早く仕上げるようにするにはどうしたらいいのかなど、思い悩んでいるうちに眠ってしまった。
これらはすべて、実際に作ってみれば解決するのだが、問題がある。
(いくらなんでも、食べきれないよね……)
試作は絶対に必要だ。けれど、できあがったものを誰にも食べてもらえずに処分するのは悲しい。かといって、物はウェディングケーキである。おいそれと他人に配るわけにはいかない。
さらにもう一つ困ったことがあった。
騎士団の正装がわからないのだ。
(クラウス様に頼んでみようかしら。でもこんなこと頼むなんて)
顔を洗って、今日の分の下ごしらえをしながら考える。
最近、クラウスはずいぶん忙しそうにしている。見回りの途中にちらりと顔を出すことはあるけれど、そのときも何か考えごとをしている。
頼みごとをするのは悪いと思う反面、それを口実に会えたらいいなと思うコレットである。
(だめで元々で、手紙を書いてみよう。クラウス様のご負担にならないように、軽い調子で)
そうだ、そうしようと決めたコレットは、一旦生地を寝かせるところまで作業を進め、浮き足立つ心を押さえながら、便せんを取りに二階に駆け上がった。




