32.ニーヴに捧げる永遠(とわ)の唄4
カララン
軽快な音をたてて、ドアベルが鳴る。
「いらっしゃいませ!」
コレットが元気に挨拶をすると、入ってきた長身の男性は、軽くうなずき返して飾り棚をのぞき込んだ。
「決まりましたらお声がけください」
あまり話しかけられたくない人なのかな、と思ったコレットは、そう言って一歩下がる。
コレットの店は、クラウスはじめ、十八分隊の面々が出入りしているおかげか、男性客も結構増えた。たいていは恋人や奥さんのために買っていくが、中には自分のために買っていく男性もいる。『甘いものが好きなんだけど、菓子店には入りにくくて……』という客が、コレットの店になら入れると言ってくれるのは、とても嬉しい。
少しでも抵抗なく、快適に菓子選びができるように、コレットは客がどんな対応を望んでいるのか、考えるようにしている。
(んん、でもこの方、ちょっと他の人と雰囲気が違う……)
包装用のリボンを整理しながら、コレットは飾り棚をじっくりと眺めている客の様子をうかがう。
初めて見るその客は、つばの広い帽子を目深にかぶり、薄手の外套をはおっている。質のよさそうな木蘭色の外套には細かな刺繍がなされており、袖からのぞく指は、男性にしては細くしなやかだった。左手の親指には、赤い貴石のついた指輪もしている。
(貴族……かしら)
ティル・ナ・ノーグでは、さほど身分による差はないが、領主や貴族は街の北東に、一般住民は南東にと居住区が分かれているため、生活圏が重なることはない。事実、ティル・ナ・ノーグに来て二年になるコレットは、これまで貴族と呼ばれる人々と接したことはなかった。
先日ブランネージュ城の茶会で菓子作りをした時も、通用口から入って厨房に行き、サリに教えてもらった裏道を通って隊舎へ行ったため、領主や客人たちの姿を見ることはなかった。
菓子を選び終えたようで、男性客が顔を上げる。瞳の色は帽子の影でよくわからないが、コレットが微笑みかけると、男性も口元を笑みの形にした。
「これとこれ。あとこちらも一つ」
客が、花蜥蜴のゼリーとニーヴを讃える花、そしてシンプルなチーズケーキを指さした。
「ありがとうございます。こちらの花蜥蜴のゼリーは、先日お城に納入させていただいたものと同じ品になっています。ニーヴを讃える花は昨年の林檎を使ったお菓子大会に出品させていただいたもの。チーズケーキは軽い食感と酸味が特徴の山羊のチーズと、濃厚なクアルンチーズを混ぜてありますので、深みのある味わいとすっきりとした後味に仕上がっているかと思います」
品物を箱に詰めながら、コレットはそれぞれの菓子の説明をする。この菓子を客が食べるとき、一緒に食べる人との会話に、少しでも華を添えてくれたらいいなと思いながら。
「お気をつけてお持ちください。ありがとうございました」
おじぎをし、帰る客を見送る。
その客以降、やはり貴族ではと思われる客やその使いが菓子を買いにきた。どうやら先日の茶会の影響らしい。
「え? どうしようって? そんなの、いつもどおりのコレットちゃんでいいのさ!
貴族ったって同じ人間さね」
夜、明後日に控えた『林檎を使った菓子大会』の伝達に来たメリルが、戸惑うコレットにそう言った。
「でも、私、作法とかわからないし、もし失礼な態度をとってしまったら……」
「だぁいじょうぶだよ! ティル・ナ・ノーグの貴族はそんなかしこまった人たちじゃないし、いつも真摯にお菓子やお客さんに向き合ってるコレットちゃんが、失礼なことなんかするかね」
「そうかしら」
メリルは、温暖な気候と肥沃な土地のおかげで衣食住に困らないこと、交易による収入があるので領主や貴族たちも特に住民に負担をかけようとは思っていないことなどをコレットに話した。
「ティル・ナ・ノーグ公爵家は、アーガトラム王家の血を継いでるってことで、王家の後ろ盾もあるしね。貴族も領主様の血縁者で、みんな仲良しだって話だよ」
「へぇ」
すると、昼間の客も血筋をたどれば、一国の王様に行き着くのか。どおりで気品を感じたはずだと、コレットは納得した。
「コレットちゃんのお菓子は、そういう人たちの舌も満足させたってことさね。胸張っていいんだよ」
「そう……ですね。ありがとうございます」
いつも見守り、励ましてくれる隣人に、コレットは深く感謝する。メリルは腰に手を当ててうんうんとうなずくと、コレットの耳元に顔を寄せてこそっとささやいた。
「ところで、クラウス様とはどうなってるんだい?」
「え?」
「もうつきあいだして一年だろ? そろそろ次の話があってもいいんじゃないかい」
「つ、次って」
「次は次だよ。平たく言えば、けっ」
「ななな、ないですないですないですないです!」
結婚、と言おうとしたメリルに、コレットが慌てて言葉を重ねる。
「なんだい、真っ赤になっちゃって。そんなに恥ずかしがることでもないだろ?
あぁ、またどうせクラウス様がもたもたしてるんだろ。アタシが一丁重い腰をひっぱたいてやろうかね」
「い、いいですから……。私は今のままで十分幸せなんです」
コレットは、もうやめてくださいと前掛けを持ち上げて赤い頬を隠す。
「そんなこと言ったってさぁ。クラウス様ってば、ここのところ男性客がとみに増えたのを知らないのかねぇ。
その半数はコレットちゃん目当てだよね。うかうかしてたら、もっといい男が現れちまうかもしれないのに、悠長なもんだよ」
「……メリルさん?」
コレットが、話が変わったと思ってほっとしたのもつかの間、メリルは意外なことを言い出した。
「気がついてないのかい? コレットちゃんのこといいって言ってる男連中は多いんだよ。
中には結構本気なのもいてね。決まった人がいるからって釘刺しておいたけど」
メリルの言葉に、コレットは顔を曇らせる。多くの人に喜んでもらえる菓子をと思って努力してきたけれど、菓子の味が認められたのではなかったのだろうか。
「真面目だねぇ。モテるって言われたら、うれしくないかい?
アタシがあと二十若ければ、喜んでおこぼれにあずかるのにね。ま、そういうところも、コレットちゃんのいいところさね。
あぁ、もちろん、みんなコレットちゃんの作るお菓子も大好きさ。そんな顔をしないでおくれ。遅くに悪かったね。明後日、頼んだよ」
メリルは、余計なことを言ってしまったと謝りながら帰って行った。コレットはメリルに出した茶器を片づけながら、ため息をつく。隣人に悪気がないことはわかっていても、最近客層が広がったと喜んでいただけに、落差が大きい。
(クラウス様に、会いたいな)
会って、たわいもない話がしたい。菓子について語り、手を伸ばせばすぐに届くくらいの距離で、深い碧の瞳を見つめたい。
(でも、サリさんが言っていた通り、お忙しそうなのよね……)
実は、城の茶会の後に会って以来、会っていなかった。分隊員たちも忙しそうで、時々店に寄ってはくれるものの、顔を出すだけでゆっくりはしていかない。
(これじゃ、約束した差し入れもいつ持って行っていいかわからないし……。ううん、差し入れなんて口実で……)
ただ、会いたいだけなのだけれど、それがままならない。
コレットは、片づけを終えて自室に上がると、窓辺に頬杖をついて、星空を見上げた。
『林檎を使った菓子大会』当日、ティル・ナ・ノーグの街は、いつも通り快晴だった。
「いよいよ最終審査だ! 予選を勝ち抜いた五組の菓子を、みんなの目の前で審査員に食べてもらうからな!」
広場に集まった街の人たちの前で声を張り上げているのは、商店街の実行委員の若者だ。
「ちなみに、最終審査の審査員は、実行委員長フリッツ、前大会優勝者コレット=ラヴィネルさん、そしてもう一人はなんと! この大会に投票してくれた人の中から選出するぜ!」
観衆が、わぁっと盛り上がる。コレットは、審査員席に座って誰が選ばばれるのだろうと先行きを見守った。
はじめのうちこそよくわかっていなかったコレットだが、今日までにきちんとルールはメリルに確認してある。去年に比べ、今年の大会では参加希望が殺到した。林檎や関連商品の売り上げ増を狙って、店を持つ者だけでなく、一般からも参加を募ったからである。店舗を持たない一般参加者の作った菓子は、菓子大会の実行本部で販売をした。そして街の人々に投票をしてもらい、その上位が予選通過。さらに、大会終了後菓子を販売する条件が整っているかなどの確認をして、今日の最終審査となった。
進行役の若者が、投票用紙の入った大きな箱を持ってくる。人々が見守る中、若者の手が箱に入れられ、一枚の紙を引いた。
「えーっと、これは……。ノイ! 藤の湯のパティが作った『黄金林檎のシラハナパルフェ』に投票したノイだ! ノイ! いるかー?」
人々がざわざわと周りを見渡す。投票した本人がこの場にいるとは限らないので、進行役の若者は様子を見て次の紙を引くことになっていた。
「おーい、ノイー!」
若者が何度か呼びかけるが、応えはない。”ノイ”はここにはいないのではないか。誰もがそう思って、次の紙へと期待を寄せたとき、コレットから見て左端の人垣が割れた。
「やぁ、あんたがノイか? 来てくれてうれしいよ!
残念ながら、君が選んだシラハナパルフェは予選落ちだったけど、その分公正な審査ができるよな。審査員をやってくれるか?」
「帽子はこのままでも?」
「できればとってほしいけどなぁ。大きな傷でもあるのかい?」
進行役の若者と話す男を見たコレットは、あっと息を飲む。
人々の間から進み出てきたのは、先日コレットの店を訪れた、貴族らしき男性だった。男性は、今日もつばの広い帽子を目深にかぶり、薄手の外套をはおっていた。
「どうした、知り合いかい?」
隣に座ったフリッツが、コレットの様子に気づいて声をかける。フリッツ――メリルの夫である――は、去年も今年も、実行委員長として審査員席に座っていた。
「いえ、知り合いというほどでは……」
彼が貴族であろうことを、フリッツに話すべきかとコレットは迷う。”林檎を使った菓子大会”は一般市民で作り上げた大会だ。そこに貴族が混ざってもいいのだろうか。
コレットが迷っている間にも、ノイという男性と進行役の若者のやりとりは進む。
「……傷。まぁ、そんなところだ。だめなら辞退するから、遠慮なく言ってくれてかまわない」
「おおっと、そんなこというなよ。ははっ、実は相当な美男子だったりしてな。大会が終わったら、俺にだけこっそり素顔を見せてくれよ!
よぉし、これで審査員がそろった!
最終審査の始まりだ!」
どぉんと銅鑼が鳴らされ、拍手が起こる。審査員に選ばれた男は、ゆったりとした足取りで審査員席に近づき、コレットの右隣に腰掛けた。
「こんにちは。よろしくお願いします」
「よろしく」
ノイが、コレットにだけ見えるように、帽子のつばを少し上げる。気品のある顔立ちに傷などなく、頬は陽を浴びたことのないような白さで、この間見えなかった瞳は赤錆色をしていた。落ち着いた物腰から、かなり年上なのかと思ったが、ノイはコレットよりいくらか上なだけのように見えた。
「私がわかるかい?」
「はい。あの、先日お店に来てくださった方ですよね。
ありがとうございました」
「……ふ。そうだね」
ノイは、なぜか意味ありげに笑う。コレットは、店以外で会ったことがあるのだろうかと首を傾げた。
「お二人さん、お待たせ。さぁ、一品目だ」
ノイとコレットが話していると、進行役の若者と一緒に立ち働いていたフリッツが、審査用の菓子を運んできた。
「一品目は、カターニャの『黄金林檎のトルティーヤ包み』だ。カターニャは、商店街にある老舗薬剤店で働く娘さんさ。香草師としての腕は超一流。この菓子も香草をふんだんに使ってあるんだ」
フリッツが、コレットたちに菓子の説明をする。観客たちにも、進行役の若者から一品目の説明がなされた。
「よし、じゃぁ食べてみよう」
フリッツに言われ、コレットは皿に向き合う。
一品目は、真っ白な丸い皿の上に林檎の花とアップルミントの葉が散らされ、その中央に、生地の四隅を真ん中で合わせてねじり上げたトルティーヤが置かれていた。
トルティーヤは、小麦粉と塩を練って焼いた素朴なパンである。カターニャは、そこに一工夫して香草練り込んで焼いてあった。
「いい香り!」
皿を持ち上げて香りを嗅いだコレットは、アップルミントの甘く爽やかな香りと、トルティーヤの香ばしい香りに笑顔になる。
「開けてみな。もっといい香りがする」
「はい」
すでに食べ始めているフリッツが、先を促す。コレットはナイフとフォークを手に取ると、トルティーヤの真ん中に切れ目を入れた。
「わぁっ」
切ったところから、閉じこめられていた香草の香りが広がり、黄金林檎の金色のソースがあふれでた。
香草で煮詰めた黄金林檎をトルティーヤで包み、さらに焼き上げたカターニャの菓子は、一口食べれば、じゅわっと口の中に林檎の果汁が広がり、何種類もの香草の香りが鼻から抜けて、なんともいえない幸福感に満たされた。
「んんっ、美味しいっ」
「一品目からこれは……」
隣で食べていたノイがうなる。ノイは両頬に手を当てて悶えるコレットとは対照的に、背筋を伸ばして、つい見惚れてしまうほどの優雅な所作でナイフとフォークを操っていた。
「二品目もうまいぞ。黄金林檎のクランブルだ」
コレットたちが食べ終えるのを待って、次の菓子が運ばれてくる。二品目は、耐熱容器に煮詰めた林檎を入れ、クッキーに似た生地で蓋をして焼き上げたものだった。
「さくさくの生地も中の林檎も美味しいんですけど……」
「一品目に比べると印象が薄いね」
ノイがコレットの言葉の後を継ぐ。コレットは同じ意見だったことにほっとして、ノイに微笑んだ。
三品目は氷菓でとても美味しかった。けれど、フリッツが味は抜群だが、販売数の確保が難しいんだと言っていた。
そして、四品目に出てきたのは、海竜亭のユッカの『林檎タルト』だった。
「あ、これ美味しかったんですよね」
「キッシュのようだね。林檎酒が合いそうだ」
「ふふっ。友人は麦酒が欲しくなると言っていました」
「友人?」
「えぇ。アンブローシアさんって女性騎士なんですけど、この間このお菓子を一緒に食べたんです」
「あの子を友人と呼べるとは、君もなかなかだね」
「ローシャさんをご存じなんですか?」
コレットの問いに、組んだ両手の上に顎をのせて、にこりと微笑んだ。親指には、やはり赤い貴石の指輪をしていた。
「ノイ様はあの……貴族様ですよね? このような大会にご参加されて、よろしいのですか?」
「私だってティル・ナ・ノーグの住人だよ? 参加して悪いわけはあるまい」
ノイは、コレットをじっと見つめる。微笑みを浮かべつつも、なんでも見透かしてしまいそうな視線に、コレットはどきりと心臓を震わせた。
「す、すみません。そうですよね。失礼なことを言って申し訳ありませんでした」
「くすくす。噂通りかわいらしい人だね。
そんなにあらたまらないでくれたまえ。普通にしていてくれればいいんだ」
「は、はい」
噂とはなんだろうと思いながら、コレットは林檎のタルトをきれいに食べ終える。
「もう一品あるけど、食べられる?」
「はい」
女性の身でこれまでの四品をすべて食べきっているコレットに、ノイは少し心配そうに問いかける。いくら菓子とはいえ、それなりの量がある。審査のためなら、一口ずつの味見でもいいはずだ。
「みなさん、心を込めて作ってらっしゃるものですから、残すのは気が引けます」
「そうだけど、おなかがいっぱいじゃ、公正な審査はできないよ?」
「大丈夫です。甘いものは別腹ですっ」
コレットは、握り拳を作って言い切る。ノイは、そんなコレットを見て「ぷっ」と吹き出した。
「甘いものしか食べてないのに、別腹も何も……。
くすくす。あと一品、がんばってね」
「はい……」
可笑しそうに笑われ、コレットは頬を染めてうつむく。決して大食いのつもりはないが、菓子が別腹なのは本当で、新作の試作をしているときなど、一日中菓子ばかり食べることも珍しくなかった。それを別に変だとは思っていなかったけれど、ノイに笑われたのはちょっと恥ずかしかった。
そうこうしているうちに、最後の品、ティル・ナ・ノーグ一の老舗菓子屋”アフェール”の看板娘、クレイアの林檎パイが並べられた。
昨年の”林檎を使ったお菓子大会”では、クレイアの父親が審査員をしていたので、出品できなかった。今年は満を持しての参加となる。
「これは……!」
「ふむ」
皿の上には、飴細工で作られた優美な尾を噛む竜の姿と、王冠に見立てた林檎の花、生地が赤・青・白に着色された一口大の正方形のパイが三つ並んでいた。
「ティル・ナ・ノーグ公爵家の紋章だね」
「クレイアったら……」
無限を表す尾を噛む竜、ティル・ナ・ノーグ公爵家がアーガトラム王家の血脈を受け継ぐことを表す王冠、交易で栄えるティル・ナ・ノーグそのものを表す青、ティル・ナ・ノーグ公爵家のシンボルカラーである赤、妖精の森にある泉に現れるとされる天馬の白。さらに、皿には林檎のソースで”Enernai spring of hope”という公爵家の信念が書かれている。
クレイアの作品は、街のいたるところに見られるティル・ナ・ノーグ公爵家の紋章を、菓子で表現した一皿だった。
「一つ一つの完成度が高いし、味もいい。老舗菓子屋の後継者らしい作品だね」
「すごく真面目で一生懸命な子なんです。この間までは普通のパイだったはずなのに……すごい……」
青は海草から抽出した色で、赤は人参、白は小麦粉の精製の方法を変え、卵も色味の薄いものを使うことで普通のパイよりも白い生地作りに成功したと進行役の若者が告げた。
「飴細工なんて、いつのまにできるようになったのかしら。今度私も教えてもらおう」
黄金に輝くウロボロスを、コレットがフォークの先でつつく。向こうが透けるほどに薄く伸ばされたウロボロスのヒレが、ぱりんと音を立てて割れた。
「コレットちゃん、ノイさん。審査にうつろうか。この中で優勝はどれだと思う?」
「うーん」
フリッツに言われ、コレットは頭を悩ませる。どの菓子も工夫が凝らされて美味しかった。この中で一つを選べというのは、かなり難しい。
「私は、これだね」
ノイが、審査用紙の一覧にある、カターニャの『黄金林檎のトルティーヤ包み』を指さす。
「なるほどね。俺ぁ、こっちがうまかったな」
フリッツは、ユッカの『林檎タルト』を指さした。
「え、あの、クレイアのは」
「クレイアのもうまかったよ。けど、ちっと今回は肩に力が入りすぎちまったんじゃないかな」
「そうだね。しかし『林檎タルト』は菓子というより副菜じゃないかい」
「あぁ、そっか。”林檎を使った菓子大会”だもんなぁ。じゃ、カターニャのか?」
コレットは、心情的にはクレイアを応援したかった。けれど、味も見た目も食べたときの驚きも、フリッツやノイが言うようにカターニャの『黄金林檎のトルティーヤ包み』のほうが上だった。
「じゃ、決まりだな」
フリッツが、三人分の審査用紙を持って進行役の若者のところに行く。
「審査って……難しいですね」
「あぁ。一番大事なものを得るためには、何かを切り捨てなければならないこともあるからね」
「……ノイさん?」
一瞬、ノイの瞳に厳しさがかいま見えた気がして、コレットは赤錆色の瞳をのぞき込んだ。ノイは、そんなコレットに気づくと、ふっと表情を和らげて微笑んだ。
「君は友だち思いだね。クレイアという子の菓子に対する一途な気持ちも、作品から伝わってきた。私に考えがあるから、少し待っていてくれるかい?」
「? ……はい」
広場には、進行役の若者にうながされ、菓子を作った本人が登場した。人々からわぁっと歓声があがる。広場に並んだ参加者は、ある者は手を振り、ある者は恥ずかしそうに下を向いていた。
コレットが、緊張した面もちのクレイアに手を振る。クレイアはコレットに気付くと心持ち微笑んで、小さく手を振り返してくれた。
「総評! 実行委員長フリッツ!」
若者に呼ばれたフリッツが、広場の真ん中に立って、一つ一つの菓子について感想を述べていく。コレットも、去年はあの場に立って審査結果を聞いていた。
(すごく緊張して、胸がどきどきしたわ……。きっとクレイアも今そんな気持ち……。ごめんね、クレイア)
結果を知っている身としては、もう何もしてあげられないのがつらい。コレットは、両手を胸の前で組むと、懺悔をするように自分の拳に額を押し当てた。
「――ということで、今年の優勝は……カターニャの『黄金林檎のトルティーヤ包み』!」
おおおおお! と観衆から声があがる。続いて盛大な拍手がわき起こり、名前を呼ばれたカターニャは喜びの涙を浮かべた。
「カターニャには賞金の金貨十枚が贈られるぜ! カターニャの菓子は、ユッカの申し出で海竜亭で食べられることになった。食いたい奴は、交易所そばの海竜亭に行くように。
で、えーっと、クレイアの菓子について……ノイ?」
進行役の若者が、審査用紙をめくって不審そうな声をあげる。
コレットもなんだろうと思って隣のノイに目をやると、ノイは帽子の下でにこっと笑って、すっと立ち上がった。
人々の視線が、ノイに集まる。
「今日は美味しい菓子をありがとう。思いもかけず、このような大会に参加させてもらったこと、うれしく思う。
すばらしい菓子の数々の礼に、私から特別賞を贈らせてくれたまえ」
ノイが帽子に手をかける。つばを持って、さっと帽子をとったとたん、人々から怒号のような歓声があがった。
「きゃあああああっ」
「ノイシュ様!」
「ノイシュ様だ!」
「ノイシュ様、万歳!」
「ティル・ナ・ノーグ公爵家万歳!」
「……え?」
人々の歓声を受け、コレットが呆気にとられた顔で隣に立つ男を見上げる。
「君の友人に審査員特別賞を贈らせてもらうよ。あと、今度の茶会には、クレイア嬢の菓子を頼もう」
白い頬に、ゆるやかに波打つ黒髪がかかる。赤錆色に見えた瞳は、指輪の貴石と同じ深紅で、王族の血縁しか持ち得ない色だった。
「私の絵姿を見たことはなかった?」
「あ、え、あの」
領主の絵姿は、ティル・ナ・ノーグの街の土産物屋などで大量に売っている。けれどこの街に来て菓子のことばかりに夢中になっていたコレットは、一般市民の自分にとって雲の上の存在である領主の顔など、知らなかったのである。
「す、すみませんでした……!」
本当なら、コレットにだけ顔を見せてくれたときに気づくべきだったのだ。『私がわかるかい』ときいたノイシュの真意は、『領主がわかるかい』だったのだ。
(私ったら、私ったら、なんて失礼な態度を……!)
知らなかったとはいえ、領主様に対して、気軽にいろいろと話しかけてしまった。これは怒られるに違いない。下手したらあとで騎士に詰問されたり、捕らえられたりするのかもしれない。
「くっくっ。君が今何を考えているのか、手に取るようにわかるよ。そんなことはしないから、楽にしてくれたまえ。普通にしてくれればいいって言っただろう?
サリを知っているよね。彼女がいつも君の菓子を持ってきてくれていたから、一度は自分で買いに行ってみたかったんだ。その帰りに、この大会を知って投票した。それがこんなことになるとは思っていなかったけどね」
昔からシラハナスィーツが好きなこと、コレットの菓子もよく食べていることなどを話し、ノイシュはコレットの頭をぽんぽんと撫でた。
「クラウス=アルムスターにもよろしく伝えてくれたまえ。分隊の細やかな活躍のおかげで、街の人々の表情はとても明るい。人々が安心して暮らせる街が何よりなのだから」
ノイシュに言われ、コレットは「はい」と返事をするのが精一杯だった。菓子大会の実行本部も、突然の領主の登場に慌てふためいていた。
「ええええええっと、ノイ、じゃねぇや、ノイシュ様!
こここ、このたびは我々の菓子大会にご参加くださり、ありがとうございました」
「くすくす。楽しかったよ。
商店街を盛り上げてくれてありがとう。君たちのような者がいるから、常春の国ティル・ナ・ノーグも、永遠の楽園でいられ――」
ノイシュがフリッツに続けて言おうとしたとき、人垣の外から馬の蹄の音が聞こえた。
「ノイシュ様! ここに在らせられますか!」
「……しまった。騎士団長に見つかった」
馬に乗った人物が、人混みをかきわけて広場の中央に踊り出る。青みがかった銀の髪を逆立てた男は、怒りの形相でノイシュに食ってかかった。
「あなたは! 城を勝手に抜け出して、何をやってるんですか!」
「何って、審査員だよ」
「しん……!」
ノイシュに言われ、男は我に返ったように周りを見回した。
菓子大会に集まった人々からは、「ジーク様だ」「ティル・ナ・ノーグ天馬騎士団長のジークヴァルト様だよ」「いい男だねぇ」などの声が聞こえる。
領主登場に沸き立った群衆は、そのまま事の成り行きをおもしろそうに見守り始めた。
「私たちがこのままここにいると、大会運営の邪魔をしてしまうな。ジーク、馬に乗せてくれ。城に帰ろう」
「っっっ
あなたがふらふら出歩かなければ、こんなことにはならなかったんです!」
「わかったよ。小言はあとで聞くから、とにかく乗せてくれ」
ノイシュは、ジークに前を空けるように言い、騎士団長の馬にひらりと飛び乗った。巨大な軍馬は、大の男二人を乗せても、びくともしなかった。
「フリッツ。特別賞の詳細は、あとで書面で送らせる。カターニャ嬢、優勝おめでとう。クレイア嬢、すばらしい作品だった」
ノイシュは、ジークが渋い顔で馬を進める中、関係者に声をかけ、集まった人々ににこやかに手を振った。コレットにも通り過ぎるときに視線を送り、にこりと微笑んだ。
「ノイシュ様ー!」
「ノイシュ様、万歳!」
「わああああ」
人々も、手を振って領主を見送る。こうして今年の”林檎を使った菓子大会”は、ある意味大成功を納めて終わった。




