34.ニーヴに捧げる永遠(とわ)の唄6
「クラウス! 久しぶりだな!」
締め切りを過ぎた報告書をエメリッヒに持たせるのは悪いと思い、クラウスが自ら報告書の提出に城に向かっていると、一人の男に声をかけられた。
第一師団長、デイヴィッド・タールトン。
クラウスと同期で、昨年師団長となった。非常に面倒見がよく人当たりのいい彼は、騎士団の者だけでなく市民からも人気がある。生来の口下手と強面、類まれなる長身のせいで、立っているだけで人々に怖がられてきたクラウスとは正反対の男である。
「スレイヴさんのあと、君だって? おめでとう」
デイヴィッドが、拳でクラウスの胸をとん、と叩く。
「知っているのか」
「君を最初に推したのは私だからね」
にこっと爽やかに笑ったデイヴィッドは、第六師団長のスレイヴが引退表明をしたときのことを語る。
「後任を誰にするかって話になったんだ。スレイヴさんは団長に一任するって言ったんだけど、第六師団に君がいることを思い出してね。推薦した」
「……余計なことを」
「ん? どうしてだい? 私は君とまた一緒に仕事ができるのを、うれしく思っているよ」
苦い顔をするクラウスに、デイヴィッドは言葉通りうれしそうに微笑む。
「俺は、師団長などできる器ではない」
「何を言ってるんだ。あの厄介な見習い騎士マリーニや、どの分隊も投げ出したアンブローシアを使えるようにしたのは君だろ。絶対続かないと思っていた二人が、君のところでは生き生きと訓練に励んでいると聞いて、みんな驚いていたんだ」
「……」
デイヴィッドの言葉に、クラウスは溜息をつく。
今回、なぜ自分の名前があがったのか不思議だったのだが、そうか、デイヴィッドとあの二人のせいだったのかと得心がいった。
「そんなに気負うことはないさ、クラウス。君は相変わらず真面目だな。
今回の昇進だって遅いくらいだと、私は思うよ。君はもっと評価されていいんだ」
肩をすくめて言うデイヴィッドに、悪気はまったくない。昇格を嫌がる者がいるなど、考えもしないのだろう。けれどクラウスは、自分は現場で走り回っている方が性に合っている気がしていた。
今回の昇格は断ってもいいものなのだろうか。
自分を推してくれた知己には悪いが、そう相談しようと思ったとき、別の声が割り込んだ。
「ほっほ。わたしも、あなたが適任だと思いますよ」
「シドさん。そうですよね!」
デイヴィッドの視線を追ってクラウスが振り向くと、そこには第八師団長シド・アーウィングがいた。
シドは天馬騎士団の中でもっとも年長であり、騎士団の生き字引のような存在である。領主たるノイシュも団長のジークもシドには一歩下がって接しており、誰からも一目おかれていた。
「シド師団長。ご無沙汰しております」
「うむ。息災でなによりです」
騎士の礼をとるクラウスに、シドは頬の皺を深くして微笑む。
シドの、腰に手を当て背中を少し丸めて立つ姿は、騎士よりも農家の老人といった雰囲気だ。クラウスは入団した当初から、その風貌で良くも悪くも目立っていたが、シドはよく目をかけ声をかけてくれた。
クラウスは、初めシドのことを城仕えの庭師かと思っていた。師団長と知ったときは少なからず驚いた。それまでの非礼を詫びるクラウスに、シドは気にするなと笑った。
「その様子だと、断ろうとしていますね。いけません。
遠慮深いのも騎士の美徳の一つですが、己の力を正しく判断することはもっと大切です。あなたは騎士団にとって必要な人材ですよ。これも天命と思ってやってごらんなさい」
柔和な笑みを浮かべたシドが、クラウスを見上げて言う。だてに長生きしていない第八師団長は、クラウスの顔を見てすぐに迷いを読み取ったようだった。
「それとも何か。引き受けられない理由でもあるのか」
デイヴィッドが、クラウスの肩に手を置き、顔を覗き込む。
「……」
「なんだい、言ってみろよ。私にできることなら、協力は惜しまないぞ?」
「他に何人か候補はありましたが、師団長の総意であなたに決まったのですよ。できれば引き受けてほしいですがね」
デイヴィッドとシドにはさまれ、クラウスは言い淀む。報告書を提出しに来ただけが、とんだことになってしまった。こんなことならエメリッヒに頼むのだったと後悔していると、さらに別の声が割って入った。
「貴殿の“理由”に、少々心当たりがある」
城に向かう通路で立ち話をしていたクラウスたちに話しかけてきたのは、中性的な顔立ちに似合わぬ板金鎧に身を包んだ、第四師団長テオドール・シャルデニーだった。
「シャルデニー師団長まで……。今日は何かあるのか?」
「知らないで来たのか? ノイシュ様から臨時招集がかかったんだ。君もてっきり呼ばれたんだと思っていたよ」
クラウスの疑問に、デイヴィッドが答える。
「して、テオドール。“理由”とは何ですか」
「はい。以前、サン・クール寺院にて立てこもり事件が発生したおりに出会った女性に、起因するものかと思われます」
「何?」
「女性?」
シドとデイヴィッドが同時にクラウスの顔を見る。
クラウスは「しまった」と思い、目元を手で覆って天を仰いだ。
「第六師団十八分隊の担当地区にある、菓子店の店主です。美味しいと評判の店で、先日城で開かれた茶会にも菓子を提供していました」
「その女性が、なぜクラウスが昇進を渋る理由になるんだ?」
デイヴィッドが尋くと、テオドールは生真面目な顔をして口を開いた。
「私が見た限り、その菓子店の店主とアルムスター分隊長は、大変親しい間柄に見えた。
十八分隊にはエメリッヒという優秀な補佐官がいるから、分隊のことが心配とは思えぬ。だとしたら他のことが理由かと思った次第だ」
「クラウスに……親しい女性……」
「ほっほっほ。それはそれは、意外でしたのぅ」
デイヴィッドは呆気にとられ、シドは可笑しそうに笑う。クラウスは、もうやめてくれとテオドールに目線を送ったが、デイヴィッドの方を見て話しているテオドールには通じなかった。
「それで、その女性はどんな方なんだい?」
「赤毛の、たいへんかわいらしい印象の女性だな。確か名前は……」
「シャルデニー師団長!」
たまらずクラウスが声を上げる。周知の事実となっている分隊内ならともかく、こんな道端でコレットのことが同期と大先輩に知れることになるとは、思ってもみなかった。
「なんだよ、いいじゃないか。
水臭いなぁ、クラウス。君にそんな女性がいるなんて、全然知らなかったよ。
他人に言われるのが嫌なら、今度飲みに行こう。詳しく訊かせてくれ」
「それはわたしも誘ってほしいですね」
「……勘弁してください」
逃げ場のなくなったクラウスは、どうやってこの場を切り抜けたらいいのかと汗をかく。こんなとき、エメリッヒがいたらうまくかわしてくれるのに。いや、一緒になってからかうかもしれない。
「耳が赤いですな。いい人がいたようで、よかったです。
それなら、より師団長になることを勧めますよ」
「そうだよ。いやぁ、なんてめでたいんだ!」
「アルムスター分隊長。私は何かまずいことを言ったか」
動揺するクラウスとは反対に、デイヴィッドとシドは楽しそうだ。テオドールは気遣う様子を見せたが、クラウス自身、特に口止めはしていなかったので仕方ない。
「クラウスにもとうとうなぁ。今までそういう話、聞かなかったもんなぁ」
「菓子店ですか。今度行ってみましょうかね」
「よかったら、ご案内いたします」
「おお、そうですか。楽しみですね」
「何歳くらいの人なんだ? え? そんなに下? おいおい、クラウス~」
「……」
耐えきれなくなったクラウスは、耳を塞いで壁を向く。“剛腕の騎士”と呼ばれたクラウスのその様子が、なおさらデイヴィッドたちの心をくすぐったようで、コレットに関する話題は尽きず、テオドールもまたいちいち丁寧に答えていた。
「デイヴ、おまえ、あとで覚えてろよ……」
盛り上がる師団長たちを前に、クラウスはひたすら壁を見つめる。
そろそろ会議が始まる時間だと三人が移動するまで、クラウスの苦行は続いた。
閉店後の菓子工房に、暖かな明かりが灯る。
「お忙しいのにお呼びたてしてしまって、すみませんでした」
「いや……」
クラウスが報告書を提出して宿舎に戻ると、コレットからの手紙が届いていた。
昼間の師団長たちとのやりとりでぐったり疲れていたクラウスは、仕事もそこそこにその日のうちに菓子工房を訪れた。コレットは心づくしの手料理でクラウスを迎え、久しぶりに二人でゆっくりと過ごすことができた。
食後には、ソファに横並びに腰かけ、騎士団の正装についてコレットに説明をする。白を基調とした襟の高い隊服には、右肩からは胸にかけては金糸でできた三連の飾り紐をつけることになっており、左肩からは勲章をつけるための青い幅広の帯を掛けることになっていた。
肩章の土台、ボタン、袖の返しの刺繍など、すべてが金地で、公式の式典など特別なときにしか着用しない。他に、深い緋色のマント、頸飾、頸飾の先端につける銀の記章、これまでにクラウスがもらった勲章や星章も持ってきていた。
「こちらは、どんなときにいただいたものなんですか?」
「あぁ、これは……」
コレットが手に取ったのは、青と赤のリボンがついた十字型の勲章だった。
「武功十字章という、陸上の任務で武勲をあげたものに授与されるものだ。他に殊勲十字章といって、海で武勲をあげたものに授与されるものや動物専用のものもある」
「まぁ、動物にまで?」
「主に馬だな」
いかに乗り手が優れた技をもっていても、足となる馬が愚鈍では十分に働くことはできない。そのため、優秀な馬には馬専用の勲章が贈られることになっていると、クラウスは話した。
「これは殊勲勲章といって、任務に成功した指揮官に授与される。
こちらの青い星章は、グラッツィア家が人命救助に貢献した者に与えるものだ」
騎士になって二十年。気付けば、それなりの功績を上げていた。
デイヴィッドが己を師団長に推薦したのは過剰な評価だと思っていたが、客観的に見ればさほど身内びいきというわけでもなかったようだ。
「クラウス様?」
星章を手に自分の思いに沈んでいたクラウスに、コレットが声をかける。
「お疲れのご様子ですね。無理を言って来ていただいて、本当にすみませんでした。
おかげでケーキの上に乗せるお人形が作れます」
「そうか。よかった。
いや、疲れているわけではないのだ。ただ、ここのところ」
気苦労が、と言いかけて、クラウスははたと口をつぐむ。
コレットには、まだ師団長になるかもしれない、という話はしていなかった。確定した事柄ではないし、断る気でいたからだ。さらに気苦労の直近の原因となったことに言及されれば、結婚話までいってしまう。
「?」
コレットが、クラウスを見つめて小首をかしげる。つぶらな濃褐色の瞳に見つめられたクラウスは、急に緊張して目をそらした。
「どうなさったんですか?」
コレットが、クラウスの腕にそっと手を置く。思わずびくっと反応してしまったクラウスは、取り繕うように腕を組んだ。
「……お茶のおかわり淹れますね。お気持ちが少しでも安らぐように、ラベンダーのお茶はいかがですか」
コレットは、にっこり微笑んで台所に立つ。
薄めに淹れて蜂蜜を落としたラベンダー茶は、すがすがしい香りと優しい舌触りで、クラウスの動揺した心を静めてくれた。
「コレット。その……」
「はい」
コレットは、いつもと変わらぬ笑顔でクラウスの隣に在る。人付き合いをあきらめていた自分が、この笑顔にどれほど救われたことか。
「いや、なんでもない」
現状を、変えたくない。
コレットに関することは、信じられないほど臆病になる自分に辟易しながら、クラウスはコレットが淹れてくれたお茶を飲み干した。




