第2話 燃やせない提灯(後編)
宣伝です 『黄昏薬局』
正直、学園の問題を行動経済学より先に投稿していたのは、とある人物を紹介したいためです。
この学園の問題を解決してみたの物語が進むにつれて、その人物は何者か?という事になるので。
ということで、数話でけっこうですので、黄昏薬局を読んでくださると疑問が少しだけ解決します。
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3.
「……それは」装飾班の班長が口を開いた。
「そんな言い方をしたら、誰も賛成しませんよ。ずるいです」
「ずるくないです。今皆さんが選ぼうとしている『拡張案』の中身を、過去の話を抜いて説明しただけですから。同じ中身なのに、新企画として聞くとありえなくて、続き物として聞くとやめられない。
変だと思いませんか?この差はどこから来てるんでしょう」
明は黒板の前に立ち、チョークを取った。
「有名な話をひとつさせてください。映画館で1,800円払って映画を観始めたとします。30分観たところで、これがどうしようもなくつまらない映画だと確信した。
さて、残り90分、席に座り続けるべきでしょうか。それとも出て、他のことに時間を使うべきでしょうか」
「そりゃ……1,800円払っちゃったんだから、最後まで観ないともったいないでしょ」と委員のひとり。
「そう答える人が大半です。でも、冷静に考えてみてください。その1,800円、席を立ったら返ってきますか?」
「……返ってこないな」
「最後まで座ってたら返ってきますか?」
「来ない…」
「そうなんです。1,800円は、観ても観なくても、もう戻らない。つまりお金の面では席を立っても立たなくても条件はまったく同じなんです。違うのはこれからの90分だけ。
つまらない映画を我慢して観る90分か、席を立って好きに使える90分か。比べるべきはそこだけなのに、人間はどうしても『もう払った1,800円』の方を見てしまう」
明は黒板に線を引き、左右に分けた。
左に「過去:もう戻らないもの」、右に「未来:これから選べるもの」。
「こういう、もう戻ってこない過去の出費や労力のことを、経済学では’’ 埋没費用 ’’ (サンクコスト)と呼びます。沈んでしまった費用、という意味です。
沈没船の財宝と同じで、どんな決断をしても引き揚げられない。だから本来、これからどうするかを決めるときの材料には、一切ならないはずなんです。なのに人間は沈んだものを惜しむあまり、そこにさらに注ぎ足してしまう。『ここでやめたら今までが無駄になる』と言いながら」
明は左側の欄に、委員たちの言葉を書き込んでいった。
先輩たちの十五年、何百時間。去年組んだ骨組みの二日間。発注済みの和紙200枚。三年分の赤字。
「さっき皆さんが挙げた続ける理由、ほとんど全部、こっち側、過去の欄なんですよ。そして過去の欄にあるものは、続けても、やめても、一円も一時間も戻ってきません。
骨組みを解体する時に戻らないんじゃなくて、組んだ瞬間から、もう戻らないんです」
「で、でも」班長が食い下がる。「三年赤字だからこそ、今年成功させれば報われるって話は? あれは未来の話でしょう」
「いい質問です。それ、実は一番怖いパターンでしてね」
明はチョークを置いた。
「昔、イギリスとフランスが共同で、コンコルドという超音速旅客機を開発したんです。開発の途中で、これは完成しても採算が取れないと、はっきり分かった。でも両国は開発をやめられなかった。『ここまで巨額を注ぎ込んだのに、今やめたら全部が無駄になる』そうして注ぎ足しを続けた結果、損失は途方もない額に膨らみました。以来、損を取り返そうとして深みにはまることを、’’コンコルドの誤謬’’と言います。
『今年こそ成功させて今までの分を報われさせる』は、まさにこの形です。過去の赤字を理由に、賭け金を個から五百個に上げてるわけですから。もし今年も夕立が来たら? 破損は例年の1.7倍、来年は『四年分の赤字を取り返すため、600個』ですか?」
準備室は静かだった。反論の声は、もう上がらなかった。
ただ、装飾班の班長だけが、うつむいたまま、ぽつりと言った。
「……理屈は、分かりました。分かりましたけど。それでも、私たちの代でやめたら、先輩たちに顔向けできません。
私、一年の時に先輩たちと徹夜で提灯を直したんです。あの時間まで『沈んだから無意味』って言われたら…、それは悔しいです」
明は、少しだけ黙った。
それから、口調を変えて言った。
「それは、そのとおりだと思います」
班長が顔を上げる。
「サンクコストは、これからの損得の計算に入れてはいけない。それは本当です。でも、それは過去に意味がなかったという話じゃないんです。
先輩たちの600時間には、思い出としての価値も、皆さんが受け継いだ技術としての価値も、ちゃんとある。ただ、その価値を守る方法が『同じ形で続けること』しかない、と思い込む必要はない、という話です」
明はファイルから一枚の紙を出した。昨夜のうちに作っておいた対案の骨子だった。
「生徒会からの提案です。ひとつ。提灯は五百個ではなく五十個。ただし場所を変えて、目玉企画の謎解きラリーの最終ゴール地点に飾ります。
ゴールした参加者が、提灯の回廊をくぐって景品を受け取る。これなら点灯前に客が帰る問題も消えます。ゴールは校舎内の中央ホールなので、雨も風も関係ありません」
「ふたつ。空いた展示スペースで、『万灯回廊・十五年史』の展示をやります。歴代の写真、設計図、先輩たちの寄せ書き。十五年分の記録は、実行委員会の倉庫に全部眠ってるはずです。
伝統を終わらせるんじゃなくて、伝統を一度、正面から展示する。ちゃんと光の当たる場所で」
「発注済みの和紙は五十個分と展示装飾に使えば無駄になりません。骨組みの単管はラリーの受付ゲートに転用できます。予算は……」
明は数字を書いた。
「これで文化祭全体の三割が、八パーセントまで下がります。浮いた分を目玉企画に回せば、申請どおりの規模で謎解きラリーが打てます」
長い沈黙のあと、口を開いたのは三隅先輩だった。
「……それでは、採決を取りたいと思います」
挙手はゆっくりと、しかし確かに増えていった。縮小・転用案、可決。
帰り際、装飾班の班長が明と籠宮を追いかけてきて、ぶっきらぼうに頭を下げた。
「十五年史の展示、装飾班が本気で作りますから。……見に来てください。絶対」
「ええ、一番に行くわ」と籠宮は笑った。
4.
「……で、書記くん。あなた、いつの間に対案の資料なんて作ってたの」
帰り道、籠宮が言った。
「昨日の夜ですよ。予算表を見た時点で、こうなる予感しかしなかったんで。……それより会長、僕は別のことが引っかかってるんです」
「何よ」
「六月の委員会では縮小案が優勢だった。それが先月、突然拡張案にひっくり返った。おかしいでしょう。何があったのか、さっき三隅先輩に聞いたんです」
明は足を止めた。
「OGが来たそうです」
「OG?」
「先月、実行委員会の準備室に、卒業生を名乗る若い女の人がふらっと訪ねてきたらしいんです。万灯回廊の創設メンバーだったと言って。
『私たちが始めた灯を、あなたたちが守ってくれていて嬉しい』『あの提灯には歴代全員の想いが吊るされている』――そういう、ものすごく心を打つ話をしていったそうで。委員の何人かは泣いたらしいですよ。縮小案が吹き飛んだのは、その直後です」
「あら、いい話じゃない」
「いい話なんですけどね。気になって、さっき倉庫で十五年史の資料を漁ってきたんです。創設年度の実行委員の集合写真と名簿、残ってました。該当しそうな人が、いないんですよ」
「卒業して十五年なら、みんな三十代でしょう。若く見える人だったんじゃないの?」
「委員たちの証言だと、どう聞いても二十代前半なんです。しかも名簿の誰の名前も名乗ってない。『名乗るほどの者では』って笑ってたそうです。……それと、これは装飾班の子が言ってたんですけど」
明は、なぜか少し声を落とした。
「その人、変わった柄のストールを巻いてたそうです。組紐みたいな、外国の刺繍模様の」
「ふうん?」
籠宮は首を傾げた。特に思い当たる様子はない。まあ、そうだろう。あの占いの館で、フードの縁の模様まで見ていたのは、たぶん自分だけだ。
’’偶然だ。刺繍のストールなんて、いくらでもある’’
「書記くん、難しい顔してどうしたの」
「……いえ。何でもないです」
「変なの。ま、いいわ。それにしても」
籠宮は、夕暮れの通学路で機嫌よく伸びをした。
「先月は公募騒ぎ、今月は伝統企画。ほんと、最近ネタに困らないわねぇ、うちの学園」
お手数ですが、ポイントを入れてくださると助かります。




