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第9話 誰も言い出していない噂(中編)

3


その日の放課後、黒板の前に立った明は、いつものクイズから始めた。


「恵さん。知らない街でお昼を食べるとします。ラーメン屋が二軒並んでる。一軒はガラガラ、一軒は行列。どっちに並びます?」


「行列の方。だって並んでる方が美味しいに決まってるじゃん」


「決まってます? 恵さんはその店のラーメン、一口も食べてないのに」


「食べてなくても分かるよ。だって、あれだけの人が並んでるんだから、誰かが美味しいって知ってるってことでしょ」


「はい、今の一言覚えておいてください。『誰かが知ってるはず』。今日の事件の犯人は、その一言です」


明は黒板に、人の列の絵を描いた。


「まず言っておくと、恵さんの判断はバカにできないんです。自分に情報がない時、他人の行動を情報として使うのは、一人ひとりで見れば合理的です。


百人が並ぶ店は、たぶん本当に美味しい。みんなの行動には、みんなの知識が詰まってる。「普段」は。ところが、この賢い仕組みには、有名な欠陥があります。列の先頭を見てください」


明は、列の一番前の一人を丸で囲んだ。


「仮に、最初の一人が、何の根拠もなく適当にこっちの店へ並んだとします。二人目が通りかかる。自分はどっちの店がいいか分からない。でも一人が並んでる。『あの人は何か知ってるのかも』。並ぶ。三人目が来る。二人並んでる。『二人も並んでるなら』。並ぶ。四人目、五人目……。


気づきました? 列に詰まってるはずの『みんなの知識』、実は最初の一人の気まぐれ以外、中身が空っぽなんです。全員が『前の誰かが確かめたはず』と思って並んでる。つまり、誰も確かめていない。それでも列は、本物の名店の列と、外からは見分けがつきません。こういう雪崩を、’’ 情報カスケード ’’と言います。カスケードは、滝のことです。最初の一滴が、滝になる」


「うわ……」柏木さんが小さく呻いた。


「内申の噂と、同じだ……」


「そう、同じです。『みんな言ってる』の中身を開けると、全員が『みんな』を指差してるだけで、中心に誰もいない。


ついでに、人間がこの雪崩に弱いことを示す実験も紹介しておきます。何本かの線を見せて『どれが同じ長さか』を答えるだけの、間違えようのない問題。


ところが、周りのサクラが全員わざと同じ間違いを答えると、本物の被験者の四人に三人が、少なくとも一回は、自分の目より周りの答えに合わせました。目の前の線の長さですら、です。まして『来年度の内申制度』なんて、自分の目で確かめようのないことなら、雪崩に流されない方が難しい」


「じゃ、じゃあ、先生たちの否定はなんで逆効果だったの?」と恵。


「二つ理由があります。ひとつ。人間は、聞いたことのある話を『本当っぽい』と感じる癖があるんです。だから『内申廃止はデマです』と全クラスで言って回ると、『内申廃止』という言葉の耳馴染みだけが、また一段増える。否定のつもりで、宣伝してるんです。


ふたつ。噂の側から見ると、公式の否定は『学校が隠したがっている証拠』に化けます。噂は否定されると、死なずに変異するんですよ。現に昨日から『学校は保護者の反発を恐れて公表を遅らせてるらしい』って続編が出回り始めてます」


「じゃあどうすんのよ。否定もできないんじゃ、お手上げじゃない」と籠宮。


「否定はしません。噂が生きていける環境の方を、壊します。昔の学者が、噂の広まりやすさを掛け算で表しました。噂の勢いは、その話の重要さと、曖昧さの掛け算にだいたい比例する。


重要で、かつ真偽の確かめようがない話ほど、燃え広がる。内申は全員に重要です。ここは動かせない。なら、潰すのは曖昧さの方です。掛け算ですから、片方をゼロに近づければ、全体が死にます」


明は、施策を黒板に書いた。


「第一に、言葉じゃなくて、現物を出します。進路指導部にお願いして、調査書・内申書の実物の様式を、今年度のものと、来年度に使う予定のものと、二枚並べて昇降口に掲示する。特別活動の記載欄に赤丸をつけて。



『デマです』という言葉は一切添えません。書式が変わっていないという事実だけを、誰でも自分の目で確かめられる状態にする。曖昧さの息の根を止めるのは、反論じゃなくて一次情報です」


「現物なんて出せるんですか?」と柏木さん。


「様式自体は公開されてる書類なので、出せます。剛田先生経由で進路指導部に話は通しました。


第二に、これが本命ですが、雪崩には雪崩をぶつけます。明日の昼、部長会と委員長会を臨時招集して、その場で全員に現物を回覧して、質問を受けます。ポイントは、各部・各委員会にひとりずつ、『又聞きじゃなくて、自分の目で書式を見てきた人』を作ることです。噂の雪崩は『前の人が確かめたはず』で転がる。


なら逆向きの雪崩は、『実際に確かめた本人』が各集団に一人いれば、そこから転がり始めます。柏木さんも明日、来てください。そして部に帰って、退部を考えてるあの子に、見てきたものをそのまま話してあげてください。生徒会が言うより、部長が自分の目で見た話の方が、百倍強いので」

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