第9話 誰も言い出していない噂(前編)
今回のお話は情報カスケードを題材としています。
SNSとかこういう極端なお話が、SNSのアルゴリズムで引き起こされたりしていますね。
1
三学期の学園は、一年で一番 時間の流れ方がいびつになる。
三年生には受験までの秒読みが、二年生には最上級生への昇格が、一年生にはようやく馴染んだ日常が、それぞれ別の速度で流れていく。そのいびつさの隙間に、それはするりと入り込んできた。
一月半ばの放課後だった。ガスヒーターで温もりの効いた生徒会室で、籠宮 沙知代が湯呑みを片手に決裁書類をめくっていた。
その直後である。生徒会室の戸が、ノックとほぼ同時に開いた。
「し、失礼しますっ」
飛び込んできたのは文芸部部長の柏木さんだった。息が上がっている。三階の部室棟から走ってきたらしい。
「あの、あの……相談が。うちの、この秋に入ってくれた一年の子が、今日 退部したいって」
「ええっ、あの添削ノートの子!?」プリントを綴じていた恵が立ち上がった。
「なんで!? こないだの部誌、あんなに張り切ってたのに」
「それが……本人は文芸部が嫌になったわけじゃないって言うんです。ただ、その……『来年度から、内申書に部活動や委員会のことが書かれなくなるらしいから』って。
『特別活動の評価欄が廃止されるって、みんな言ってます』って。だから塾を増やすんだって……」
「……何ですか、それ」
書類仕事の手を止めて、仰木 明は顔を上げた。初耳だった。制度の話なら生徒会に通知が来ないはずがない。
「わたしも初耳よ」籠宮も眉を寄せる。
「そんな話、職員会議の議事録にも、生徒会への通達にもないわ」
「で、でも、みんな知ってるんです。うちのクラスでも、隣のクラスでも。『部活を頑張っても意味がなくなる』って……」
その「みんな知ってる」の規模が判明したのは、翌日だった。
2
昼休み、剛田先生が生徒会室に乗り込んできたのである。手には書類の束。
「おう、生徒会。ちょうどいい、おまえらも聞け。これ、退部届だ。今週だけで、31枚」
「さんじゅう……!?」
「例年、三学期の退部は学年で数人だ。それが一週間で31枚。運動部も文化部もだ。理由を聞くと、判で押したように同じことを言う。『内申に書かれなくなるなら、続ける意味がない』とな。
……おい仰木、おまえ知恵が回るんだろう。教員側から言っておくが、そんな制度改定は存在せん。教育委員会にも、PTAにもだ。進路指導部が確認済みだ。完全なデマだ」
「……存在しない、ですか」
「存在せん。だから先週、各クラスで担任から『そのような事実はありません』と口頭で否定させた。その結果がこの三十一枚だ。否定した後の方が、増えとる」
明は退部届の束を受け取りながら、頭の中で何かが軋むのを感じた。
存在しない制度の噂が、全校に行き渡っている。学校が否定したら加速した。そして生徒たちは、その見えない制度のために、現実の部活を現実にやめ始めている。
「剛田先生。ひとつだけ、お願いがあります。この退部届、受理を一週間だけ保留にできませんか。規則上、退部は顧問の面談を経てからのはずです。面談の日程が混んでいる、という理由で」
「……おまえ何かやる気だな?」
「やります。ただ、正面から『デマです』と繰り返すのは、たぶん逆効果なので。少し、遠回りをします」
籠宮が、ふうん、と面白そうに頬杖をついた。その右手が、無意識のような自然さで、左の袖口の上から手首のあたりを、そっと押さえた。
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