第7話 初期設定はあなたより強い(後編)
さて、籠宮がブレスレッドに疑念を抱いています。
作中にこのブレスレッドを登場させたのは、行動経済学の根本的な問題をクリアさせるためです。
それがなにかは、最終話あたりにはっきりさせます。
4
偽の掲示は剥がされ、訂正の告知が出た。返却日しおりは文芸部が「四十号の宣伝を裏に刷らせてくれるなら」と印刷を手伝い、昇降口のポストは購買委員会の戸井が廃品のロッカーを改造して拵えた。
三週間後、返却率は85%にまで戻った。湯浅は律儀に礼を言いに来て、「坂の傾きという言い方、図書だよりに使わせてください」と頭を下げていった。
めでたし、めでたし。のはずだった。
その夜、明はひとり、生徒会室で施錠前の点検をしながら、剥がした偽の掲示を封筒にしまった。引き出しの中身が、また一枚増える。舶来手帳、当日対応表、そして今度は、初期設定を裏返した一枚の紙。
紙を光に透かしてみる。何の変哲もない再生紙。組紐の模様も、署名もない。ただ、手口だけが、署名だった。
嘘をつかず、脅さず、選択肢も奪わず、初期設定だけを、そっと裏返す。
「……僕らがやってるのと、逆向きの同じことだ」
誰にともなく呟いて、明は抽斗の鍵を回した。
5
同じ夜。籠宮邸の自室で、籠宮 沙知代は頬杖をついて手帳を眺めていた。
手帳の今学期のページには、彼女にしては珍しく几帳面な印が並んでいた。丸印は、面白い案件が生徒会に舞い込んだ日。バツ印は、ブレスレッドを腕に付けていなかった日。
修理に出していた三日間。バツ、バツ、バツ。案件、ゼロ。
戻ってきた四日目。丸。図書室の一件。
十月、火曜に忘れた日。バツ。何もなし。付け直した水曜。丸。ポスター戦争。
遡れば、遡るほど、印は綺麗に揃っていく。偶然と呼ぶには、あまりに行儀がよかった。書記くんが聞いたら、まだ数が足りない、偶然でもこれくらい揃うことはある、と言うのだろう。彼はそういう慎重さでできている。
でも、彼女は理屈より先に肌で確信するたちだった。このブレスレッドは、何かを呼んでいる。
「……普通は、ここで捨てるのよね。気味が悪い、って」
指先で、青い石をくるりと回す。
捨てたらどうなる? 生徒会は静かになる。あの、凪いだ三日間のような日々が続く。書記くんは帰ってゲームをして、わたしは習い事をして、それぞれの放課後に戻る。
相談は来ない。黒板の前で得意げに講釈を垂れる彼を、一番前の席で眺める時間も来ない。
一族への手土産も増えない。
この半年、親戚の集まりでの風向きが変わり始めているのを、彼女は知っていた。文化祭の運営、購買の立て直し、部活動制度の整備。
「沙知代さんのところの生徒会は大したものだ」。その言葉の先に、彼女はいつも、ひとりの一年生の顔を思い浮かべる。まだ誰にも言っていないけれど。
あの観察眼と設計の腕は、磨けば必ず籠宮の看板を張れる。そのことを一族に証明する実績が、この石を付けている限り向こうから歩いてくる。
危険なら話は別だ。でも半年間、誰かが本当に傷ついた事件は、一度もなかった。むしろ全部解決されて、前より良くなって終わっている。まるで解かれるために出題されているみたいに。
’’ 誰が? 何のために? ’’
そこまで考えて、籠宮はふ、と息を吐いた。柄にもなく考えすぎだ。分からないものは分からない。分かっているのは、このブレスレッドがあると退屈しないこと。彼の隣に堂々と座っていられる理由が増えること。それから…。
「……まあ、いいわ」
籠宮 沙知代は、ブレスレットを手に取り、左の手首にいつもの角度で留めた。
留め具は修理したばかりの澄んだ音で、ちん、と鳴いた。
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