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第6.5話 7対3の撤退宣言(後編)

この話の次にご期待されているのは、文化祭当日のお話だと思いますが、

残念ながら文化祭でのお話はありません。


文化祭当日のお話は、閑話という感じで、後日書きたいと思います。

3


「今のは、「最後通牒ゲーム」と呼ばれる実験です。世界中で何十年も前から研究されている分野です」


明はホワイトボードに、二つの丸を描いた。片方に「提案する側」、もう片方に「受ける側」。


「合理的で計算だけで動く人間なら、受ける側は一円でも受けるはずなんです。断ればゼロ、受ければプラス。だから提案する側も、それを見越して、ぎりぎりまで自分の取り分を増やすはず。九百九十九円対一円でも成立する、というのが理屈の上の答えです」


「成立するわけないでしょ」と真田さん。


「しません。実験すると、ほぼどこの国でも、受ける側は取り分が二割から三割を切ったあたりで、提案を断り始めます。自分が損をしてでも、です。そして提案する側も、それを分かっている。


実際に出される提案は、四割から五割が一番多い」


「なんで断るんだ」久我が眉を寄せた。「損するだけなのに」


「不公平な相手を罰するためです。自分の取り分を投げ捨てて、相手の取り分も消す。お金で言えば損ですが、人間は『ナメられた』と感じた時、それを払ってでも罰を与えたくなる。


……これ、欠陥というより、たぶん人間が集団で暮らすために身についた性質です。不公平な相手に黙って従う人ばかりだったら、集団は横取りする人間の食い物になりますから」


明は、真田さんの撤退宣言の画面を思い浮かべた。


「三組がやろうとしてるのは、まさにこれです。撤退すれば三組も損をする。それでも、七対三を黙って受けるくらいなら、一組ごと店を潰す。久我先輩。三組は計算ができないから怒ってるんじゃありません。計算した上で、損を払ってでも罰する価値があると判断してるんです」


久我は黙った。


「ただ」明は続けた。


「ここからが大事なところで。恵さんに昼に聞いたんです。6対4なら撤退しなかったか、って。答えは『分からない、勝手に決めたのが嫌だった』でした」


真田さんが、恵の方をちらりと見た。恵は小さく頷いた。


「人が公平かどうかを判断する時、見ているのは配分の数字だけじゃないんです。その数字が、’’ どうやって決まったか ’’ ’’ 自分の言い分を聞いてもらえたか ’’ ’’ 決め方が透明だったか ’’。


結果の公平さと、手続きの公平さ。人は後者にも、同じくらい強く反応します。同じ6対4でも、一緒に話し合って決めた6対4と、『決定事項です』と通告された6対4では、受け取り方がまるで違う」


「……つまり、俺の決め方がまずかったってことか」


「決め方はまずかったです。でも、先輩の言い分にも筋はあります。そこを聞かないまま話を進めたら、今度は一組が『ナメられた』と感じる側になるので」


明は久我の計算表を手に取った。


「先輩。六万円の出資、全部クラス費からですか」


久我の肩が、わずかに揺れた。


「……クラス費は四万だった。足りない二万は、俺が立て替えてる」


「先輩の個人のお金で」


「バイト代だ。……別にいい。文化祭が終わって売上が出れば、返ってくるんだから」


「売上が出なければ?」


久我は答えなかった。


生徒会室が静かになった。真田さんが、組んでいた腕をゆっくりとほどいた。


「……そんなの、言ってくれれば」


「言ったら、恩着せがましいだろ」


久我は眼鏡を押し上げた。


「だから、配分で取り返そうとした。それだけだ」


明は、黙っていた籠宮をちらりと見た。籠宮は頬杖をついたまま、何も言わない。口を挟まないと決めている顔だった。


明は、ホワイトボードに新しい表を書いた。


「整理します。この件でこじれているのは、二つの別々のものを一緒くたにしたからです。一つは、損をかぶるリスク。もう一つは、儲けの分け方。7対3は、この二つを一つの数字に押し込んだ結果です」


ホワイトボードに、三行が並んだ。


1.売上から、まず出資の六万円を全額、一組に返す。久我先輩の立て替え分を最優先で。

2.残った利益を、一組と三組で折半する。

3.もし赤字になった場合、その損も一組と三組で折半する。


「一組がリスクを負っているから多く取りたい、というのは正当な主張です。なら、リスクそのものを分ければいい。三組が赤字の半分をかぶると約束すれば、一組だけが損をする構造は消えます。


その代わり、儲けも半分ずつ。三組の皆さん、赤字になったら半分負担する、という条件、のめますか」


真田さんは、恵と、隣の柴と顔を見合わせた。柴がほんの小さく頷いた。


「……のむ。そのかわり、売れなかったら、うちのクラスのせいでもあるってことだもんね。だったら全力で売る」


「一組は」


久我は長いこと計算表を見ていた。それから、ペンで自分の書いた「七:三」に、二重線を引いた。


「……のむ。立て替えが先に返ってくるなら、それでいい」


「最後に一つ。この三行、生徒会が立ち会って、両方のクラスのグループに同時に貼ってください。『決定事項』じゃなくて、『両クラス代表の合意事項』として。


それぞれのクラスの中で、自分たちの代表が話し合って決めた、という形が見えるように」


籠宮が、ようやく口を開いた。


「生徒会長として、立会人の署名をするわ。二人とも、ご苦労さま」


4


その夜から、家庭科室の灯りは消えなかった。


文化祭前日。一組の久我が鉄板の火加減を計算し、三組の真田さんが生地の配合を変え、恵が焦げたクレープを片端から試食した。


「久我くん、これ焦げてる。三枚目も焦げてる」


「鉄板の温度ムラだ。右の奥だけ高い。……真田、右奥は使うな。生地を置く位置を変える」


「了解。柴、右奥にテープ貼っといて。立入禁止って」


柴が黙ってマスキングテープを貼り、その上に油性ペンで小さく「立禁」と書いた。三組の誰かが噴き出し、一組の誰かもつられて笑った。昨日までグループチャットで罵り合っていた二つのクラスが、一枚の鉄板を挟んで、同じ失敗作を食べている。


明は、家庭科室の戸口からそれを眺めていた。


「入らないの?」


いつの間にか、籠宮が隣に立っていた。手に、焦げたクレープを二つ持っている。一つを、当然のように明に押し付けた。


「僕は見回りの途中です」


「食べながら見回りなさい。……ねえ、書記くん。今日のあれ、理屈で解いたように見えて、最後に効いたのは久我くんの立て替えの話だったわよね」


「そうですね」


明は焦げたクレープをかじった。苦かった。


「僕は構造を分けただけです。リスクと儲けを分けて、手続きを見えるようにした。でも、真田さんが腕をほどいたのは、久我先輩がバイト代を出してたって知ったからです。……理屈は、こじれたものをほどく道具にはなります。でも、相手を許す理由までは作れない」


「あら。珍しく謙虚ね」


「事実を言ってるだけです」


籠宮は、ふふ、と笑って、自分の分のクレープをかじった。そして顔をしかめた。


「……苦っ」


「立禁の上で焼いたやつですね、それ」


左の手首で、青い石が家庭科室の蛍光灯を撥ねた。


5


文化祭前日の放課後。明は合同出店の書類一式を整理していた。両クラスの合意書、出店登録票、そして機材レンタルの領収書。


領収書の宛名は二年一組。品目は鉄板二台、冷蔵ショーケース一台。金額は3万6千円。明は金額の欄だけ確かめて、書類をファイルに綴じた。


綴じながら、昨日の久我の言葉を思い出した。


『レンタル屋の店員にも言われたんだよ。出資した方が七割取るのが相場だって。女の人だったけど、妙に詳しくてさ』


相場。そんな相場が、高校の模擬店にあるはずがない。気の利いた店員の、ちょっとした世間話だろう。


明はファイルを閉じた。


だから、彼は目に留めなかった。領収書の縁を一周している、組紐のような意匠を。


これは文化祭前日にあったかもしれない物語である。

推理部門 週間ランキング35位と、最近、推理部門のランキングに載るのようになってきました。

これも皆さんが☆を入れてくださるおかげです、ありがとうございます。


また☆を入れてくださると嬉しく思います。

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