第六章:薬草採り競争
【序】
肩を並べて歩くということは、いつしか競い合うことにも変わる。
些細な遊び心が、二人の距離をまた一つ、縮めていく。
町を出て、緩やかな丘を越えた先に、目的の薬草地は広がっていた。朝露に濡れた草原が、陽光を浴びてきらきらと輝いている。
依頼書には「月光草を十本以上採取すること」と記されていた。薄紫の花弁を持つ、月の光を集めたように光る珍しい薬草だ。
「見つけたら、この籠に入れればいいんだな」
紅蓮が籠を軽く持ち上げながら言うと、彩は辺りを見回しながら頷いた。
「はい。月光草は、日陰の湿った場所に生えることが多いです。あの、岩の裏側とか……」
彩が指差した方向を、紅蓮はじっと見つめた。しかし、彼の目には、他の草と何ら変わらない緑の茂みにしか見えない。
「……どれのことだ」
「ふふ、やっぱり分からないんですね」
彩が、珍しく悪戯っぽい笑みを浮かべた。
「これまで、あなたは何でもできる人だと思っていましたけど――こういうことになると、案外……」
「案外?」
「役に立たない、かもしれません」
紅蓮は片眉を上げた。彼女がこんな風に自分をからかうのは、初めてのことだった。
「面白いことを言う。ならば――勝負しないか」
「勝負、ですか?」
「どちらが多く月光草を集められるか。負けた方は、勝った方の言うことを一つ聞く」
彩は目を輝かせた。
「いいですね、それ。……でも、後悔しないでくださいね。わたし、こう見えても昔は薬草採りが得意だったんです」
「ほう。ならば、俺も負けるわけにはいかないな」
こうして、思いがけない薬草採り競争が始まった。
彩は迷うことなく、岩陰や木の根元など、湿った日陰を的確に探していった。長年の経験から、彼女の目は本物の月光草を瞬時に見分けることができた。
「一本、二本……ここにもありました」
彼女は次々と籠へと月光草を入れていく。その手際の良さに、紅蓮は思わず見惚れていた。
一方、紅蓮は――
「……これは、月光草か?」
彼が摘み取ったのは、明らかに形の違う雑草だった。
「紅蓮さん、それ違います。ただの雑草ですよ」
「では、これは」
「それも違います」
「……これは」
「紅蓮さん、それはキノコです」
彩は堪えきれずに、くすくすと笑い出した。あれほどの強さを誇る竜王が、草花の見分けとなると、まるで子供のように戸惑っている――その姿が、なんとも愛おしく思えた。
「……笑うことはないだろう」
紅蓮は、珍しく少し不機嫌そうに眉を寄せた。それがまた、彩の笑いを誘った。
「ごめんなさい、でも……なんだか、可愛くて」
「可愛い、だと?」
紅蓮の耳が、わずかに赤くなった。彼はそれを誤魔化すように、再び茂みへと視線を戻した。
「……次こそは、正解を見つけてみせる」
「ふふ、期待してます」
しばらくして、彩の籠にはすでに十五本もの月光草が集まっていた。一方、紅蓮の籠には、まだたったの三本しか入っていない。
「これは……俺の完敗か」
紅蓮が籠の中を見つめながら、珍しく苦い表情を浮かべた。
「残念でしたね」
彩は満足げに微笑んだ。
「約束通り、一つ言うことを聞いてもらいます」
「……何を言うつもりだ」
紅蓮が身構えるように尋ねると、彩は少し照れたように視線を逸らした。
「今日の夕食、紅蓮さんに作ってほしいです。……その、前みたいに黒焦げでもいいので」
紅蓮は、意外そうに目を見開いた。
「それでいいのか? もっと、他に望むことがあるだろうに」
「これがいいんです」
彩は柔らかく笑った。
「あなたが不器用に頑張ってくれるところ、見るのが好きなので」
紅蓮は、しばし言葉を失った。それから、小さく息を吐き、口元をわずかに緩めた。
「……変わった願いだ」
「そうですか?」
「いや」
紅蓮は、彼女の頭に軽く手を乗せた。
「悪くない」
夕暮れの草原に、二人の笑い声が静かに響いていた。籠いっぱいの月光草が、淡い光を放ちながら、その光景をそっと照らしていた。
些細な勝負が、二人の間に新しい笑顔を生んだ。
守る者と守られる者から、共に笑い合える対等な関係へ――彩の心の中で、何かが確かに変わり始めていた。
しかし、この穏やかな時間もまた、長くは続かない。天界からの視線が、静かにこの地へと注がれ始めていたことを、二人はまだ知らなかった。




