第十五章:謁見の間にて
玉座の間に響く沈黙は、これから告げられる依頼の重さを物語っていた。
一介の冒険者として現れた男に、王国の命運が託されようとしていた。
朝、侍女たちに身支度を整えられた彩は、鏡に映る自分の姿に、思わず息を呑んだ。
淡い水色のドレスに身を包んだ彼女は、これまでの村娘の面影が嘘のように、気品ある佇まいを纏っていた。
「……似合っているだろうか」
彩が不安げに呟くと、部屋の入口で待っていた紅蓮が、彼女を一瞥した。
「ああ。よく似合っている」
素っ気ない言葉だったが、その眼差しには確かな賞賛が込められていた。彩は頬を染めながら、小さく微笑んだ。
「行くとしよう」
紅蓮は彩の手を取り、謁見の間へと向かった。
王城の大広間は、荘厳な雰囲気に満ちていた。両脇には居並ぶ貴族や騎士たちの視線が、二人に一斉に注がれる。
「陛下、ご紹介いたします。此度の邪竜討伐を成し遂げた者にございます」
案内の大臣がそう告げると、玉座に座る初老の男――国王が、鋭い眼差しを紅蓮に向けた。白髪交じりの髪と、深い皺が刻まれた顔には、長年国を治めてきた威厳が漂っていた。
「面を上げよ」
国王の声が、静かに広間に響いた。紅蓮は特に畏まる様子もなく、まっすぐに国王を見返した。その態度に、周囲の貴族たちがざわめいた。
しかし国王は、それを咎めることなく、むしろ興味深げに目を細めた。
「そなたが、あの邪竜を単独で討伐したというのか。信じがたいことだ」
「事実だ」
紅蓮は簡潔に答えた。国王は、しばし紅蓮を値踏みするように見つめた後、静かに頷いた。
「よかろう。そなたの力、しかと見せてもらった。……ときに」
国王は、彩の方へと視線を移した。
「その者は?」
一瞬、大広間の空気が変わった。貴族たちの視線が、彩の瞳――異なる色を宿したその瞳に集まる。侮蔑と好奇の入り混じった視線だった。
紅蓮は、その空気を察するや、彩を庇うように一歩前へ出た。
「俺の連れだ。それ以上でも、それ以下でもない」
その声には、有無を言わさぬ強い意志が込められていた。国王は、その様子を興味深げに見つめた後、小さく笑みを浮かべた。
「なるほど。……よい、下がっていて構わぬ」
国王が軽く手を振ると、貴族たちの視線は次第に逸れていった。彩は、紅蓮の背中に守られながら、静かに安堵の息をついた。
「さて、本題に入ろう」
国王は表情を引き締め、紅蓮に向き直った。
「そなたを呼んだのは、他でもない。王国が長年抱える、ある問題についてだ」
「問題?」
「王都の南に位置する、大迷宮――『天穿の塔』のことは知っているか」
紅蓮は軽く首を振った。国王は続けた。
「あの迷宮は、深層に進むほど、強力な魔物が生息している。長年、王国の冒険者たちが管理し、一定の階層より下へは進まぬよう封じてきた」
「それが、どうかしたのか」
「ここ最近、封じてきたはずの深層――我々が『超階層』と呼ぶ領域から、高ランクの魔物が溢れ出す事態が頻発している」
国王の声に、深刻な響きが混じった。
「既に、いくつかの町が壊滅的な被害を受けた。冒険者ギルドも、王国騎士団も、この異常事態の原因を突き止められずにいる」
紅蓮は、静かに国王の言葉に耳を傾けていた。
「先日そなたが討伐した邪竜も、恐らくはこの超階層から溢れ出た存在の一つであろう」
「……つまり、原因はあの迷宮の奥深くにある、ということか」
「その通りだ」
国王は、紅蓮をまっすぐに見据えた。
「そなたの力があれば、この異常事態の根源を突き止め、解決できるのではないかと考えている。……無論、これは強制ではない。だが、王国として、そなたに正式な依頼として、この調査を頼みたい」
大広間に、緊張した静寂が満ちた。貴族たちの視線が、固唾を呑んで紅蓮に注がれている。
彩は、そっと紅蓮の袖を握った。不安げな表情を浮かべながらも、彼女はそれ以上何も言わず、ただ彼の判断を待っていた。
紅蓮は、しばし目を閉じた。脳裏に、あの邪竜の姿、そしてその奥に潜む、より大きな脅威の気配が過ぎる。
「……いいだろう」
紅蓮は、静かに、しかし確かにそう答えた。
「その依頼、受けよう」
国王の表情に、安堵の色が浮かんだ。
「感謝する。そなたの力、王国にとって大きな希望となるだろう」
「一つ、条件がある」
紅蓮は、彩の手をしっかりと握りながら続けた。
「彼女も、俺と共に行動させてもらう」
国王は一瞬、彩に視線を向けた後、小さく頷いた。
「よかろう。そなたの望むように」
こうして、二人の新たな任務――迷宮『天穿の塔』の調査が、正式に決定した。
謁見を終えた後、大広間を出た彩は、大きく息を吐いた。
「緊張しました……」
「よくやった」
紅蓮は、彼女の頭を軽く撫でた。
「迷宮の調査、危険なことになるかもしれない。それでも、共に来るか」
彩は、迷うことなく頷いた。
「もちろんです。あなたの隣にいることが、わたしの選んだ道ですから」
紅蓮は、その言葉に、静かに目を細めた。
「……ああ、頼りにしている」
王城の窓から差し込む陽光が、二人を静かに照らしていた。新たな試練が待ち受けていることを知りながらも、二人の手は、しっかりと結ばれたままだった。
王からの依頼――迷宮『天穿の塔』の調査という、新たな試練が二人に課せられた。
しかし、それは同時に、紅蓮がかつて失った力を取り戻す、一つの契機となるかもしれなかった。
彩の心には、確かな決意が宿っていた。どんな危険が待ち受けていようとも、彼の隣で歩み続けるという決意が。
天穿の塔の奥深くに眠る真実――それはやがて、二人の運命を、大きく揺るがすことになる。




