第十二章:予想外の依頼と、暴かれた力
平穏な日常の中に、時折、予想もしない波乱が紛れ込む。
小さな依頼のはずだった仕事が、二人の運命を、大きく動かし始める――
祭りの余韻が残る町で、二人はいつも通りギルドの掲示板を眺めていた。
「今日は、何か面白い依頼はあるか」
紅蓮が呟くと、彩が一枚の依頼書に目を留めた。
「これ、どうでしょう。『近隣の廃坑で発生した魔物の調査』……Eランクの依頼ですね」
「悪くない。少し骨のある依頼も、たまにはいいだろう」
二人はその依頼を受理し、廃坑へと向かうことにした。
廃坑は、町から半日ほど離れた山間にあった。かつて鉱石を採掘していたが、今は放棄されて久しいという。入口付近には、不気味な静けさが漂っていた。
「妙だな」
紅蓮が呟いた。
「何がですか?」
「魔力の気配が、Eランクの依頼にしては、些か濃すぎる」
彩の表情が、わずかに強張った。
「大丈夫でしょうか……」
「心配するな。何が出てきても、俺がいる」
紅蓮は彩の手を軽く握り、廃坑の奥へと足を踏み入れた。
坑道の奥深くに進むにつれ、空気は重く、禍々しいものへと変わっていった。壁面には、見たこともない紋様が刻まれている。
「これは……」
紅蓮の足が、ふと止まった。
その先――広い空洞の中心に、巨大な影が蠢いていた。
黒く濁った鱗に覆われた、竜のような姿をした魔物。しかし、それは自然に生まれた魔物ではなかった。禍々しい魔力の紋様が、その身体中に刻まれている。
「……邪竜、だと」
紅蓮の声が、初めて緊張を帯びた。
「邪竜?」
彩が戸惑いながら尋ねる。
「本来、この世界に存在してはならないものだ。誰かが、禁忌の術で作り出したのだろう」
その瞬間、邪竜が咆哮を上げた。空洞全体が震え、天井から岩の破片が降り注ぐ。
「彩、下がれ!」
紅蓮が叫んだ瞬間、邪竜の尾が二人に向かって振り下ろされた。
「――っ!」
彩は咄嗟に身を伏せたが、逃げ切れる速度ではなかった。
その時、紅蓮の姿が、一瞬でかき消えた。
次の瞬間、邪竜の尾は、紅蓮の腕一本によって、いとも容易く受け止められていた。
「……ッ!」
衝撃で、坑道全体が激しく揺れた。彩は目を見開き、その光景を見つめていた。
紅蓮の瞳が、これまで見せたことのない鋭い光を放っていた。彼の身体から、抑えきれない魔力が、溢れ出すように放たれ始めている。
「彩、目を閉じていろ」
短い忠告と共に、紅蓮の姿が変貌し始めた。
漆黒の鱗が、彼の腕を覆っていく。額には、竜を思わせる紋様が浮かび上がり、背には、幻のような竜の翼が広がった。
これが、彼の――堕ちた竜王の、本来の姿の一端だった。
「――消えろ」
紅蓮の声と共に、凄まじい閃光が坑道を貫いた。邪竜の咆哮が、断末魔の叫びへと変わる。
数秒後。
静寂が戻った坑道には、原形を留めぬ邪竜の残骸だけが残されていた。
紅蓮の姿は、いつの間にか元の人間の姿に戻っていた。彼は肩で息をつきながら、彩の方を振り返った。
「……彩、大丈夫か」
彩は、呆然とした表情のまま、彼を見つめていた。先ほど目にした光景――人ならざる、竜の姿。それは、彼女がこれまで抱いていた予感を、確信へと変えるものだった。
「紅蓮さん……あなたは……」
紅蓮は、静かに目を伏せた。
「……いずれ、話すつもりだった。俺は――」
しかし、その言葉が続けられる前に、坑道の入口から、複数の足音が近づいてきた。
「そこにいるのは何者だ! 動くな!」
現れたのは、王国の紋章を身に着けた騎士団だった。先頭に立つ壮年の騎士が、鋭い視線を紅蓮に向けていた。
「先ほどの魔力反応……お前が、この邪竜を討伐したのか」
紅蓮は、静かに頷いた。
騎士は、驚きと警戒の入り混じった表情を浮かべた。
「……この邪竜は、王国が長らく対処に苦慮していた脅威だ。それを、たった一人で……信じがたいことだ」
彼はしばらく紅蓮を見つめた後、深く息を吐いた。
「――陛下が、お前に会いたいと仰せだ。王城まで同行願おう」
「王城、だと」
紅蓮の眉が、わずかに動いた。
「拒否権はない、というわけか」
「そうではない。だが、これほどの力を持つ者を、王国が放っておくわけにはいかない。それに――」
騎士は、周囲に散らばる邪竜の残骸を一瞥した。
「この邪竜の出現は、単独の事件ではないかもしれん。王国にとって、由々しき事態だ。お前の力が、必要になるだろう」
紅蓮は、彩の方をちらりと見た。彼女は不安げな表情を浮かべながらも、小さく頷いた。
「……分かった。同行しよう」
紅蓮はそう答えると、彩の手をしっかりと握り直した。
「心配するな。何があろうと、お前は俺が守る」
彩は、その言葉に静かに頷いた。しかし彼女の胸の中には、拭いきれない不安が渦巻いていた――彼が何者であるか、そして、これから訪れるであろう運命について。
平穏な依頼のはずが、思わぬ形で二人の運命を動かし始めた。
紅蓮の正体の一端が明かされ、そして王城からの召喚――穏やかだった日々に、初めての大きな波乱が訪れようとしていた。
彩の心の中で、様々な思いが交錯していた。彼が何者であろうと、想いは変わらない――そう信じたい一方で、迫りくる運命への不安を、拭い去ることはできずにいた。
王城の門が、今、静かに開かれようとしていた。




