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第七章:ピンクの侵入者と桜餅

四月の終わり。大学の講義が終わり、伸也が帰宅すると、玄関に可愛らしいパステルピンクのパンプスが揃えられていた。  見慣れない靴の隣には、拓海の大きな革靴がある。  


嫌な予感がしてリビングの扉を開けると、そこには案の定、春の陽だまりを擬人化したような存在が座っていた。

「あ、伸也くん。おかえりなさい!」

本家の末娘、十七歳の美希だった。 彼女は満面の笑みで立ち上がり、まるで自分の家のように伸也を出迎えた。  


その向かい側には、マグカップを片手にした拓海が、完璧な「休日のお兄さん」の顔をして微笑んでいる。

「おかえり、伸也。美希ちゃんが差し入れ持ってきてくれたんだ」

「……どうも」

伸也は、重い足取りでソファの端に腰を下ろした。  


美希は、資産家である藤堂一族の中でも、ひときわ明るく素直に育った「正しい光」の象徴だ。その彼女が、拓海のことが大好きだというのは、親戚中の公然の秘密だった。


「お母さんが、拓海さんがインターンで忙しいだろうからって。これ、老舗の桜餅なんです。伸也くんもどうぞ!」

「ありがとう。……わざわざ、これだけのために来たの?」


伸也が少しだけ棘のある言い方をしてしまうと、美希は「えへへ」と照れくさそうに笑った。

「実は、それだけじゃなくて。拓海さんに、今度の連休に遊園地行かないかなーって、誘いに来たんです」

「遊園地?」


拓海が少し驚いたように瞬きをした。美希は「はい!」と勢いよく頷く。

「友達からチケットもらったんですけど、お兄ちゃんたち(一真たち)は忙しいって言うし。……拓海さん、忙しいですか?」


上目遣いで尋ねる美希は、同性の伸也から見ても嫌味のない可愛らしさだった。これで断る男はいないだろう。伸也は心の中でそう思いながら、目の前の桜餅を見つめた。  

拓海がいなくなれば、連休は一人で静かに過ごせる。それは願ってもないことのはずだった。

しかし、拓海の口から出たのは、予想外の言葉だった。


「ごめんね、美希ちゃん。連休は、伸也の部屋の片付けを手伝う約束してるんだ。こいつ、そういうの苦手だから」

「……は?」

 伸也は思わず素っ頓狂な声を上げた。

 片付けの手伝い? そんな約束、一言もしていない。

 拓海を見ると、彼はなんの悪びれもなく、爽やかな笑顔を美希に向けていた。


「せっかく誘ってくれたのに、ごめんな。また今度、みんなで食事でも行こう」

「そ、そうなんですか……残念。伸也くん、お片付け大変なんだね。頑張ってね」


美希は少ししゅんとしたものの、すぐに気を取り直して「じゃあ、桜餅食べてくださいね!」と笑顔を取り戻した。彼女のそういう素直なところは、素直になれない伸也にとっては、眩しすぎて少しチクチクする。

それから三十分ほど他愛のない世間話をして、美希は嵐のように帰っていった。


 玄関で彼女を見送り、リビングに戻ってきた拓海は、大きく伸びをした。

「……なんで嘘ついたの」

伸也が、ソファに顔を埋めながら恨めしそうに尋ねる。

「嘘? なんのことだ?」

「片付けなんて約束してないだろ。あの子、本気で残念そうだったじゃん。遊園地、行けばよかったのに」

拓海は笑いながら、伸也の隣に腰を下ろした。


 二人しかいない空間になると、拓海が纏う「完璧な兄」の空気がふっと緩むのを、伸也は敏感に感じ取っていた。

「行ってもいいけど、美希ちゃん、俺のこと絶対好きだろ? 気を持たせるのは可哀想だし」

「……自分で言うか、それ」

「事実だろ。それに、連休は本家の連中に気を遣わないで、のんびりしたいんだよ」


拓海はそう言うと、テーブルの上の桜餅を一つ手に取り、ひょいと口に放り込んだ。

「ん、美味い。伸也、お前も食えば?」

拓海に促され、伸也も一つ桜餅を口にする。

 美味しいけれど、なんだか少しだけ、胸の奥がモヤモヤした。

「……あの子、本当にあんたのこと好きみたいだからさ。適当にあしらうなよ」

伸也がぼそりと言うと、拓海は桜餅を飲み込み、少しだけ真顔になった。

「適当になんてあしらってないよ。……ただ、俺が『本気』で構いたいのは、美希ちゃんじゃないってだけ」

拓海が、伸也の方へ体を向けた。

 近すぎる距離。拓海の瞳の奥に、さっき美希に向けていたのとは違う、熱を帯びた光が宿っている。

「俺は、連休、お前と過ごしたいんだよ。……本当に片付け、手伝ってやろうか? あのベッドの下の段ボール、そろそろ開けたほうがいいだろ」


「っ、見ないでよ! 俺が自分でやるから!」


伸也が慌てて身を引くと、拓海は「ははっ」と声を上げて笑った。

ーーー美希が持ってきたパステルピンクの桜餅。

 その甘い味は、拓海という男の「ずるさ」を、少しだけ誤魔化してくれたような気がした。


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