47。メルティと勝負あり
おたませぇ。
〜シャルメイside〜
メルティが海に沈んでいた時間、約五分。
その間、わたしはその周りを回遊しつつ様子を観察していた。
そのままとどめをさして勝負を決めてしまえばいいと思う人もいるかもしれない。
しかし。
「あれはさすがに近づけないのだ」
まるで肌を身につけているが如く、当然のようにメルティの体から溢れ出る靄。
黒い、得体の知らない何か。
あれは決して血では無いと思う。
メルティには多分、血が流れていない。
……ぼそっと護衛の男子の一人が「血の魔法」などと言っていたが、それは違うとおもう。たとえ血を回収できても、肉体は普通戻ってこない。
あれはまるで―――海面を殴っているような感じだった。
ただ一点、全く効いていないのだ。
そもそも……メルティはわたし以上に「今の世界」らしくない生物な気がした。
父上の書庫に立ち入った時に、ちらっと報告書に見えたことがあった名前「メルティ・イノセント」。その名前が妙に印象に残って、それから自分で色々調べた。生い立ち、情報―――そして犯罪歴まで。
しかし、ほとんどなにも得られなかった。
わかったのは―――彼女が夥しいほどの数の「依頼」を受けていること。
そしてその全てを完遂していること。
並み大抵のことではない。
はっきり言って異常である。
討伐の基礎である鳩の退治などでも、初心者であればミスをして達成できないことだって珍しくない。
それが街を破壊しようとする山の主ほどの階級になれば、成功率良くてせいぜい一割。
それなのにメルティは……記録が読める部分までは少なくとも全て、山の主に近いモンスターの類いを相手にしていた。
中にはかつて小国を胃袋に収めた災害級の虫などもいた。
そしてそれらを悉く退治してきた。
(古すぎる記録はどうやら別の文字―――うねったり角ばったりした特殊な文字形式―――で書かれていたから、残念ながら読めなかった)
そんなメルティだからこそ、会ってみたいと思った。
だからこそ、こうして立ち合っている。
だからこそ―――メルティがこれ程度で揺れるはずがないと、わたしは信じているのだ。
だって。
メルティは、わたしの―――。
わたしは再び気を引き締めて、メルティを観察した。
海というわたしに有利なフィールドとは言え、メルティみたいな何でも得意なタイプにはあまり効果がない。
ふと、黒いモノが消えた。
わたしは目を細めた。
これは気絶した?否、そんなはずはない。
ここは慎重に後ろに下ろう。
相手が静かなときほど、その後の爆発には気をつけなければいけない。
……と、頭が反応したその次の瞬間。
「……!?」
自分の体が、全く動かないことに気がついた。
金縛り……?
否、そんな安っぽいものではない。
呼吸がうまくできない。
胃が、脳が、心臓が弱っている。
視界が揺れている。完全に酔い切っている。
口の中から、胃酸が溢れ出した。
このままではまずい。
体力が持たない。
―――今までの海水という最高の環境が、一瞬で無音の地獄へと変貌した。
わたしは対応すべく皮膚の「刃」を逆立てた。
そして鼻に感覚を集中させた。
(メルティ、我の真横にいるのだ!?)
いや、違う。
(でも上からも匂うのだ……あれ、後ろからも……どうなってるのだ?)
やっぱり、水に体を溶かしたのだろうか。
それならば今のところ攻撃は加えてこないはず。
こういうタイプは特殊な環境である「海水」への対処ができない。
とはいえ自分抜け出すために強めの魔法を出そうにも、いつも手元にある杖が海に変形しているから放出できない。
魔力量には自信があるけれど、確実にこの雁字搦めから抜け出すほどの包囲突破魔法だと、どうしても杖が欲しい。
では海を回収するか?
否、それは甘えだ。
こんな状況はメルティだって経験してきたはず。それならわたしが乗り切らずに諦めていいはずがない。
(まずいのだ……気を抜くと意識が朦朧とするのだ)
焦らない。
焦ってはいけない。
(一回整理するのだ)
メルティはおよそ二つの攻撃パターンがある。
一つは変化に富んだ体を使った、肉弾戦。
もう一つは魔法を使った、数攻め。
見たところ、魔法の回数にも制限はなさそう。かつ、体の自由を縛って代償を払うタイプでもない。
すると消費するのは―――精神力か、体力。
肉弾戦ならなんとでもやれる。
特に海水中なら、わたしは全く減速しないまま攻撃ができる。
しかしもし、今の縛られた状態で魔法を打たれてはまずい。
いまいち発動条件も魔法の系統も分析しきれていないから、まともに受けると動もすれば防御する前に一発アウトになる。
それなら今すべきことは―――。
「【プロテクション】……うぷっ……」
わたしは込み上げてくる不快感を抑えて、辛うじて防御膜を張った。しかし鮫肌ではそれを破ってしまうから歯も刃もしまっておくしかない。
これなら、突然の魔法攻撃にも対応でき―――。
その時だった。
「……うぐっ」
わたしは身体が捻れるような感覚に襲われた。
自分が粘土で、幼児に両手で掴まれて捻られているような歪み具合。
海が……動いている?
異様な方向へと流動している?
「……ま、まさか……!!」
嫌な予想が、わたしの脳内によぎった。
しかし今更体を捩っても遅い。
杖を回収することもできない。
海のキューブはやがて形を失い、粘稠なスライム状になった。
それはわたしの身体を縛り付けたまま、空気を失った風船のように萎んで行く。
……抗えない。
力が分散してしまう。
程無くして、変わり果てたその海のキューブはその正体を現した。
「ごちそうさま」
「……っ……」
読みが甘かった。
海なら、自分が有利とばかり思っていた。
その確たる前提を疑うこともしなかった。
物理攻撃に強くて回復が早いのだから、スライムに近い生態だと決めつけていた。
スライムにとって海という環境は大変苦手。
浸透圧で、その体を維持することすら難しいからだ。
しかし相手はスライムなんかじゃない。
―――メルティなのだ。
「……はぁ……はぁ……っ。まさか……海水を吸ってしまうなんて」
「吸ったというか、溶けた。……そのあと水はポーチに収納した」
「……あの身体が動かないのはなんなのだ」
「体の表面を占領してみた。……見えないくらい小さいとげとげがあったから、くっつき安かった」
表面。
それはつまり、皮膚だけじゃない。口の中、耳の中……。
あの時のわたしは、すでにわたしとして機能していなかったのだ。
(それは負けるわけなのだ……)
「……うまく利用されちゃったのだ」
「……反抗しないの?」
メルティが、わたしの身体に跨ったまま尋ねてくる。
「できないのだ。未だに全身が痛くてしょうがないのだ。……降参なのだ」
喧嘩、終了。
拍手が、沸き起こった。
けれどわたしにはほとんどそれが、聞こえなかった。
感じるのはメルティという存在そのものだけだった。
「……メルっち、強いのだ」
思った以上に、うまく笑えない。力が入れば入るほどぎこちない。
メルティは二、三秒ほど固まってから、こてんと首を傾げて笑顔を返してくれた。
「……シャルメイも、強かった。鮫みたいでかっこよかった。その……楽しかった」
「……っ……」
「……シャルメイ?」
……あはは……っ。
かっこいいって言われちゃった。
楽しいって言われちゃった。
王女と全く関係がない、ただのシャルメイという存在が認められた。
メルティに。
わたしの頭の中が、一瞬だけ真っ白になった。
そして目頭が熱くなるのを感じた。
じわじわ湧いて頬をつたる暖かい液体。
わたしは片腕で顔を隠した。
その影に隠れると、幾分か楽になった。
「……泣いてるの?大丈夫?」
「……ぐすっ……だいじょうぶなのだ……あははっ……悔しいのだ……」
……なんでわたし、泣いているのだろう。
負けて、悔しいから?
ううん、メルティがもっと本気出せばわたしなんてきっと歯が立たないとおもう。だから悔しいとか惜しいとかの次元じゃなかった。
……なんでわたし、こんなにもメルティと拳を交わしたかったんだろう。
自分の強さを確認したかったから?
ううん、違う。
マルコーとの試合を見て血が沸いたから?
ううん、それだけじゃないはず。
わたしはメルティを見た。
メルティはわたしの顔を覗き込んでいた。
その渦巻いた瞳と白くて長いまつげはまるで、星空のようだった。
―――。
ああそうだ。
それだ。
「……憧れ」
「?」
「ずっと……憧れてたのだ。こうやって一生懸命になって汗をかくことに。あと、それから……メルっちに」
言葉を紡げば紡ぐほど、涙が溢れ出て、にやけがとまらない。
きっと今のわたしは、世の中の姫の中で一番、ブサイクな顔をしていると思う。
「……わたし?」
「そうなのだ。メルっちを知ってから、ずっとずっとずーっと……憧れてたのだ」
噂の中の、暗い暗い夜を統べてあちこち駆け回るメルティ。
そんなメルティを思い浮かべるたびに、こう……。
「―――そんなふうになりたいって思って……だから、ここに来たのだ」
―――そしてそれが、ついに、今日、叶ったのだ。
「……そっか」
きっと、メルティは色々言おうとしているのだと思う。
けれどどう言い出すかわからなくて、ポロリと「そっか」とだけこぼす。
それがどこか愛おしくて、愛おしくて。
「今日はわがままに付き添ってくれて、ありがとうなのだ」
言えるのは、これが限界。
それ以上を言ったら、頭が沸騰しておかしくなりそう。
「……いつでも、付き合う」
わたしは上半身を起こした。
メルティが、手を伸ばしてくる。
「……」
「みんな、これやるって誰かから聞いた。……握手」
「……っ」
わたしは深呼吸して肩の力を抜くと、彼女の手を取った。
その温かみにはどこか―――どこか、色褪せていたような、そんな懐かしさがあった。
その後、しばらく拍手の余韻に浸っていた。
が、気づけば目の前に満面の笑みのホーリア先生が立っていた。
授業にも参加せず建物を半壊させるほど暴れまわった罰として、メルティと二人で地獄の図書館整理をさせられた。
キツネと、わたしの護衛たちが先生に知らせていなかったら、もっと罰が大きかったらしい。
……。
……ありがとう友よ、なのだ。
喧嘩、終了。
次回更新は8/29(木)。




